のりこさんごっこ
川村陽菜子 のりこさんごっこ
前髪用のウィッグ、なんてものがあるのを、
(これで、良いのかな……?)
塾の帰りの、ターミナル駅。そこに直結したファッションビルのトイレにて。陽菜子はウィッグ付きのカチューシャを弄んでいた。さっと被るだけで、真っ直ぐに切り揃えた厚めの前髪に変身できる、ということだけど、明るめの茶色の毛色は陽菜子の地毛とは合わなくて、どうにも取ってつけた感じが拭えない。もっと高いものなら自然に仕上げることもできるのだろうけど、陽菜子の小遣いで手が届く範囲だとこれが精一杯だった。茶髪でなければ黒すぎる髪色のしかなくて。それはそれでダサく見えるだろうと思ってこちらにしたのだけど、果たして正しい選択だったのかどうか、自信がなくなってきてしまう。
「もう。恥ずかしいなあ……」
美月はスプレーで前髪に合わせた色に染めれば良いじゃない、と簡単そうに言っていた。メイクにもファッションにも詳しい美月ならそうできるのかもしれないけど、陽菜子としてはスプレーの色選びでも何か間違いをしでかしそうだし、この先使う予定もないものにお金を使う気にはなれなかった。このウィッグ付きカチューシャだって、きっと一回しか使わないんだから。だからこそ、安っぽいのは分かった上で雑貨屋のもので済ませることにした訳だし。美月たちに誘われて――言いつけられて? ――断れなかった、悪趣味な遊び。心霊写真に似せた自撮り画像を撮ってSNSにアップする、とかいう不気味なイベント。のりこさんごっこ、とかいう。
参考になる画像は、SNSを検索すれば幾らでも出てきた。青白いメイク、ファンデーションを厚く塗った、ざらざらした肌の質感。唇にもファンデーションを乗せて、できるだけ色を消す。心霊写真なら、ゾンビっぽく傷跡をつけたりしないの、と思ったけど、どうやらそういのは邪道らしい。雰囲気で
それに何より、撮影場所も。いかにも幽霊が佇んでいそうな一角を見つけて、スマートフォンを構える。そして各々タグをつけてSNSに投稿して、一番「いいね」をもらえた人が勝ち。つまり、「強そうな」画像を撮るためには、必然的に夜、出歩かなければならない。それも、できるだけ街灯の光も届かないような暗がりを探して、覗き込んで――想像するだけで、気味が悪いし怖いと思うのだけど。皆が乗り気な以上は陽菜子にはどうすることもできない。
親に知られたら、もちろん叱られるであろうことだ。だから、塾の帰り、先生に質問するから遅くなる――そんな言い訳を親に対して用意できる今日みたいな日じゃないと、チャンスはない。そして、鏡の前で愚図愚図しているだけ家に帰る時間は遅くなってしまう。明日も、学校も部活もあるというのに。
「これで、良いよね……?」
だから、こんなコスプレめいたことは気が進まないんだけど。そんな自分を吹っ切らせるために、陽菜子は鏡に向かって小さく呟いた。地毛とあわないウィッグの色も、白すぎるメイクも、室内の灯りの中だと安っぽく不自然でおかしかった。恥ずかしいけど――自撮りするのは暗いところなんだから、多分、それなりに見えるだろう。そう、思いたかった。
前髪で目を隠せるのがせめてもの救いだった。ウィッグの
そんな、まったりとした雰囲気のフロアを抜けて、陽菜子はビルの外に出る。建物からあまり離れる気はないから、良い感じの撮影場所を早く見つけないと。
(ここにしようかな……)
陽菜子には美月たちと違って「いいね」の数を競うつもりなんて全然ない。ただ、ハブられない程度に皆と話と合わせることができれば良いだけで。あまり手抜きだと思われるとそれも良くないんだろうけど。夜の暗がりを怖がる気持ちと、友達との人間関係を怖がる気持ちの板挟みになった陽菜子は、空のショーウィンドウの前で立ち止まった。がらんとしたステージがほの白く浮かび上がって、雰囲気がある……かもしれない。磨き上げられたガラスが鏡のようになって、ナニカが写ってそうでもあるし。実際に写ってしまったら嫌なんだけど。
