第3話 のりこさんに逢う条件

 朱莉あかりと別れて自宅のマンションに帰りつくと、洋平ようへいはまずジャケットとネクタイを脱ぎ捨ててやや乱暴にクローゼットに放り込んだ。次いで、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出して、直に口をつけて飲む。彼女とのデートで、酔い覚ましが必要なほどアルコールを摂取するはずもない。ただ、口の中に残った苦々しさを洗い流したかった。悔しさとか歯がゆさとか、そんなような感情を。


 のりこさんに――というか、洋平の趣味に言及さえしなければ、朱莉との会話は概ね弾んだ。お互いの仕事の愚痴や、友人のエピソード。次の連休は泊りがけでどこかに行こうかとか、そんな普通のカップルの会話を楽しんだ。それで終わっていれば、良かったのだろうけど。


『洋平の趣味にあんまり口出ししたくないけど……ネットも、面白いんだろうけど。現実リアルのことも、もっと一緒にやりたいな』


 別れがけの朱莉の言葉が、耳に残って胸に刺さって仕方なかった。彼女が最大限言葉を選んでくれたのも、良かれと思って言ったのであろうことも、よく分かる。でも、その上で、趣味を軽んじられた、理解されていないという不満を覚えてしまってどうしようもないのだ。


「何だよ、もう……」


 どんな趣味を持とうと勝手。インドア、アウトドア、技術の要否やかかる金額の多寡。そんなものでとやかく言われる筋合いはないし気にする必要もない。その、はずなのに。朱莉の呆れを孕んだ微妙な笑いが、そんな目で見られることが、嫌だというか恥ずかしいというか不本意というか――とにかく、やりきれなかった。


 口元を拭い、楽なTシャツとジャージに着替えて、向かうのはパソコンの前だ。電源を入れると、静かな駆動音と共に見慣れたデスクトップの画像が表示される。ウェブブラウザを立ち上げるのも、日参しているニュースサイトなどを訪問するのも、洋平にとってはもはや無意識の動作だった。メールチェックに、ブログの訪問者数の確認。……それに、SNSだ。彼自身のアカウントももちろんあるが、今、彼が覗こうとしているのは、noriko――のりこさんのものとされているアカウントだった。


(また少し減ったかな……?)


 朝、出勤前に撮っておいたスクリーンショットと見比べると、norikoのアカウントのフォロワーは数十単位で減っていた。この数日の、安定した傾向だった。

 葉月はづき千夏ちかの最後の投稿、それによる誘導で、norikoのフォロワーは爆発的に増えた。「心霊写真」と同じ女のアイコンというインパクトもあったし、葉月千夏のSNS上での言動が明らかに別人のように変わった――のりこさんに、のっとられたのだ、と。誰もがそう思ったからだろう。葉月千夏が亡くなったという報道も、その勢いを止めることはできなかった。だって、のりこさんの噂は怖い霊、のっとり霊のものに限らない。のりこさんチャレンジと称して、こっくりさんのように質問に答えてもらうとか、願い事を叶えてもらうとか、そういう方向で持て囃している連中も、特に若い女の子なんかに多いのだから。


 ここにきてnorikoのフォロワーが減ってきているのは、だから、野次馬の目が覚めたとか人が死んで怖くなったからなんてことじゃ決してない。むしろ野次馬は野次馬のまま、面白いこと怖いことを求めている。norikoのフォローを外すとしたら、その理由はごく単純、つまりは何も起きなくてつまらないから、でしかない。


「やっぱり変化なし、か」


 画面をスクロールしながら、洋平はひとりごちる。norikoのホーム画面に並ぶのは、アイコンに相応しい――葉月千夏の事件さえ知らなければ、前髪で顔を隠した自撮り写真はSNS上にごくありふれているものだ――、若い女性が好みそうな投稿の共有ばかりだった。新作の化粧品やスイーツ、恋愛や仕事に関するブログやコラムとか。葉月千夏の投稿もチェックしたことがあると、あの亡くなったモデルの活動にそっくりな気もして、少しうすら寒さを感じないでもないけど。でも、見た目上、norikoは特筆するところのない若い女性のアカウントにしか見えないかもしれない。

