第4話 新しい友達

 翌朝、ダイニングに下りてきた麻里まりに、母親は眉を顰めた。


「昨日、電気点けっぱなしだったでしょう。ちゃんと寝たの?」

「……勉強してたら寝落ちしたの。スマホじゃないって」


 そして、ぼそぼそと答えた娘の顔をひと目見て、眉間の皺が更に深まる。


「ちょっと……顔が青いじゃない。大丈夫なの? 学校、休む……?」

「大丈夫。テスト前だし。行くよ」


 本当は、一睡もできていない。不自然な体勢で縮こまっていたからあちこち痛いし、頭もぼんやりする。何も考えずにぐっすり寝ることができたらどんなに良いだろう。でも、家でその願いが叶えられるはずがない。あのベッドで、一晩中、の気配を感じた記憶も新しいのに。朝になって太陽の光を感じても、被っていた毛布を取り去る決心をするのにかなり時間が掛かってしまったのに。

 もしもまた、昼間でもの存在を見たり感じたりしてしまったら、家にいることさえ怖くなってしまう。家が、安心できる場所ではなくなってしまう。だから麻里は、むしろ一刻も早く家から出発したかった。


「そう? 無理しないで、辛かったら早退するのよ」

「ん」


 昨日の脱衣所の件で、体調が悪いとでも思ってくれているのだろうか。母はそれ以上問い詰めることはなく、それどころか心配さえしてくれた。麻里が朝食をほとんど食べられないでいるのも、理由だろう。もちろん、彼女の顔色が悪い本当の原因は、寝不足でも体調不良によるものでもない。でも、何か怖いモノをSNSでフォローしてしまったからだ、なんていっても絶対信じてもらえない。だから麻里は母親にはそれ以上何も言わず、朝食の卵焼きを懸命に飲み込んだ。




 制服を着て、学校指定の鞄を持って、麻里は逃げるように家を後にした。でも、向かうのは学校ではない。今の気分では勉強するどころではないし――を、どうにかしなければ。


 麻里は駅前のファストフード店に入った。メニューを見ることさえなくコーヒー、一番小さいので、と頼む。店員から渡された紙コップをひったくるようにして、比較的空いている二階席に腰を落ち着ける。

 スマートフォンを手に取っても、SNSの通知はもう確認しない。norikoからのメッセージが来ているかどうかなんて見たくない。代わりに開くのは、電話帳だ。最近では、自宅以外にわざわざ電話なんて滅多にしなくなっていたけど。


(番号、変わってないと良い……!)


 数回のフリックで探し出したのは、ひとみの番号だった。つい二日前のこと、この子からnorikoを紹介――だったのか――されたのが全ての切っ掛けだった。それも、瞳は変なメッセージも送って来ていた。上手くやっておいて、なんて……だから、彼女は何か知っているはずなのだ。


 祈るような思いで、麻里は着信音が繰り返されるのを聞いた。少なくとも番号は生きている。まだ朝の早い時間、瞳が学校に着く前なら良い。もし駄目でも、何度でもかけ直すつもりだった。昼休みでも、放課後でも。そして、あのnorikoというアカウントのことを聞き出さなくては。

 幸いに、留守番電話のメッセージに切り替わるかどうかという直前に、電話は取られた。


『もしもし……?』

「瞳っ! 今話せる!?」

『麻里、だよね……い、いいけど……』


 どこか迷惑そうな、怯えたような、後ろめたそうな瞳の声に、麻里の確信は深まる。この子は私と話したくない事情があるのだ。違う高校に行って、疎遠になったからって。ちゃんと説明しないまま、あわよくばしらばっくれようとしていたのだ。


