第6話 TakahiroTsuji

 隆弘たかひろにとって武井たけい法子のりこという人間は何だったのか、というのは難しい。断じて恋人ではなかったし、そもそも友人と言い切れるかどうかも怪しいところだ。ただ、幼稚園から一緒で、高校までの間に度々同じクラスにもなった。だから、ひと言で言うとしたら幼馴染、もう少し長く表現するなら昔のクラスメイト、というところがフェアの表現になるだろうか。

 学生時代は、隆弘も武井法子もそれぞれに属する友人のグループがあった。女子は女子、男子は男子で固まるものだし、性別の中でも趣味や性格、成績によってグループは細かく分かれるものだ。もちろん、それは絶対的なものではないから、幾つかのグループが混ざった集団で遊ぶこともあれば、違うグループの者同士で集まることもあった。だから、隆弘も武井法子も、常に互いの存在を視界の端に捉えるような距離感ではあったのだろうと思う。

 つまり、非常に親しいという訳ではないけど、付き合いは長くて。だから何となく人柄も把握できていて。周囲の人間からもあいつのことならこいつが知っているだろう、というような扱いをされることも多かった。特に高校では地元以外からの生徒も集まる訳だから、その傾向は強まっていた。逆に、あいつが誰々と付き合っているらしいよ、とわざわざ教えられるパターンもあったくらいだ。当然のことながら、彼がそれについて嫉妬なり焦りなりの感情を抱くことは特段になかった。祝福ですらなく、ふうん、という程度のあっさりしたものだっただろう。


 その程度の関係では、あった。大学ではさすがに進路を別ったし、会う機会が減っても特に何とも思わなかった。長いこと、あえて連絡を取ろうとはしなかった。だから、今になって心配だとか言う権利は、ないのかもしれない。ただ――隆弘にとしては武井法子に対して仲間意識というかこいつの面倒は見なければ、というような気分を持ってはいなかっただろうか。多分、武井法子の方でも似たような思いだったのかもしれないし、SNSにのめり込んだ彼女にしまって距離を置いた彼は、それなら責任を放棄したということになるのだろうけど。


 でも、だからこそ。手遅れになってしまったいまだからこそ。彼女の居場所を見つけてやりたいと思うのだ。もう生きていないとしても、家族のもとに帰してやりたい、安らかに眠って欲しい、と。

 だから――矢野やの朱莉あかり氏が望むように、「のりこさん」のアカウントを消してしまうことは、まだできない。彼女のSNSアカウントのパスワードに、心当たりがあったのに言わなかったのはそのためだ。他人のアカウントに触れることの後ろめたさはもちろん、彼女の死の真相へと繋がる、唯一かもしれない手掛かりを自ら消すつもりはなかった。矢野氏は、隆弘を見つけ出したという点では慧眼だったけれど、彼がすんなり彼女の願いを叶えるだろうと信じ込んでいたようなのは間違っていた。


 亡くなったという矢野氏の恋人より、怪談、あるいは都市伝説の「のりこさん」の被害に遭うかもしれない見ず知らずの若者たちより、昔から知っている武井法子の方が隆弘の心を占める割合はずっとずっと大きいのだから。




 自宅に帰り着いた隆弘は、まずリビングの椅子に座り込んで深々と息を吐いた。ジーンズにTシャツとは言わずとも、通勤時のスーツに比べればはるかに楽な服装をしていたはずなのに、ひどく肩が凝った気がする。まず矢野氏に会うまでにひどく緊張し、彼女の人柄をある程度信頼してからも、打ち明けられたことを受け止めるのに精神を大いに消耗したからだろう。


「さて、と……」


 でも、ずっとへたり込んでいる訳にはいかない。隆弘は尽き掛けた気力をかき集めると、鞄の中を探った。矢野氏は、亡くなった恋人の調査結果とやらをプリントアウトして渡しておいてくれたのだ。「のりこさん」の脅威を伝えることで、隆弘が下手に手を出さないように、ということかもしれない。武井法子のものかもしれない――そして今は「のりこさん」に乗っ取られている――アカウントを見てみたい、と口にした時、彼女はひどく動揺していたから。


(のりこさんに見つかってはいけない、か……)


 ちょうど一枚目に記されていた一文が目に入って、隆弘の口元は引き攣った。荒唐無稽な都市伝説を嗤ったのか、彼でさえも一抹の恐怖を感じてしまったのか、自分でも分からなかったけれど。


 とてもものを食べる気分ではなかったから、インスタントのコーヒーだけを手元に、そして自身のパソコンを起動させつつ、隆弘は故人の調査記録を捲り――そしてすぐに、思わず声を上げることになった。


