第14話 深夜の来訪者(後編)


「えっ、だ、……誰? こんな時間に?」


 時間は日付も変わろうという23時。宅配便やセールスにしてはこの時間の訪問はいくらなんでも非常識だ。例によって父は今日も夜通しトラックを走らせていて帰って来る可能性はほぼないし、イレイズが出現したという連絡も先輩からは来ていない。


(ま、まさかね……まさか)


 一抹の不安が頭をよぎり、首筋にぽたりと汗が滴る。確証があるわけではないし、心当たりと言うには弱い。だがもし万が一億が一、訪問者が僕にこのプロメテを押し付けたあの男だしたら、常識が通用する人間とも思えないし何が起こるか想像もつかない。

 居留守を決め込もうと考えた僕を嘲笑うように、二度三度四度と続けてインターホンが急かすように鳴り響いた。諦めて帰る様子もなく、このまま放置してはいつか帰ってくる父親や近所の人と接触してとんでもないことになりそうな予感がする。


(で、出るしかない……か?)


 恐る恐る、足音を消して廊下を進み、玄関のドアスコープをゆっくりと覗いた。


(……何も見えん)


 レンズの先には何も見通せないひたすらに真っ暗な闇が映し出されていた。日付も変わろうという深夜なので当たり前ではあるが、それでも我が家のボロアパートの近所にはそこまで高い建物は多くなく街灯や月の明かりで駐車場の一部くらいは覗けるはずだった。それが何も見えないというのは、視界を遮る大きく黒い影がドアの前に立っているということだ。

 嫌な予感が的中して、僕は大きなため息をつきその場に膝をついた。

 

「もしもし、九条一徹様。いらっしゃるのでしたら、お返事願います」


 ドアの向こうから僕の名前を呼ぶ謎の男の声がはっきりと聞こえた。

 忘れるはずもない。この声の主は、僕に初めてプロメテを届けた全身黒ずくめの男だ。今度はどんな危ない代物を僕に届けに来たと言うのか。

 

「お返事頂けないのであれば、緊急事態ゆえ強行突破の指示も依頼主から承っております。ご容赦くださいませ」

「あ、開けます。開けますから……っ」


 じゃきっ、と何やら固く重い物がドアに当たる音を聞き、僕は慌てて鍵を外した。ドアを開けた先にはやはり約ひと月前に現れた男。真っ黒なスーツと帽子は以前と全く変わらぬ出で立ちだ。


「ひ……ひぇ」


 男の左手に握られていた物を見て僕は小さく悲鳴をあげた。特徴的な持ち手に指をかける引き金、筒のような金属の先端。回転式拳銃、いわゆるリボルバーというやつだ。漫画や映画でしか見たことが無かったが、恐らく本物だろう。まさか日本の街中でこんな物を引っ提げて歩いている人間がいて、しかもうちのインターホンを鳴らすとは夢にも思わなかった。


「きょ、強行突破って……そ、その銃でいったい何を……?」

「ご安心ください。九条様へ危害を加える等の指示は受けておりませんので。ただ、緊急事態ゆえの臨戦体勢はお許しのほどを」


 声を上擦らせながら尋ねたが男は鋭い目つきに似合わず口元を少し上げて怪しく微笑んだように答えた。質問の答えになっていないような気がするが、深く追求したら命の危険を感じるので黙っておく。


「依頼主殿、ターゲットの安全を確認致しました。今後の指示を願います」


 みっともなく震え上がっている僕を尻目に、男が僕ではない何者かに話しかけた。

 その時である。


『近江、君は説明を省きすぎる。もう少し融通を利かせたまえ』

「えっ?」


 突然、周囲に別の男の声が響いた。目の前の男よりは若く、どこかノイズの混じった青年の声である。

 声は男のスーツの胸ポケットに収まっていた小型の機械から聞こえていた。スマホとも携帯電話とも似つかない、小さなボタンに太いアンテナを伸ばしたトランシーバーだ。どうやら声の主はこれを通して話しかけているようだ。


『紹介が遅くなってすまないね、この男は近江活人(おうみ かつひと)。運び屋として僕の代わりに色々と働いて貰っている。愛想はないが、職務に忠実すぎるだけで悪人ではないから信用してくれていい』

「はぁ……」

『そして僕が香月(こうづき)。彼の雇い主だ。君のプロメテを送った者、と言えば伝わると思う』

「……!」


 さらりと口にされたが、香月と名乗るこの男が僕にプロメテを届けさせた人物で、ひいては今の僕の日常を一変させた張本人ということである。予想外の重要人物の来訪に、心臓の動きが早まる。


