第22話 望む人柱(後編)
「芥主任のことだが……」
備え付けの長椅子に僕と円を座らせ、秋野さんは壁に寄りかかりながら曇った顔つきで口を開く。
「私が言うべきことではないかもしれないが、主任が今後君たちの顧問として復帰するのはかなり難しいだろう。残念なことだが……」
「難しいって……どうしてですか?」
いきなり聞かされた絶望的な知らせに僕は小さく抗議する。だが秋野さんは僕たちに対する敵意はなく、むしろ気遣ってくれている様子が声色から感じられた。
「さっき主任と直接会ってね。スタッグ計画の人員補充のため、彼をメンバーに正式に加えるとの方向で上層部は話を進めているらしい。そう主任が話していた」
「え……!? せ、先生……が……?」
さらに打ち明けられた事実に僕は言葉を失った。
芥先生がスタッグ計画の正式メンバーになる。それはつまり先生が秋野さんたちと同様にあのパワードスーツを纏いイレイズと戦うことを意味していた。しかも、先生に散々侮辱や暴行を働いたあの石上姉の下で。
「それは……命令、なんですか? あの人の……」
驚いた顔つきでありつつも、感情を押し殺した口調で円が尋ねた。
昨日の惨状を見れば、凶悪なイレイズに対してパワードスーツが戦力にならないことは明らかだ。ただ闇雲に戦わせて負傷者を出して、石上姉はこれ以上何を実験しようと言うのか。
だが、秋野さんは首を小さく横に振った。
「いや、主任自身の上層部への申し出だったそうだ。自分がスタッグ計画のメンバーに入れてほしい。その代わりに、この街のビショップ……つまり君たちの人事には干渉しないように、とね」
「先生、なんで……」
「芥主任は元々、ビショップ本部で研究班をまとめていた役職のある方だから、直接上層部と話が出来る数少ない人間なんだ。恐らくは、交換条件のようなものなのだと思う。直接頭を下げられたとあれば、上層部の方々も無下にはできないのだろう」
先生は「君たちのことは絶対に守る」と最後に言い残して姿を消した。秋野さんの語ったことが本当ならば、陰陽部は今まで通りのメンバーでいられる。円と僕も、離れ離れにならないで済む。僕が一番危惧していた問題は解消されていたのだ。
だがそれが先生の犠牲の上に成り立っているのならば、やはり素直に喜ぶことなど出来ない。それに、さっき秋野さんの口から気になる単語が飛び出してきた。
「あの、人員補充ってことは……その……」
僕はそこから先を口にすることが恐ろしかった。芥先生が人員補充として参加、ということは先生が誰かの代わりにあのパワードスーツを着て戦うのだ。思い当たるのは、昨日サソリのイレイズによって何度も胸部を貫かれ、動かなくなった『2番機』の装着者。
まさか、先生が面会した入院患者とは……
「あぁ……そうだ。主任も私も、今日はそのために来ていた。残念ながら、彼とは話が出来る状況ではなかったが……」
秋野さんは苦虫を噛み潰したような表情で答えた。言葉をぼかしてはいたが、その顔から『2番機』の人が今どんな容態なのかはなんとなく推察できた。昨日のあの人はきっと「まだ」話が出来ないのではない。「もう」話が出来ないのだ。
「……すみません……」
「君が気に病むことはない。彼も私も、全て覚悟の上でこの計画に参加していた。無論、このような結果になることもな」
僕はただ頭を下げて詫びることしか出来なかった。
あの状況でイレイズをまともに相手に出来たのは、僕と石上だけだ。妨害されていたとはいえ、1分でも2分でも早く反抗の意思を示して行動できていたら、失わずに済んだ命があったのかもしれない。自惚れと言われるかもしれないが、それでも悔やまずにはいられなかった。
「……どうして、そこまでしてあんな人の下で働いているんですか? あんな、大人を道具にして遊んでいるような人なんかのために」
僕は心の奥から言葉を絞り出すように尋ねた。
今までの石上姉の言動を見れば、彼女の行動の目的が人類の未来のためとか、人々の命のためとか、そんな崇高なものではないただの恨みつらみであることは明らかである。直属の部隊で使われている秋野さんたちにだって、そんな事は分かりきっているはずだ。
