のりこさんによろしく

悠井すみれ

杉田麻里

第1話 この子は私の友達です。

 のりこさんは寂しがり屋の幽霊です。生きていた頃から、SNSで可愛いものや楽しいものを集めたり、友達とおしゃべりしたりするのが好きだったそうです。だから、幽霊になった今でも同じことをしているそうです。

 のりこさんにフォローされてしまったら、すぐにブロックやリムーブしてはいけません。友達に絶交されたら悲しいし、怒ってしまいますよね。のりこさんは怒らせると怖い幽霊になってしまうんです。

 だから、のりこさんにフォローされても慌てないでください。祟られずに離れてもらえる方法があるんです。友達が欲しくてSNSに留まっている幽霊だから、友達が減らなければ良いんです。だから、他の友達を紹介してあげましょう。その友達には事情を話して、また同じことをしてもらうようにして。のりこさんが次のをフォローしてくれたら、あなたはもうフォロー解除しても大丈夫です。




 * * *




 杉田すぎた麻里まりがそのメッセージに気付いたのは、塾帰りの電車の中でのことだった。つまりは、放課後から塾の講習が終わるまでの数時間の間に受信したメールやSNSでの進展をチェックしようと、スマートフォンを取り出した時のこと。

 扉近くの一角、他の乗客の乗り降りに煩わされないスポットに陣取って。教科書類や化粧ポーチの入った重い鞄を腕に下げて、片手にスマートフォンを持って。利き手の人差し指でひたすら画面をスクロールしタッチしていく。友人たちの話題を追って、必要なら簡単なコメントや「見たよ」の証拠にハートを残しておく。大抵の場合は定型文で済むから、最初に一、二文字を入力すれば予想変換からの選択でこと足りる。彼女にとっては日課ルーティンで、ほとんど考えることもなく機械的にこなす作業だった。


 でも、麻里の指があるメッセージの上でふと止まった。返信に考える必要のある――日常の他愛ない報告というか呟きではないものに、目を留めたのだ。


 ――この子は私の友達です。良い子なので気が合うと思います。よろしくお願いします。


ひとみから……? 何なんだろ)


 電車の規則的な振動を感じ、夜の街の灯りが暗い車窓を流れていくのを目の端に捉えながら、麻里は少し首を傾げた。


 メッセージの差出人は、麻里の中学時代の友人だった。それぞれ別の高校に進学したから、最近はもっぱらSNS上だけでのやり取りだ。でも、それだって絵文字やスタンプでデコレーションした華やかなもの、こんな素っ気ない文字だけのメッセージなんて見たことはない。

 それも、そのメッセージは麻里だけに宛てられていたものではなかった。もうひとり、別のアカウントも宛先に入っている。


(noriko……のりこ、さん? ちゃん?)


 瞳のメッセージの内容と併せると、友達を紹介された、ということになるのだろうか。それならどんな子なのか、どういう関係なのか、もっとちゃんと教えて欲しいものだけど。

 旧友のやり方に少し不満を持ちながら、麻里はnorikoというアカウントの詳細を見ようと相手のアイコンをタップした。恐らくは自撮りだろう、前髪で目元を隠し、口元をアップにした構図はありがちなもの。自分の顔をネットに晒すのは迂闊な気がしないでもないけど、一応は個人の特定はできない程度の配慮はされているようだ。そのことが麻里の警戒心を少し和らげていた。


(普通の人、かな?)


「noriko」のページに並ぶのは、ごく普通の日常だった。朝晩の挨拶に、疲れたとかお腹が空いたとか、他愛ないこと。それに、可愛い犬猫の動画とか、話題になバズった投稿の共有とか。フォローもフォロワーも、極端に多いという訳でも少ないという訳でもなくて。普通にSNSを楽しんでいる、実態のある人なのだろう、と判断できた。

 時たま、どうして自分を、と困惑するようなプロフィールや名前の人にフォローされると困ってしまうものなのだけど。友人の瞳の紹介――だろう、多分――があるなら、それにこういう投稿なら、フォローしても問題ないだろう。

 そう判断して、麻里はスマートフォンの画面をタッチして「noriko」のアカウントをフォローした。相手のフォロワーの数と、自分のフォローの数が一つずつ変動する。


 ちょうどその時、降車する駅名のアナウンスが耳に入ったので、麻里は慌ててスマートフォンを鞄に突っ込み、代わりに定期券を取り出した。




 麻里が次にスマートフォンに触れたのは、就寝直前のことだった。夕食に翌日の予習、学校と塾で与えられた課題を終えて。入浴も済ませて、やっとできた寛ぐ時間。寝る前にスマートフォンの画面を見るのは目や睡眠に悪い? そんなこと気にしていられるものか。女子高生にはやることが多い割に拘束時間が長いのだ。


 そして、さっき電車の中では終わらなかったメッセージ類のチェックを進める。スマートフォンの充電がみるみる減っていくのと競うように。熱くなった機体が手を焼くようなのを我慢して。その過程で、「noriko」からフォローが返されているのにも麻里は気付いた。それから、瞳からのもう一件のメッセージも。


 ――さっき、のりこさん送っちゃった。ごめんね! 上手くやっといて!


