第2話 死の理由
「朱莉さん、ですよね……? こんなことになるなんて――」
「あ、お話聞いてます……わざわざ、ありがとうございます……」
噂程度に聞いていた人たちにも頭を下げられるのは、彼の両親にされるのとはまた違った居心地の悪さがあった。ありがとう、なんて言ってしまうのも適当かどうか分からないし。朱莉は洋平の彼女でしかなくて、妻でも婚約者でもないんだから。これが結婚式の二次会で初めて紹介された、とかだったら、満面の笑みで対応することができていたし、それで間違っていなかっただろうに。
「この度は、とても残念なことでした」
四十代くらいだろうか、眼鏡が似合ういかにも中間管理職、といった雰囲気の男性は、洋平の上司だという。この人も、彼の話に度々出ていた。愚痴も不満もないではないようだったけど、洋平は職場に概ね満足していた。葬儀の場に駆けつけた人の数でも分かる、彼の人生は充実していて恵まれていて――決して、こんな終わり方をすべきではなかった。
「無断欠勤をするような人間ではないと思ったんですが、電話もメールも繋がらないし……様子を見て自宅に行ってみるか、とも考えていたところだったんですが」
「はい……私も、そんな感じで、行ってみたんです」
「見つけてあげられたのは良かったのでしょうが、お付き合いしている方にはさぞ辛いことだっただろうと……本当に、お悔やみを申し上げます」
「いえ……」
洋平の両親に対してと同じく、この上司に対しても朱莉は堂々と接することができない。真摯にいたわってもらえるだけのことなんて、していないと思うからだ。洋平の部屋を訪ねたのも、心配する気持ちはもちろんあったけど、あのメールの件でもやもやと苛々としていたのを早く問い質したいという理由もあった。だから、朱莉は他の人たちが思っているような優しい彼女じゃなかったのだ。
(あのメール……洋平は、どんな気持ちで……?)
でも、それでも。彼を発見したのが朱莉で良かったと思う。
洋平の死亡推定時刻は、あのメールの受信時刻とほぼ重なった。彼は自分の死をはっきりと認識して、最期に朱莉に連絡することを考えてくれたのだ。それに、彼の部屋の異様な様子を見るのが、彼女でまだ良かった。会社の同僚程度の人が見るには
何より、朱莉なら彼の
朱莉の通報でやってきた警官は、洋平の部屋のキッチンで震える彼女を一旦置いて、奥の部屋へと入って行った。そしてしばらくして出て来た時、彼は戸惑ったような曖昧な笑顔を浮かべていた。
「ここ……前からこんなでした?」
人の出入りがあったことで、室内に漂う異臭――死臭であり腐臭なのだと、朱莉は気付いてしまっていた――も多少は薄まっていた。朱莉の鼻が慣れたということもあったのだろうけど。ハンカチで口と鼻を覆いながら恐る恐るドアを潜って、シートの下に隠された洋平の姿はできるだけ見ないようにして。朱莉もすぐに、警官が何のことについて言っていたかに気付いた。
「いえ……」
しきりに首を捻る警官たちに、彼女も大した情報を提供できないのは残念だったけど。不安や驚き。それに悲しみ。当然湧き上がるべき感情を抑え込むように、あるいはそれらを上書きするように。真っ先に当惑を覚えてしまうのも、彼を見つけた瞬間の後ろめたさと相まって朱莉の胸に苦い痛みをもたらした。
臭いを吸い込まないように浅く呼吸しながら、朱莉は室内を見渡した。彼女自身も横になったことがあるベッド。付き合っている相手の家だからそういうこともあったし、単に昼寝や仮眠で使わせてもらったこともあった。洋平のパソコンを置いた机。朱莉としてはあまり快くは見ていなかった彼のブログを執筆したり、SNSに入り浸ったりするツール。それでも、一緒に次のデートや旅行先のリサーチをしたり、ふたりで動画投稿サイトを見たりして笑い合った思い出もある。そういった家具やものの配置は、朱莉の記憶通りだったけど――
(何、これ……)
洋平の部屋は、明らかにおかしかった。最初に入った時は、洋平の無残な姿に気を取られて気付かなかったけど、改めて少し冷静になって目で見てみると以前はなかったもの、あるはずのないものがあちこちに見つかった。
