第15話 バトル&チェイス(前編)

 僕は今、かつてないほどの理解不能な事態に陥っていた。

 端的に説明すると夜のハイウェイを時速180kmを出して爆走するバイクのサイドカーに乗せられて、背後から追走する謎のライダー集団に拳銃で狙われていた。つい30分前には明日の授業で提出する宿題を済ませて就寝する準備をしようとしたのを覚えている。


「あの、香月……さん」

『なんだい?』


 僕はこの状況を作り出した張本人に尋ねた。香月と名乗る男は、僕を乗せたバイクの運転手の近江活人の持つトランシーバーから遠隔で僕たちに声を届けていた。


「話違くないですか!?」


 香月が言うには、敵は0号プロメテを持つ僕の捕獲が目的らしい。しかし先程のライダーの一人は僕たちに接近すると、いきなり銃口を向けて迷うことなく発砲してきた。近江が急ハンドルで躱さなければ鉛玉を顔のど真ん中にぶち込まれていたことだろう。これでは捕獲ではなく暗殺とか抹殺である。


『連中の狙いは正確には君自身ではない。0号プロメテから膨大な魔力を注入された君の体細胞を手に入れることが目的なんだ。そこから得られた染色体データを元に0号プロメテの更なる解析と既存のプロメテの改良、量産。そのためには奴らはあらゆる手を使う。例えその過程でターゲットの命を奪ったとしても、大した問題ではない』

「……めちゃくちゃ過ぎます」

『少なくとも奴らにとっては、0号プロメテはそこまでする程の価値がある代物ということだ』


 開いた口が塞がらないとはこの事だった。否応なしに押し付けられた物のために今度は命まで狙われなければいけないとは。ビショップを支える大人の中には芥先生のように本気で僕たちの身を案じてくれる人もいるというのに、人の命を道具としか見ていない人間もいるとは正直信じたくはなかった。


「僕が死んだら、この0号プロメテはどうなるんですか?」

『回収された後、次の持ち主に移るだろうな。そうそう簡単に適合者が見つかるとも思わないが、世界中を探して1人や2人というほど希少でもない』

「そう、ですか……」


 とすると、今僕の手にある0号プロメテも前に使っていた人がいたのだと思われる。香月の口ぶりから察するに、恐らく先代の持ち主たちは全員お亡くなりになっているのだろう。初めて届けられた日には思いもしなかったが、真実を聞かされた今では呪いのアイテムとしか認識できない。


「……わっ!」


 近江がハンドルを切ったのか急に身体が左右に振られ、それに追随するように銃声が数発鳴り響いた。追走するライダー集団が再び照準を定めて発砲してきたのだ。

 しかし近江は先行するトラックや乗用車を追い抜きながら最高加速で爆走しつつ、さらに背後からの銃弾を次々と回避する。敵方も敵方だが、近江のテクニックもどう考えても人間技じゃない。いったいどんな修羅場を潜り抜けて来ればこんな現実離れした運転技術を会得できるのか、僕には想像もつかなかった。


「では、こちらも応戦するとしましょうか。耳を塞がれることをお勧めします」


 周囲に敵を除いた他の車両がいないのを確認した近江が懐からリボルバーを取り出す。そしてそのまま背後に迫るライダーに狙いを絞り引き金を引いた。


「ぐ……うわああぁぁッ……!」


 至近距離で銃声が鳴り引き、弾丸が何か硬いものに「ガツン!」と当たる音が聞こえた。直後、男の悲鳴と共にライダーのバイクが転倒しハイウェイのガードレールに激突した。転倒したバイクは爆発音と共に黒煙を撒き散らす。


「殺しはしません。後々に厄介事を持ち込みたくはありませんので」

「え、えぇ……?」


 リボルバーの照準はライダーのヘルメット側面に合わせていた。恐らく近江なりの峰打ちなのだろうが、高速道路で時速200km近くもスピード出して壁面にクラッシュすれば、普通の人間は命を落とすと思う。

 直後、煙の向こうからヘッドライトの強い光が僕たちを捕捉した。追走するライダーは残り2人。そのうちの1人が先行し、じりじりと僕たちとの距離を詰める。


「……ふむ」


 近江は少し考える仕草をした後、減速して背後に迫るバイクと並走した。ライダーはその行動に驚きつつも拳銃を構え、引き金に指をかける。

 だが、それよりも早く近江のリボルバーが敵ライダーのバイクの前輪を撃ち抜いた。


「う、うわあぁーーーーッ!!」


 弾丸はタイヤの軸に突き刺さり回転に異常をきたしたか、ライダーはそのまま悲鳴と共に転倒した。

 転倒したバイクの背後にはさらにもう一台。そのまま走行すれば追突は免れなかった。


「……えっ!?」


 しかし最後の一台は激突する寸前に前輪を浮かせ、横転したバイクの上を大きく跳躍した。ウィリー走行からのジャンプの後、見事に着地した敵ライダーは速度を上げて僕たちの前方を走る。

 まるでアクション映画のワンシーンにも似たその動きのしなやかさは、前の二人とは明らかに違う。


「なるほど。少しは出来る相手のようですか……」


 強者と判断したのか近江はアクセルに手を掛け追走する。向こうもこちらを意識して加速を緩め、2台のバイクはじりじりと距離が詰まっていく。

 先に仕掛けたのは近江だった。2台の距離が10m程まで近づいたその時、リボルバーの引き金に指をかけ右前方を走るライダーのヘルメット後頭部に鉛玉を放った。

 だが、敵のライダーは発砲の直前に車体を右に傾かせ弾丸はミラーの枠に突き刺さる。細かいガラスの破片が砕け散るが走行するぶんには致命傷とは言えなかった。

 その後も2発、3発と近江がリボルバーを撃ち込んでいくが、敵のライダーは絶妙な角度で躱し弾丸は車体の端を掠めるだけに留まる。


「ちっ……九条様、困ったことにもう弾がありません」

「ど、どうするんですか!?」


 礼儀正しい言葉遣いに似合わず舌打ち混じりに近江がピンチを告げる。リボルバー銃に装填できる弾数は基本6発だが、どうやらそれ以外に予備の弾丸は持ち合わせていなかったらしい。

