第4話 炎上

 ――すごい、本物? こわーい!

 ――記念に拡散しておきますね。

 ――コラでしょ? 売名乙。

 ――始めまして。のりこさんチャレンジなかなか成功しないので……あやかりたいのでいいねしました!

 ――良いおっぱいですね。保存しました。

 ――これヤバい! 怖い!

 ――あーあ、撮っちゃったんですね。居場所バレないように気を付けて!

 ――この子可愛い。モデル?

 ――千夏ちゃん、のりこさんに何聞くのー?


「のりこさん」――かもしれない影――の映った画像が引用された投稿に、勝手なコメントが群がるように次々と増えていく。それだけでなく、拡散済みやいいねの通知も絶え間なく届く煩わしさに、千夏ちかはスマートフォンを放り投げて、パソコンに向き合っていた。


「何でっ……もう……っ!」


 パソコンの、スマートフォンに比べれば大きい画面で開くのは、千夏のSNSのマイページ、その投稿済みの画像の欄だった。撮影で行ったあちこちのカフェやレストラン、緑豊かな公園とか。どれもお洒落で雑誌的にもモデル的にもSNS的にも「絵になる」ところばかり。千夏が話題にしたスイーツや、服や化粧品のブランド、読んだ本、遊びに行った場所。投稿してすぐの時は反応を見るのが楽しくて仕方なかったけど、何日か経つと新しい投稿に埋もれてしまって、千夏にもフォロワーにも振り返られることはない写真たち。――それが、今はどうなっているか。


 覚悟は、していたはずだった。千夏の身にはもう二回も起きたことだったから。わざわざ昔の――日付としてはほんの数週間前だとしても、SNS上では遠い昔だ――投稿を漁ったのは、きっと前に見たまま、投稿した時のままではないと、ほとんど確信していたからだ。


「嘘でしょ……」


 それでも、画面一杯に投稿画像を表示させた千夏は喘いでしまう。予想はしていても、実際にを目にする衝撃はまた別だった。嘘、と言うことで否定できたらどんなに良いか。でも、瞬きもできな千夏の目に、は突きつけられてしまう。


 パソコンの画面を、モザイクのように彩る沢山の写真。背景も千夏が纏う服も、色とりどりで華やかなもの。――そのあちこちに、インクを垂らしたような黒い染みが見える、気がする。

 染みは、あのだ。SNSの情報を信じるなら、「のりこさん」なのか。千夏のすぐ隣に佇んでいるもの、少し離れたところから、あの厚く長い前髪の間からじっとりと千夏を見つめているもの。半身が画像の外側に見切れているもの。画像によってがいる場所は様々だけど、確かに同じ存在だった。ポーズも、身体や顔の角度もそれぞれ違う。それが、コラージュや合成なんかじゃない、そこに被写体だと思わせた。大体、SNSに投稿済みの画像、千夏の投稿に含まれた画像を、後から他人が弄ることなんてできない、と思う。


「嘘、嘘……」


 うわ言のように呟きながら、ブラウザに新しいタブを開く。検索エンジンに打ち込むのは、さっきと似たようなワード。心霊写真と、地名。「のりこさん」が写っていた画像を撮った場所の。――その結果も、予想がつくような気がしたけれど。


「あは……」


 それでも、エンターキーを押す度に突きつけられる結果に、千夏の唇からは乾いた笑い声のようなものが漏れる。一方で頬に濡れた感触があるのは、涙が溢れて伝っているから。悲しいとか苦しいからではなくて、ただ混乱して目の奥が熱くなる。引き攣った口元が、きっと歪んだ笑みを浮かべているであろうこととは対照的に。


 泣きながら、千夏は何度もキーボードを叩いた。検索ワードをいくら変えても、出てくる結果はほぼ同じ。ネット上での噂の規模や、画像の数こそ多少差はあったけれど。千夏がSNSに画像をアップしたことがある場所には、必ずと言って良いほどという評判が付きまとっていた。それも、以前からという訳ではなく、ごく最近から。それが、千夏の投稿に端を発しているかどうかまでは、調べる気力がないけれど――必要は、ないだろうとも思った。

 どうして他の人たちがこんなに楽しそうに、気軽に扱うことができるのかは分からないけど。検索結果には、いる画像も表示されていたから。SNSや個人のブログ、ホームページに、まるで特別なことのように、誇らしげに。あの、前髪で顔を隠したような女が写り込んでいる画像を。


