川村陽菜子 許さない

 食堂のテーブル、お弁当の空き箱や、パンやおにぎりのパッケージが並ぶところに、スマートフォンが付き合わせられる。それぞれ様々にデコレーションされたり、中には画面が派手にひび割れたりしているのもある。とにかく、どれもSNSの画面が表示されているのは同じだった。SNSの、特に通知欄。いつもは友達とのメッセージや「いいね」のやり取りで埋まっているはずのそこに、今は誰の画面にも同じ表示が出ている。


 ――のりこさんにフォローされました。


 ユーザー名も、その横に表示されたアイコンも同じ。長く重い前髪で目を隠した自撮り画像は、まさに「のりこさんごっこ」で陽菜子ひなこたちが扮したのと同じ姿だった。その顔が、ずらりと並んだスマートフォンに揃って映されている。合わせ鏡を覗き込んだような感覚に、陽菜子はくらりと軽い目眩のようなものを覚えた。同じ顔が並んでいるというだけでも不気味なのに、ましてや「のりこさん」という名前だなんて。あの、SNS上で友達を求めているという噂の、幽霊と同じ名前!


「何、これ……」

「本物ののりこさん、じゃないよね……?」


 同じアカウント――人、という気にはなれなかった――に、グループのメンバーの全員がフォローされている。その異様さに、皆も気付いたんだろう。だって皆、ただの女子高生だ。もともとフォロワーが多い訳でもないし、内輪にしか分からないであろう投稿ばかりのアカウントなのに、わざわざフォローしようと思うなんておかしい。そもそも、「のりこさんごっこ」をやったばかりの変なテンションだって残っている。たとえ本物ののりこさんじゃないとしても、幽霊ごっこを切っ掛けにフォローされたのだとしたら、気味が悪いなんてものじゃなかった。


「なんだ、皆、一緒だったのお?」


 ただひとり、美月みづきだけはあっけらかんとした顔をしている。つまんないの、と呟きながら軽く唇を尖らせているのは、自分だけがじゃないと明らかになってしまったからだろうか。つまり、美月の「のりこさんごっこ」の画像が特別凄くて、だから、のりこさんの愛好家ファン――そんなのがいるのか分からないけど――の目に留まったと、そういうことではないようだった。それが、不満なのだろう。


 陽菜子としても、美月だけだったらどんなに良かったか、と思う。美月は、普通の子とは違う。特に、陽菜子みたいな地味で取り柄のない子とは。美月だったら、本物ののりこさんに取り憑かれてしまったとしても、幽霊なんて撥ねのけそうな明るさと強さを持っているから。でも、陽菜子はどうだろう。美月たちに言われて、嫌々「のりこさんごっこ」に参加しただけなのに。……それでも、一緒くたに巻き込まれなければならないんだろうか。


「あ……えっと、のりこさんって、誰かに……『紹介』しなきゃいけないんだよね……?」

「え? それは、のりこさんに離れて欲しい時でしょ? ヒナ、怖いの!?」


 陽菜子がおずおずと声を上げると、不機嫌そうな表情から一転して、美月は満面の笑みを浮かべた。美月はいつもこうだ。この子にとっては、陽菜子のやることも言うことも、何もかもあり得ない、信じられないらしい。そして、それを指摘するのが愉しくて堪らないようなのだ。


「怖いっていうか……ちょっと不気味で。『紹介』っていっても、誰にすれば良いのかな、とか……」


 多分、何を言っても美月に気に入られることはないと、自分でも分かっているからだろう。美月に対する時、陽菜子は自分でも嫌になるくらい歯切れが悪くてはっきりしないことしか言えなくなってしまう。これじゃ、美月にバカにされるのも仕方ないと思ってしまうくらいに。

 そんな陽菜子に小さく鼻を鳴らす美月の表情は、苛立ちと喜びが同時に現れていた。それにとても可愛い。可愛いから、陽菜子は美月に見捨てられるのが何より怖い。


「ただ変な人にフォローされただけじゃん。嫌ならブロックしちゃえば?」

「そんな! のりこさんはブロックしちゃいけないんでしょ!?」


 幽霊ののりこさんだって、見捨てられることと同じくらい怖かったけど。だから、美月の提案は論外だった。のりこさんは、友達が欲しい幽霊なんだから。ブロックなんかしたら、怒ってしまうということなんだから。

 陽菜子が狼狽えて悲鳴を上げたのも、美月にとっては面白いことだったらしい。グロスでつやつやとした唇が、綺麗な形の弧を描いた。こちらの不安を弄ぶような残酷な表情でさえ、美月はとても可愛かった。