 さっきのメッセージとは違った砕けた文面は、確かに麻里のよく知る友人からのものだと納得できた。少し、意味が通じないようにも思うけれど。まあ、あの子は前から言葉が足りないところがあったし。やはり知り合いだかを紹介したからよろしく、ということなのだろう。そのメッセージにハートを送りながら、麻里は少し苦笑した。




 充電器に挿して、朝の七時にアラームをセットしたスマートフォンはベッドの枕元に置いてある。マナーモードにしてあるから、夜間の着信や通知で煩わされることもない。麻里が寝る時の、決まった位置だった。

 授業に塾にと疲れた一日の後で、翌日も決まった時間に起きなければならないとあって、麻里はすぐに眠りに就いた。彼女の寝つきは良い方で、いつもなら夜中に起きることはほとんどない。目を瞑って、開けたら朝になっているのが常だった――はず、なのだけど。


(苦しい……?)


 息苦しさを感じて、ベッドの中で麻里は身を捩った。目は閉じたままだけど、目蓋の裏の暗さが朝はまだ遠いと教えてくる。夢、というには生々しい感覚を、ぼんやりと不思議に思いながら、布団の中で仰向けになっている体勢を自覚する。仰向けということは、つまり、寝返りした体勢によって胸が圧迫されている訳ではないということだ。


(やだ。金縛りだ……)


 この状況に当てはまる言葉を思いつくと、麻里の意識は急速に覚醒した。同時に、手足も首も、指の一本さえ動かせないことにも気付いてしまう。なのに聴覚だけは鋭敏で、胸の重さに荒くなる彼女自身の呼吸をしっかりと捉えていた。

 麻里は、霊感だとか心霊現象だとかをさほど真剣に信じたり怖がったりしている方ではない。ただ、それも彼女が人間で、その手の経験も――もちろん金縛りも――経験してこなかったからこそだ。これまでは無縁だったからこそ、突然に見舞われた異常に、心臓の鼓動が早まっていく。その、どくどくという音も彼女の脳を揺さぶって焦りを募らせる。


 この苦しさ、胸の上に何かが乗っているみたいだ。


 パニックに似た心理の中で、余計なことも思いついてしまう。暗闇の中、彼女の部屋にが入り込んでしまっているのか。それに、圧し掛かられているのか。


 見たい。確かめたい。否、見たくない。寝て、朝までやり過ごしたい。


 好奇心と恐怖の間で麻里の心は揺れ動く。どちらにしても興奮を呼ぶ感情で、穏やかな眠りは遠ざかる。相変わらずの苦しさに、息が乱れたままでもあるし。はあはあという自らの呼吸の音を聞きながら、麻里は目蓋に意識を向けてみた。手足と同じく、動かないかもしれない。それなら、見たくても見ることはできない訳だ。苦しくても怖くても、とにかく我慢するしかできないことになる。でも――


(なんで……!?)


 目を開けるつもりは、本当はなかったのに。麻里の目蓋は、あっさりと開いてしまう。むしろ彼女の意思など関係なく、操られてでもいるかのように。

 それでも、最初は視界の端だけを見ようとしたのは、せめてもの抵抗のようなものだったのかもしれない。暗闇にほんのりと浮かび上がる白い壁と天井、壁にかかったカレンダー、机の端に置かれたノート。――目の前にわだかは、見ないように。


 見たく、ないのに。麻里の眼球は彼女の必死の思いを無視して動く。正面に、ピントが合う。合ってしまう。目が、合う。

 深く垂れた前髪の間から覗く、黒すぎる目。その目が収まる白すぎる肌。生きているとは思えない、何かどす黒い空気を纏った女が、麻里の顔を覗き込んでいた。吐息を感じてもおかしくないほどの近い距離で、覆いかぶさるように。やはり色のない唇が、何か囁こうとしてか動く。それを、絶対に聞きたくないと麻里は思った。


 悲鳴を上げようとしても顔を背けようとしても、麻里の身体はまだ言うことを聞いてくれなかった。凍り付いたような舌と喉を無理に動かそうとする痛み。縛られたように動かない手足でもがくことで生じる全身の捻じれと歪み。何より、目を閉じることさえ忘れた彼女が直視し続けなければならない――目の前の、女。


 その全てに耐えられなくて、麻里は意識を手放した。

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