川村陽菜子 ざまあ☆彡

 葬儀場には、陽菜子ひなこの学校のものではない制服を着た子たちも多かった。美月みづきの、塾や部活関係での知り合いだろう。中学校時代の友達だっているだろうし、もしかしたら小学校以前からの付き合いの人もいるかもしれない。同級生に限らなくても、先輩や後輩も、美月の突然の死を悼むために駆けつけているだろう。あの子は、友達が多かったから。皆の人気者だったから。


 美月の、今の同級生である陽菜子たちは、本来なら一番悲しむべき立場なのかもしれなかった。というか、お互いを支え合うようにして、真っ青な顔で佇む一団は、傍から見たら友人の死にショックを受けているようにしか見えないのかもしれない。

 でも、実態は全然違う。そしてもっとずっと酷い。陽菜子たちは、美月の死を悲しんでなんかいない――その、余裕がないんだから。この場にいるのも、仲の良かった友達を見送ってあげるためじゃない。ただ、一緒にいることができる理由が欲しいだけだ。ひとりでいるのは耐えられない。自宅だろうと学校だろうと安心できないし、親にも先生にも頼れない。


 だって、陽菜子たちを怯えさせているのは、ほとんど肌身離さず持っているスマートフォンなんだから。

 SNSでは、きっとまだ美月の画像が拡散されている。のりこさんごっこを面白がっていた人も多かった分、「本物ののりこさん」からのリアクションは注目を集めている。のりこさんに目をつけられた陽菜子たちに、興味や――悪意を持つ人だって、きっと出て来てしまっている。たとえ通知を切ったとしても、自分たちの画像や情報が今もネットで赤の他人の目に触れているかと思うと気持ち悪くて仕方ない。炎上、だなんて。自分たちの身に起きるとは昨日まで夢にも思っていなかったのに。


 でも、それすらも恐怖の理由の全てではない。もっと怖くて理不尽で訳が分からないのは――のりこさん、だ。


「どうしよう」


 誰かがぽつりと呟いたけど、陽菜子には答えることができなかった。気持ちのせいだろうけど、どこかくすんだように見える視界のあちこちで、制服姿の女の子がハンカチで目元を抑えている。喪服姿で並んだ美月のご両親のところへは、ひっきりなしに沈痛な面持ちの人たちが挨拶に行っている。あの人たちと同じように純粋に悲しむことができたらどんなに良いだろう。でも、陽菜子たちの関心はもう美月にはない。今朝、メッセージを送ってきた美月のをしたが怖くて、次に何が起きるか何をされるか分からなくて、不安で仕方ないのだ。


「やっぱり……のりこさん……、だったのかな……?」


 不安に耐え切れずにぽつり、と溢すと、空気が凍るぴしりという音が聞こえた気がした。皆も思っていたに違いないけど、怖くて口に出すことができていなかったことだ。そもそも、朝のホームルームであまりにもショックなことを聞かされてから、陽菜子の記憶は曖昧だ。どう学校で一日を過ごしたのか、ふわふわとした雲を踏むような、夢の中のような感覚しかない。気付いたら一旦家に帰っていて、母親に慰められながら黒いタイツを履いてお香典を持たされて。そして、また気付いたら皆と寄り添っていた。皆も多分似たようなもので、だから、について話すチャンスもなかったのだ。


 だから、陽菜子が切り出すと、抑えていたものが噴き出すかのように皆が一斉に口を開けた。


「嘘、そんなの……!」

「何かの間違いじゃ――」

「皆、に来たでしょ? 時計が狂ってたとかじゃないよ」

「美月、のりこさんにのっとられたの……?」

「殺されたんだ……!」

「……助けて……」


 仮にも葬儀場で、すぐ傍では友達の美月が眠っている。死んでしまった彼女のために、皆、できるだけ声量を抑えてはいる。でも、だからこそ囁くような声に宿った恐怖は切実だった。だって、このグループを纏めて率いていたのは、いつも美月だったのに。その美月が真っ先にいなくなってしまった。そして、が美月だったからこそ、彼女のフリをしたのりこさん――多分――に言われるがまま、あのアカウントをフォローしてしまった。陽菜子だけでなく他の子たちもそうだったということは、皆の引き攣った顔を見れば聞くまでもなかった。


「のりこさん……まだ、怒ってるってことだよね……? どうしよう……」


 そうだ。それこそが、陽菜子たちの恐怖の本質だ。許してくれた、というのがフォローさせるための、油断させるための口実でしかなかったなら、のりこさんはまだ怒りを収めてはいないはずだ。相互フォローの形になったということは、鎖でのりこさんと繋がれてしまったかのような感覚さえする。さっき、最後に会わせてもらった美月の死に顔も、冷たく固まってしまった棒のような身体も。じぶんたちもなってしまう、という具体的な想像をさせられてしまう。

