【第1部】 2章
第14話 深夜の来訪者(前編)
人生とは、基本は理不尽の連続で構成されているのだ思う。口に出したら「いきなり何を言っているんだこいつは」と周囲から白い目で見られそうだが、それが生まれて15年と半年ちょっとの僕が行き着いた結論だった。
例えば好きな女の子を追いかけて猛勉強の末に入った高校では落大寸前の成績だったり、街を歩けば人間に擬態した異形の怪物に殺されかけたり、謎の男に半ば押し付けられたよく分からない機械でその怪物と戦わなくてはいけなくなって、その結果さらに学業が疎かになったり。何だかんだ人生はプラマイゼロと前向きな人は言うかもしれないが、人間の記憶というのは圧倒的にマイナスの方が残りやすいものだ。
『人生ってさあ、理不尽だと思うよなあ九条!』
4月も終わろうというある週末の夜、スマホのグループ通話画面の向こうで親友の犬飼が悪態を吐いた。頭の出来が近いからか、丁度同じことを考えていたらしい。悲しいことに、室星学園高校1年1組で僕と犬飼は赤点2人組と認識されている。
『数学の担当が金子じゃなくなって楽な先生になるかと思ったら今度は学年主任で、しかも課題の量もめちゃくちゃ増えてるとか運なさすぎだって俺らのクラス』
「でも金子先生よりも怖い人じゃないからまだ良い方でしょ」
『いやいや何言ってんだ! あの不気味な笑顔でずんずん宿題増やしてくるの、金子と別の意味で怖えよ。あれずるけたら問答無用で補習とかあるぞ。それに先輩から聞いた話だとあのニコニコ顔はまだ第一形態で、テスト近づくと第二形態とか第三形態とかに変わるんだってよ』
「またバスケ部先輩の話か。形態って、どこ星人の話してんのさ」
勉強会と称した駄弁りの会はかれこれ軽く1時間は経過したが、画面の先からぶつぶつと流れてくるのは犬飼の不平不満ばかりでシャーペンを走らせる音すら聞こえてこない。毎週末にこうしてスマホ片手に他愛もない適当なお喋りをしながら山盛りの宿題と向かい合うのは、僕の日常の光景だ。
『ちょっと、あんたらさっきからうるさい。真面目に宿題する気ないんなら電話切るわよ』
スマホの先から女子の冷ややかな声が響く。同じクラスで僕の隣の席に座っている石上怜だ。僕と犬飼だけでだらだらと宿題をしている普段とは違って、今回は彼女も含めて3人での勉強会だった。
「あ、待って切らないで。と言うかほとんど喋ってるのは犬飼だから」
『はっ、どうせ九条だってろくに何も書いてねえ癖に。俺気付いてたぞ、お前途中から書くのやめて漫画読んだりしてたろ』
うぐ、と僕は歯噛みして視線を持っていた単行本から下に逸らした。この男は頭脳は侮られがちだが変な時に勘が鋭い。その言葉の通り、机の上に広げられた大学ノートにはテキストの問題番号だけが書き記されており、書いたり消したりを繰り返してほとんど手付かずの状態である。先生が変わっても僕の頭の中身は変わらないのだ。
『しっかし意外だよな。石上が俺たちの宿題手伝ってくれるとか、どういう風の吹き回しだよ。宝くじ一等が当たるより奇跡すぎるって』
『別に、手伝うとか言ってないわよ。分かんないとこちょっとだけ教えてって頼まれたから、しょうがなく付き合ってやってんの』
『頼まれたって、九条に?』
『そ。どうしてもって言われたからね』
『へー、お前ら知らないうちにけっこう仲良くなってんのな』
通話の向こうでぶつくさと不満げな声が聞こえるが、実は僕はそこまで熱烈に懇願したわけではない。「借り」を作りっぱなしは嫌と石上が言うので、じゃあそれならと提案したのだ。下手に弁解するとしつこく追求されそうになるので黙っているけど。
僕と石上は先述した人間に擬態する異形の怪物『イレイズ』を討滅する役目を負った人間『ビショップ』での仲間同士ある。しかし彼女は2週間前に「上級イレイズ25号」なる強敵との戦いで負傷して、しばらくの間戦線離脱を余儀なくされた。病院に見舞いに行った時に彼女は「大した怪我じゃない」と平然とした口調で言っていたが、頭に包帯を巻き肩をギプスで固めていたので誰が見ても大怪我なのは明らかだった。当然ながら普段の授業も欠席せざるを得ず、細かな連絡などは隣の席の僕が行なっている次第だ。
『んで、あたしもう終わったんだけど、分かんないとこってどこ?』
