第3話 真相に近づく

 洋平ようへいの葬儀の後、週末までの数日を朱莉あかりは通常通りに出社した。配偶者ではない、ただの――としか言えない――恋人の訃報だから、忌引きを申請することなんてできなかった。有給休暇を取るくらいのことはできたかもしれないけど、彼女は敢えてしなかった。もっと後で使うことになるかもしれない、という予感がしていたのだ。


「顔色悪いけど大丈夫?」

「彼氏と喧嘩でもした?」


 同僚の何気ない問いかけに何でもないですよ、と答えるのには、かなり気力を消費されたけど。特に後者のものに対しては。でも、洋平のあんな最期を人に言えるはずもなかった。




 そして洋平の遺体を発見してから最初の土曜日、朱莉はまた彼の部屋に来ていた。洋平の両親と待ち合わせて、遺品の整理をするために。


「男の子のひとり暮らしなのに、意外と片付いてて……それは、良かったな、って。……朱莉さんが、片付けてくれていたのかしら」

「いえ……洋平さんが、散らかっているのが好きじゃないって」

「そうなの。昔は整頓ができない子で……でも、大人になっていたの、ね……」


 片付いて見えるとしたら、長谷川はせがわ夫妻がこの部屋に足を踏み入れる前に、警察の許可を取ってお札や盛り塩の類を慌てて処分したからかもしれない。生前の洋平がそれほどずぼらではなかったのは事実だけど、彼の両親に半ば嘘を吐いたことになったのには胸が痛んだ。それに、何気ないはずの会話の端々でも、朱莉は勝手に傷ついてしまう。


(本当に……半端な関係だったんだな、私たち……)


 洋平の母は、朱莉の名を呼ぶときに一拍の間を置いた。下の名前で呼んでも良いのかどうかと、迷ったのが聞こえた気がした。朱莉としては、苗字で呼ばれる方が線を引かれたようで切なかっただろうから、むしろ嬉しいくらいだったけど。でも、彼女の方でも、長谷川夫妻に呼び掛ける機会がないよう、洋平の名を口にしなくても済むように注意を払っていた。お義父さんお義母さん、なんて呼べるはずがない一方で、長谷川さん、と呼ぶのも他人行儀過ぎないかと思ってしまって、訳が分からなくなってしまうから。


 ぽつぽつと故人の思い出話をしながら、朱莉は長谷川夫妻と部屋を片付けていった。傷んでしまっていた冷蔵庫の中身を筆頭に、食材系は廃棄するしかなかった。ふたりで少しずつ開けていたリキュールの残りを流しに空けた時は、もう流れないと思っていた涙で視界が滲んでしまったりもした。数の多くない食器類も衣類も、思い出になるようなものだけ残して多くはゴミになってしまう。ベッドなんかの家具も家電も、手配していた業者に次々と運び去られていく。




 そして部屋の中がすっかり片付いて、まるで家主が引っ越した後のようながらんとした状態になると、朱莉は長谷川夫妻と顔を見合わせて笑った。もちろん何かがおかしいからということじゃなくて、他にどんな表情を浮かべたら良いか分からないからだ。だから笑顔といってもどこか気の抜けたような、何とも言えない曖昧な表情だった。


「朱莉さんは、それだけで良いの……?」


 洋平の母が示したのは、朱莉が形見分けにもらった遺品を収めた段ボール箱だった。朱莉が彼に送ったジャケットに、本が何冊か。ペアで使っていたグラスと茶碗。割れ物は丁寧に新聞紙で包んである。


「はい。後は、ご家族で分けてください」


 それに、箱で送る訳にはいかないのが洋平のパソコンと――画面に罅の入ったスマートフォンだった。個人情報の塊とでもいうべきもので、朱莉なんかが引き取ることに難色を示されるかもしれないと思ったけれど。でも、長谷川夫妻は快諾してくれた。


「あの、画像を確認したら、出力してお送りしますので……。洋平さんの、最近の顔が分かるように……」


 パソコンやスマートフォンに保存されているであろう個人情報については、責任をもって破棄することを真っ先に約束していたのはもちろん、多分、朱莉がそう申し出たのも良かったんだろう。成人男性ならよくあることだろうけど、洋平はそうしょっちゅう実家に帰っているようではなかったから。朱莉が横に映っているのは必要ないにしても、何回か行った旅行の時の写真や、スマートフォンで撮影した日常の一コマは、両親にとっては絶対に欲しいものに決まっている。