「あの……僕にこのプロメテを送ったって、一体何のために……? それに……え、えっと」


 頭の中で整理が追いつかず上手く言葉にできない。本当なら尋ねたいことが山ほどあるのだ。僕に届けさせた理由とか、何故僕なのかとか、あの黒い炎は何なのかとか。


『詳しいことは後ほど話す。全てを明かせる訳じゃないが、今はとりあえず近江と一緒に行動してくれ。君は狙われているんだ』

「ね、狙われている……!? わわっ!」


 聞き捨てならない言葉に思わず訊ね返した直後、僕の頭の上にばさっと黒い布らしき物が被せられる。


「少しの間、ご辛抱下さいませ」


 近江は悪びれもしない様子でそう言うと僕の胴体をひょいと抱え上げて走り出した。長身だが細身の外見に似合わずもの凄い力だ。視界が完全に奪われてよく分からない所に連れて行かれるとは、もしかしなくてもこれは普通に誘拐ではなかろうか。


「ちょ、待って! 家のドア開けっぱなしで……いたっ!」


 精一杯の抗議も虚しく僕の身体は放り投げるように落とされた。しかし、背中にごつんと当たるこの感触は地面ではなく何かの乗り物のシートのようだ。

 直後、すぐ近くでエンジンを吹かす音が響き、身体が吹っ飛ぶような感覚に襲われる。間違いなく、バイクに乗せられてどこかに連れ去られているのだ。もぞもぞと手を動かして辺りを触ると、どうやら僕はサイドカーに乗せられているようだ。それもシートベルトも付けられず。


「な、何キロ出してるんですか!? お、落ちる……!」

「ただ今120kmを超えたところです。飛ばないようにしっかり掴まってください」


 ぎゅんぎゅんと全身が揺さぶられ、僕は芋虫のようにその場をのたうち回る。近江は「それが何か?」とでも言いたげに平然と答えたが、僕の自宅周辺は道も細いごく普通の住宅街で、決して首都高を爆走するように飛ばしていい地帯ではない。


『手荒な真似をして申し訳ないが、これも君を狙う奴らを振り切るためにはやむを得ないことなんだ。信じては貰えないだろうが、我々は君を守る立場にいる』

「そう、ですね……っ! 全く信じられないです……!」


 近江のトランシーバーから聞こえる香月の声に対して、僕は怒りをはらんだ口調で吐き捨てた。ここまでの仕打ちを受けるならば、余程の事情が無ければ納得など出来ないだろう。


『さて、どこから話したものか』

「まず僕は貴方がたが何者なのか教えてほしいんですけど」

『プロメテ開発のチームの一つ……とだけ言っておく。すまないが、それ以上は今は言えない』


 プロメテ開発チーム。それは高校で僕の在籍している部活「陰陽部」の顧問教師、芥から度々聞かされていた。新型の開発チームのリーダーが円の父親であるとも。


『君の持つプロメテ……我々の内では0号プロメテと呼ぶ物だが、あれは特別な代物なんだ。使い手を選ばず高い能力を引き出せる反面、制御が難しく内部構造もブラックボックスとなっている旧世代の遺産だ』

「0号プロメテ?」


 香月の口から出た単語に、僕は初めて受け取った時のアタッシュケースに貼られた付箋を思い出した。あれには確か『プロメテ第0号アルファ型』と書いてあったはずだ。とは言われても、特別なプロメテとそうでないプロメテの違いなど僕には分からない。


『0号プロメテはまだまだ未知の要素……プログラムと言うべきか。そう言ったものを多く内包している。その中でも最大の特性はプロメテ自体に搭載された自律思考回路、つまりAIだ。しかも現代の電子技術でも追いつけないほどの完成された……ね』

「はぁ、AI……ですか」


 含みのある言い方をするが、僕のプロメテにAIが入っていたなんて初めて知ったし第一あまりピンとこなかった。イレイズと戦っている最中に謎の幻聴が聞こえたり僕の意思に反して身体が動いたりすれば納得できるが、あいにくそんな記憶はない。それよりむしろ、僕の身体から出てきた炎の蛇は僕の頭に思い浮かべた通りに動いてくれていたような気がする。


『実感が湧かないのも無理はないな。0号プロメテのAIは魔力の発現中、一時的に使い手の脳をハックして最適な行動を促すように機能している。君が初めてイレイズと遭遇した時に誰に教わるまでもなく戦闘を行えたのもそのAIによるものだ』

「えっ! そ、そうだったんですか……!?」


 衝撃の事実に僕は驚きを隠せなかった。今の今まで僕は自分の意思や思考で戦っていたつもりだった。しかし香月の言う通りAIが僕の脳に干渉していたのが事実なら、僕は戦っている時ずっとAIに操られていたということではないのか。そんな恐ろしいものに何度も脳をハックされていたとは、今後の生活環境に悪影響が出そうで心配だ。