「この前、メッセージくれたでしょ? noriko……のりこ、って人。送っちゃった、ごめん、って……どういうことなの?」

『あ、えっと……』


 瞳が躊躇って言葉を泳がせる気配を感じて、麻里は咄嗟に続けていた。今の瞬間まで思ってもいなかったこと、相手なら言えなかったであろうことを。


「分からないなら他の子に聞くけど。同じ中学おなちゅうの子とか。瞳からこういうの来たんだけど、って」

『ちょっと、待って、止めてよ……!』

「じゃあ教えて! 何なの、アレ……!」


 止めて、と懇願したのは昨日の麻里も同じだった。でも、今の瞳とは切実さが違う。あの恐怖が、中学時代の友人のせいだと思うと自然と声は尖って責める口調になった。脅すようなことを言っていることへの自己嫌悪みたいなものが、全くない訳じゃなかったけど。友人の悪口を言いふらすようなことが、自分にできるとは思えなかったけど。


『のりこさん、って……えっと、幽霊、みたいなの。友達が欲しいから、回ってきたら誰か紹介しなきゃいけなくて……』


 * * *


 のりこさんは寂しがり屋の幽霊です。フォローされてしまったら、すぐにブロックやリムーブしてはいけません。他の友達を紹介してあげましょう。


 * * *


「――何でそんなことしたの!? っていうか、ちゃんと説明しといてよ!」


 でも、瞳が言いづらそうに、つっかえながらの説明をし終えると、麻里は場所も遠慮も忘れて叫んでいた。朝食をファストフードで済ませているらしいサラリーマンが、何人かこちらを向いたけど、構う気にはなれなかった。


「知らなかったから、私……っ!」

『麻里、フォローしちゃったの? のりこさんを……!?』

「……違う。してないけど。気持ち悪かったから聞いたの」


 そして瞳の引き攣った声に、慌てて嘘を吐く。回線の向こう側で、相手が怯えた気配がしたから。電話を切られてしまうのが怖かったから。もっと情報を聞き出すためには、話しても祟られたりしないということにしておかないと。


『ほんと、ごめん……! うちの学校で流行ってたから、そっちでも知ってると思って……』


 多分、瞳も嘘を吐いているのだろう、と麻里は思った。学校が違えば流行りが違うのは当然の話。知ってると思ったとしても、あんな適当な言い方になるのはおかしいと思う。きっと、幽霊を紹介した、なんてちゃんと説明したら嫌われると考えたんだろう。それか、気持ち悪がられるか。多分その考えは当たっているだろうし、麻里もそう思っただろうとは思うけど。でも、だからと言って許せない。あんな思いをさせられた後では。

 だから麻里は逃げ腰の瞳を問い詰めた。


「瞳は誰から回ってきたの? 何ともなかったの?」

『部活の先輩から……だから、断れなくて。すぐ麻里に送ったんだけど……』

「すぐじゃなくても大丈夫なの? 私、二日くらい経ってるけど……」

『……分からない。でも、誰も何ともなってないから……! あの、出る、とか憑かれる、とかないと思うから。ただの、噂で――』


 噂じゃ、ない。そう、怒鳴りたかった。「のりこさん」は確かにいて、金縛りやメッセージで脅かしてきた。これからも、何をされるか分からない。この二日ほどの不安と恐怖を、ぶちまけてやりたかった。

 でも、できなかった。瞳がまだ通話を切らないのは、何も言わずに「のりこさん」を送ってしまった負い目があるからだろう。でも、噂のはずの幽霊が本当にいた、なんて言ったらすぐに切るだろう。その後、着信拒否や、SNSではブロックされるかもしれない。この子と話したいことなんてもうないけど、少なくとも、「のりこさん」の対処方法だけは確かめないと。


「他の人に回せば良いの? 誰でも良いの? 変な人扱いされるの嫌なんだけど」

『……誰でも良いと、思う。こっちは、知ってる人同士ばっかだから……あ、でも、適当に知らない人に押し付けちゃった、って子もいた!』

「…………」

『あっ、押し付けるって、その子が言ってたんだけど……! でも、だから、誰でも良いはず! 後は、フォロワーが多い人の方が良いのかも! 友達が欲しい霊なんだから!』


 捲し立てる瞳の言葉は、多分それほど根拠があることではないのだろう、とは思った。でも、今度こそ嘘ではない雰囲気もあった。麻里への後ろめたさと、友人に言いふらされることへの恐怖の間で、必死にひねり出したことなのだろう、と。


「……分かった。ありがと」

『あの……他の子には――』

「もう良いよ。言わない」


 許したからではなく、どうでも良いから、ということなのだけど。それを聞いた瞳は、心底ほっとしたようにありがとう、と言って電話を切った。




 麻里は、まだファストフードの席に留まってSNSを眺めている。自分のページではなく、ランダムに表示される「おすすめユーザー」をひたすら更新しては、全く関りがなさそうな――今もこれからも――アカウントを探しているのだ。


(フォロワーが多い……芸能人とか……?)