 絶妙な距離を保ちながら先行する敵のライダーは、近江の攻撃が止んだことを確認すると車線を急に変更して僕たちの左側に回り込んだ。

 近江のバイクの左側に備え付けてあるのは僕を乗せたサイドカー。つまり手を伸ばせばすぐ届く距離に敵が接近して来ていた。


「う、うわ……っ!」


 敵ライダーはそのまま車体を僕が乗るサイドカーにぶつけ、至近距離で鋭い金属音が鳴り響く。二つの車体が擦れ合い火花を散らしたその瞬間、僕は一瞬だけヘルメット越しに敵のライダーの素顔を見た。


(……女!?)


 はっきりと視認できた訳ではないが、街灯に照らされた時に見えた顔つきと、身体のラインが浮き出るライダースーツから敵の正体が女性であることは分かった。華奢な身体でありながらこれだけの速度と度重なる接触をものともしないとは、凄まじい肉体の強靭さである。

 謎の女ライダーは腰に提げた刃渡り約15cmサバイバルナイフを取り出し、逆手に構えて僕の眼前に振り下ろす。


「ひっ」


 僕が悲鳴をあげたその瞬間、近江が右にハンドルを切りナイフはサイドカーのボディを切り裂いた。下手くそなバイオリン演奏のような金属が擦れ合う騒音に僕は思わず耳を塞ぐ。


「これは、依頼主殿に修理代もツケにしておいて貰わねば割に合いませんね……」

「言ってる場合ですかそんなこと!」


 信じられないことに近江は殺意を持って襲われているこの状況でバイクの修理代の心配をしているらしい。ギリギリのところで攻撃を躱された女ライダーは一旦距離を置くと再びナイフを構えて接近を仕掛けてきた。近江も追いつかれまいとアクセルを全開にして吹かし女ライダーの前方を走る。

 しかしいくらアクセルをベタ踏みで速度を上げても、サイドカーを付けた近江のバイクでは限界があった。車体の軽さなら身軽な女ライダーに敵うはずもなく二者の距離はあっという間に詰められた。


「騒ぎを起こしたくはありませんでしたが、やむを得ません」

「お、近江さん……? 何ですかそれ」


 近江はリボルバーを懐にしまうと、スーツのポケットから手のひらに収まるサイズの丸い金属の塊らしき物体を取り出した。表面は規則的な凹凸に覆われて、形状は小さいパイナップルに近い。上部先端には細い鉄製の輪のついたピンが刺さっている。

 普段目にするような物ではないが、その物体はテレビや映画の何処かで見たような記憶がある。

 近江は慣れた手つきでその物体のピンを咥えて引き抜き、サイドミラーから背後を見据えた。


「わぷっ」

「危険ですので、それを被ったまま動かれませんように」


 近江はさっきまで僕を包んでいた黒い布を頭まで被り直させると、後頭部に手をぐりぐりと押しつけて僕の姿勢を固定した。いきなり何をするんだと抗議しようとしたが、直後道路に硬い何かが転がる音を聞き僕の身体は硬直した。


(……まさか!?)


 次の瞬間、今まで聞いたことのないほどの爆発音と共に周囲の大気が熱を帯びて背後から殴りつけてきた。その轟音はもはや音を通り越して超振動。全身の骨という骨がびりびりと震え、爆発から十数秒が経過してもあらゆる音が僕の頭には入ってこなかった。

 だんだんと意識がはっきりとしてきて、僕は被せられた布から顔を出して恐る恐る背後を見た。

 遠くの方で山火事と見間違えるほどの高い炎が上がっている。先ほど見たバイクのクラッシュ事故なんか比ではない、まるで爆撃された後のような凄惨な光景だ。

 近江が投げ放った物体が何なのか、今なら分かる。戦時中の映像でアメリカ軍などが使用していた通称パイナップル爆弾。つまりは手榴弾である。


「九条様、生きておられますか?」

「な、なん……とか……」


 爆心地から全速力で離れていたとはいえ、あれだけ近くで手榴弾が爆発したのだ。よく生きていたなと我ながら思う。あまりの衝撃で悲鳴すら出なかった。

 爆炎の向こうから先程の女ライダーは追いかけてくる気配は見せず、どうやら当面の危機は去ったようだ。しかし運転しながらリボルバーの弾丸を平然と避けるのも大概狂っているが、やはり最も狂っているのはこんな深夜のハイウェイで平然と手榴弾をぶっ放すこの男だろう。


「先程の追手は恐らくまだ生きているでしょう。私の弾丸を躱すほどの手練れ……あの程度で命を落とすとは到底思えません」

「えっ、あれで生きているんですか!?」

「いつかまた九条様の元に現れるやもしれません。流石に今日のところは出直すと思われますが」


 銃弾を避けながら執拗に追いかけてきて、さらに至近距離での手榴弾の爆発にも耐えるような相手。そんな人間に命を狙われていると思うとげんなりしてしまう。僕自身もイレイズという異形の怪物と幾度となく戦ってはきたが、真に恐ろしいのは人間の方だと思えてきてならない。


「では、参りましょうか。依頼主殿の待つポイントはもうすぐです」


 そう言うと近江は速度を落として最寄りのICを通過した。時刻は午前0時を回っており、先程の銃撃戦や爆撃が嘘のように周囲が静まりかえっている。

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