長谷川洋平
第1話 取材
――杉田麻里さんにブロックされました。投稿内容やフォロー・フォロワー情報を見ることはできません。
スマートフォンの画面に表示された素っ気ない通知を見て、
(しつこかったかな……?)
友達と行った店、買った服、テスト期間や部活の試合日程。全世界からアクセス可能なSNSを使っているという自覚もほとんどないのだろう、友達とのやり取りをあけっぴろげに垂れ流している――と、言ってしまいたくなる――、浅はかな今時の子だ。別に大して珍しい訳ではないけど、投稿を精査すれば住所や学校が特定できてしまいそうで、害意などない洋平もひやひやしてしまったくらいだ。でも、そんな女子高生でも、知らないアカウントから話しかけられるのはさすがに不審だか恐怖だかを感じたらしい。もしかしたら、ネットストーカー予備軍とでも思われたかもしれない。
(でも、もしかしたら
多感な少女に嫌な思いをさせたのなら申し訳ない。でも、違う可能性を考えると、洋平は口元が緩むのを堪えきれなかった。
杉田麻里という少女から彼が聞き出そうとしたのは、近頃ネットで――というか、特にSNS上で――噂の、のりこさんという都市伝説について、だった。もちろん、下着の色やサイズじゃなくても、そんなことを突然尋ねてくるアカウントは
ブロックされたとはいえ、杉田麻里のフォロウィーやフォロワーの何人かはメモとスクリーンショットに残してある。その中の誰かが、「のりこさん」に言及した投稿をしていないだろうか。
と、意気込んでスマートフォンの画面に触れようとしたところで、洋平の背後から不機嫌そうな声がかけられた。
「
洋平の彼女、
朱莉の機嫌を取ろうと、洋平は慌ててスマートフォンをポケットにしまうとへらへらと笑って見せた。取り分けておいたサラダの小皿を差し出しつつ、彼女が離席中も飲み食いしなかったことをアピールしようとしたのだけど、果たして効果があったのかどうか。
「ごめんごめん、朱莉がなかなか帰ってこないからさ」
「隙あらばスマホ弄るの止めてよね。せっかくのデートなんだからさ」
唇を尖らせ、少々乱暴にスカートを捌くと、朱莉は洋平の隣の椅子に腰かけた。それでも小皿は受け取ってくれたし、彼とワイングラスを合わせてくれたから、完全に怒らせてしまったということではないようだが。
「女の子っぽいアイコンだったけど。何、
「うん、そんなとこ」
多分、デート中にスマートフォンを見ていた彼の方に非があるのだろう。それも、相手が若い女の子だと気付かれているならなおのこと。だから、取材、と言った朱莉の声に潜んだ軽侮には気付かない振りをして、洋平は明るく答えた。店のお勧めということで適当に選んだワインで口を湿しながら、まだ目元と口元を強張らせている朱莉の顔を覗き込む。
「――のりこさん、って知ってる?」
「知らない。誰?」
「誰、っていうか。人じゃなくてさ、SNSで話題の、都市伝説みたいなアカウントなんだ」
大して興味がなさそうに、形ばかりに問い返してくれる彼女に、洋平は笑みを崩さないようにして説明した。ここ最近調べたのりこさんの噂のバリエーションの数々を。
友達や知り合いを介して「紹介」されるパターン。不幸の手紙やチェーンメールのように、祟りを避けたいなら余計な関りを持つ前に
一昔前のこっくりさんのように、知りたいことを教えてくれる守護霊のような存在としてののりこさん。ただし呼び出すのは紙に書いた鳥居や五十音表ではなくて、SNS上で彼女の姿を捉える――その姿を画像に収める、あるいは
それから、のっとり霊としてののりこさん。取り憑いた人の全てを把握しようと付きまとって、最終的にはその人に成り代わってしまう。
「……何それ。そんなこと調べてたんだ」
ワインを
洋平はごく一般的な企業に勤めているが、学生時代の志望通りの業界という訳では必ずしもない。彼がそもそも憧れていたのは出版系――それも、何かしらの形で自分の書いた文章で稼いでみたい、という思いがあった。憧れと言っても漠然としたもので、具体的に何をすれば良いのかは分からなかったし、多少は調べてみたりもしたけどその程度で入れる世界ではないとも悟っていたけど。
だから、今の仕事自体には不満はない。ただ、ぼんやりとした憧れは今も彼の中で燻ぶっている。そして幸か不幸か、今の時代は素人でも自分の文章を発表することだけは割と簡単にできるのだ。
仕事やデートや飲み会の合間を縫って、洋平はブログを運営している。気恥ずかしいから朱莉以外の同僚や友人には教えていないが、ネット上で話題の事件などについて彼なりに考察する場所だ。アクセス数で言えばもっと人気のブログは幾らでもあるが、それでもたまにコメントをもらえれば仕事の疲れも吹き飛ぶほど嬉しいし、ほんの数人ではあるけど常連と言える読者もいる、と思う。
「まあね。別に、ただの噂じゃないよ?
「知らないって」
特に金がかかる訳でもない、どちらかといえばクリエイティブな部類に入る趣味だと思うのに、朱莉の意見は洋平とは違うようだった。曰く、ネット上で簡単に手に入る情報を切り貼りしているだけ、週刊誌やワイドショーみたいで悪趣味、だとか。そんな評は洋平にとっては心底不本意で、でも一方でそう見られても仕方ないんだろうな、という諦めもある。その諦めは、彼の心の奥底の敏感なところ、
「そう? ちょっと前に話題になってたんだけど」
朱莉がこれでもかというほど漂わせている、素っ気ない空気に気付かない振りで続けるのは、見ていろ、というような気分があるからだ。
都市伝説の調査、なんて記事を書いている人間は幾らでもいる。雑誌の特集としても一般書籍としてもありふれているし、何なら心霊スポットに行ってみた、みたいな動画配信の方が分かり易くウケるだろう。洋平のブログが注目を浴びたとして、閲覧する人間の数は数百人もいれば上出来だろう。更にどこかしらで取り上げられることも、自分の名前で本を出せるなんてこともまずあり得ない。
でも、彼にとってのりこさんは見逃せないネタだった。
「モデルで、たまにテレビとかにも出てたんだって。割と最近亡くなったんだけど――その人は、のりこさんに取り殺されたんじゃないかって話も出てるんだ」
死者の話題と知らされて、露骨に顔を顰める朱莉に、洋平は意味ありげに低く作った声で囁いた。同時に、彼の脳裏には葉月千夏の華やかな笑顔が蘇っていた。亡くなったモデルと――その傍らに佇む、虚ろな瞳の白い影。
――△△というブログを運営している者ですが、お話聞かせていただけませんか?
葉月千夏のSNSが炎上した瞬間を、彼も固唾を呑んで見守っていたのだ。思い切って送ったコメントに返信が来ることはなかったけど、その後の彼女に起きたことも、全部。のりこさんが絶対に実在する現象であると確信しているからこそ、彼はその正体を明かしたいと熱望しているのだ。
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