第3話 のりこと法子
(何なんだよ、なんで、こんな……)
混乱を極める
カフェのテーブルに、まるでグループの一員のように腰掛けて。展望台のガラスに寄る人たちから少し離れて、遠巻きに覗くように。テーマパークの混雑の中、人ごみに紛れるように、けれど確かにカメラを向いて。同じ女、やけに白い、見ている方が寒気を催すような顔色の女が写っている。明らかに違う人々、違う場面なのに、その女はいつも同じ服装、ブラウスとスカートを纏っていた。そんなところからも、
「こんな、こと……」
「とても、ショックだろうと思います。こんな、突きつけるみたいなことをして、すみません……」
舌もまた隆弘の意志によらず勝手に動き、呻きを漏らした。それに律儀に反応して、矢野氏は頭を下げる。一度は胡散臭く見てしまったのは間違いで、最初の印象通り、やっぱり礼儀正しい人なのかもしれない。知人の――
「……いえ、違うと、思います」
「え……?」
「あの、武井は、割とそういうの迂闊な方で……その、個人情報とか。多分、自撮りとかも気軽にネットに上げちゃうような、そんな奴だったんで。だから、こんな、悪戯に使われちゃって……」
ネットに上げた画像は消すことはできない。持ち主の意図や管理を離れて、思わぬ形で出回ってしまうこともある。その程度の知識は、隆弘にもあった。あるいは、その程度の知識しかないからこそ、彼は漠然とネットというものを恐れていた。SNSに耽溺する武井法子を眺めて、そんなところに入り浸って大丈夫なのかと、心配もしていた。
(だからだよ、あいつ、だから気を付けろって……!)
震える声で、隆弘は矢野氏に訴えた。口元が引き攣る感覚がしているのは、歪んだ笑みを浮かべているからだろう。もちろん、何も楽しいことはない。武井法子が死んで、悪霊となってネットを彷徨っているなんて嘘だと思いたかった。彼女の迂闊さゆえに画像が出回ってしまっているだけだと、矢野氏に言って欲しかった。そのための、媚びるための笑みだった。
「辻さん」
矢野氏が隆弘に呼び掛ける声と眼差しに、今は哀れみも宿っていた。そう、隆弘だって分かっているのだ。プリントされた画像に写った
だから――どんなに荒唐無稽で信じたくないとしても――矢野氏の話は受け入れなければならない、のだろう。少なくとも、みっともなく縋るようにして否定してもらおうとするのは時間の無駄だ。分かっては、いるのだけど。
矢野氏はまた、何かを隆弘に差し出してきた。今度は紙ではない、スマートフォン――彼女のものだろうか。薄暗い画面は、設定されたホーム画像ではないだろう。三角のアイコンがあるということは、動画のようだ。
「これも、見るのはお辛いと思うんですが……。辻さんを、お呼び立てしたことにも関わることなんです。それに、見ていただくのが、その、分かり易いと思うので……」
「…………」
隆弘が画面に注意を向けたのを確かめてから、矢野氏は「再生」のアイコンをタップした。
スマートフォンの小さい画面の中に映っているのは、誰かの私室だろう、と見えた。見知らぬ壁紙と家具は、他人の家を覗き込んでいるかのようで少し居心地が悪くもある。いや、そんな気分なんてどうでも良いことだ。動画の主な被写体は、その場所ではない。画面の真ん中に、ぬっと聳えるように佇む、
(法子……!)
そして、隆弘としては見たくない、認めたくなかったものでもある。画像だけならともかく、動画になると加工の難易度は数段上がるのだろう。テレビなんかでよく見る「心霊動画」とは違って、矢野氏が見せてきたものはあまりにもはっきりとくっきりと
「これは……」
「私の、亡くなった彼のスマートフォンに残っていたものです」
「彼氏さんが……」
矢野氏が軽く眉を寄せたのを見て、隆弘は息が詰まる思いを味わった。武井法子の
「武井は、そんなことは――」
しない、と断言することはできなかった。隆弘が武井法子のことを知っていたのは、もう何年も前のことだ。その当時でさえ、突き刺さるようにしてスマートフォンの画面に食い入っていた彼女のことを、訳が分からないと思っていたのだ。まして、死んだ――認めざるを得ない――後のこと、心霊現象として噂されるようになってしまった後のことだったら、彼が確かに言えることなど何もない。恋人を亡くしたばかりの人を前に、その犯人かもしれない存在を庇うことなど、一体どうしてできるだろう。
でも、言葉を詰まらせた隆弘に、矢野氏は小さく頷いた。皆まで言わなくても分かっている、と言いたげに。
「はい。武井法子さんは、違う、と私も思っています」
「それは、どういう……?」
尋ねると、矢野氏は視線だけを巡らせて周囲を窺った。日常の会話で笑い合うカフェの客たちの誰も、彼らふたりに注目していないのを確かめたのだろう。傍目には、彼らは何かのホームページか動画でも覗いているように見えるのだろうか。ふたりして顔を強張らせているのを不審に思われなければ、だが。
「これ……写っているの、武井法子さん――と、呼ばせてもらいますね――だけじゃないんです。ここ――分かりますか?」
矢野氏はスマートフォンの画面をタップすると、動画をコマ送りで再生した。マニキュアを施していない指先で示される辺りを見ると、確かに、彼女が何を言わんとしているか分かる。
撮影者――矢野氏の恋人、なのだろう――の動揺か恐怖を表してか、画面は激しく揺れていた。コマ送りで全ての動きががたついているのと相まって、凝視していると酔いを感じそうになるほどだ。そこに映るのは、白い影――武井法子――だけ、ではない。画面を横切る白い帯は、確かに普通の家の中にはないであろうものだ。リボンかテープのようにも見えるが、色の質感は武井法子と同じ、つまり死者を思わせる、不気味な白すぎる白。それに、不思議と厚みがある。細長く引き伸ばされた円筒形の、それは――
「……手……?」
隆弘が呟いた瞬間、画面がひと際大きく乱れた。撮影者の腕や、パソコンが置かれたデスクを一瞬写した後、カメラは回転して天井を写し、そして止まった。撮影者の手からスマートフォンが弾き飛ばされた、という感じだった。
「……はい。武井法子さんのものではない、手、です」
矢野氏は溜息と共に答えると、スマートフォンを操作してホーム画面に戻した。多分、あの動画を見るのは彼女にとっても恐ろしく辛いことなのだろう。彼女の声も指先も震えていることに、隆弘は気付いてしまう。
「彼が遺したデータを見て、思いました。のりこさんという現象を構成するのはひとり――と、言って良いのか分からないんですけど――だけじゃない。心霊写真として目撃される女性と、この
スマートフォンをテーブルに伏せて隆弘の目を真っ直ぐに見た時には、矢野氏の目には確かな決意が宿っていたけれど。
「辻さん――貴方なら、武井法子さんを救えるのではないか……それは、私の恋人の、敵討ちにもなるんじゃないかと、私は、そう思っています」
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