「勘違いしないでほしい。我々も、本心から彼女に忠誠を誓っているわけではない。この計画に志願したのは、我々個人の意思だ」
秋野さんは僕の問いかけを毅然とした態度できっぱり否定した。
「私も『2番機』の彼も、息子がいたんだ。君たちと同じくらいの年齢のね」
「お子さん……ですか?」
何かを察した円が訊き返す。
「ああ。息子たちはプロメテの適合者として選ばれて、ビショップとなった。そう、今の君たちと同じような状況だ。戦うことのできない我々に代わって、息子たちは人々が知らない裏でイレイズと日夜戦い続けていた」
息子がビショップだった。それだけで、秋野さんが何を語りたいのか僕も少し分かってしまった。
彼の口から出る情報は、全て過去形だ。その先のことは、正直聞きたくない。
「だが、息子たちは今はもういない。彼らはイレイズとの戦いで、命を落とした」
「…………!」
淡々と事実を語る秋野さんに、僕は胸が詰まる思いに駆られた。
ビショップの戦いは、いつだって命懸け。常に死と隣り合わせ。僕だって初めてプロメテを使用した時から覚悟はしていた。しかし、それを口に出すのはやはり簡単なことだった。
こうして「死」を目の前で語られた時、僕はその重さに寒気立っている。
「私は、息子が死ぬのを安全な所からただ見ていることしか出来なかった。プロメテの適合者になれない我々大人には、イレイズと戦う手段はない。だからこそ、我々は『スタッグ計画』に志願したんだ」
秋野さんの覚悟は、子供である僕にも痛いほど伝わってきた。大事な人が傷付いたり命を落としたりしていた中で、今まで見ていることしか出来なかった自分が戦う手段を得られるのならば、僕だって喜んで志願すると思う。例えそれが戦力としては僅かなものであっても。
しかしその結果があの惨状なのは、僕はどうしても納得できなかった。あのまま石上姉の元で戦い続けるということは、秋野さんたちの息子と同じようにイレイズによって蹂躙され無残な形で命を失うということだ。
「秋野さんは、良いんですか? それで……」
「今の技術でイレイズに敵わないとしても、実戦を積み重ねれば未来でより完成度の高いスーツを作ることが出来る。そうすれば、もう君たちのような若者を危険な戦場に送り込まずに済む。我々は、そのための礎でいいんだ」
僕はもう何も言うことが出来なかった。秋野さんたちに待ってる未来が破滅しかないものだとしても、きっと悔いはないのだろう。それを否定することは僕には無理だ。生きてきた経験が足りなすぎて、その気持ちを押し測りきれない。
でも大人としての責任を果たすというのは、本当にそんな事なのだろうか。僕の頭の中では、言葉にできない気持ち悪さが纏わりついて離れなかった。
「私もやる事が残っている。暗くならないうちに君たちも帰るといい」
最後に秋野さんそう促され、僕と円は病院を後にした。すっかり日も傾いて、道中では帰宅に急ぐ人々の話し声や車の往来で賑わっている。
だが、あれから円は終始無言で俯いたままだ。彼女から見れば、きっと僕も同じような顔をしているのだろう。
(先輩に、何て報告しようかな……)
とりあえず、奥村先輩の危惧していた問題は初めから杞憂だった。石上姉の裁量で僕たちの誰かが首を飛ばされる心配もない。引き換えに先生とはもう会えなくなってしまうかもしれないという、さらに大きな問題に直面しているのだけれど。
「いっちゃん……」
重々しい空気の中、僕の後ろを歩いていた円が口を開いた。振り返ると、彼女は怒っているのか悲しんでいるのか分からない複雑な表情を浮かべていた。
「私ね、今までずっとイレイズと戦ってさえいれば良いんだと思ってた。それがお母さんの敵討ちでただの自己満足だったとしても、一体でも多く倒せばそれだけ助けられる人が増えるんだから」
「……うん」
彼女の言葉に僕は静かに頷いた。
「いっちゃんや私たちが戦っているのは、人のため……だよね? 許せないって、憎いって思うのはイレイズだけで良いはずだよね?」
「円……あの人のことが許せない?」
僕の心の中では、石上姉に対する怒りの感情が確かに渦巻いていた。
