第3話 みんな、知ってる?
パソコンの静かな駆動音を、
無意識のうちに、彼女の指はスマートフォンを弄っていた。頭がいっぱいいっぱいになっているから、いつもやっていることをなぞってしまう、ということなのか。思ったことをそのままSNSに垂れ流してしまう、なんて。いつもなら絶対しないのだけど。今は、フォロワーからの反応が無性に欲しかった。すぐに返ってくるであろうコメントや「いいね」で、ひとりではないと思いたかった。一人暮らしの家は、今の彼女にとってはあまりに広くて静かで怖かった。今は閉めている寝室へのドアの向こうは、本当に誰もいないのか。台所のシンクから聞こえた水の滴る音は、本当にたまたま落ちただけなのか。カーテンの影、彼女の背後。――この家にいるのは本当に千夏だけで、安全なのかどうか。
それでも、送信ボタンをタップするまでに、千夏は数秒迷ってしまった。彼女がこんな、オカルトめいた発言をSNSでしたことはない。フォロワーに引かれてしまわないかは不安だし――何より、心に芽生えた恐怖を、自分の指先によって文章にしてしまうのも怖かった。
(やっぱり、駄目……!?)
そう思った時には、もう遅い。本当に送信するつもりだったのか、緊張で指が動いてしまったのか、千夏自身にもよく分からないまま、その文章は新しい投稿としてSNS上に表示されてしまう。今の彼女の気分とは裏腹に、スマートフォンの画面はあくまでも明るい。
――のりこさんチャレンジって聞いたんだけど、みんな、何のことだか分かったりする?
あまりの明るさに、やっぱり馬鹿なことをした、と思ってしまう。だからすぐにその発言を消そうとしたのに。いつものように、受けがよさそうな画像が添えられているのでもないのに。たまたまSNSを見ている人が多い時間帯だったのか、千夏の投稿にはすぐに反応がついた。
――のりこさんはこっくりさんみたいなやつだよ! 悪い霊じゃなくて、色んなことを教えてくれるんだよ。
――のりこさんを捕まえないとお話できないの。捕まえるっていうのはのりこさんと同じ写真に写るってことで、それがのりこさんチャレンジってこと!
(何それ……)
彼女の不安なんて、フォロワーたちには知る由もないから仕方ないのだけど。場違いに明るい調子のコメントに、千夏は目眩がしそうだった。アイコンと、コメントを彩る顔文字からして高校生くらいの子たちからのコメントだろうか。SNS上でこっくりさん、なんて字面を見るのはひどくシュールな気もした。
(悪い霊じゃない? 本当に……?)
こっくりさんを呼び出したら帰ってもらえなかった、なんて。怪談の定番の展開なのに。そもそも千夏は霊を呼び出して聞きたいことなんてない。一番最初の疑問に戻るけど、写真を撮ったら
――不幸の手紙みたいなやつだと思います。友達からのりこさんを紹介されると憑かれちゃうから、他の人に回さなきゃいけない、っていう。友達の学校で流行ってました!
「…………」
続いて届いたコメントに抱く感想も先と同じ、「何それ」だった。霊を押し付ける不幸の手紙というかチェーンメールというか、と言ったところなのだろうか。これもまた、千夏は受け取った記憶なんてないし、今の不安や恐怖を解決する手掛かりにはなりそうにない。
「はあ……」
溜息を吐く間にも、コメントはどんどん増えていく。さらに拡散までされてしまって、フォローされていない人からのコメントも届いているようだった。ファッション関係のことじゃない、
(気持ち悪い……「のりこさん」って、何なの……!?)
くだらないようなおまじないの類がクラスで流行る、くらいなら千夏にもよく憶えがある。少し怖かったり不気味だったりするほど、内輪では盛り上がってしまうのも、分かる。でも、この勢いはそんなものじゃない、気もした。ネット上だから噂が広まる範囲が広いのか。聞いた人をより怖がらせるように話が
――のりこさんはSNS上ののっとり霊ですよ。取り憑いた人のリアルを探し当てて、取り殺しちゃうんです。都市伝説と思っていただければ良いかと。
そんな中でふと目に留まったコメントが、千夏の胸に突き刺さった。
(だから特定できるようなことはネットで言っちゃ駄目、って……? 何それ、教科書にでも載ってそう……)
幽霊に憑かれるから気を付けましょうね、なんて。それだけ聞けば子供だましとしか思えない。言われるまでもなく、千夏は日頃から気を付けている訳だし。
でも、だから「のりこさん」は彼女を見つけられない? だから、探している、とか?
「……まさか」
ネットの情報に踊らされてはいけない、冷静にならなくては、と。自分の思いつきで二の腕に鳥肌が浮くのを感じながら、それでも千夏は口に出して呟いてみた。咄嗟に繋がりを求めて頼ってしまったけど、コメントをしているひとりひとりは彼女とは何の関係もない人に過ぎない。ましてや、霊能力者でも都市伝説とやらの専門家でもないだろう。面白おかしく、聞きかじったことをひけらかしているだけ。だから、真に受けるだけ、気にするだけ損、なはずだ。
一方で、千夏は確かにこの目で見ている。SNSに載せた画像に映り込んだのりこさん――かも、しれない姿を。スマートフォンに保存された画像は何事もないのに、ネット上では心霊写真になってしまっているという、不気味な体験をしてしまっている。
画面上を流れ続ける文字の群れに酔った気がして、千夏は目を上げて室内を見渡した。スマートフォンの小さい画面を凝視していたからか、少し目がちかちかする気がする。見慣れた壁紙やカーテンの色、パソコン周りの小物――メモ帳とか、目薬とか、そんなもの。それらが普段通り変わりないかを何となく確かめてから、またスマートフォンに目を落として――千夏は、息を呑んだ。
――千夏ちゃん、のりこさんチャレンジ成功してるじゃん! おめでとー!
そのコメントは、千夏の過去の発言を引用していた。いつものように、仕事の報告をしたものだ。清涼飲料水の期間限定フレーバーの販促イベントだったと思う。確か、つい先週、とある商業施設に呼ばれて――例によって、写真も何枚かアップした。商品を手にして、ポスターや会場をバックに微笑む千夏の画像。身体にぴったりした衣装が描くラインには、我ながら満足していたのだけど。でも、問題はそんなことじゃない。
「なんで……
夏をイメージした、爽やかなレモン風味。それに沿った、イエローを基調にした明るいポスターとキャンペーン用の衣装。目が痛いほど眩しいはずのその画像の一角が、暗く翳っている。
もちろん、というべきか。ペットボトルを掲げて笑う千夏の隣に、
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