葉月千夏
第1話 写り込んだ影
SNSに自撮りとか個人情報を出しちゃいけないって、言うでしょ? ストーカーとか、住所が分かっちゃえば空き巣とか怖いから、って。万が一炎上した時とか大変だしね。
でもそれって、怖いのは生きた人間だけじゃないんだよねえ。ほら、怪談であるでしょ。幽霊とか妖怪は、招かれないと入れない。名前は正体を現す、とか。だからSNSで安易にフォローするとか危険なんじゃないかなあ。だってそれってウェルカムですよ、ってことになっちゃうんじゃない? 地縛霊とかいうけどさ、こんな時代で皆スマホ覗き込んでるんだもの。ネットに縛られる霊もいるよねえ。
……のりこさんも、そういう霊なんだって。のりこさんと繋がってはいけない。霊との道筋を作ってしまうということだから。のりこさんに自分が誰かを知られちゃいけない。のりこさんは、乗っ取りののりこさんだから。殺されて、乗っ取られてしまうから。
* * *
強い照明が消えると、太陽が雲に隠れた時のように目の前が暗くなった。同時に、肌に感じていた熱も消える。くすんでしまったような視界に慣れようと、
「お疲れ様でしたぁー!」
日頃から鍛えている腹筋に力を入れて、千夏は朗らかな声を張り上げた。同時に口角を上げてにっこりと笑う。これまた手入れに気を遣っている白い歯が、ちらりと覗く絶妙な角度で、カメラマンを始めとしたスタッフひとりひとりと目を合わせるように。図々しいくらいでちょうど良いと、事務所からは言われている。
「お疲れ様」
「良いの撮れたよ、またよろしくねえ」
「はーい、ありがとうございますう。あ、スマホなんですけど、何枚か撮っていただいて良いですかあ? お店とブランドの紹介、したくてえ」
手近な男性スタッフにスマートフォンを渡しながら視線を遣るのは、クリームとフルーツが山と盛られたパンケーキのプレートだった。今日の撮影現場は話題のカフェだった。SNSに画像を添えて投稿すれば、良い宣伝になるだろう。店も、撮影に使ったファッションブランドも、それに千夏自身も。
(いいね、どれくらいつくかなあ……?)
上目遣いに微笑んだからか、指先が少し触れたからか。スタッフは彼女の頼みを満面の笑みで引き受けてくれた。
「オッケー、雑誌も宣伝しといてね」
「もちろんですう。二十日発売ですよね?」
「そうそう。……千夏ちゃんのアカウントってどれ? 検索で出るかな?」
「ですねー、葉月千夏で検索すれば出ると思います! 芸名だし、なりすましが出るほど有名でもないですし」
「いやいや、分からないよー?」
シャッター音が何度か鳴る間に、千夏はスタッフと軽口を交わした。お互いどこまで本気か分からないし本気にしたりしないけど、この場は当たり良く感じ良く。こういう積み重ねが、次の仕事に繋がるかもしれないと信じて。
「皆さん、入りません? 嫌な方は顔隠しますんでー!」
最後には、周囲に残っていたスタッフ何人かと記念写真のような一枚まで撮ったりして。まるで仲の良い友達同士の集まりでもあるかのように。というか、そう見えれば良い。スタッフにも好かれる気さくな人柄を、SNSのフォロワーにアピールできれば。
「使えそうな」画像がフォルダに溜まったところで、千夏は機嫌良く現場を後にした。
あちこちの現場に行かなければいけない仕事上の都合を考えて、千夏は都内のターミナル駅の近くに一人暮らししている。といっても公にはしていないけれど。契約したのは当然本名でのこと。葉月なんていう、千
だから、千夏がSNSを更新するのも自宅に落ち着いてからのことだ。現場を出てすぐにそんなことをしたら、もしかしたらいるかもしれないファンだかストーカーだかに居場所を知られてしまって、そこから住所がバレてしまうかもしれないし。それに、画像の加工もゆっくりやりたい。スイーツの写真の彩度をいじったりとか、キラキラした効果をつけてみたりだとか。顔出しNGのスタッフについては、スタンプで隠してあげなくてはならないし。
「うふふ、増えてる……!」
ベッドに寝っ転がってスマートフォンを操作しながら、千夏の口元は緩む。仕事中は触れなかったけど、SNSを開いてみればフォロワーの数は確かに朝より増えている。彼女の投稿や活動の何かしらに惹かれたのか、何となくか、はたまたただの誤タップの結果なのかはともかくとして。
投稿の時間、画像の加工の程度や添える文章の
――今日は撮影で〇〇に行ってきました! 見てこの盛り付け! 二十日発売の××に載せてもらいます!
