いつか、どこか、誰か⑤
のりこさんは消えてしまった。何度SNS内を検索してみても、あの自撮りアイコンを見つけることはもうできない。日課のようにあのアカウントを覗いては増え続けるフォロワーに苛々していたのも、もう過去のことだ。のりこさん、という単語を含んだ投稿自体も日を追うごとに減っていっている。もちろん、「のりこ」という名前の入ったアカウントは他にも沢山あるけど、幽霊の「のりこさん」についてのもの、ということだ。
のりこさんへの願い事。のりこさんチャレンジと称して話題の場所で写真撮影するゲーム。のりこさんごっこで心霊写真ごっこの出来を競うタグ。それに――夜の空を飛ぶ白い
自分ばかりがのりこさんに関するワードを検索し続けているのは、おかしなことに思える。あんなに気に入らないと思って、見る度に腹に落ち着かない苛々を感じていたのに。今だって、その暗い感情は奥の方で渦巻いているけれど、それ以上に考えずにはいられない。
あれは、一体何だったんだろう。あの、
あの夜、スマートフォンを覗き込んでのりこさんの投稿を追っていた。一体何をする気なのだろう、膨れ上がった期待にどう応えるつもりなのだろう、と好奇心と反発心に駆られて。炎上して痛い目を見れば良い、とも思っていた。でも――まさか、本当に事件になるなんて。
最初に白い
けれど、次々に増える投稿は、作り物ではないと思わせるだけの勢いがあった。投稿者の数自体が多かったのはもちろん、それぞれのアカウントは昨日今日作ったようなものじゃなくて、長年に渡って投稿や交友関係を積み重ねてきたような――中身のあるアカウントだった。少なくとも、追いかけて確認できた範囲では。
画像の方に注目しても、撮影した場所も角度もそれぞれに違って、当然のように映っている
「なのに、消えちゃうんだもんなあ……」
スマートフォンの画面をそっと撫でて、呟く。
それまでの苛立ちはどこへやら、あの夜は不覚にも興奮してしまったのだ。これからどうなるのか、何が起きるのか。カメラが来てる、という投稿を見てテレビをつけてみると、まさにスマートフォンの画面と同じ映像が映っていたりして。事件に立ち合っている、という感覚は、確かに楽しかった。逃げようとする人たちと、その悲鳴に惹かれて押し寄せる野次馬のせめぎ合いが、SNS上の投稿で見て取れる気がしたものだ。
なのに、のりこさんはアカウントごと消えてしまった。追及が及ぶ前に自らアカウントを削除して逃げた、という説もあったし、当局――一体どこのことなんだか――によって消された、という説もあった。もしも世間の混乱を見て楽しもうという愉快犯だったとしたら、まんまと手中に嵌ってしまったということになるだろうか。
真実が何にしても、のりこさんと一緒にあんなにいたフォロワーも消えてしまった。いや、のりこさんをフォローしていたアカウントは残っていても、あれだけの注目を集めた、その中心がもういない。あんなに羨ましく妬ましく、指を咥えて眺めていた存在が、こんなにあっさりと消えてしまうなんて。ネット上での人気や評価なんて、しょせんは虚しいものだったんだ。
自分のアカウントの画面を覗いてみる。フォロワーの数字のところをなぞってみる。のりこさんに比べれば、吹けば飛ぶような小さい数字だ。こんなちっぽけなものに、どうしてあんなに夢中になっていたんだろう。あの夜の高揚が醒めるにつれて、SNSへの執着も薄れていっているのが、はっきりと分かる。
「……消しちゃおう、か……?」
アカウント削除画面を開いてみる。「退会する」というボタンに触れて、でも、削除する勇気はまだ出せない。声に出して、自分に問いかけてみても、後押しにはまだ足りない。多分、そうした方が良いと分かっているのに。SNSに費やした時間や労力や心の余裕を、もったいないと思ってしまう。偽ったことも多いし、人間関係も惜しむようなものではないと分かっているのに。でも――思い切って、やらなくては。
「――っ!?」
思い切って、目を閉じて「退会」ボタンをタップしようとした時――手首が、冷たいものに掴まれた。
「何、これ……!?」
目を見開いて、そしてなお、視界に映るものが信じられなくて、呻く。
手首に白い指が食い込んでいる。痛いほどに締め付けて、動きを妨げるその指は、スマートフォンから生えていた。画面からにゅっと突き出す白い手、白い手首。白くて――冷たい。死体のような感触だ、と思った。
「――のりこさん!?」
ありえない白い
――違うよ。一緒にしないで。
スマートフォンの画面は、いつのまにかSNSのメッセージ欄になっていた。ど真ん中から
――いらないなら、消したりしないでよ。ちょうだい。みんな、私に。
メッセージが表示されると同時に、手首を掴む指に力が籠った。引きずられる。指先が、スマートフォンの画面に触れて――その中に、吸い込まれる。液晶画面が、水面のように揺らいでいる。指先の、第一関節では止まらない。掌も、手首も。腕も肘も、その上も。
呑み込まれていく。みんな、と言われた通り。自分の全てが
「な――」
悲鳴を上げることはおろか、まともに驚くこともできないまま、肩、そして首までが呑み込まれていった。次は顔。口。もう声を出すことはできない。むしろどうして意識があるのか分からない。ひしゃげた頭がスマートフォンの画面を通る瞬間、横目に新しいメッセージを見た。
――私ならもっと上手くやるから。ずっと見てたから。
もっと――誰より? 見ていたというのは、自分のことか、のりこさんか。これは、のりこさんみたいな存在なのか。のりこさんも
頭が吸い込まれて、後は身体だ。残った方の腕がばき、と音を立てて折られた。白い腕がやったのだろうか。痛くはない――でも、怖い。なんだ、これは。一体何が起きている。背骨、肋骨、骨盤。なんでこんなに細かく砕けてしまうんだ。今、どんな姿になってしまっている? この頭は――頭の形をしているなら――何を見て感じて、認識している? 何も見えない。分からない。なのにどうしてまだ考えることができるんだろう。
腿までが呑み込まれたので、せめてもの抵抗に脚をばたつかせる。でも、無駄だ。
これ、後はどうなるんだろう?
ふと思いついた疑問は、何よりも、この状況自体よりも恐ろしいものだった。肉体が全てのみ込まれてしまったら、後に残るのはスマートフォンだけ? 自分は、失踪したように見えるのだろうか。
そんなのは、いやだ。
叫ぼうとしてもそんなことができる口はもうなかった。そして、考えている間に
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