第6話 ふたり

 洋平ようへいの心臓に、針で貫かれたような痛みが走る。驚きを、彼の身体はそのように認識したのだ。


(落ち着け……関係ない通知かもしれないんだから……!)


 いつ投稿したかも分からない呟きが、誰がどう検索したのか、突然「いいね」されるなんてよくあることだ。あるいは、フォロワーの誰かが何かしら話しかけてきたとか。だから、喜ぶのはまだ早い。高鳴る心臓を必死に宥め、自分にそう言い聞かせながら、洋平は通知欄を開いた。

 すると、ごく短い文章が目に入る。いや、文章にすらなっていない、ほんの数文字のコメントが届いていたのだ。


 ――武井法子。


 法子。のりこ。人の名前を表す四つの漢字。それが、norikoから送られたものだと気付いた瞬間、洋平の心臓はさっきよりも強く痛んだ。針どころじゃない、まるでナイフで刺されでもしたかのように。驚きと緊張と興奮が彼の血圧を上げ、身体に負荷をかけていた。のりこさんに祟られるまでもなく、ショック死するのではないかと、ちらりと頭をかすめてしまうほど。

 のりこさんが、質問に答えてくれたのだ。そう、認識するのとほぼ同時に、また通知のアイコンに数字がともる。それも、二つ、三つと次々に増えていく。


「おいおい、嘘だろ……」


 高揚に掠れる声で呟く彼の目の前で、通知欄に次々とコメントが表示されていく。


 ――24

 ――殺された

 ――助けて


 それは、彼が先にnorikoに投げた問いに対する答えだった。年齢は、死因は、目的は。とても端的な、文にも会話にもなっていないコメント。でも、確かに意味がある。キーボードの操作でその全てをスクリーンショットに収めながら、洋平は次のコメントを待った。もちろん、norikoが「普通の」人間で、都市伝説を演出して面白がっているのだとしたら、これすらも悪戯である可能性は否定できないのだけど。でも、たとえ作りごとフィクションだったとしても、こんな緊張と興奮が味わえるなら、それを記事にできるなら上出来だろう、とも思えた。

 次の答えは、彼が考えた中ではもっとも重要な問いに対するもののはずだった。誰が「彼女」を殺したのか、という。悪戯の可能性を考えれば、答えによっては公開でいないかもしれないけど。norikoは何を言い出すのか、あるいは、「中の人」は、どんなストーリーを紡いでくるのか。息を詰めて青光りするパソコンの画面を見つめていると――


 ――やめろ

 ――黙れ

 ――邪魔するな


 立て続けに通知欄に流れたコメントを見て、洋平は面食らった。ジェットコースターに乗って、じわじわと上昇して急降下を待ち望んでいたところで止まってしまったかのような。


 ――全部嘘。でたらめ

 ――信じないで

 ――信じて

 ――嘘つき嘘つき!


 連続して表示されるコメントは、もちろん全てnorikoからのものだ。最初はちゃんと――と言えるのかは分からないけど――彼の質問に答えてくれたようだったのに、どうして逆のことを言いだすのだろう。これでは、まるで、norikoのアカウントをふたりの人間が操っているようにも見える。洋平の通知欄に、同じアカウントからのコメントが並ぶ。でも、発言者のアイコンに目を向けなければ、ふたりの人間が言い争いをしているのかのよう。

 訳が分からないまま、洋平は手元のパワーストーンを撫でた。水晶のひんやりとした感触で、少しだけ冷静さを取り戻す。それが良いことか悪いことかは別として……ロクなことにならないんだろうな、という予感も、覚えはしたけど。記事にするならもう一歩踏み込まないと、と思えてしまったのだ。


 ――あなたはのりこさんですか? のりこさんは、一人じゃないの?


 そして一瞬考えてから、またキーボードに指を走らせる。


 ――どっちがのりこさんなんですか?


