川村陽菜子 悲鳴
(嫌だ……怖い……!)
風がない夜だった。だからこそ、些細な物音がやけに耳につく。木の葉を揺らす度、闇の向こうから人の気配がする度に、陽菜子は身体を強張らせて息を止めた。虫除けのために長袖の服を選んだけど、それだけでは闇の圧倒的な質感の前にはあまりに頼りない。友達がいる側は、まだ少しは守られている感じがあるのに。グループの真ん中に上手く収まることができた子が、羨ましくてならなかった。
「あっちだって……」
「うん」
分かれ道にあたると、スマートフォンをかざして標識を確かめる。のりこさんごっこの時に覚えたライト機能が、早くもまた役に立つことになった。白く塗られた矢印には、そよ風の広場、と書き添えられていた。のりこさんが指定した場所だ。検索した情報によると、確かに人気の待ち合わせスポットではあるそうなのだけど。一体ナニと待ち合わせることになるのか、考えるのも嫌だった。
(行くだけで、良いの……?)
何度も頭の中で繰り返す問いは、きっと皆も考えていて、でも口に出せないものだ。夜中の公園で指定の場所に行って――そんな、肝試しみたいなことで解放されるんだろうか。それで、終わりなんだろうか。辿り着いても、新たな命令が下されるだけじゃないんだろうか。
時に小石や段差でつまづいて、よろめいてはお互いに縋りつき合いながら、陽菜子たちはじわじわとそよ風の広場へ近づいていった。暗闇の向こう側、彼女たちの前後に人の気配はするけれどよく見えない。ひとりなのか、グループなのか、ばらばらに来ている人が何人もいるのか。男なのか女なのか、そもそも……生きているのかどうかさえ。
普通でないものを見てしまうのも、ナニカの注意を惹いてしまうのも怖いから、極力息を潜めていると、しんとした静寂に押し潰されそうになる。闇が喉に肌にまとわりついて、息苦しくなる。足にも絡みついて進みが鈍る。また、一歩。全身の力を振り絞るようにして踏み出そうとした時――微かな悲鳴が、夜空に響いた。
「今の……!」
「聞こえた? 何なの……?」
「人の声……?」
「広場の方じゃなかった!?」
静まり返っていた公園が、急に目覚めたかのように騒めいていた。悲鳴を聞いて飛び上がったのは陽菜子たちだけじゃない。近くの闇に紛れていた人たちも、他の入り口からそよ風の広場に向かっていたであろうのりこさんのフォロワーや野次馬も、一斉に辺りを見渡し耳を澄まし、驚きの声を漏らしたんだろう。その気配によって、思った以上に多くの人がこの場所に集っているのを感じ取って、陽菜子の二の腕が粟立った。
(どうしよう。どうすれば良いの……!?)
そもそもの予定通りに、広場に向かえば良いのか。背を向けて逃げ出した方が良いのか。気持ちは、もちろん、出口に向けて走り出したくて仕方ない。でも、そんなことをしたらきっとのりこさんを怒らせてしまう。
恐怖に縛られて凍り付いてしまった陽菜子の目の前に、光るものが突き出された。
「ちょっと、見て……!」
それは、スマートフォンの画面。SNSのアプリを立ち上げた状態のもの。グループの誰かやのりこさんのアカウントではなく――この公園の名前で投稿を検索した、その結果を表示したものだった。
黒い空に黒く落ちる木の影。ほんの少しだけ見える、近隣のビルの窓の光。地面を舗装するタイル。陽菜子たちの目の前の風景と似たような画像も、幾つか投稿されている。でも、それらは、ただの夜の公園を切り取っただけのものじゃない。写るはずのないものが、写っていた。
――なんぞこれwwwwやばすwwww
――決定的映像!コラじゃないよ!
――ちょっと思ってたよりやばい。退避します。
画像だけでなく、動画もある。撮影者の興奮を表して激しくブレて、酔いそうな画面。でも、場所がこの公園であることと、あり得ないものが写っていることは間違いなかった。
黒い画面の中、吹き流しのように白く長いものが泳いでいる。風のない夜なのは、陽菜子たちも知っている通り。なのに
「何、これ……」
陽菜子たちは、喘ぎながらスマートフォンと夜の公園を見比べた。闇の向こう、SNSを介して様子を知ってしまったそよ風の広場の方を。夜の静寂を乱すざわめきは、いよいよ大きくなっている。広場へ向かう方も、広場から来る方も。投稿された白い
「何が起きてるの……!?」
陽菜子たちの履いているサンダルやスニーカーやローファーが地面を踏む、ざりっという音が響いた。皆、後ろに体重をかけている。恐る恐る、目は広場の方を窺いながら、足は後ろに踏み出したくてしかたない。外へ出る人の波に紛れて、逃げたい。でも、そうしたらのりこさんが――そのループの繰り返しだった。
立ち止まり、一層ぎゅうぎゅうに身体を寄せ合う陽菜子たちを叱咤するかのように、目の前に白い影が現れた。
(のりこさん……!)
白いブラウスにふんわりしたスカート、長い前髪。白すぎる肌は、向こう側を少し透かしてしまいそうなほど。色のない唇は真っ直ぐに横に引かれて。陽菜子たちがごっこ遊びで真似をしたのりこさんの――
「っきゃあああっ!」
頭を殴られたと感じるほどの大きな悲鳴が耳に刺さった。同時に、目を見開いた陽菜子の視界の中、のりこさんがぐるりと回転する。ううん、横倒しになったのは陽菜子の方だ。半身に強い衝撃が走り、手からスマートフォンが弾き飛ばされる。ばたばたという足音が身体に伝わってくる。誰かが陽菜子を突き飛ばした。恐怖のあまりパニックになって手を振り回して。そして、それを切っ掛けに、皆、走り出してしまった。
「まっ……て……」
地面にぶつかったところに、じわじわと痛みが広がっていく。地面の冷たさと――それに、恐怖も。公園に入る時の想像が本当になってしまった。誰も、陽菜子が転んだことにもいないことにも気付いていないのかもしれない。闇の中に取り残される。たったひとり。声を上げて皆を呼ぼうとしても、恐怖と痛みと衝撃で舌が上手く動かなかった。
「やだ……やだあっ」
意味をなさない泣き声は、大した声量にならなかった。たとえ皆に聞こえる声を出せたとしても、帰ってきてくれるかは分からなかったけど。結局、学校でのグループなんてその程度の関係なんだろうか。ここに来たのも、恐怖によって結ばれていたからだけ。それなら、より強い恐怖に駆られれば、グループの絆なんてほったらかしで逃げてしまうだろう。転んだのが陽菜子以外だったら、きっと陽菜子だって振り返ったりしてなかった。
それでも、皆に見捨てられたのは辛い。怖い。どうしたら良いか分からない。泣きながら、陽菜子は地面を這って手探りでスマートフォンを探した。あれがないと。助けを求めるにも灯りにするにも。……のりこさんの、命令を確かめるにも。
「あっ……あっ、た……!」
服が地面に擦れるのも構わず這いずっていると、指先に硬く冷たい感触があった。平べったい金属の質感とサイズ感は、陽菜子の掌にこれ以上なく馴染んだものだ。引き寄せて、画面を見ようとする。ささやかでも、灯りを確保しようとする。側面のボタンを押して、画面を点灯させると――
「ひ……っ」
スマートフォンの画面の青白い光に照らされて、ぬっと白い脚が
のりこさんのサンダルは結構可愛いなあ、と。陽菜子は現実逃避のように考えた。
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