「年寄りにはそういうことは分かりませんから――良い写真がありましたら、ぜひ、お願いいたします」


 だって長谷川夫妻の目に焼き付いているのは、きっと死後数日経ってから発見された息子の遺体なんだろうから。彼のもっと明るい顔、生きている時の笑顔を、朱莉としても見せてあげたかった。

 目元を抑えながら何度も頭を下げる長谷川夫妻に、朱莉も同じ動作を繰り返して、そして洋平の部屋の扉は閉ざされた。鍵を不動産会社に返却すれば、この部屋はもう彼のものとは呼べなくなる。事故物件となってしまったここに、次は誰が住むのかどんな説明がされるのか。それは、朱莉には知る由もないことだった。




 一人暮らしの自宅に帰ると、朱莉はまず洋平のパソコンを立ち上げた。パスワードは、彼のイニシャルと誕生日を表す数字四桁。彼が操作しているのを隣で見ているだけでも分かってしまうから、安易すぎるんじゃない、なんて言ったこともある。でも、今となってはパスワードを知っていて良かったと思う。


 デスクトップ画面が表示されると、朱莉はあちこちのフォルダをクリックしては開いてみた。画像に音楽ファイル、ブラウザの――ネットには繋げていないけど――お気に入り。それに何より、文書フォルダだ。「blog」「memo」といった下層フォルダに小分けにされたファイルのタイトルを見るだけで、洋平の興味関心がどの辺りにあったのか分かる。そのものずばり、「のりこさん」という名前のフォルダも見つかった。だから、故人の心を覗き見る後ろめたさを抑えて、朱莉は更新日時が一番新しい――彼との最後のデートの日付だった――ファイルを開いた。


 タイトルのように記された最初の一行は、「都市伝説『のりこさん』のトリガーは何だ?」だった。


(これ……本当は私に言いたかったのかな……)


 続く文章は、例の「のりこさん」とかいう怪談というか都市伝説について考察されたものだった。のりこさんについて、朱莉は洋平から聞いた限りのことしかしらない。人を呪い殺す、ネット上の幽霊。亡くなったモデルのSNSに出現した心霊写真。友達を欲しがる寂しがり屋、とも言っていたっけ。でも、不幸の手紙のように誰かから紹介されるものとまでは聞いていなかった気がする。彼女が聞き流しただけかもしれないけれど。

 自分のことを筆者、と呼ぶ文体から、洋平はブログの記事にすることを意識してその文章を書いたようだった。全世界に向けてこんなことを大真面目に、なんて思うと、彼が亡くなった今でも恥ずかしいと思ってしまう。そしてそんな自分が嫌になる。朱莉がもっと興味を示して上手く相槌のひとつも打ってあげられていたら、こんな文章が作成されることもなかっただろうに。


 とにかく――複雑な感情を抜きにして努めて冷静にその文章を読んでみると、筋は通っているように思えた。のりこさんが「被害者」を選ぶ基準は、より多くのフォロワー、つまりはより多くの人間と接触する機会を求めてだということ。そしてが自身をしたがる理由は、何か伝えたいことがあるからではないか、ということ。


「洋平……だから……!?」


 盛り塩にお札にパワーストーン。そのファイルに記された文章を全て読んで、見るからに怪しかった洋平の部屋の様子に説明がついた気がして、朱莉は思わず小さく叫んでいた。彼は、のりこさんに対して「実験」を、何かしらのアプローチをするつもりだ、と結んでいたのだ。あの異様な光景は、のりこさんと接触する際のお守りにするつもりだったのか。でも、彼は具体的に何をするつもりだったのだろう。洋平が遺した最後の文章がこれだ。あとの計画は、全て彼の頭の中にしかない。ほかに手がかりが遺されているとしたら――


「何を、やろうとしたのよ……!」


 スマートフォンは、洋平の部屋の外から見つかった。窓に開いた穴の大きさからして、そこから投げ捨てられたと見てほぼ間違いないらしい。ほとんど肌身離さず持っていたそれを、彼が自分から乱暴に扱うなんて。のりこさんはSNSを通じてする幽霊。洋平は、もちろんスマートフォンからもSNSを閲覧していた。画像や動画の保存にも、一番手っ取り早い機器でもある。


を見れば、分かる……!?)


 スマートフォンに手を伸ばし、スワイプひとつでロックを解除する。指先でSNSのアイコンを探しながら、朱莉は緊張に唾を呑み込んだ。

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