 だって、美月のお母さんは言っていた。来てくれてありがとう、と。陽菜子たちに低く沈んだ声で礼を述べてから。


『眠っているみたいでしょう。綺麗に、整えてもらえたの』


 つまり、整えるの状態があったということだ。美月は見つけられた時、一体どんな表情だったんだろう。可愛いかったのに、恐怖で歪んでしまっていたのだろうか。そのままでは葬儀の場にも出せないような形相だったのだろうか。


 制服のポケットにしまったスマートフォンが、ずしりと重く感じられた。こんなことがあったから、朝からSNSには触れてはいない。のりこさんの投稿がどうなったか、どこまで拡散されて、どんな反応が起きているか。とても気になる。でも、確かめるのも怖い。


 重苦しい沈黙が降りる中――ひとり、意を決したように声を上げる子がいた。


「私、『紹介』やってみる! フォロワーが減らなきゃ良いんでしょ? 新しい『友達』が増えれば良いんでしょ……!?」


 その声に、その場の空気がほんの少しだけ緩み、そしてまたすぐ淀む。




 のりこさんにフォローされてしまったら、すぐにブロックやリムーブしてはいけません。友達に絶交されたら悲しいし、怒ってしまいますよね。のりこさんは怒らせると怖い幽霊になってしまうんです。

 だから、のりこさんにフォローされても慌てないでください。祟られずに離れてもらえる方法があるんです。友達が欲しくてSNSに留まっている幽霊だから、友達が減らなければ良いんです。だから、他の友達を紹介してあげましょう。




 ほかならぬ美月から聞いた、のりこさんから逃げるための方法だ。そう――その手があった。そうできるなら、良い。でも、それは別の誰かをのりこさんの生贄に差し出すということだ。のりこさんを押し付けて良い相手なんて、そして恨まれたり嫌われたりしない相手なんて、どうやって見つければ良いんだろう。


 陽菜子には、他の人を犠牲にすることなんてできそうにない。でも、「紹介」のことを言い出した子は、血走った目を見開いて、すごい勢いでスマートフォンの画面をスクロールしている。SNSか電話帳で、ちょうど良いを探しているのだろうか。そして、その子の指先が、ふと、止まった。


「何、これ……」


 それきり、その子は唇をわななかせて固まってしまう。横からスマートフォンを覗き見て、SNSを開いていることを確認して。陽菜子たちも、慌ててそれぞれのスマートフォンを取り出した。


 SNSアプリを立ち上げると、最初にスマートフォンを出した子が絶句した理由がよく分かった。美月のアカウントが、新しい投稿をしていたのだ。それも、ほとんど今、さっき。陽菜子たちがスマートフォンに触れたのを見計らったかのようなタイミングだった。三日月のイラストをデコレーションした、美月のアイコンが語るのは、もちろん彼女のものではない言葉だ。


 ――このアカウントの持ち主の母です。娘は、昨日亡くなりました。今までお付き合いくださった方々に心から御礼申し上げます。


 内容だけなら、とてももっともらしいのに。でも、これも寒気と鳥肌を呼び起こす恐ろしい投稿だった。


「嘘……」


 陽菜子たちは、呆然としてスマートフォンと美月のお母さんを見比べた。美月に似て綺麗な顔立ちのその人は、今も弔問客に頭を下げている。その手には、もちろんスマートフォンなんかない。だから……美月のお母さんじゃ、ない。


(のりこさんが……!? なんで……!?)


 朝のことを考えれば、のりこさんが美月のアカウントをのっとったまま、なのだろうか。でも、どうしてこんなことを投稿させるんだろう。

 陽菜子たちの疑問に応えるかのように、SNSの画面がスライドして新しい投稿が表示された。皆の身体が反射的にびくりと震えてしまうのは――のりこさんの、あのアイコンだ。美月の死を告知する投稿を引用する形で投稿されたのは、短いひと言。


 ――ざまあ☆彡


「っひ……」


 美月の死を喜び、嘲笑う思いがその短い投稿から窺えて、その悪意に陽菜子の喉が締め上げられる。喉から漏れるのは、吐息と悲鳴の間の音だ。

 友人の葬儀の場で、顔を突き合わせてスマートフォンを覗いている一団は、不謹慎に見えるだろう。でも、陽菜子は――皆も――、目を離すことができなかった。のりこさんの快哉に、「いいね」のハートが次々と送られる。拡散されていく。メッセージも。


 ――何コレ、本物?

 ――偶然でしょ。まさか殺した訳じゃないよね?

 ――のりこさんごっこしてた子?マジで?

 ――すげー、犯行宣言!


 「美月」のりこさんのアドバイスで通知を切ったのも意味がなかった。自分自身が呼び起こした反応を、のりこさんは次々と拡散、引用して、陽菜子たちに突きつけたから。炎上は、まだまだ終わらない。のりこさんが炎を燃え上がらせて、追い立ててくる。


 ――まだ許してないよ。逃がさないからね。


 そして、今度こそ陽菜子たちへの止めが、刺される。朝の「美月」からのもののように、全員に宛てたメッセージの形で念を押してくる。逃げようなんて、許さないと。


 ――言うこと、聞いてくれるよね^^?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る