第2話 心霊スポット

 映っているはずのないが映っていたこと――それもSNSに投稿したものにだけ――は、とても気味が悪かった。でも、千夏ちかは毎日のように何十もの投稿をして、その中の多くは画像を含んでいる。撮影現場の様子の他、モデル仲間とどこに行ったとか、どんなCDや雑誌やスイーツを買ったとか。

 だから、あの日の投稿、あのカフェで撮った幾つかの画像は、すぐにネットの海に消えてしまった。何百という投稿が積もった後からだと、千夏自身にだってもう辿るのは難しい。わざわざ検索すれば別だけど、どうして嫌なことを自分から思い出したりなんかしなきゃいけないんだろう。


 ……だから、あの日味わったぞっとするような不気味さ、寒気のような感覚は、すぐに千夏にとってはぼんやりとしたものになっていった。ふとした時に思い出せば嫌な感じはあるけれど、あの時のあの瞬間のような生々しさはもうなくて。このまま、じきに忘れられるだろうと思っていた矢先――


「千夏ちゃん、この前〇〇に行ってたでしょ。撮影で。××だっけ、載ってたの」

「あー、はい。行きましたねえ。パンケーキのとこですよね?」

「そうそう!」


 不意打ちのようにあのカフェの名前を聞かされて、千夏は不自然に身体を強張らせてしまった。とあるスタジオで、顔なじみのメイクさんとの雑談していた時のこと。彼女が載っていた雑誌を見てくれたなら、普段なら喜べるはずなのに。今回ばかりは、顔が引き攣らないようにするのが精一杯だった。


「あそこさあ、んだって。知ってた!?」


 鏡の中の千夏の顔は、メイクによって仕事用のものになっていく最中だった。はっきりとした目元、染みひとつない滑らかな肌、艶やかな唇――この仕事をしているだけあってというか、ナルシスト気味であるという自覚は彼女にもある。だから、せっかくのメイクを色褪せさせるような顔は、本当はしたくないのに。仕事上の付き合いでは、常に笑顔であるべきだと思っているのに。

 出る、だなんて。いかにも重大なことを言うみたいに、絶妙なイントネーションで囁かれた言葉に対して返すことができたのは、ひどく強張って愛想の欠片もない相槌だけだった。


「……いえ……そんなこと、聞いてないですけど」

「そう? まあ、そんなこと知ってたら笑顔で撮影とかできなくなっちゃうもんね」


 口と手を同時に動かしているメイクさんは、千夏の様子には気付いてくれなかったようだけど。素っ気ない受け答えで気を悪くさせることがなかったのは良かったかもしれない。でも、彼女が嫌がっていることを察してもらえることも、ない。だから、あのカフェの話題は続いてしまう。千夏は、知りたくもないことを知らされてしまう。


「パンケーキ、山盛りのすごいとこなんでしょ? だから皆写真撮ろうとするんだけど、そうるすとんだって! SNSで話題らしいよ。もう、パンケーキよりに期待して行く人もいるくらいなんだってさあ」

「へえ……私の時は、そんなの、なかったですけど」


 撮影用の濃い目のチークで、傍目には千夏の表情に変わったところは見えなかっただろう。でも、もしも今メイクを全て洗い落としたら、血の気が引いた真っ青な顔が現れるはず。


(聞いてない……教えてくれなかった? マネージャーさんとかも知らなかった?)


 教えてくれなかったならひどい、とは思う。でも、そんなこと一々教えるまでもないと思ったとしても仕方ない、とも思う。そんな噂、千夏だって以前なら気にも留めなかったかもしれないし、そもそも誰も知らなかった可能性も高い。撮影で使う場所のことを、毎回深く調べるはずもないのだから。


(心霊写真……映っちゃったって、だけ? あれも?)


 第一――だったと知ることができたのは、安心しても良いくらいのことのはずだった。信じるか信じないかは別として、心霊スポットで写真を撮ったら霊的なナニカが映ってしまった、というストーリーは分かり易い。そして怖いかどうかはまた更に話が別になるけど、原因らしきものが分かればお祓いとかを考えることもできるはずで。でも――


(でも、最初の写真には何ともなかったのに!?)


