第9話 病室
呆然とする
病院に着くと、佐竹はどこかへ運ばれて行ってしまった。一方の千夏はというと、もちろん処置されるべき怪我も症状もない。でも、千夏はとにかく気分が悪い、貧血だと思うと訴えて、無駄であろう検査や点滴をしてもらった。だって、何も異常がないなんてことになったら、家に帰されてしまうだろうから。彼女のスマートフォンは、佐竹が握りしめたままだった。人に聞けば手元に返してもらえるのだろうけど、あんなものが出てきたものを持ってひとりきりの家に帰ろうとは思えなかった。最新の投稿がのりこさんの画像になったままのSNSがどうなっているのか、考えたくもなかったし。
あとは――佐竹が心配だから、と、口実のような本音のようなことを訴えて、千夏はどうにか病院で粘った。その結果、沢村がやっと病院に顔を出す頃には外はすっかり暗くなってしまっていたから、果たして正しい行動だったのかは分からなかったけど。
「千夏ちゃん……」
千夏がいる――というか居座っている――病室に現れた沢村は、疲れ切った顔をしていた。モデルとマネージャーとはいえ、お姉さん感覚で付き合っていた人だ。つまりは、アラサーというのも失礼な若い女の人に過ぎないのに。佐竹が倒れた後は、あちこちへの説明に追われていたのだろう。
「あの、すみませんでした……」
そう思うと、どこも悪くないのにベッドに引き籠っていたのが後ろめたくて、千夏はつい俯いてしまう。まるで仮病で保健室にいるのを見つかったような。ううん、千夏にはそんな経験はないんだけど。
備え付けの毛布を握る千夏の手に、沢村のそれが重ねられた。労わるように、優しい温もりが伝わってくる。
「ううん。千夏ちゃんは悪くないから。……大丈夫、だった……?」
「はい……あの、佐竹、さんは……?」
この優しさこそ、最初に事務所に行った時に期待していたものだったのに。一体どうしてこんなことになったんだろう。そう思うと沢村の手の温もりに泣きそうになって、でも、それどころではないのは分かっていたから、千夏は気になっていたことを尋ねた。佐竹は、あの後どうなったんだろう。
「佐竹さんは――」
沢村の手が引っ込められて、温もりも去ってしまった。それに、声までも硬く強張ったのに気付いて、千夏ははっと顔を上げた。そして視線の先の沢村がそっと目を逸らすのを見て、ひどく厭な予感に襲われる。
「佐竹さんは、亡くなったの……」
「え……」
「心不全、ということなんだけど――それも、そうとしか診断できないというか……持病も、ない人だったんだけど……」
「そんな……」
口ではそう言いながら、千夏の心の片隅ではやっぱり、という思いもあった。のりこさんに見つかってはいけないというのは、とても怖いこと嫌なことが起きるからだろう。何より、倒れて動かなかった佐竹の様子は、あきらかに不自然だったから。だから――殺されてしまったということなんだ、と素直に納得できてしまったのだ。
「あの……
「分からない、けど……そうとしか、思えないかもしれない……」
それでも認めるのは怖いし、常識では考えられない異常事態には違いない。だから、沢村には否定して欲しかったし、できれば論理的な説明をしてもらいたかった。でも、千夏の縋るような目にも拘わらず、沢村は――苦しそうに眉を寄せていたけど――首を振る。気まずく、何かを言いたいのに言い出せなさそうな沈黙が下りる。それから小さな溜息を吐いて、沢村はあのね、と言いながら千夏が横たわるベッドに身を乗り出してきた。
「千夏ちゃんのSNS……今、すごく
「はい……」
それはそうだろうな、と千夏も思う。彼女自身も気になっていたことでもあるし。だから小さく頷くと、沢村も泣きそうに顔を歪め、声を震わせた。
「あの……佐竹さんが載せたやつとか、すごい共有されちゃってて。私の側からは見えたんだけど……手、が……が、画面から出てきて……」
「どうすれば良いんですか……!? 私、怖くて……の、のりこさんに、見つかっちゃって……っ」
動揺を露にする沢村につられるように、千夏の目の奥も熱くなっていた。最初から、これが言いたかっただけなのに、と思う。怖い、助けて、どうしたら良いの、って。なのに聞いてもらえなくて、やっと話ができるようになるまでに、取り返しのつかないことが起きてしまって。