かしゃり。
スマートフォンのシャッター音が意外に大きく響いて、陽菜子は小さく飛び跳ねた。彼女が今いるところは、改札やタクシー乗り場、バスロータリーのいずれからも少し離れた場所にある。昼間なら行き交う人も多いのだろうけど、この時間ではわざわざこちらに来るもの好きはいない。しんとした中に、ただ一人。そんな状況が急に怖くなって、陽菜子はばたばたと改札に向かって駆けだした。同時に、カチューシャをむしり取って鞄に突っ込む。メイクも、家に帰るまでに拭き取らないと。美月のアドバイスに従って、拭くタイプのクレンジングをちゃんと買ってあるから。画像は、電車の中で投稿しちゃおう。ちらっと見ただけだけど、目はちゃんと隠れてたから上げちゃっても大丈夫。加工しないで勝負、が約束だったんだから。
そんな風に、やるべきことを頭に並べるのも、恐怖に意識を向けないようにするためだったんだろう。
陽菜子は、帰りの電車に揺られながら自撮り画像をSNSに投稿した。ルール通りに、のりこさんごっこ、のタグをつけて。さらに、仲間内のメッセージグループでも、ちゃんと上げたよ、と発信しておく。それからメールやSNSをチェックしている間に電車は自宅最寄りの駅に着いたし、車内の明るさや人の気配は暗闇の怖さを忘れさせてくれた。
自宅に着いてからは着いてからで、陽菜子にはやることが多かった。事前に連絡はしていたとはいえ、娘の遅い帰りを心配して咎める母親を宥めて。カロリーを気にした軽めの夕食というか夜食――塾帰りに菓子を摘まんでいたし――を摂って、お風呂に入って。塾と学校、それぞれの宿題を終わらせて翌日の予習までこなすと、もう寝る時間だ。見たいテレビ番組もあったけど、勉強の片手間にBGMのように流して、たまに画面に目をやる程度。だから、スマートフォンを弄る余裕なんて、少なくとも平日の夜にはない。
そういう訳で、陽菜子が次にスマートフォンに触れたのは翌日の朝のことだった。これもある意味では予習に入るのかどうか。昨日の間に友達の間でどんな投稿ややり取りがあったかを見ておかないと、学校で話題について行けないかもしれない。特に今朝は、昨日投稿した「のりこさんごっこ」への反応も気になっていた。
(あ、良かった……)
朝の満員電車で必死にスペースを確保しながらスマートフォンを操作して、陽菜子は少し頬を緩めた。
――ヒナの、良い感じじゃん!
――これって○○駅?こんなとこあったんだ~
友人から寄せられていたコメントはどれも好意的なもので、とりあえずはああいう感じで良かったらしい。美月なんかは、誰かと連れ立って撮影したのか、白っぽい服でどこかの線路脇に佇む姿を引いた構図で撮っていた。さすが美月、というか、恐怖で腰が引けていた陽菜子とは違って格段に
でも、これで美月の気も済んだだろう。できれば、次の企画はあんまり不気味じゃないやつが良い。美月はどうもこの手の話が好きだから困る。可愛くて明るくて、グループに入れてもらえているのは良いんだけど。
メッセージに返信するのは――満員電車の中だと、難しい。それでも、「いいね」くらいは返した方が良いだろう。ちゃんと見たよ、と伝えるために。お礼を言うのは、実際に顔を見てからで良いだろう。
画面をタップしようと伸ばした陽菜子の指先で、通知がひとつ、灯った。友達は夜遅くまで起きてる子が多いけれど、今、このタイミングで投稿を見てくれた子もいるのだろうか。少しだけ不思議に思いながら、陽菜子は通知のアイコンをタップして誰からの反応かを確認する。
すると、そこに表示されたのは彼女が知らないアカウントだった。知らない名前、とは言えない。その名前自体は、陽菜子も知っている。……一応は。
――のりこさんにいいねされました。
新しい通知は、そう、陽菜子に教えてきていた。
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