第5話 はじめまして

 数日かけて洋平ようへいの部屋には幾つかの荷物が届いた。この間、朱莉あかりを家に招く機会がなかったのは多分良いことだったんだろう。一見、よく見る通販会社のロゴが入った箱だけど、中身を見れば多分彼女は笑うか引くかするだろうから。お札にお清めの塩、魔よけの鈴やパワーストーン……そんなグッズが、今は通販でも手に入るのだ。洋平なりに考えた、のりこさんに対抗する手段だった。


(気休めかもしれない……っていうか、そもそも必要になるかも分からないんだけどな)


 先日のバーでのデート以来、朱莉とはメールやメッセージのやり取りばかりで、会ってすらいない。別に気まずいとか距離を置いているという訳でもなく、お互い社会人ならこれくらいは普通だと思う。ただ、洋平としては彼女の顔を見ないで済んで良かった、という思いも胸の片隅にはあった。朱莉に限らず友人とでも、現実の生活の話をしたりしたら、これからやろうとしていることが馬鹿馬鹿しくなってしまうかもしれないから。……良い歳をした大人なんだから、そうやって我に返ることができた方が良いのかもしれないけど。

 多分、朱莉がこれを知ったら、ネットにのめり込んでるから何でもゲーム感覚で、だのなんだのと言うんだろう。それも一面の事実で、洋平自身も気付いてはいる。でも、どうせならやるだけ全部やってやる、という気分になっているのだ。真夜中に背を丸めてパソコンと向かい合って、人間かどうかも分からない――幽霊じゃなくても、norikoはbotの類の可能性だってある――相手に話しかける、馬鹿馬鹿しくても良いじゃないか。息を詰めて反応を待って、それで何も起きなかったら苦笑いして忘れれば良い。朱莉だってその方が安心するだろうし、彼の話題の傾向が変わるのはむしろ歓迎するだろう。




 パソコンのブラウザからSNSにアクセスして、norikoのアカウントを見てみる。アイコンは、例によって変わらないまま、前髪で目を隠した女の写真だ。


(若い子、なんだろうな……っていうか、若い子だった、のか?)


 部屋の四隅に盛り塩をして、窓や鬼門の方角にお札を貼って。手元にはとある神社の霊水と鈴とお守りとパワーストーン。そんな異様な――というか我に返れば滑稽な――状況の中、洋平は改めてそんな当たり前のことを思った。呪いを強請るような物騒なコメントを見ないようにすれば、norikoのアカウントは今時の若い女性そのものだ。葉月はづき千夏ちかを「のっとった」ことを考えると、それらの投稿が本当にのりこさんの意志によるものなのか、そもそも彼女に意志があるのか、分からないとは思うけれど。


 のりこさんのという怪奇現象のにあたって、洋平はnorikoのアカウントをかなり遡って見ていた。というか、アカウントを作成した大まかな時期はプロフィールを見れば分かるのだけど。数年分、万の桁に届く投稿は、どこからどこまでが生身の彼女で、いつからのりこさんという幽霊のものになったのだろう。葉月千夏のように、このアカウントものっとられたのか、そもそも幽霊がSNSのアカウントを作ることができるのか、その点も興味は尽きない。


 とにかく、のりこさんの噂に群がる人々は怪奇現象としてのにばかり興味があるように思えるけれど――幽霊の正体といえば、やはり生前の姿かたち、プロフィールのこと、だろう。よく言われる地縛霊とかじゃなくて、どうしてSNSに現れるのか。フォロワーや拡散を求めるのはなぜなのか。閲覧者に何を期待して、どうして「祟る」こともあるのか。


(可愛いものや楽しいものを集めたり、友達とおしゃべりするのが好きだった、って話もあったけど……)


 norikoの投稿を遡っても、確かにその評判を裏付けるようなものばかりだった。でも、それはこのアカウントを見た人がそう表現しただけかもしれないし、SNSに現れる幽霊としてのキャラ付けの可能性も高いと見るべきだろう。「のりこさん」ではなく本当の彼女は何者だったのか――これから、分かるだろうか。




 準備運動代わりに宙で軽く指を蠢かせてから、洋平はパソコンの画面に向き合った。マウスのポインタを合わせて、norikoにコメントを送るためのウィンドウを表示させる。そこからは、キーボードに指を置いて――そして、考えておいた質問を、送る。


 ――はじめまして、のりこさん。


 礼儀としても、のりこさんに質問するための「手順」として流布された噂からも、まずは挨拶からはいらなくては。送信ボタンをクリックして、一秒、二秒。息を詰めて、時計の秒針が刻まれる音を聞きながら待っても、何事も起きない。まあ、他の人間が送った大半のコメントと同様、初手は無視されるだろうとは考えていたのだけど。それに――


(あっちがちょうどとは限らないしな……)


 止めていた息を吐き出しながら、洋平は自分に言い聞かせた。幽霊はスマートフォンもパソコンも持っていないだろうに、SNSを見ていない時はのりこさんは一体どこにいるのだろう。SNS上の怪談、とはいえ、画面のを想像するととても不思議な気分だった。

 のりこさんに限らない、普通の人間のはずのアカウントでも、現実リアルではネットで使っているアイコンとは別の顔で生活している。リアルの知人友人には言えないことをネットでは言うことだってあるだろう。じゃあ、それなら人間の個性とか性格というのは、どこまでが本物なんだろう。それこそある日突然アカウントがのっとられたとして、フォロワーに気付いてもらえなかったら、その人間は消えたまま事件にもならないということか。多分、そんなことは世界中のあちこちで起きているんじゃないかという気がした。


 でも、それは今は関係のないことだ。洋平はnorikoにコメントを送った画面をスクリーンショットに撮影した。後で個人情報のところは隠して、ブログ記事に使えるように。そして、次の質問だ。


 ――のりこさんというのは、本名ですか? 苗字も教えてくれませんか?

 ――貴女は幽霊なんですか? 何歳で亡くなったんですか?

 ――拡散されたい理由は、貴女の死因に関係があるんですか?


 傍から見たら彼こそ不謹慎じゃないかとか、まるでストーカーだ、とか。そもそも一体自分は何を言っているんだろう、とか。そんな疑問が頭を過ぎりそうになるけど、我に返って手を止めてしまう前に、次々と質問を送っていく。ほぼ同時のキーボード操作で、スクリーンショットも溜めていく。そして次こそが、核心に迫るはずの質問だ。


 ――貴女は殺されたんですか?

 ――犯人を捜しているんですか? その犯人を知っているんですか?


 若い女性が亡くなるとしたら、死因はある程度絞られる。病死や事故死、自殺なら、幽霊になってとしても死の現場や生前の関連した場所に限られるのが普通――心霊現象に普通も何もないけど――のはず。のりこさんの噂にとにかく関連する「拡散」という行為、その本質が「人に知って欲しい」だとすると、そして彼女の死因が殺人だと仮定すると、全てが繋がりはしないだろうか。自分を殺した犯人を捜して、拡散によっていつかと繋がることを待ち望んで、彼女はネットの海を彷徨っているのだとしたら。


 これが、洋平の考えた渾身の、クリティカルな質問だった。のりこさんの目的が犯人への復讐なら、手掛かりを求めているのなら、その動機を言い当てた彼を放っておいてはくれないはずだ。さあ、どうなるだろう――


 乾いた唇を舐めて画面を見守る洋平の目の前で、コメントの受信を示す通知がともった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る