「じゃあ、ほっとくしかないんじゃない? 良いことあるかもよ? のりこさんに会いたくて探してる人だっているくらいなんだから。むしろラッキーだって」


 美月にそう言われてしまうと、もう反論できなくなってしまうのは、陽菜子だけじゃない。皆にとっても、美月は「絶対」だった。

 お昼休みも終わりに近づいて、それぞれの教室に戻らなければいけない時間でもあった。だから――美月以外のグループの面々は、陽菜子と同じく、割り切れないもやもやとした顔をしていたけど――その場は、スマートフォンをしまってテーブルを片付けるしかなかった。




 午後の授業の間は、もちろん他のクラスの子と話す機会はない。そして放課後は放課後で、それぞれ部活や塾の予定がある。だから陽菜子は、昼休みの後は例ののりこさんについての話を誰ともすることはなく家路に着いた。美月とは同じクラスだし、下校前に少しはお喋りもしたけれど。でも、またのりこさんのことを話題に出す勇気は陽菜子にはなかった。

 おどおどして、どもってしまったり。意味もなく――美月にはそう見えるだろう――怖がっていると思われたら、うざがられてしまうかもしれない。それが怖かった。




 就寝前の貴重な自由時間、陽菜子はスマートフォンを覗き込み、いつもより一生懸命に指を動かした。友達へのメッセージや「いいね」も、普段よりマメに。普段ならスルーしてしまうような、独り言のような投稿へも、どうにかコメントを捻り出して送っていく。

 そして、グループの友達も陽菜子と同じことをしているようだった。だから、陽菜子から見えるSNSはいつもより賑やかで、皆が異様なほどテンションが高く見えた。まるで、何かにはしゃいでいるみたい。


 でも、実際は違うのを陽菜子は気付いてしまっている。だって、彼女自身が気味の悪い嫌な感じを拭うことができないんだから。きっと皆、同じ気持ちなんだろう。だから、必死なほどに呟くことを見つけては発信しているんだ。そうすれば、通知欄は友達とのやり取りだけで埋まるから。誰々さんからのメッセージです。いいねされました。馴染みのアイコンと一緒に表示されるそんな通知で、のりこさんのフォローの通知は押し流すことができるから。


 ――wwww

 ――もー、サイコー!

 ――やばw

 ――ちょ、待ってw


 あまりにも中身のないやり取りに、皆もコメントのバリエーションが尽きてきたのが分かる。でも、その甲斐あってか、のりこさんの通知はもうずっと下まで画面をスクロールしないと見えなくなっている。誰にフォローされているかなんて、わざわざフォロワー欄を見に行かなければ分からないし。今のところ、からは何のアクションもないことだし、このままどうにか忘れられると良い。

 仄かな希望に縋るように、またひとつ、何かしらを投稿しようと指に力を入れようとした時だった。通知欄に、新たなメッセージが表示された。


(のりこさんだ……!)


 忘れられるかも、なかったことにできるかも、という希望は一瞬にして遠ざかる。冷水を浴びせられたように、さっと全身から血の気が引くのが分かった。通知欄に、またも自撮り画像が現れている。のりこさんだ。

 のりこさんのメッセージは、美月が投稿した「のりこさんごっこ」の画像を引用して、さらに美月や陽菜子、グループの子たちに宛てた形式になっていた。だから、今頃は皆も、自宅のベッドの上や勉強机で、陽菜子のように恐怖と衝撃に襲われているはずだ。


 ――パクリでいいね稼ぎとかむかつく。許さないからね?


 のりこさんのメッセージを読んで。その意味を認識するにつれて、寒気はどんどん強くなった。指先が凍ったようになって、手も震えて、スマートフォンを取り落としそうになる。それは、スマートフォンがひっきりなしにバイブレーションしているからでもある。「のりこさん」のアカウントは、改めて見るとフォロワーの数が多かった。陽菜子たちのグループなんか、問題にならないくらいに。その、沢山のフォロワーたちが、引用された美月の画像に、のりこさんのコメントに反応している。「いいね」して、拡散して、コメントをつけている。その通知が、陽菜子のアカウントにも届いているのだ。


 ――何これ、パクリなの?

 ――JKじゃん。学校特定はよ

 ――のりこさん意外と心せまいーw

 ――最近の子は色んなことするなあ。

 ――やっぱのりこさんも怒るよね!肖像権の侵害だよね!


 一度にこんなに沢山の通知を受け取るのは初めてのことだった。それも、全く知らない人から。中には、美月や――多分、陽菜子の素性だって探ろうとしている人もいる!


(どうしたら、良いの……!?)


 何か、メッセージを返さなければいけないのだろうか。でも、なんて言えば良い? 幽霊相手に、謝って済むの? 本当にのりこさんなのか――いたずらだと、信じ切れれば良いのに。でも、こんな、炎上めいた状況は確かに現実の、逃げることができないものだ。


「何、これ……っ!」


 どうすれば良いか分からなくて。陽菜子は弱々しく呻くと、スマートフォンを投げ出した。

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