辻隆弘 繭

 先ほどまでは静かだった夜の公園が、今は不穏にざわついていた。悲鳴が聞こえる方角は、そよ風の広場の方だろうか。更に遠くからはサイレンの音も聞こえる。救急車か、パトカーか。前者ならまだ助けになるかもしれないけど、のりこさんや白いには警棒も銃弾も効かないだろう。被害者を増やすようなことにならなければ良いが、と隆弘たかひろは懸念する。


(のりこさんが用があるのは俺だけだ……フォロワーを殺したりも、しない、はず……!)


 自分に言い聞かせるのは楽観的な観測でしかない。のりこさんがどうやって他の野次馬と彼を見分けるつもりなのか分からないのだから。だと分かれば白い手は退くのか――それとも新たな手先としてのっとられてしまうのか。ゾンビ映画のように、白い手に操られる死体に襲われる様を想像して、隆弘の背に冷汗が伝う。


 恐怖に縛られて固まってしまうことがないよう、そして情報を求めるために、隆弘が頼るのはやはりSNSだった。××公園、が含まれる投稿はまだ増えている。それも、先ほどまでとはトーンが変わって、短い、悲鳴のようなものばかりが。白いに襲われた人が、実況もそこそこに逃げ出そうとしている。どうか逃げて欲しい、こちらに向かおうとしているかもしれない人に警告して欲しい、と思う。のりこさんと対峙するのは、彼だけで良いのだ。


 画面をスクロールしていると、行き交う白いがスマートフォンを絡め取り、やがて飛び出してくるのではないか、という妄想めいたイメージに襲われる。目眩のような酔ったような気分の悪さを堪えて、隆弘はSNS越しにのりこさんの動向を窺う。投稿される画像には、まだそよ風の広場の女性像が写り込んでいるものばかりだ。のりこさんは、広場の周囲に隆弘が隠れていると疑っているのだろう。


(早く、気付いてくれ……!)


 そして、彼のもとへと現れて欲しい。矢野やの氏にも、武井たけい法子のりこのアカウントを削除するためのパスワードは教えてあるのだ。彼の想いを尊重して、ギリギリまでそれを使わないでおいてくれるとは言っていたけれど。もしもあまりに騒ぎが大きくなってしまったら、彼女も隆弘より多くの人の命を取るだろう。

 というか、彼がまずそうすべきなのだ。ただ、あと少し、もう一度何かしらの投稿があってから、のりこさんが何か言ってきたら、と。ずるずると時期を逃して躊躇ってしまっているだけで。


 罪悪感に心を削られながら、また画面をスクロールする。新しい投稿を読み込む。増え続ける投稿は、この公園での騒ぎがまだまだ注目されていることを示していた。画像も動画も、様々な角度から寄せられている。――その中に、大きく引いた地点、公園を外の離れた場所から撮影したものも現れ始めた。


「……え……?」


 メディアではしばしば都会のオアシスと評される、ビル群の中の緑豊かな一角がこの公園だ。でも、昼間なら眩い木々の緑も、この時間では黒い塊でしかない。スマートフォンのカメラで、遠くから撮影したものならなおのこと。もちろん、花火だのイルミネーションだのが話題になる季節でもない。

 それでも、ただの夜景の画像なら、わざわざ大勢の人間が投稿するはずがない。


 ――××公園。今撮ったの。何コレ

 ――夢じゃないよね?ちゃんと撮れてる?

 ――シュールすぎるww

 ――オカルト好きな人、分析ヨロ


 ぱっと見でまず連想するのは、蛍の写真だ。夜の闇に、白いリボンのような光の軌跡を残して飛ぶ、雅な光景。でも、スケールがおかしい。ビルの間に蟠る巨大な闇に巻きつくように、何条もの白い筋が伸びている。公園全体に届くその長さは、すべて合わせればキロの単位にも届くのではないか。


 ――腕じゃん!キッモ!


