第15話 バトル&チェイス(後編)

 近江と僕を乗せたバイクはそこから山道を数分走ったのち、ある小さな病院の前に到着した。看板には『今村クリニック』と書かれている。夜間診察も受け付けているのか、深夜にも関わらずほとんどの窓から明かりがついていた。


「うっ……」


 サイドカーから降りた時、僕の身体は限界を迎えていた。無理な体勢で長時間も高速で走行していたのもあるが、緊張の糸が切れたのか上手く歩けずその場で足をもつれさせてしまう。


『大丈夫かい』

「ま、まぁ……と言うか、あんな話聞かされた後に連れて来られるところが病院、なんですね……」


 トランシーバー越しに気遣ってくる香月に対して僕は小さく愚痴を溢した。命を奪ってでも僕の体細胞を手に入れて解析するとか、そんな話の後で病院に来いと言われてもさすがに抵抗がある。


『まぁ確かにこれは信じてくれと言っても都合が良すぎるな。今回はただ単に君の身体に異常がないかCTスキャンで調べるだけだからそんなに警戒しないほしい。君自身に一切の危害は加えないことは約束する』

「CTスキャンって、そんなことまで分かるんですか?」

『完全とまではいかないがね。魔力の注入によって引き起こされる染色体の影響や体組織の変質、その兆候をほんの少し調べるだけだ』


 医学の話は何を言っているかさっぱり分からないが、今更疑っても高速道路で手榴弾を投げるような連中から逃げおおせるとは思えないのでここは黙って従うことにする。

 開業中とはいえ深夜ということもあり、病院の待合室は僕たち以外に人もおらず受付の看護師さんはうつらうつらと居眠りをしていた。


「やぁ、よく来たね。無事でなによりだ」


 近江に促され入った診察室で僕を出迎えたのは、歳がそう変わらない見た目の少年だった。ぼさぼさに伸びた銀髪と薄い縁のメガネと、思ったよりも小柄な体格に似合わない白衣が目を引きどこか気難しそうな印象を受ける。

 この男が香月。トランシーバー越しに会話していた時の落ち着いた物腰から少なくとも年上だろうと想像していたが、実際会うと中学生と言われても納得できる。


「では私はこれで失礼します。サイドカーの修理代は別途で請求させて頂きますので、それでは」

「えっ、ここで!? 僕どうやって帰ればいいんです!?」


 踵を返そうとする近江を僕は慌てて引き留めた。スマホで位置情報を確認すると、現在地は自宅からは軽く100kmは離れており県外の山奥だった。電波も弱いし付近に電車も走っていないため一人で帰れる自信はない。


「待て近江、せめて家に送り届けるぐらいはしたらどうだ。アフターサービスという言葉を知らんのか」


 むすっとした表情で香月が近江を諫める。見るからに年下の香月が一回りは年上だろう大人を相手に優位に立っている様は、側からみれば少しシュールだ。


「……請求額に上乗せしてよろしいのであれば」

「構わん」


 やれやれと肩をすくめて近江が了承する。拳銃やナイフで殺そうとしてくる謎のライダー集団から守り、バイクの修理代に加えての追加料金なんて、いったい幾らになっているのか想像もつかなかった。


「私は外にいます。終わり次第お呼びくださいませ」


 そう言うと近江は診察室を後にし、部屋には僕と香月だけが残された。


「さて、それじゃあとりあえず服を脱いでもらおうか」

「あっ、はい。分かりま……って、えぇ!?」

「何を驚いているんだ。着込んだままじゃ検査できないだろう。別に全裸になれと言っているんじゃない」


 彼を信用していない訳ではないが、自分と変わらない年齢の相手に服を脱ぐよう催促されるのは流石に躊躇してしまう。そういえば香月は白衣を着ているのだが、もしかしたら彼自身が医師とかそちらの方面の職業に就いているのだろうか。


「じゃあここに寝てくれ。すぐに終わる」


 言われるがままトレーナーとジャージの部屋着から下着姿になった僕は診察室の端にどかんと置かれた、巨大なリング状の機械に備え付けられたベッドに寝た。時間も時間なので姿勢を横にすると流石にうとうとしてしまうが、飛びそうになる意識を気合いで繋ぎ止める。

 検査自体は5分もかからずに終了し、僕は元の服に着替えて結果が出るのを待った。


「ど、どうなんですか。僕の身体」

「目に見えて変化はないね。注入量の増幅が短時間だったのもあるが、そもそもの累積注入量が少ないことが幸いしているのだろうな」

「はぁ……つまり、えっと……?」

「君はビショップになってまだ日が浅いお陰で何ともない、ということだ。だが、その『黒の力』はなるべく使わない方がいい。肉体に流れる魔力が通常時の数十倍ともなれば、酷使すると君の身体が保たないだろう」

