辻隆弘 次の標的

 最近、隆弘たかひろは携帯電話を気にすることが増えた。歩きスマホをしたり、休憩時間の度に食いつくように覗き込んだり、ということではないけれど、それでもちらりと画面を確認する頻度は以前に比べると確実に高くなっている。

 同僚の中には彼の変化に気付いた者もいて、彼女でもできたか、なんて揶揄からかわれることもある。その手の「いじり」に対しては、曖昧な笑みで誤魔化すのが最良だろう。否定したところで信じてもらえるとは限らないし、まして事実を述べたところで正気を疑われるのがオチだ。だから、図星を指されて照れている、くらいに思ってもらえれば良い。


 隆弘が浮ついているのは事実ではある。ここ数日は特に、仕事をしていても他所に気が散ってしまっていることがしばしばだ。でも、それは彼女ができた、なんて幸せな理由からではない。彼が連絡を待っている相手は確かに女性ではあるけれど、恋愛の対象ではない。矢野やの朱莉あかり氏については、偶然に知り合って同じ目的のために協力する、同盟者のような存在だ。そしてもうひとりの「のりこさん」は――女性どころか、人間なのか、人間だったことがあるのかさえ定かではない。昔の知り合いのアカウントが幽霊にのっとられて、その幽霊と今度会う予定なんです、なんて。決して現実リアルで口にできるもんじゃない。


 携帯電話を覗くのは、主に矢野氏から何か着信でも来ていないかどうかを確かめるためだ。「のりこさん」を警戒して、SNSは普段はログアウトした状況にしている。フォローはどうにか断ったとはいえ、相手の能力はまだ未知数だ。だから、武井たけい法子のりこの――というか、今は「のりこさん」の――アカウントに接続する機会は極力抑えたい。それでも、SNSの方に何かメッセージでもあれば、メールでも通知が来るはずだから、それも気にするようにはしていた。今のところは、会う約束を取り決めた一連のやり取り以来、のりこさんからの接触はないけれど。

 のりこさんとの待ち合わせは、この週末に迫っている。直接対決を望むのはあちらも同じだろうし、この期に及んで、予定の変更だとかキャンセルだとかはないだろうとは思うけど。が近いと思えばこそ、完全に平静を保つのは難しかった。




 その夜、隆弘が矢野氏からの着電に出ることができたのも、意識の変化のお陰だった。帰宅した後、今までなら鞄にしまい込んだままだった携帯電話を、リビングの目立つところに置いておいたのだ。テーブルと機体がバイブレーションによって触れ合うやかましい音に、脱ぎかけたジャケットを投げ捨てて慌てて駆け寄る。この数週間で、電話を取る操作も戸惑わずにできるようになっていた。


「もしもし、辻です」

矢野やのです。お疲れ様です』


 携帯電話の操作には慣れても、矢野氏との距離感にはまだ慣れていない。顧客に対するようにかしこまることはないにしても、友人感覚で気安くすることもできなくて。彼女に対する挨拶は、いつも適切なのか迷いながら口にすることになってしまう。

 とにかく――矢野氏が何の用もなく電話してくるはずはない。もしや事態に進展か、あるいは異常な事態でも起きたのか、と。隆弘は矢野氏が口を開くのを待たず、早口に問いかけた。


「何か、ありましたか……?」

『はい……いえ、私に、ではないんですが。あの……のりこさんのことで。今、パソコン見られますか……?』


 のりこさん、と口にする時、矢野氏はいつも一拍の間を置く。あの存在の名前を呼ぶのが怖いからでもあるのだろうし、もしかしたら隆弘の心中を慮ってくれているのかもしれない。彼にとっては、その名前は武井たけい法子のりこと結びついたものだったから。のりこさんをその名で呼ぶのは、彼の知人が全く別の、それも、人に害を為す存在に取って代わられてしまったのを突きつけられることでもある。もちろん、矢野氏が言ったからといって、彼が気分を害するということはないのだけど。

 携帯電話を首と肩で挟んでバランスを取りながら、隆弘はノートパソコンを開いた。コンセントに繋ぐのはさすがにできないだろうが、多少は充電も残っているはずだった。


「はい。今、帰ってきたところですが……すぐ、立ち上げます」

『のりこさんのアカウントが……今、ちょっと、炎上しているんです』


 言葉を交わす間にデスクトップ画面が表示される。ブラウザを立ち上げ、SNSにアクセスする。パソコンでも、もちろんログインはしていない状態だ。のりこさんのページをブックマークするのも、それはそれで気分の良いことではなかったが、今のところはそれによってあの白いに襲われるということは起きていない。


「これは……?」


 のりこさんのページを見ているはず、なのに。ブックマークから開いたはずなのに。一瞬、違うページが表示されたのかと思って、隆弘は首を傾げた。彼の目に飛び込んできたのは、のりこさん以外のアカウントの発言ばかりだったのだ。