 ふたりの人間が彼に答えを返しているように見えて仕方なかったからだ。ふたりの……人間、なのかどうか。少なくともひとりは殺されたと言っている訳だし、のりこさんはネット上の幽霊だという噂なのだし。どちらかが――あるいは、どちらも、この世のものではないのかもしれない。だから、踏み込んではいけないところなのかもしれないな、と、書き込んでからひやりとした思いも、あった。


 彼女……も、考え込むか、あるいは迷うかのような一瞬の後。また、受信の通知が現れ、新しいコメントが流れてくる。今度は単語だけのものではなく、画面を埋め尽くすかのような文字の塊が押し寄せてくる。


 ――私私私私私私私私私私私私私

 ――嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘


「うわ……っ」


 呻きながら、洋平の指は反射的に動いてまたスクリーンショットを撮っていた。幽霊とリアルタイムでチャットのようなことをしている、なんて。あまりにも都合が良過ぎて、ブログ記事に載せたとしても合成と思われないかが心配なくらいだった。彼自身は取材や調査のつもりなのに、それこそ質の悪いフィクションとでも思われてしまいそうで。――むしろ、その方が受けが良いくらいだろうか。


(どうせ作り物だとか言われるなら――)


 思った以上にコミュニケーションが取れてしまっている。そのことに気を良くして、ふと、悪戯心が芽生えてしまう。言葉が通じる相手なら、質問に答えてくれるなら、今はまたとない好機チャンスでもあるはずなのだ。のりこさんの謎に迫り、正体を明かすための。他でもないから、情報を聞き出せるかもしれないのだから。

 やり過ぎかも、と思ったさっきの書き込みへの緊張も、過ぎてみれば薄れている。更に言うなら、葉月はづき千夏ちかの炎上騒ぎを見た時の興奮も――薄れるというか、恐怖だけが褪せて、好奇心はいよいよ強まっているような気がした。葉月千夏のケースとは違って、彼はまだのりこさんの姿を見ていない。彼の投稿に、のりこさんが写り込む、なんてことはまだ起きていないのだ。

 それなら、彼の質問は、のりこさんチャレンジと同じことだ。こっくりさん的に、質問に答えてもらっているだけ。もしかしたら買い集めたお守りの効果なのかもしれないし。


 ――のりこさんは二人いるんですか? 武井さんはどっちですか? 身元を証明するようなことを、教えてもらえませんか?


 お守りやパワーストーンを手元に引き寄せながら、またひとつ質問を書き込む。武井法子、二十四歳。享年ということなのだろうか。全国の行方不明者か殺人事件の被害者をあたれば、同じ名前と年齢の人間もいるのだろうか。そうだとしても、住所や出身地の情報があれば探しやすい。次回のブログの記事でこのやり取りを紹介して、「のりこさんが教えてくれた名前の女性が実在するか、調査を進めたい」で〆る。そうすれば更に次の記事のネタにもなる。もちろん、名前はイニシャルで伏せて――そんな、ムシの良い妄想というか皮算用をしていた時だった。


「――え?」


 洋平の視界が、白く染まった。同時に、顔に冷気を感じる。そして、キャスター付きの椅子が後退し、回転しながら倒れた。お守りの鈴が床に落ちて、りんと涼やかな音が聞こえた。そう、聞こえただけだ。洋平の目は、白く冷たい何かに塞がれたまま。椅子ごとひっくり返されるような形で床に転げ落ちても、ずっと。


(うわ、うわ……!)


 闇雲に腕を振り回すと、手にも冷気が感じられた。声を出すことも忘れて、必死に首を振る――すると、やっと目を塞ぐから逃れることができた。


(――うで……!?)


 それは、パソコンのモニターから生え出た腕だった。命を感じさせない青白い肌、実際触れれば氷のように冷たいのは、今しがたの経験で分かっている。それも逃れられたのは一瞬のこと、すぐに洋平を目指してその腕はまた伸びてきている。


「来るな……っ痛!」


 叫びながら転がると、鈴と同じく落ちていたのか、パワーストーンの水晶玉を身体で踏むことになって痛みが走る。それに耐えて身体を丸めるている間にも、目の端にあの白い手が迫る。それから――


 洋平の目の前に、これまた白い足が伸びていた。恐る恐る顔を上げると、フリルのついた長めのスカートが視界に入る。その上のブラウス、白い首、顎、鼻筋――その更に上にあるはずの目は、カーテンのように垂れる前髪に隠されて。


 葉月千夏の騒動ですっかり見慣れた「のりこさん」が、洋平の部屋にも現れたのだ。

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