 そういうことではない、と。千夏は気付いてしまったのだ。だって、彼女の身に起きたことは、そんな簡単なことではない。あれは、ただの心霊写真ではなかった。スマートフォンで撮影した段階では何も映っていなかったのに、SNSにアップしたものにだけ――、が。映り込んでいたのだから。


 もう少しで忘れられると思っていたのに。また脳裏にあの白い顔が浮かんでしまう。一度見たきりなのに目に焼き付いてしまった、長い前髪と、虚ろな目。

 笑顔を作っても、ポーズを決めても。その日の撮影の間中、千夏はあの目に見つめられているような気がしてならなかった。




 自宅のマンションに帰るなり、千夏はノートパソコンを立ち上げた。起動を待つわずかな間にも、手ではスマートフォンを弄って、今日の仕事関係の画像や出来事の報告をSNSに投稿する。

 彼女にしては珍しくパソコンを使うのは、検索のためだった。検索エンジンに打ち込むのは、〇〇というあのカフェの名前と、最寄りの駅名。それから――心霊写真、というキーワード。エンターキーを押すまでに、覚悟を決めるために数度、深く呼吸して。そして千夏は――恐る恐る――検索結果を、チェックしていく。


 まず目につくのは、あの店のパンケーキの写真の数々。店の公式ホームページのものや、もっと照明が悪かったり見切れていたりもする、素人が撮ったと思しきもの。それが掲載されている、個人のブログやSNS。そこに添えられている文章も、千夏はひとつひとつ確認していく。

 美味しかった、とか可愛かった、なんてよくある感想だけなら良かったのに。幾つかのページや記事を見ていくうちに、確かにコメントがあるのにも気付いてしまう。


 ――美味しかったんだけど、ここには出せない写真が撮れてしまった。。マジ怖い。

 ――隣の席の子たちが幽霊? とかなんか言ってるんだけど。ここそういうとこなの!?


 でも、ただのコメントな分、そういうのはまだマシだった。心霊写真を撮るスポットになってしまっている、と。今日の仕事で聞かされたのが事実だと確かめられただけのことだから。そもそも、その単語を検索キーワードにしてしまったのは彼女自身なのだし。そろそろと検索結果をスクロールするうち――


「――っひ」


 千夏は小さく悲鳴を上げると、思わずブラウザを最小化していた。デスクトップに設定している南の海の、明るく眩い青を見て、また深呼吸を繰り返して。やっと、を直視する勇気をかき集める。仕事から帰って、もう夜になっているのが嫌でならなかった。カーテンを閉め切って煌々と電気を点していても、1DKの狭い家でしかなくても、夜にひとりでいるという心細さを打ち消すのは難しい。それでも何とか、再びブラウザを開いてみると――


 ――ラッキー! のりこさんチャレンジ成功しました!


 そんな、不釣り合いに明るいコメントを添えて投稿されているのは、あのカフェの内装をバックにピースをしている女の子がふたり。高校生だろうか、白いシャツに赤いチェックのタイが映えている。そしてそのふたりの間に、ごく自然に映っているは。千夏の目に焼き付いたあの女の姿に違いなかった。


(落ち着いて……同じ場所だから同じ幽霊ってこともある、はず……)


 震える指が、ほとんど勝手にマウスをクリックしたことで、その画像のページから検索結果に戻ることができた。そう、これだって覚悟していたことだ。心霊写真を撮ることができて喜んでいるようなコメントは、全く理解できないけど。千夏の不安と疑問を全然払拭してはくれないけれど。このカフェがのは分かった。でも、彼女と同じようにSNSに載せた時だけ心霊写真になってしまう、なんてことが起きた人は、まだいない。


 ――ここ来たの二回目なんだけど、客層変わっちゃった? 隣でオカルトな話されるのやだなあ。。


(やっぱり、前は違った……?)


 次に目についたコメントは、彼女の疑問にも沿うものだった。こんなに騒がれているなら、あの撮影の日に誰も話題に出さなかったのは不思議な気もする。カメラマンにメイクさんに、スタッフが大勢いる中でだったら、怖い話も面白おかしくできていたかもしれないのに。


(いつから、こんな噂……っていうか、こんな写真が……?)


 千夏は、次はSNSの投稿を、期間を区切って検索することにして見た。一か月前は、もう心霊写真の噂は出ている。でも、三カ月前まで遡るとそんな話に触れているコメントはない。ただ、豪華なパンケーキやクリームやフルーツの量に驚きはしゃぐ、可愛らしいだけの投稿ばかりで。じゃあ二カ月前なら? 一か月と二週間前なら?


 もちろん、あのカフェについての投稿が毎日のようにある訳ではない。検索で見つからないことだってあるだろう。でも、心霊写真の噂が大体の日付は特定できるような気さえしてきた。それくらいはっきりと、以前は全くなかった噂が最近は目立つようになっている。


「まさか……」


 ふと、すごく厭な予感を覚えて、千夏はスマートフォンを手に取った。開くのは、画像フォルダ。日付順に並んだ何百という画像を辿って探すのは、あの日、あのカフェで撮った一連の画像。確かめたいのは、撮影の日時。


 千夏があのカフェで撮影したのは――ひいては、映り込んだ女を見てしまったのは。心霊写真の噂がSNSで流れ始めたのとほぼ同じ頃だった。

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