部屋の四隅には、小皿に盛られた白い粉が置かれている。ベッドが占める一角には、ご丁寧にというかヘッドボードに。白い粉の粒子の感じからして、飲食店の入り口でもよく見る盛り塩だろう。それに、床に――洋平の傍に散らばる石、というか鉱石というか。硝子のように砕けて鋭い断面を見せているものもある。透明なのやピンクがかったのや紫がかったのがあるそれらは、パワーストーンと呼ばれるような類だろうか。当惑のままに視線を巡らせれば、壁にも窓にもお札が貼ってあった。お札、と断言してしまうのは、長方形の紙に達筆の筆で崩した漢字や五芒星、朱色の印が押されたものをそうとしか表現できなかったからだ。
振り向いた扉にもそのお札があるのに気付いて、朱莉は軽く身震いした。見知った部屋に溢れる見知らぬ品の数々が不気味で仕方なかった。その空間で洋平が――死んで、しまったのだとしたらなお更だった。ひやりとした冷気を首筋に感じて軽く飛び上がると、窓から入ってきた夜風だった。夜になって気温が下がったこと自体は自然だけど、部屋の中に吹き込んでくるのは異常だった。だって、窓にもお札が貼ってあった上に、ガラスには穴が開いていたんだから。
「調べてみないと何とも言えませんが、どうやら外傷はないようで――持病とか、あった方でしたか?」
「多分、ない……と、思います。アレルギーとかも、特には……」
朱莉が首を振ると、警官たちはそうですか、と頷いて洋平の部屋からそっと押し出してくれた。扉が再び閉まると、死臭は遮られて、洋平の遺体も見えなくなって――そして安堵すると同時に、罪悪感が襲ってきたのはその瞬間が最初だった。彼のことを誰よりよく知っているはずの朱莉が、実は何も知らないことに気付かされて。彼を見つけてからの反応も、恋人を亡くしたにしては薄情過ぎるのに思い当たって。
「婚約者さんですか?」
「いえ、そういう訳では……彼女――いえ、お付き合いしていた人で、メールが返ってこないので、心配で」
「そうでしたか」
みっともないほどしどろもどろになる朱莉に、その警官は優しく頷いてくれた。多分、事故や急な死に触れて混乱する人間への対処の仕方に慣れているのだろう。宥めながら、それでもしっかりと話を進めていく話術は心得たものだった。
「親族の方じゃないとできない手続きもありまして。ご実家の連絡先は――?」
「すみません、それも……。あ、スマホになら、入ってると思います……!」
洋平といるとき、彼の実家からの着電があったことが確かあった。常識的に考えても、実家の連絡先は登録されていることだろう。やっとまともなことを言えた、と思って息を吐いた朱莉の前で、でも、警官は閉まった扉の向こうに呼び掛けた。
「あれ、スマホってそっちにあったっけ?」
鑑識というのだろうか、洋平の部屋にも何人かの警官が入って調査をしているようだった。そのうちのひとりが扉の隙間から顔を覗かせると、同僚の質問に答えた。
「いや、まだ見つかってないなあ。鞄の中か、どこか、上着のポケットにでも入ってるか――」
それを聞いて朱莉は少し不思議に思った。洋平が暇さえあればスマートフォンを弄っていたことはよく知っている。その癖を少なからず苛立たしく思っていたくらいなんだから。自宅でも、パソコンをつけていてもそれは変わらなくて、SNSの通知が見やすいとか、そちらでしかブックマークしていないサイトがあるとか、何かと理屈をつけてはスマートフォンを手元に置いていた。だから、いつもなら、彼の手元にスマートフォンはあるはずで、探すのに手間取ることなんてあり得ないはずだった。
部屋の中の有様はもちろん、そんな些細なことからも違和感は積み上がって行った。そして同時に、メールにすぐに返信をしなかったことに対しても、朱莉の罪悪感は募っている。衝撃と悲しみから心身を立て直すだけの時間が経った後でも、あるいは、だからこそ。洋平の葬儀の席にいて、彼と関わりのあった人たちと言葉を交わしながらも、朱莉は考えずにはいられない。
彼は、洋平はどうして死んでしまったのか。部屋の外、植え込みの陰から見つかったスマートフォン――そこに遺されたデータから、真相に辿り着くことができるのかどうか。彼の部屋に来た警官のひとりは、お札やパワーストーンの欠片を見て、オカルトにでも嵌ってたんですかねえ、と呟いた。すぐに同僚に不謹慎を咎められていたけど。朱莉も、聞こえない振りをしたけど。
でも、もしかしたらそれは正しい指摘だったのかもしれない。最後に会った時、洋平は怪談を調べていると言っていたんだから。SNSに蔓延る都市伝説のようなその現象は――確か、のりこさん、といったはずだ。
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