第2話 のりこさんについて
「何それ。ネットってそういうのほんと、好きだよね。人が亡くなってるのに
ネットというものに悪印象があるらしい
追加の食事と飲み物の――彼自身は見慣れない銘柄の外国のビールを、朱莉はカンパリ系のカクテルを――注文を済ませると、
「いや、噂みたいに言ったけどさ、本当なんだって。俺、見てたもん。その、
「炎上ってやつ……? っていうか実況、だっけ? 洋平もそういうのするんだね……」
朱莉もSNSのアカウントぐらいは持っていたはずだけど、入り浸っているという感じではない。何かしらの発言で
(でも、こいつだって分かってない……!)
そう、確かに興味本位ではあるのかもしれない。でも、不可思議な現象を目の辺りにした時の興奮や、それを解き明かしたいという衝動は、人間の本能的なものであるはずだ。大げさなことを言うなら、そういう本能を持っていたからこそ人間はここまで発展した訳で――だから、決して後ろめたさを感じる必要はないのだ。自分にそう言い聞かせて、洋平は苦い――チョイスを失敗したかもしれない――ビールをグラスの半分まで飲み干した。朱莉が彼の趣味を認めないことへの、苦い苛立ちめいた思いも、一緒に。
「そりゃあ、
熱弁して体温が上がるのを感じつつも、洋平はあの瞬間に感じた寒気を思い出していた。何だかんだ言っても、彼も、それ以外の多くの野次馬も、あれは葉月千夏が愉快犯的に演出したことではないかと疑っていただろう。過去の数か月に渡って心霊写真を投稿してきておいて、それまで誰にも見つかっていなかったり彼女自身が騒いでいなかったりというのは、奇妙ではあったけど。なかなかブレイクしないモデルが焦っての「炎上商法」では、というのも、説得力のあるストーリーではあったから。
でも、あれは本物だった。SNSに投稿した画像を、大勢のフォロワーや野次馬が見る中で改竄することなんか不可能だ。もちろん、例の画像が動画ではないことは洋平もほとんど反射的に確かめている。注目されていることを利用した悪戯ではないということだ。決して動くはずがない画像に動きが生じた――のりこさんが現れ、そして次の瞬間に起きた
「しかも、その人、亡くなったって言っただろ? ニュースでもちょっとだけやってたんだけど、亡くなった
「
「……なんで分かるんだよ」
聞かせどころとばかりに声を低めたのに先取りされて、洋平は朱莉を恨みがましく睨め上げた。涼しい顔でカクテルのグラスに口をつける彼女は、洋平の話の腰を折るのを狙っていたとしか思えなかった。
「え、だって洋平が言ってたじゃん。のっとり霊ののりこさん、って」
「そうだし……そうなんだけどさあ」
怪奇現象を目の当たりにした時のぞくぞくとした寒気も、常識を外れた事件を語っているという興奮も
「……そのユーレイ、何て呟いたの? 祟ってやる、とか?」
「いや、そういうんじゃなくてさ――」
クリームのついた唇を舐め、泡の消えかけたビールを飲み干し、洋平は数十秒前までの高揚した感覚を思い出そうとした。あの日、彼は確か営業を口実にどこかの喫茶店でスマートフォンを見つめていた。その前日に、葉月千夏の過去の投稿が心霊写真だらけなのが発覚して、それらの画像が物凄い勢いで拡散、共有されていたのだ。何気なくネットサーフィンをしていた彼の目にも届くくらいに。
彼がのりこさんの存在を知ったのもまさにその時で、葉月千夏のSNSを追いながら、たった今朱莉に語ったような噂話を夜遅くまで調べていた、その翌日だった。だから、眠い目を擦りながら、それでも状況の変化が気になって仕方なくて、仕事をサボるような形でSNSを覗かずにはいられなかったのだ。昼間からSNSに張り付いていたから、だからこそ、
「のりこさん、だからさ。友達が欲しい霊、って言ったろ? 葉月千夏の最後の投稿は、のりこさんのアカウントへの誘導だったよ。これがのりこさんだよ、本物だよ、皆フォローして、って……」
「何それ」
あの衝撃と興奮をどうにか伝えようと、身振りも交えて語ったのに。洋平の必死の表情がおかしかったのか、朱莉はぷ、と噴き出した。
「何か、詐欺とかスパムみたいじゃない? 変なURL踏ませて感染させる、みたいなやつ! それ、本当にユーレイなの? そういうウイルスなんじゃないの?」
「だって、そのアカウントのアイコンがのりこさん――心霊写真の、女だったんだよ! あの炎上見てたら、ぞくっとするって、絶対。ほんと、言っただろ? 画像に写り込んで、しかも動いたやつと、同じ女だったんだよ!」
「ふーん」
(くそ、朱莉はのりこさん見てないからな……!)
彼女の気のない――というか、何なら馬鹿にするような相槌に、洋平の苛立ちは募る。同時に失敗した、とも思う。のりこさんのアカウントがある、と認識した瞬間、葉月千夏のSNSを追っていた人間は共通して頭を殴られる様な衝撃を受けただろう。心霊写真に写り込む存在だったのりこさんが、実体を持つ人間――少なくとも、アカウントを所持する存在として現実に乗り込んできたかのような。フォローもフォロワーもいる、幽霊……なのかどうか。日頃慣れ親しんでいるネットにSNSに、そんなものが紛れ込んでいると、突きつけられた。あの衝撃は、見ていないと分からないものだったのかもしれない。
「じゃあ、そのアカウント見せてよ。本当に心霊写真だったの? 最近はそういうのも簡単にできるんでしょ?」
「あー……葉月千夏のアカウントなら、今は消されてるけど……」
葉月千夏が亡くなった翌日には、彼女のアカウントは削除されていた。のりこさんに関する投稿ばかりを共有し続ける様は、それまでの彼女の活動と比べると異様だったし、心ないコメントも数え切れないほど寄せられていた。葉月千夏宛てに、というか、のりこさん宛てに語りかけるものもあって、そういう意味でもあのアカウントは確かにのりこさんにのっとられていたのだろう。
遺族か、それとも所属事務所の意向かは分からないけど、故人の評判や心情を慮れば、残しておくに忍びないと思ったのは想像に難くない。
でも、今のこの場面について言えば、朱莉を納得させられる物的証拠がない、ということになってしまう。
「えー。結局ほんとか
「いや、スクショはいっぱい出回ってるよ? 俺も撮ったし――」
「っていうか、亡くなった人なんだよね? あんま詮索するの良くないと思うよ」
一度は食いつきかけた癖に、朱莉はもうこの話題に対する興味を失ってしまったらしい。斬り捨てるような台詞を放つと、またメニューの吟味に熱中し始めた。次は肉か魚か、もうデザートも見据えて考えているようで、忙しくページを繰っては目を左右させている。
「まあ……そうなんだろうけど……」
これ以上は、言っても無駄だ。朱莉は洋平が期待するような反応は示さないだろうし、食い下がればまた雰囲気が悪くなりかねない。お互いに多少の不満はあっても、彼らふたりは一応は付き合っている、はずだ。だからここまでにした方が良いのだろう。そして、朱莉の話に相槌を打ってやらなくては。
磨かれたグラスと色とりどりの酒が煌くバーの店内で、周囲でもカップルやグループ客が歓談している中では、ネットの怪談なんて真価を発揮できないものなんだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます