第4話 仮説

 その仮説について、洋平ようへいは本当なら今夜、朱莉あかりに聞かせて反応を見ておきたいと思っていた。でも、できなかった。ネット上の都市伝説の話題というだけでも、彼女の興味を惹くことはできなかったのだ。さらに、彼氏がその都市伝説について情報を集め、「関係者」にコンタクトを取り、「真相」に迫ろうと仮説を立てようとしている、なんて聞かされても、朱莉はしまうだけだろう。彼女の呆れや軽侮の眼差しを前に、洋平にはこの話題について掘り下げる勇気が出なかった。


「さて、と……」


 だから、彼が語るとしてもネットの中、回線の向こう側の誰かさんに対してだけだ。検索によって、あるいはブログサイトの新着から、ありがたくも彼の記事に辿り着いてくれた誰かが読んでくれれば。そして、その中のひとりかふたりくらいに、多少は面白いとかすごいとか思ってもらえれば良い。


 ペットボトルのミネラルウォーターを手元に、冷たい喉越しで軽い酔いと疲れを散らしながら、洋平はテキストエディタを立ち上げた。バーでは吐き出すことができなかった、彼のうちにもやもやとわだかまる仮説、それを、人に見せられる形にするために。


 のりこさん――norikoというアカウントに関わっても、怪奇現象に見舞われる者と見舞われない者がいるのは、なぜか?

 一文をタイプしてから、洋平は少し考える。記事のタイトルにしては少し長い。もっと端的に、キャッチーに。じゃあ、こんな感じにしようか。


 都市伝説「のりこさん」のトリガーは何だ?


(よし、とりあえずこれで行ってみるか)


 ひとり、悦に入ってにやりと笑うと、洋平はキーボードに指を走らせ始めた。




 交通事故なり殺人事件の現場だとか、病院や合戦場や処刑場の跡地ということで心霊スポットになっている場所は多い。そしてその場所にまつわる怪談や体験談も。その多くはその場所に行ったことが切っ掛けになるから話は早いし分かり易い。霊がいる場所に行ったから見た、あるいは憑かれた、連れて帰ってきてしまった、という風に。

 一方で、「この話を聞いた人には〇日以外に何々が起きます、現れます」というタイプの怪談もある。この場合について、懐疑的な聞き手なら突っ込まずにはいられないだろう。その霊なり妖怪なりは、一体何体いるんだ? 聞き手がいるところならどこへでも、忙しく東奔西走するとでも? そこまで冷静じゃなくても、震えながら眠れない夜を過ごした後で結局何も起きなくて、幽霊なんていないんだ、と「気付いた」人も多いだろう。


 のりこさんについても、同じ思いを味わっている人は多いはずだ。日々減り続けているnorikoのフォロワー数は、それだけの人数がのりこさんという怪談、都市伝説に失望して離れていっているということを示している。

 だが、考えてみて欲しい。のりこさんという個人名で呼び、アカウントの存在が確認できる以上、「彼女」はひとりしかいない。それなら、ネットの広い海で話題にされる度に現れるのは不可能だったとしてもおかしくはないだろう。モデルのHの事件からして、「彼女」に距離の制約はあまりないようにも見えるけれど、少なくとものりこさんは分裂して一度にあちこちに現れるようなことはない、と考えて良いように思える。


 となると、次の疑問は、のりこさんはどうやって犠牲者を――いや、会いたがっている人にとっては「友達」を――選んでいるのか、ということになるだろう。彼女に会いたい人にとっても会いたくない人にとっても、非常に重要な問題だ。




 ここまでタイプしたところで、洋平は手を止めて伸びをした。時計を見れば、日付が変わって三十分ほどしたところだ。明日の仕事のことを考えるならもう寝た方が良いのだろうが、勢いに乗って書き上げてしまいたかった。


(寝て起きたら、止めとこうって思っちゃうかもしれないからな……)


 さっきのデートで朱莉に仮説を打ち明けようと考えていたのは、洋平の承認欲求だけが理由ではない。オカルトめいた与太話も話せるのは恋人同士の距離感ならではだし、朱莉はあれで結構洞察力もある、と思う。だから葉月はづき千夏ちかの死後、彼女のアカウントに何が起きたかも言い当てられてしまって、少し気まずい思いをさせられることにもなったのだけど。でも、何より重要なことがある。

 それは、朱莉なら絶対にのりこさんに「会う」方法を試してみたりしないだろう、ということだ。自分から首を突っ込んでおいて何ではあるけど、人を取り殺したかもしれない怪奇現象に、恋人や友人には関わって欲しくない。その点朱莉は、彼の趣味ものりこさんも、大した興味を持たないだろう。そういう訳で、仮設の論理的な整合性だけを確かめるならもってこいの相手だろうと、勝手に期待していたのだ。


 そして、朱莉の身を案じるなら、ブログの読者や、たまたま検索で辿り着いた人間がのりこさんに興味を持ってみたらどうしよう、というところも本当なら考えなくてはいけない。もしも葉月千夏がのりこさんに殺されたのだとしたら、記事を公開することで犠牲を広げることにはならないだろうか。

 彼の記事を開く以上は、多少は系の話に興味があるだろう、だから覚悟はしているだろうし危険もむしろ望むところ、だろうか。それとも素人の与太話を信じるなんてどうかしている、とでも開き直ろうか。そもそも彼の仮説が正しいかどうかも分からないし。