僕や円を死んだ息子と同じような目に遭わせない。そのために命を捨てる覚悟で戦っている秋野さんたちの気持ちを知っているはずなのに、そんな彼らを玩具のように使い倒して悦に浸るのを、僕はどうしても許せなかった。
「分からない。でも、この気持ちが『許せない』……って言うのかな」
だんだんと円の顔つきが沈んだものから、無感情なものに変わっていく。自分の中で整理がついていないのかもしれないが、彼女の目が据わっている様子から僕と同じように怒りを覚えているのが感じられた。
「嫌だよね。怜ちゃんのお姉さんも私たちも、人のために戦っているはずなのに。あの人のこと、私……嫌い」
「円……」
きっぱりと円が誰かに対して嫌悪感を示したのを、僕は初めて目にしたような気がした。誰に対しても人当たりがよく、昔は笑顔が絶えなかった彼女にここまで言わせるとは相当だ。
しかしどうして、同じビショップでもここまであのような悪辣な人間が出来上がってしまうのか。同じ環境で育った妹の石上は不器用だが優しい性格だというのに。
「とにかく、今後のことはみんなで考えよう。奥村先輩には僕から連絡して……」
重い空気を引きずったまま帰るのも気が滅入るので、話はここで切り上げて僕は再び歩こうとした。
その直後、周囲の音が一瞬で掻き消える。
「えっ!?」
周囲の音だけでない。歩いていた人までもが一瞬にして消えて、車道では車がピタッと静止していた。
この空間にいる人間は、僕と円だけだ。
(魔鐘結界!?)
僕たち以外の誰かが魔鐘結界を開いたのだ。目的はただ一つ、イレイズの出現だ。
「円、何か感じる?」
僕は彼女の方に視線をやった。結界に巻き込まれたということは、円はイレイズの場所を気配で感じることが出来るはずだ。
だが、円は焦ったように首を横に振る。
「ううん、何も……イレイズの気配、どこにも感じないよ」
「じゃあどうして……」
敵が現れた訳でもないのに魔鐘結界が開かれたのは不可解だ。そもそも、イレイズの出現なら普段は奥村先輩から連絡が来るはず。だが、スマホを開いてもそのような知らせは全くない。
そもそも、この結果は誰が開いたのか。
「……何か嫌な予感がする。いっちゃんも準備して!」
「う、うん!」
円と僕はポケットからプロメテを取り出し、それぞれの左手首に翳す。身体に溶け込むようにプロメテが消え、感覚がなくなったタイミングで僕たちは同時に叫んだ。
『
体内に一陣の風が吹き抜けるような感覚が走り、僕は準備が完了したことを確認する。
「……円!?」
同じように注入完了した円の足元から、突然青白い光が浮かび上がった。光はだんだんと広がり、幾何学的な紋章を形成して僕たちの周りを冷気で包み込む。
その紋章を、僕は見たことがあった。
(まさか……まさか! まさか!!)
心臓の鼓動がバクバクと鳴り響き、首筋に汗が流れる。
まさか、ここまでするのか。これが彼女の宣言していた報復なのか。
今から、何かが起こる。想像しうる中で、最悪の事態が。
「……いっちゃん、逃げて!」
足元が凍りつき、動けない円が僕に叫ぶ。そんなこと言われても、彼女を置いて逃げられる訳がない。
「円……!」
助けようと手を伸ばした時には既に遅かった。
突如、空中から飛来した一本の長い矢が円の腹部を刺し貫いた。
針のように細長く、そして鋭利な氷の矢。
「い、いっ……ちゃ……」
掠れた声で僕の名前を呼び、円はその場に崩れ落ちた。その身体を、僕は慌てて抱き抱える。
(……っ!)
こんな事は初めてだった。あまりに突然の襲撃に、頭の処理が追いつかない。
円は今、僕にもたれかかって倒れている。幼い頃からいつも守ってくれた、優しく誰よりも勇敢な少女。だが、その細い身体はまるで氷像のように冷たく、そして無機質なものだった。
「円!」
僕は大声で名前を叫ぶ。彼女に刺さった氷の矢は一瞬のうちに消え、足元の紋章も無くなっていた。
それでも円の身体は冷たいままで、目を覚さない。
「円ぁーーーー!!」
僕はただ、泣き叫ぶように彼女の名前を呼ぶことしかできなかった。
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