 ――この子、日常の呟きもあってちゃんと中身あったっぽいよね。仕込みはできなさそうだけど。

 ――のりこさんに晒された翌日に急死って…偶然だよね、そうだよね(棒)

 ――遊び感覚で手を出しちゃいけないものがあるってことだね。

 ――のりこさん、マジモンじゃん。こわっ

 ――まさかリアルタイムで立ち会っちゃうとは。ネットならではだなあ。


 けれど、それらの発言を辿るうちに、何となく事態が掴めてくる。矢野氏が言う、「炎上」の様子が。のりこさんのページに他のアカウントの投稿が溢れていたのは、のりこさんが自分に関する発言を引用、拡散していたからだ。話題にされているのを誇るかのように、見せつけるかのように。そして、マウスのホイールを回して過去の投稿を表示させていくと、のりこさん自身の発言も現れた。


 ――ざまあ☆彡


 いかにも若い女の子を想像させる可愛らしいアイコンが、でも、そのアカウントの持ち主の死を告知していた。その投稿を引用して、のりこさんは嘲笑っていたのだ。――その発言は、四桁にのぼる「いいね」と拡散数を稼いでいた。拡散された先それぞれで数十人、数百人の人の目に触れているとしたら、これは確かに「大火事」のような規模と勢いなのかもしれない。


「『のりこさんごっこ』をしていた……女子高生? が亡くなった、んでしょうか……」

『はい。どこまでさかのぼりました? 一昨日くらいに、のりこさんが女の子の画像を引用してムカつく、と言っていました』


 矢野氏に教わるのとほぼ同時に、隆弘の画面にものりこさんのその投稿が現れた。心霊画像を真似て、なりきる「のりこさんごっこ」――矢野氏の亡くなった恋人、長谷川はせがわ氏の資料で、存在は認識していたけれど。そんな悪ふざけに興じる子供が実在するのも、その遊びがの幽霊を引き寄せてしまうのも、隆弘には信じがたいことだった。


「見せしめ、ということですね……!」


 そして、許しがたいことでもある。亡くなった女の子のことではない。SNSのコメントにあった通り、遊び感覚だったのだろうから。たとえ悪趣味で軽はずみで、幽霊を抜きにしても――深夜にうろつくなんて――危険だったとしても。それで死んで当然なんてことがあるはずはない。のりこさんはパクリという言葉を使ったが、隆弘に言わせれば図々しいにもほどがある。のりこさんこそ、武井法子の存在を盗んだパクったのだから!


 怒りを込めて吐き捨てた隆弘に対して、矢野氏は低く声を潜めた。見えないのりこさん耳を憚って、内緒話でもするかのように。


『……というか、私には自作自演かも、とも思えるんです』

「この……女子高生の子は、中身のあるアカウントだった、ということですが」

『もしもこの子を……死なせたのがのりこさんなら、アカウントが乗っ取られているはずです』


 長谷川氏のように。亡くなったモデルの――確か、葉月はづき千夏ちかのように。のりこさんに殺された人のアカウントは、それまでとは人が変わったような投稿をするのだ。それこそがのりこさんがのっとり霊、と呼ばれるゆえん。言われてみれば、今回もそうだということは十分あり得る。女子高生の投稿を引用して注目を集めた上で、その子が死んでしまったことを知らしめる。それは、まるで――


「のりこさんの祟りで死人が出るんだぞ、とフォロワーに見せつける……!?」

『のりこさんのフォロワー数見てください。百人単位で増えてます』


 言われてフォロワー欄を見てみると、隆弘の目の前で数字が変わって一人、増えたのが分かる。そしてまた一人、二人。リアルタイムでのりこさんが注目されているという、はっきりとした証拠だった。


『葉月千夏の事件の後も、のりこさんのフォロワーは増えて……でも、すぐに元に戻ってしまいました。あの時は、それしか――っていっても、ひとり、亡くなってるんですけど――動きがなかったから』


 矢野氏は、隆弘も思い出したばかりのモデルの名を口にした。その女性についての顛末も、長谷川氏の資料で読んでいる。幽霊に取り憑かれて亡くなった芸能人というニュースは一瞬だけ話題になバズって、そしてすぐに立ち消えた。その女性のアカウントは削除されてしまったから。怪奇現象を期待してのりこさんをフォローした野次馬は、すぐに飽きて離れてしまった。


「でも、続けてが起きれば――」


 矢野氏が言わんとしていることを察して、隆弘は続きを引き取った。のりこさんは、人を殺せることをフォロワーにアピールした。火を起こすのに成功したなら、弱まる前に新たな燃料が――被害者が、必要なのだろう。そして、のりこさんとの待ち合わせはこの週末。なんて良いタイミングだろう。


 次に狙われているのは、彼に違いない。

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