早速今日の仕事の画像も投稿してみる。あのパンケーキの画像を皮切りに、着用した衣装のディテールが分かるものや、スタッフたちと撮ったものも。華やかなモデルであるところの彼女をフォローした人たちが、期待しているであろう類の画像ばかりだ。彼女自身もデコレーションした画像がプロフィールページを賑わすのは楽しくてならない。
――スタッフさんたちとも盛り上がりましたよ~!
そうやって幾つかの投稿を続けるうちにも、早くも「いいね」やコメントがついていく。
増え続ける通知の数にも気を良くしながら、千夏は今度は一日の間に受け取ったメッセージやコメントのチェックに移る。それなりにフォロワー数もいるせいで、セクハラめいたものや返信しようがない独り言のようなものもあるのだけど。まあ悪質なアカウントはすぐにブロックするとして、明らかに彼女のファンだと確信できるコメントには、返信を返すこともある。これも営業活動の一環という訳だ。
――ありがと~
――このお店良いよね、私も好き!
――こちらこそ、よろしく! 気軽にコメントとかくださいね。
その間にも、先ほどの一連の投稿への反応が増えていく。パンケーキに悲鳴のような歓声を上げるもの、衣装を着こなす彼女のスタイルを褒めるもの。あまりにも連続して通知が来るから、一件一件はちらりとしか見えないのだけど、とにかく好意的な反応が多いのは分かる。後で返信するのが面倒になってしまうかも、と思うほどだ。
と、千夏の眉がふと曇る。見過ごせないコメントが届いたのに、目を留めたのだ。
――あの、一般の方かな、顔出ちゃってる人がいますよー^^; 念のため、すみません!
――わ、すみません! いったん消しますね!
ほとんど反射的に返信を打ち込みながら、でも、心の片隅で首を傾げる。一体どの投稿のことだろう。通行人とか、無関係な人の顔を拡散してしまうことがないよう、十分気を付けているはずなのに。というか、彼女が投稿するのは自分自身や仕事上で関わった店や場所や商品の画像ばかり。例えば今日のカフェだって撮影用に貸し切りにしていたし、そもそも一般人が映り込む余地はほとんどないと思うのだけど。
慌ててその指摘コメントを辿ると、投稿したばかりのスタッフとの画像に寄せられたものだった。でも、やはりおかしい。スタッフの顔はスタンプでちゃんと隠したのを、はっきりと覚えている。ほんの数十分前とかのことだから。でも、投稿済みの画像をSNS上で改めて見て、千夏は息を呑む。
(嘘。なんで……!?)
パンケーキの盛り合わせを中心に、千夏と何人かのスタッフがポーズを決めた一枚。彼女だけは顔を出して、その他の被写体は記憶通り花や猫とかのスタンプで顔を隠した状態になっている。でも、もうひとりが画面の隅に、
前髪を深く下ろした女の子――というか女の人。若い、とは思う。真っ直ぐに垂れた髪は、でも、顔を完全に隠してはいなくて、黒い
(気付かないはず、ない……!)
千夏は慌ただしく指を動かすと、SNSアプリを閉じて画像フォルダを開いた。不気味な女は、画像の中にあまりにも普通に、堂々と映り込んでいた。スマートフォンを操作してくれたスタッフ、画像の出来栄えを覗き込んできた人たち。画像を加工した彼女自身。その誰もが気付かないことなんて、考えられない、と思うのに。
ほら、画像フォルダに残っていたその一枚に、やっぱりその陰気な女の子は
「なんで……」
呟いても、答えは分からないまま、不気味さだけが残る。ただ、とにかく。おかしなものが映り込んだ――それとも、入り込んだ? ――画像を、いつまでもネット上に公開しておく気にはなれなかった。
だから、千夏はすぐにその画像を含んだ投稿を削除したのだけど。もちろん、心に蟠る気持ち悪さが消えることはなかった。
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