「のりこさん」が彷徨っている。千夏を探して、彼女が訪ねた場所を辿って。


 不意にぞくりとした寒気のようなものを感じて、千夏はぎくしゃくと首を巡らせた。部屋の中をまた見渡して、やっぱり何事もないかどうか。鳥肌の立った腕をさすり、濡れた目と頬を擦りながら、確かめる。


 ――のりこさんに見つかってはいけない。


 教えられたばかりのことが千夏の胸に過ぎる。のりこさんは乗っ取り霊、殺されてしまう、って。千夏の投稿した場所にばかり現れているのは、確かに彼女の足跡を追っているかのよう。ネットを経由して移動する幽霊なんて、おかしいとも思うのだけど。


(でも……それなら、家は、大丈夫)


 見慣れた、居心地の良い部屋はいつもと変わりないように見えた。影が濃く見えるのも、しんとした静寂に耳が痛くなってしまうのも、神経が過敏になっているからだけのはず。


 震える手でマウスを握り、SNSの画像欄を表示させたタブに戻る。あちこちに佇む「のりこさん」にはなるべく焦点を合わせないようにして、スクロールさせていく。そうしてチェックするのは、千夏の自宅を匂わせるような画像を投稿していないかどうか。部屋の中を写したことは――何度か、ある。でも、公開できるように整えた一角だけだ。ファッション小物や彼女自身を引き立てるような姿見、明るい色調のテーブル、レースのドイリーとか。そんなもので、彼女の居場所はバレないはず。


「大丈夫、大丈夫……」


 そう、自分に言い聞かせて、勇気をかき集めて、千夏は立ち上がった。幽霊に取り憑かれても狙われても、明日は来るし仕事もある。身体が資本の仕事でもあるし、睡眠も休息もちゃんと取らなくては。――それが、できるなら。


 スマートフォンを手に取ってみると、見たこともない数の通知が届いていた。フォロワーの数も百の桁が変わるくらい、増えている。のりこさんの画像は、どこまで拡散されたのだろう。千夏の画像欄の異様さに気付いた人は、どれだけいるのだろう。彼女の恐怖も不安もしらないで。物珍しさで、眺めていようというんだろう。


「あは……すごぉい」


 涙で掠れた声での呟きが部屋の中に響いて消えた。千夏の普段の発言の何かしらがこんなに話題になバズったならきっと嬉しかっただろうに。ううん、今も少しだけ――ほんの少しだけ、フォロワーの数が増え続けていることに、高揚を覚えてしまっていはいるけれど。

 でも、それ以上に恐怖が大きかった。のりこさんは、どういう仕組みなのか分からないのだから。千夏のアカウントが注目されることで、のりこさんも拡散し続けている、のではないだろうか。コメントや記事の拡散を通して千夏と繋がった人たちの、スマートフォンだかパソコンだかに、のりこさんは触手のように、蜘蛛の巣のように網を広げているのでは――そして、千夏が引っかかるのを待っているのではないだろうか。


(見つかったら……どうなるの?)


 SNSで寄せられるコメントは、やはり無責任で役に立つとは思えないものばかり。


 ――この子、呪われちゃったの?

 ――ご愁傷様です!

 ――ホラー映画みたいでワクワクするwww


(ひどい……他人事だと思って……!)


 次々と表示されるコメントが、千夏の胸を抉り心を削る。幾つかのアカウントはブロックもしたけど、とても追いつくものじゃない。それに、コメントをしていないとしても、数え切れない人が千夏と――のりこさんを、見つめているのだろうと分かってしまう。


 どうすれば、良いのだろう。


 SNSを退会する? アカウントを非公開にして、これ以上注目されないようにする? でも、今まで地道にフォロワーを増やしてきたアカウントは惜しい。千夏にとっては、仕事上のツールでもある訳で。


「明日、相談しよう……」


 事務所や、マネージャーに。幽霊が怖い、なんて。どんな顔をして言えば良いか分からないけど。でも、SNSのこの有り様は証拠になるはずだから。


 明日になれば。朝が来て、明るくなれば、きっと大丈夫。そう信じて、千夏はスマートフォンを握りしめるしかなかった。

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