「早っ! うーん、じゃあ30ページの1番と2番と3番」
『あっ、俺もそこ分かんなかった』
『そこは基本のとこでしょ、このぐらい休んでたあたしでも解けるわよ。まったく……』
文句を言いながらも例題と照らし合わせながら一つ一つ丁寧に解説していく石上。すると序盤でいきなり詰まっていた難問が次々と頭に入っていき僕は感嘆した。彼女の教え方の分かりやすさは並の教師の遥か上を行っている。しばらく入院していたはずなのに難なく解けるとは、やはりと言うべきか頭の出来は僕と相当に違う。
『あとはない? 分かんないとこ』
「え、えっと……4番と5番と次のページの6番と7番」
『俺も俺も。そこ全然分からん』
『って、ほぼ全部じゃん! 少しは自分で解く努力しなさいよダブルアンポンタン!』
いくら何でも図々しかったかスマホの先から怒号が飛んできた。
「ダ……ダブル……アンポンタン……!?」
便乗してきた犬飼と巻き添えで怒られて僕は声を震わせた。薄々は分かっていた。確かに僕は勉強が苦手だが流石にこの男より成績はマシだ、といくら思っていても周囲から見れば所詮はどんぐりの背比べに過ぎないと。
『と言うか……今更あたしが言うのもなんだけど、こういうのってあんたの幼馴染の円とかに頼めば良かったんじゃないの? あの子だってあたしよりも頭良さそうなものだけど』
「うん……まぁ、それは考えたんだけどさ」
前に円から一度ノートを借りたことはあり、その時はあまりの完成度と分かりやすさに愕然としたが、つい最近僕と円との関係性は微妙に変わって頼み辛くなってしまったのだ。
と言うのも、前に25号と交戦したことがきっかけで僕は彼女からライバルと認定されるようになり、戦いにおいても日常においても互いに高め合う仲となった。ただでさえ日々の修行について行くのがやっとなのに、円に勉強の面倒まで見てもらうというのは、そんな彼女の期待を損ねることになりかねない。
『コイツ昔っから見栄っ張りだからな。好きな女の子の前でぐらい良い格好したいんだよ』
「ちょっ! まっ……そういうことなんで言うかな!」
もごもごと言いあぐねている僕の心情を犬飼が全くデリカシーのない一言で代弁する。今まで応援してくれて信頼していたのに裏切られた気分だ。僕の奥手に呆れることはあっても茶化すことはなかったはずなのに。
『あんたも変なとこでプライドあんのね……ま、別にどうでもいいけど』
しかし僕の反応とは裏腹に石上はさして興味なさげに流した。衝撃の爆弾発言を投下された気でいたのだが、あまり驚いていない様子で少し拍子抜けしてしまう。
「石上、もしかして知ってた……?」
『あんた、何でも顔に出るし分かりやす過ぎるのよ。むしろ隠し通せていると思ってることにびっくりだわ』
「うっ」
前に犬飼に同じようなことを言われた記憶が蘇って僕は赤面した。確かに石上は同じビショップである円とも交流があるし、僕も含めて3人一緒にいる機会も少なくはない。しかし知り合ってまだ1ヶ月も経たないのにそこまで察されるなんて、僕はいったいどんな顔で円と話したりしていると言うのだろうか。
『安心しろ、俺はこれでも話題を出す相手は選んでいる。クラスではまだ石上以外には誰も話しちゃいないぜ』
「そんなこと、自信満々に言うなっ」
がっくり項垂れる僕に対して犬飼の声のトーンは実にはつらつとしていた。通話状態のため顔は見えないが、スマホの向こうではさぞ誇らしげな顔をしているに違いない。
その後は小言を言われたり軽く叱られながらも石上の丁寧な教え方によって何とか宿題を片付けることが出来た。時計を見ると午後の10時半を回っている。彼女がいなければ危うく徹夜になるところだった。
『そんじゃ、俺明日は朝練あるから先に抜けるわ。じゃあな』
「そっか、お休み」
軽い挨拶を済ませて犬飼がグループ通話から消える。いつも賑やかな犬飼がいなくなったことで僕の周囲は急に静寂に包まれた。
「なんか色々ありがと。今日は」
『別に大したことじゃないわよこのぐらい。むしろ悪かったわね、しばらくここんとこ』
「えっ?」
『ほら、あたしあの後ダウンしちゃって、結局あんたや円が何とかしてくれたじゃない。あのイレイズのこととか』