「うわ、本当なんだな……」


 彼がこれまでほとんど気に懸けていなかったネットの世界に、「のりこさん」は確かに蔓延していた。矢野氏、あるいはその恋人が作成した資料は、でっちあげの偽物ではないようだった。まず、検索エンジンにのりこさん、と打ち込むと、すぐに「幽霊」「場所」「おまじない」などのキーワードがサジェストされる。もちろん、全く関係なさそうなサジェストも多かった――地名が並んでいるのは居酒屋か何かの店名だろうし、キャラクター名や芸能人の相性、菓子の商品名にもありそうだった――けど、それだけ多くの人が「のりこさん」の情報を求めているということだろう。


 手元の紙とブラウザの検索結果を比べながら読み進めていくと、矢野氏がちらりと語った通り、「のりこさん」の噂は非常にバリエーション豊かだった。矢野氏の恋人が調査した記録によると、友達に「紹介する」というパターンでは、誰から誰に伝わったかも追うことができるケースもあったという。「のりこさん」の犠牲者と思しき、モデルの女性のことだ。そして、検索でも改めて見つけることができたその女性の顔には、隆弘も微かにではあったけど見覚えがあった。SNSでの炎上中に変死した綺麗な女性のことをニュースで見て、彼も確かに気の毒に思ったことがあったのだ。


(あれも、法子おまえが……?)


 ブログやSNSに現れる白い影。こっくりさんのように、女子中高生にアドバイスを与える占い師のような「のりこさん」。時おり紙面に現れる「彼女」の姿に目眩を感じつつ、隆弘は武井法子はそういったことをしそうかどうか、を考えていた。

 矢野氏は、武井法子のことを犠牲者のように言っていてくれたけれど――正直に言って、彼の知る彼女はこういうことをとても喜びそうだった。つまり、女子の間で流行っているものに飛びつくこと、皆の話題の的になることを、ということだ。SNSに嵌ってからは、フォロワーの数で一喜一憂していた記憶もあるから、まさに噂される「のりこさん」の姿そのものだったかもしれない。

 けれど一方で、彼女が人を殺すようなことをするはずがない、とも信じたかった。死んだ後で人がどう変わってしまうかなんて、彼には知る術がないのだけど。スマートフォンを抱え込むような姿からして、隆弘にとって信じがたく映ったのだし。


 だから、いくらモニターやプリントアウトを睨んだところで分からない。武井法子がのりこさんになったのか、のりこさんに取り憑かれて、武井法子のSNSへの執着に拍車がかかったのか。


(メッセージ? ってやつを送れば返事が返ってくるのか……?)


 亡くなったモデルは、自撮り写真をアップしたことでのりこさんに見つかってしまったと思われる、らしい。そしてやはり故人となった矢野氏の恋人も、SNSでnorikoのアカウントに接触した夜に命を落としたとか。フォロー関係や、メッセージのやり取りが、のりこさんと被害者を結ぶ通り道になってしまう、ということだろうか。


「やっぱ、に聞かないと、か」


 ニュースで報道された、「遺影」になったモデルの自撮り写真。恋人の死を語る時の矢野氏の潤んだ目。いずれも、死をはっきりと意識させて隆弘の体温をすっと下げさせる。夢物語だったらどんなに良いか、と思ってしまうけど――それにしては証拠はあまりにもよくできているし、矢野氏の涙も嘘には見えなかった。それらを全て疑うにしても、ネットの検索結果を操るのは不可能だろうし、不審な死に方をしたモデルがいるのは事実なのだ。

 だからこそ矢野氏は隆弘に釘を刺した。亡き恋人の調査結果を渡してくれたのも、抑止力にしようとしてのことだろう。事実、「のりこさん」という現象を消すためには、下手につつかずアカウントを消してしまうのが良いのだろう。


 でも、隆弘の中では、まだ「のりこさん」と武井法子は別の存在だった。だから、恐怖や保身や、あるいは誰か知らない人の被害を食い止めるために、安全策を採ろうとは思えなかった。


「やっぱ、登録しないといけないんだな……」


 だから、隆弘は検索窓に新たなキーワードを打ち込んで、SNSのサイトを表示させた。もちろん彼はアカウントを持っていないから、今のところは完全なる閲覧者だ。でも、norikoのアカウントと接触するためには――メッセージを送るためには――登録が必須らしい。


 メールアドレスは私用のものを使うとして、ユーザー名は――


「ま、捻らなくても良いよな」


 少し考えてから、隆弘は自分の名前をローマ字表記にしてウィンドウに打ち込んだ。

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