 葉月千夏――あるいは、彼女をのっとったのりこさんの――誘導でこのアカウントをフォローした人たちが、この「なんでもなさ」に失望してフォローを外していっているということなのだろう。もしかしたら、中にはどうしてこんな一般人のアカウントをフォローしたんだっけ、と首を傾げながらフォロー解除した人もいるかもしれない。SNSのフォローなんてクリックかタップのひとつでできるんだから、そう深く考えてするものじゃないだろう。


 でも、noriko宛てに寄せられたコメントを見ていくと、ごく普通のアカウント、とはいかないことがすぐに分かる。ホーム画面の明るさ華やかさとは裏腹に、少し画面を切り替えると、ネットのどろりとした面も見えてくる。


 ――のりこさんですよね? 私のとこに写ってください、お願いします!

 ――のりこさん、こいつ呪ってください→××○○○ ***-****-****

 ――このアカウント、あちこちで晒されてますけど大丈夫ですか?っていうか愉快犯でやってるなら辞めた方が良いですよ。

 ――どうして無視するののりこさんーー?????


 例のこっくりさん感覚で「お願い」するのはまだ可愛い方で、SNSという公共の場で呪いたい相手と思しき名前や電話番号を記載しているのや、忠告のような批判のような上から目線のもの。意味のない卑猥な単語の羅列や、文章の添えられていない脈絡もない画像まで。質量ともに、norikoの「中の人」が本当に普通の生きた人間だったら耐えられないだろう、というコメントばかりだ。なのに、norikoはその全てに対して沈黙を守って淡々と日常――のような――投稿を繰り返している。


「条件が、あるんだよな……」


 誰も聞いていないひとりの部屋でわざわざ口に出すのは、考えを纏めるため。そして、自分の思考に没頭することで、朱莉とのやり取りで感じたもやもやを払拭するためだった。


 norikoのアカウントをフォローし、あるいは絡みにいったアカウントの大変には起きていない。だからこそ葉月千夏のような事件というか異常事態、怪奇現象を望んでいる野次馬はこのアカウントから離れていっているのだろう。

 でも、このアカウントがのりこさんと全く無関係だとは思えない。アイコンの写真といい、葉月千夏が死の直前に取り上げたことといい。何よりも葉月千夏の自撮り画像にに現れた幽霊の姿は、絶対に見間違いやトリックじゃなかった。あの瞬間を見たからこそ、洋平はこのアカウントを追うのは間違いではないと確信している。


 それに、杉田すぎた麻里まりのこともある。洋平は、norikoと葉月千夏の接点を探して過去の投稿を遡るうちに、あの女子高生のアカウントを見つけていたのだ。葉月千夏にnorikoをしたのは杉田麻里だった。もちろん、最近の流行りに乗って、昔でいうところのチェーンメール感覚でちょっとした有名人に絡みに行った、ということも考えられる。でも、その割には杉田麻里の投稿にのりこさんに関わるもの、オカルト的な方面への興味を示すものは見受けられなかった。


 それなら、杉田麻里がぽつんとのりこさんに関わる発言を残したのは、何かしら差し迫った異常に見舞われたからではないか、と考えるのは飛躍しているだろうか。心霊現象なんて興味がない女子高生が、友達か誰かから回ってきたのりこさんの噂を、最初は笑い飛ばして取り合っていなかった。でも、実際に――葉月千夏が直面したような――怪奇に逢って、慌てて難を逃れようとしたのではないか、とか。のりこさんに触れた瞬間にブロックされたのは、そういうことではないのかと、洋平は期待してしまうのを抑えられない。


 そして、そう考えるとまた疑問が浮かんでくる。杉田麻里や葉月千夏と、その他norikoに絡みにいった大多数のアカウントの違いは何か、ということだ。norikoをフォローしたり、コメントを寄せたりしても何も起きていない人間もいる一方で、尋常ではない経験をしたり、葉月千夏のように命を奪われてしまった人間もいる。もちろん、葉月千夏は一応芸能人の端くれだから事件化しただけで、数字の増減でしか測ることができないnorikoのフォロワーの中には、ひっそりとこの世から消えている人もいるのかもしれない。そう考えるのも、ひんやりとした寒気を感じずにはいられないのだけど。


 のりこさんにためには、何らかのを満たす必要があるのではないか、という仮説を洋平は立てている。となると、その条件が何か、だが――それについても、彼は既に考察しているのだ。

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