今度こそ、沢村にどうにかして欲しかったのに。安心できることを言って欲しかったのに。千夏の背を撫でる沢村の手は優しいものだったけど、告げられたことは彼女にとってはとても難しくて残酷なことだった。
「あの……
「嫌です、そんなこと……! あれを見て、画面に触るなんて……!」
「でも、私がやる訳にはいかないから! 他の人のアカウントを弄るなんてダメ、でしょ……? だから、嫌だと思うけど、お願いしたいの……」
「無理です……!」
沢村は言い訳をしているだけだ、と思った。他人のスマートフォンを触れないなんてもっともらしいことを言ってるけど、自分でやりたくない、できないだけだ。それを千夏にやらせようとしている。
「私、沢村さんなら大丈夫だから……! 他の人でも、気にしません。何か書けば良いですか? 私が許可しました、みたいな……。イメージとかも、もう良いです! だって……のりこさん、私を探してた……! 仕事してて、色んなお店とかいったら、また見つかっちゃう……!」
今いるこの病院だって、安全かどうか分かったものではないのに。スマートフォン越し、SNS越しに、のりこさんは――あるいは、あの白い手指は、千夏を探しているのだ。佐竹は身代わりにされて……殺されてしまったのだ。
ただ分かるのは――きっかけは、SNSのあの画像だったんだろう、ということ。のりこさんが
それを踏まえた上でSNSを操作しろ、のりこさんが写った画像を直視しろ、だなんて、あまりにひどい。
「分かるわ、千夏ちゃん。怖いのは……」
「私……無理……」
子供のように泣きじゃくる千夏を、沢村は抱きしめて背を撫でてくれる。その優しさに甘えそうになるけど、でも、頼り切ることなんてできなかった。結局、沢村は千夏を宥めすかしてまたのりこさんの画像を見ろと言っているだけなんだから。
「お祓いって、佐竹さんが言ってたでしょ……? そういうの、いつも頼んでる人を呼んでもらってるの。そういう人なら、もっと原因とか分かるかもしれないし……その人が来てからなら、どう?」
「そんなの……」
テレビの心霊番組なんかで見る、霊能力者を名乗る人たち。お坊さんみたいな恰好をして、水晶玉だの数珠だの携えている人たち。そういう人たちを呼んでもらえれば、とは確かに千夏も考えてはいた。でも、その手の人たちのことを、彼女はどれくらい信じているだろう。テレビの中でのパフォーマンスだろうと、どこかバカにする気持ちもないだろうか。佐竹は亡くなってしまったという。実際に犠牲が出ている今でも、気休めかもしれないお経やお祓いで安心することができるだろうか。
「……じゃあ、何ていうか……その人に来てもらって、話を聞いてもらってから、とか……? その、信じられない、んだよね? 何か、ちゃんとした人だって分かったら、できる、かな……?」
「…………」
霊能力者の力の真偽なんて、千夏には分からない。話をして――
でも、沢村としてもこれがギリギリの譲歩なんだろう、とも分かった。モデルを辞めるにしても辞めないにしても、今までの仕事に対するイメージというものはあるのだろうし。……どうせ、他に頼れるあてもないのだし。
「……分かりました。じゃあ、その……霊能力者? の人が来たら……やって、みます」
「そう。ありがとう……!」
喉に詰まった石を吐き出すような思いで応えると、沢村はあからさまにほっとした表情を見せた。
「じゃあ……今夜は、入院ってことにしてもらった方が安心だよね? 何かあったらすぐ連絡するし、千夏ちゃんも、気になることがあったら電話してね」
「あの、スマホは――」
「……千夏ちゃんのは、別のところに置いてあるの。怖いでしょうし……私、二台持ちだから、一つ置いとくね。いつもの番号の方は、私が持ってるから」
さすが、というか。沢村は千夏の恐怖を察して、気を回してくれていた。手渡されたシンプルかつ手に馴染まないスマートフォンに、でも、心から安堵する。沢村との連絡手段があるということ。それも、のりこさんとは無関係の端末だということが嬉しかった。
「はい。……ありがとうございます」
病室にひとり取り残されるのも、本当は嫌だったけど。でも、頼れる人がいるのか分からないのと同じく、安全な場所なんてあるのか分からない。だからせめて、呼べばいつでも誰か来てくれるのだと自分に言い聞かせて、千夏は沢村のスマートフォンを握りしめた。
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