「ああ。いやでも、あれはたまたま無事だったのが僕と円だったってだけだから」
彼女が何について謝罪しているのかすぐに分かった。しかし石上はあの時25号から僕を庇って負傷したようなものだったため、彼女がいなければ僕も無事では済まなかっただろう。それに圧倒的な力の差でねじ伏せようとしてきたあの25号をどうやって倒したのか、僕自身もよく覚えていないのだ。石上に「借り」と言われても正直実感が湧かない。
「そう言えば石上、身体の方はもう大丈夫なの?」
『うん……まあね。退院は今日済ませたし、明日からは普通に登校できるわよ。本当は戦うのも全然問題なかったんだけど、姉が少しうるさくって』
「お姉さん?」
『そ、わざわざ県外から見舞いに来たの。いいって言ってたのに』
確か前に「東京から引っ越してきて寮暮らしをしている」と犬飼から聞かされていたが、石上の家族構成や入学以前のことなど僕はほぼ何も知らない。そんな彼女に姉がいる事は初耳だった。
『ちょっとね、過保護な人なのよ。あたしが病室を出ることも許さなくて。だからその後のイレイズ関係でもしばらく役に立ててなくて悪かったわねって、そう言う意味だから』
「義理堅いなぁ」
彼女は過保護と言うが、僕や円が見舞いに行った時に見たあの包帯ぐるぐる巻きの姿を思えば誰だって止めると思う。それにしても、ただでさえ気が強い石上が苦手に思うほどの相手とは、失礼ながらあまりお近づきにはなりたくない人だ。
『じゃ、あたしもそろそろ切るわ』
「ああ、うん。また明日」
そう短く言葉を交わすと、2時間以上続いた通話はようやく終わった。
思い返せば、石上の印象は初対面の時とだいぶ違ったような気がする。愛想がなくいつも怒っているように思えた彼女だったが、今日のように意外に面倒見がいい一面もあった。戦場では実際に命を助けられたことが何度もあったし、借りを返す必要があるのは僕の方かもしれない。
(それにしても……)
石上が気にかけていたように、25号を撃破した後にも規模は小さかったもののイレイズの出現は数回あり、とりあえずは僕と円だけの力で対処は可能なものであった。
しかし、僕が懸念していたのはそこではない。あの25号と再戦した時に身体の奥から湧き出た強い魔力のうねりが急にぱったりと止み、黒く色を変えていた炎もいつもと同じような赤色に戻っていた。その時の感覚を頑張って思い出そうと踏ん張ってみたが、結果は変わらなかった。
「なんだったんだろうな、あれ……」
あの黒い炎に包まれていた時、間違いなく僕は従来の数倍の力を引き出せていた。これから25号と同等、あるいはそれ以上に強力なイレイズが現れた時にあの黒い炎は絶対に必要になってくる。だが現状、僕はその力をコントロールするどころか引き出させる方法すら忘れてしまっていた。ダメ元で円に尋ねてみたりもしたが、どうやら僕のプロメテは彼女も知らない原理で動いているらしく、謎は深まるばかりだ。
何の気なしに僕は部屋着ズボンのポケットから自分のプロメテを取り出してぼんやりと眺めていた。別に常にポケットに忍ばせている訳ではない。この機械は適合した人間をご主人様と認識するのか磁石のように僕からぴったりと離れず、どんなに遠ざけようとしても必ず手元に戻ってくるのだ。
改めてこうして見てみると、初めて見た時の印象と違わずスマホにそっくりである。光に透かしてみたり側面をじっくり観察してみても、特にヒントになるような模様や碑文らしきものは見当たらなかった。
謎と言えば、これを僕に届けた全身黒ずくめの男の正体も届けるよう仕向けた人物も僕は何も知らない。何も知らないのだが、これが届いたその日のうちに僕はイレイズに襲われて、円に促されるまま適合者となって戦った。偶然にしては出来すぎて作為的なものを感じる。
戦う決意が揺らいだ訳ではないが、あのような破壊兵器じみた力を引き出せるのを知ってしまったら、多少なりと恐ろしくなってしまうものだ。
(まあ考えても埒があかないし、今日は寝よ……)
押入から布団を引っ張り出し、就寝の準備をしようとしたその時だった。我が家のインターホンが、ぽーんと鳴り響いた。
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