 そう。それらは、あのだ。スマートフォンの小さな画面に目を凝らせば、白い筋の先端が細く裂けて、手指になっているのが見て取れる。隆弘が持つ白いの情報は、長谷川はせがわ氏が遺した動画と、矢野氏の証言によって得られたものだけ。室内の限られた空間でなければ、はこんなにもどこまでも伸びるのか。


(いや……数も、多すぎないか!? 二本じゃない……まさか……)


 ――なんか増えてないですかwww


 新しく画像が投稿される度、白い筋は増えている。十本や二十本じゃきかない。もはや、公園は繭のように白い糸に覆われているような状況だ。こんなに沢山――それだけの数のスマートフォンから、白い手が伸びているということだろうか。その本来の持ち主が、のりこさんに乗っ取られたということなのか。触手のように無数のを上空から伸ばし、操って。そうして、のりこさんは隆弘を見つけ出そうとしているのだろうか。


「まさか……」


 思い至った瞬間、寒気が足元から這い上がって隆弘はぶるりと震えた。その震えに促されるように上空を見上げれば、まさにSNSに投稿されているのと同じ光景が飛び込んでくる。ただ、白い手のの内側から肉眼で見るのは、遠距離からの撮影とはまた違う感覚だ。たなびいて宙を舞う腕たちは、いっそ幻想的で――あらゆる疑問と恐怖に目を瞑れば、美しくさえあったかもしれない。見蕩れるような余裕は、時おり地上を目掛けて降りていくがいるのに気付くと、恐怖で上書きされてしまったけれど。手が目指す地点には、きっとまた新たな犠牲者がいるに違いないから。


 ――どんどん拡散してね^^フォローもよろしく!

 ――フォローしてくれたら大丈夫だから^^


 のりこさんの明るいトーンは、この期に及んでも変わらない。隆弘に対して居場所を問い質すのとは違う、フォロワーに対しての朗らかなキャラ付けのままだ。フォロワーの数を気にしているのも、相変わらずだ。二つ目のコメントは、フォロワーになれば襲わない、ということだろうか。隆弘がさっき考えた通り、フォロワーを手に掛けることはしない、のか。それなら、のりこさんをフォローしていない隆弘の存在は、もしかしたら消去法でに特定されてしまうのだろうか。


「何だ……何なんだよ……!?」


 比較的近くに白い手が舞い降りたことで、そこにも誰かがいたことが分かった。そよ風の広場へ向かう途中だったのかもしれない。のりこさんは索敵の範囲を確実に広げている。でも、叫んでも応える声はない。のりこさんに彼の疑問をぶつけることができるのは、あくまでもSNSを介してだけだ。


 ――お前がやってるの? 何でこんなことするの?

 ――だって皆に見てもらいたいもん!フォローして拡散して欲しいの!


 武井法子でないことを、のりこさんはもはや隠そうとしていない。隆弘がを見ているのを承知しているだろうから当然かもしれないが。でも、たとえ反応が早くても、彼の問いへの答えとしては全く納得できるものではない。


 ――それだけ? それだけのために人まで殺すの?

 ――そうだよ。私はそのために生まれてきたんだから!!!


 SNS上でのやり取りは、画面上に浮かぶ無機質なフォントでしかない。なのに、隆弘の耳にはのりこさんの絶叫が聞こえる気がした。武井法子の声は、正直言ってよく覚えていないのだけど。とにかく、心からの吠えるような宣言が、強い意志が、文字を通して伝わってくる。


 そして、次に隆弘のアカウント宛てに送られてきたメッセージは、一転して蕩けそうな猫撫で声を思わせた。


 ――ねえ隆弘。フォローしてくれてないのあんたくらいだよ。だから場所分かっちゃった。


「あ……?」


 間抜けな声を上げながら、隆弘はのりこさんのフォロワー数に目を凝らす。大きく増えているかどうかは――分からない。白い手から逃れるためにのりこさんをフォローするという判断を下せた人は、そんなにいるのだろうか。それとも、フォロワー以外は、皆襲われてしまったということだろうか。


(矢野さんは……!?)


 ――すぐ行くから^^


 離れた場所にいるを案じる暇もなかった。のりこさんが嗤うのとほぼ同時に、白い手がまた一本、地上を目指して白い軌跡を描いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る