 のりこさんの被害を広めてしまうのかもしれない。でも、考えたことを人に見て欲しい。認めて欲しい。ふたつの感情の間で揺れて、でも、結局後者が勝ってしまう。謎を解き明かしたいという欲求は、彼の裡に留めておくにはあまりに強いから。――だから、洋平は再びキーボードに向かってしまうのだ。




 ――筆者は、Hにのりこさんを紹介したアカウントを見つけ出した。女子高生を名乗るSというアカウントだ。いかにも女子高生らしい日常を綴る呟きの中、彼女はぽつりとHとのりこさんを繋ぐ投稿を残している。のりこさんチャレンジに挑戦する若者のように、オカルト的方面への興味は一切見せていないのにもかかわらず。

 これは、Sが意図せず――不幸の手紙のように――のりこさんと繋がってしまい、かつすぐに他の人に紹介するというルールを知らなかったため、のりこさんの怪異を味わってしまったからではないか、と思える。不意に恐怖に襲われたからこそ、慌てて目についた芸能人であるSにのりこさんを押し付けたのではないか、と。


 つまり、Sものりこさんに選ばれたのだ。では、なぜモデルのHと女子高生のSが? ふたりの共通点は、あるのだろうか。


 端的に答えを言うと、ふたりとものりこさんを、「彼女」にまつわる噂を知らなかったから、ではないかと思う。のりこさんに言及した呟きがないSと、フォロワーにのりこさんのことを尋ねさえしていたH。いずれも、SNSに人間以外のモノが潜んでいるとは思っても見なかったのだろう。

 とはいえ、筆者は彼女たちが正当な手順を踏まなかったから呪われたのだ、と言いたいのではない。のりこさんの噂を知っていたとしても、心霊現象に遭ってみたいとか、あるいは単に信じていないからとかいう理由で、あえて「次の友達」を紹介しないという人も多いだろうから。

 のりこさんの噂を追っていて気付かされるのは、それは内輪でのコミュニケーションツールのような役割を果たしている場合も多々あることだ。誰に回されたとか、まだ回ってないのは誰だ、とか。怖いとかサイアクとか言いながら、それでも楽しそうにのりこさんは友達の間をたらい回しにされるのだ。それは流れるプールにでも例えられるかもしれない。同じところをぐるぐると。一巡したら、また同じ人のところに回されることもあるだろう。


 女子高生のSやモデルのHは、プールの外の人間だった。のりこさんにとっては新しいサイクル、新しい人間関係に拡散される機会ということになる。植物の種子が適した土壌に辿り着くまで芽吹くことがないように、寄生虫が終宿主――最終的な宿主に落ち着くまでは気勢主に害をなすことがないように。のりこさんも、活動すべきタイミングをじっと待っているのではないだろうか。

 キーワードは拡散、だろう。フォロワーからフォロワーを辿って「友達」を増やしていくのりこさんは自身を拡散したがっている。では、何のために? 毎日のように見かける「拡散希望」というタグは、どういう意図があるのだろうか。簡単だ。文字通りに、多くの人に知らせたいことがあるからだ。ちょっとしたライフハックや、おすすめの店やスイーツや漫画や映画。注意すべき詐欺の手口、嫌いなやつの気にくわない言動、政治家や芸能人の「問題発言」――時と場合と発言者によって、伝えたいことは様々だろうが。だが、のりこさんが幽霊だというのなら、伝えたいこと、その候補は結構絞られてくるのではないだろうか。


 のりこさんに選ばれるようなアカウントを用意するのはそう簡単なことではない。ある程度のフォロイーとフォロワーを持ち、拡散力を持っている上で、更にのりこさんにとって未知の土壌でなければならないのだから。かくいう筆者も、のりこさんにとっては魅力的な友達候補ではないだろう。彼女の噂に入り浸り過ぎていて、今更のりこさんを紹介してもされても、フォロワーの諸兄はさほど驚かないでスルーしてしまうだろうから。


 だから――筆者は別のアプローチを試してみようと思う。のりこさんの目的、伝えたいことを予想して、彼女にとっても見過ごせないクリティカルな問いを投げれば――のりこさんは、来てくれるのではないだろうか。何かしらの反応を示してくれるのではないだろうか。そしてそれが成功すれば、彼女の正体に近づくことにもなるだろう。


 次回の記事は、この実験のレポートにしたい。




 そこまで書き上げてから、洋平はじっくりとパソコンの画面を眺めた。深夜の奇妙なテンションで一気に書き上げた文章を。朝の光の中で見たら恥ずかしくて消してしまうかもしれないような、勢い任せのそれを――でも、軽く息を吐いて、投稿ボタンをクリックする。読み込みに掛かった時間はほんの一瞬、すぐに彼のブログのトップ画面が表示されて、書き上げた文章が記事として投稿されたのが確認できる。……投稿、してしまったのだ。


「……寝るか……」


 高揚が退いた途端に疲れを自覚して、洋平は目を擦った。読者が数人しかいなくても、ネットに宣言したことで退路を自ら断ったような気がする。近いうちに、試してみないと。のりこさんが本当に反応してくれるのかどうか。そしてそれを記事にして。


 でも、少なくとも明日以降のことだ。今日はとりあえず、シャワーを浴びて寝ることにしよう。

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