『話を戻したい。今回の件は約半月前にそのAIが機能を停止したことに始まった。要因が外的か内的かは定かではないが、毎回私の元に送られてくる君の戦闘データでその日深刻なエラーの発生を確認したんだ。幸い、復旧プログラムが作動したのか自動で数時間後には再起動したみたいだがね』


 半月前。そのワードに僕は妙な引っ掛かりを覚えた。半月前と言えば僕たちが上級イレイズ25号と接触したタイミングと一致する。そしてAIの停止と言えば、思い当たる出来事がひとつだけあった。


(そうか。だからあの時……)


 僕の操っていた炎の蛇は25号の剛腕に握り潰されてその場で消滅した。その瞬間、今まで僕の頭の中に蓄積されていた戦いの経験や判断力、記憶までもがすっぽり抜け落ちてしまった。全てを忘れた僕はその場で動けなくなり、円が救援に来てくれなければ間違いなくあのままなぶり殺しにされていた。

 その後、僕はしばらく戦いへの恐怖に苛まれてみっともなく震えていた。それまで当たり前のように戦えていたのがAIの機能によるものだったらのなら、あの情けない姿こそが本来の僕なのだろう。


『再起動を確認した時、観測した魔力の量はそれまでの戦闘データを遥かに上回った。一部の連中は大騒ぎさ。解析もままならない完全なブラックボックスである0号プロメテに、誰も知らない新たな機能が発現したのだから』

「それが、黒の力……ですか?」

『黒の力? ああ、そうか。その力は君の前で目に見える変化だったんだな』


 聞き慣れない言葉なのか香月が一瞬訊ね返してきたが、すぐに納得したのか一人でに頷いた。

 口ぶりから察するに、彼の言う戦闘データとやらは僕のプロメテにカメラや盗聴器が仕込まれて、そこから見たり聞いたりして得ているものではないということだ。つまり、黒の力を発現させる直前に僕が円に対して恥ずかしいことを口走ってしまったのも、恐らくこの男に聞かれてはいないだろう。安心安心。


『そして困ったことに、大騒ぎした連中の一部が君に興味を持ち始めてね……本来0号プロメテの持ち主の情報はトップシークレットなんだが、上級イレイズを討滅したことで君の存在を隠し続けることも難しくなった。奴らに捕まれば、五体満足に帰って来れる保証はないだろう。どんな手段を使っても君の身体そのものを調べ尽くすはずだ』

「ど、どうしてそんな……そんなことして何になるって言うんですか! だって、プロメテ開発ってことは同じイレイズを倒そうって仲間みたいなものじゃ」

『僕に言えることは、連中はそんな訴えが通用する奴らじゃないってことだ。だから今日、先んじて近江を君の元に送ったんだ。君のことは奴らの好きにさせたりはしない』


 うずくまりながらも、手のひらにじんわりと汗が滲んでいるのを感じる。今まで僕が戦っていたのは、人間の存在を奪うイレイズ。つまりは人類の敵だ。そんな怪物たちを相手にしているのに、どうして味方のはずの人間に狙われなければいけないのか。


「……来ましたか」


 荒々しい運転でバイクを飛ばしていた近江が何かに気付いたのか小さく呟いた。被せられた黒い布から頭を出して周囲を見回すと、いつの間にか高速道路に出ていたらしく殴りつけるような強風で肌寒い。

 その直後、背後からぶるんぶるんと唸る別のバイクのけたたましいエンジン音が耳に響いた。しかも数は恐らく一台ではない。反射的に音の方向に頭をやると、時速180kmは出しているであろう近江のバイクを追走する3つの影があった。街灯の光で一瞬見えるだけできちんと視認できてはいないが、3人とも同じヘルメットを被り同じ車種のオートバイを乗り回していて何らかの集団に属していることが窺えた。

 そしてその内の一人が先行し、距離を詰める。その手に握られていたのは、近江のそれと同じく本物の拳銃。

 謎のライダーは銃口はこちらに向け迷わず引き金に指をかけ、発砲した。


「わ、わーー!」

「伏せてください」


 僕が悲鳴をあげると同時に近江が僕の頭を押さえつけ、ハンドルを大きく右に切る。遠心力でサイドカーから吹っ飛びそうになるのを必死で堪え、僕はシートの凹凸にしがみ付いた。その一瞬後、アスファルトの地面が砕ける音が深夜のハイウェイにこだました。

 既に生きた心地がしないが、あのまま真っ直ぐ走っていたら僕の顔面には大穴が空いていたかもしれない。


『分かっただろう……』


 トランシーバーの向こうで香月が憎々しげに呟く。


『あれが“敵”だ』

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