 現実でも会うことがある知り合いに「のりこさん」を押し付けることは、考えられない。その人に悪いから、というだけじゃなく、遠くないうちに麻里が瞳にしたように責められるのが分かり切っているから。だから、ならフォロワーが多くて、SNS上での発言も活発な人。「のりこさん」を送る不審なメッセージを送ったとしても、通知に埋もれて気付かれなさそうな人を。

 でも、あまり有名過ぎる人も、怖い。訴えられたりとか――は、ないかもしれないけど、大事になり過ぎてしまうかもしれない。norikoのアカウントを、あのアイコンを、テレビだの雑誌だので見かけたりしたら心臓が止まってしまいそう。


 そんな風に勝手なことばかり考えている自分は、瞳よりずっと酷いとは思うのだけど。でも、これしか方法がないなら仕方ない、とも思えた。


(大人なら、怖くないかも……霊能者とか、知ってるのかもしれないし)


 一生懸命言い訳を探しながら、フリックを繰り返す。フォロワーからフォロワーへ、話題のバズった投稿を追って、華やかな活動をしているアカウントへと。――そんな麻里の指先が、ついに、止まる。


葉月はづき千夏ちか……モデル? 知らないけど……)


 やっと巡り合ったそのアカウントは、細身の女性が微笑む写真をアイコンにしていた。染みひとつない肌に、大きな目はメイクでしっかりと強調されて。最新の投稿は、ローカルのテレビ番組への出演を宣伝するものだった。少し投稿を辿れば、雑誌やラジオでの露出もあると分かったし、ファンとの交流も良くしているようだった。ちょうど良いくらいの有名人――条件には、合う。


(ごめんなさい)


 必要な文章は、すでにコピーしてあった。だから画面の長押しで張り付けペーストするだけ。norikoのアカウントと、瞳から来たあのメッセージ。


 ――この子は私の友達です。良い子なので気が合うと思います。よろしくお願いします。


 メッセージが無事に送信されたのを見届けて、麻里はスマートフォンの電源を落とした。




 あれから、の姿を見たり気配を感じたりすることはない。だから、あの葉月千夏というモデルがのりこさんの新しい友達になったのだろう。気付けばnorikoのアカウントも麻里のフォロワー欄から消えていた。

 でも、麻里の日常は少し変わってしまった。だって、怖い現象はなくなったとしても、彼女のSNSのアカウントにはnorikoからのメッセージの履歴がしっかりと残っている。それを見るのがあまりに怖いから、スマートフォンに触れる時間はかなり減った。親からすれば好ましい変化なのだろうし、友人関係の方も、意外とまだスマートフォンを持たせてもらっていなかったり、SNSでのやり取りが煩わしいという子もいたりした。だから、彼女の生活は多少健康的になった、のかもしれない。


 だから全ては丸く収まったはずだ。瞳のことを言いふらしたりなんかもちろんしないし、そもそもあの子とはもう関わることもないだろう。のりこさんの方は――あれだけフォロワーが多い人なら、誰か対策を知ってたりもするだろう。きっと、そうだ。


 だから麻里は全てを忘れることにした。悪い夢のようなものだったと。過ぎてしまえば現実のことだったかなんて曖昧になってしまうものだし。金縛りで動かない身体も、を見た時の凍り付くような恐怖も、忘れよう。


 ――ケ・テ。


 タスケテ。


 彼女の唇がそんな風に動いた気がすることも、全て。麻里には関係のないこと、どうしようもできないことなのだから。

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