「わ、わかりました」


 とりあえず詳しい仕組みは理解できないが、僕はこくこくと頷いた。しかし使うなと言われても、あの時以来黒の力の発生方法は僕も分からずじまいなのだ。あまり心配する程のことではないと感じる。


「とにかく、検査はおしまいだ。後は近江に送ってもらえ」

「あ、あの……あんな怖い人たちに追われてるのに僕普通に帰って大丈夫なんですか?」


 何せ問答無用で発砲してくる集団だ。あの時近江が来ることなく家でのんびりしていたら恐らく僕はそのまま殺されていたことだろう。これから普通に登校したり生活できるとはとても思えない。


「そこは心配しなくていい。今回騒ぎを起こしたことで、奴らに指示を出していた上の連中も事故の揉み消しで手一杯だろうからな。それに今後も近江に君の護衛は続けさせる」


 騒ぎというのは、高速道路でクラッシュしたり手榴弾が爆発したりしたことだろう。騒ぎはほとんどこちらが起こしたようなものだが、向こうは身元がバレると都合が悪いらしいのでここは面倒を被ってもらう他ない。僕を殺そうとした人間たちの末路とはいえ、少し気の毒である。


「あの、どうしてそこまでしてくれるんですか?」

「ん? どういうことかな」

「いえ、その……香月さんって、僕にプロメテを渡すよう指示した人……なんですよね? 僕を襲った連中と、根っこでは同じ……だったりしないんですか?」


 僕はビショップの組織がどのように作られているのかを全く知らないが、今回狙われたことで目的のためならば残虐な行為も平気でする集団であることは肌で実感した。そんな連中から僕を守るために近江のような人間を多額で雇ったり、僕の身体を気遣ってくれたりと香月の行動は組織人にしては手厚すぎる。

 僕の素朴な疑問に香月は少し考える仕草を見せると、静かに口を開いた。


「確かに僕はビショップ組織のプロメテ解析科という、責任のある立場にいる。だがそれは組織のためならばどんな非道な手段も厭わないこととイコールではない。命を弄ぶ奴らのような人間は、ほんの一部の狂信者たちだ。ビショップの組織の本分は、人間を守ることを第一にしている。当然ながら、僕もね」


 狂信者というのが何を指すかは知らないが、とりあえず組織全体が敵という訳ではないことが分かって内心ほっとした。陰陽部を管轄する芥先生も常に僕たちを気にかけてくれたし、あの人も誰かを利用するような人間には見えなかった。


「信じて、いいんですね」

「ああ」


 香月の目は真剣に僕を見据えていた。年若いはずなのに、僕には想像もつかない程の人生経験を積んだ重みが、その顔つきからは感じられる。


「それよりも、すまなかったね」

「えっ、何がですか?」

「君の事情を無視して戦いに巻き込んでしまったことだ。これまでも危険な事態に多々巻き込まれてきたことだろう」


 プロメテを用いてイレイズと戦うことの危険は、かつて円にも指摘された。その渦中に僕を巻き込んだ香月の謝罪も、今なら理解できる。

 だが、僕は別に彼から謝罪など求めてはいないし、巻き込まれたからといって戦いから降りるつもりも毛頭なかった。


「別に香月さんが謝ることなんてないですよ。僕だって自分が戦いたくて、自分の意思でビショップをやっているんですから」


 その回答が意外だったのか香月が目を丸くする。

 理由は至ってシンプル。戦いによって心が荒んだ幼馴染の笑顔を取り戻したい。一緒に強くなって、一緒に歩んでいく。そのためならば僕はどんな過酷な運命も受け入れると決めたのだ。


「じゃあ、僕は帰ります。今日は色々とありがとうございました」

「礼には及ばない。だが、出来るなら僕と出会うようなことはもうないのを願っているよ」


 僕たちはそう言葉を交わすと医院を後にした。

 外では近江が生気のない瞳ですぱすぱと煙草を咥えて待ちわびており、その姿はさながら運び屋というか殺し屋にしか見えなかった。味方ならこの上なく頼りになる人だろうが、ひとたび敵認定されたらその瞬間に命はないと直感する。


「さて、行くとしましょう。追手もないでしょうし、道中はゆっくりお休みくださいませ」


 再びサイドカーに乗せられた僕は毛布代わりに先程の黒い布を被せられたが、こんな恐ろしい人の隣でゆっくり睡眠など取れるはずもなかった。




「……ちゃん…………きて」


 深く沈んだ意識の中、誰かが僕を呼んでいた。幼い頃から聞き覚えのある、よく知った声。


「……おきて」


 声の主は僕に目覚めるよう催促する。しかし一度深い眠りについた脳は、それを拒みなかなか覚醒することを許してくれない。


「いっちゃん、起きて」

「はっ」


 強く名前を呼ばれ、僕の意識は急激に浮上した。場所は僕の部屋で、被せられていたのは僕の布団で、そして起き上がった僕の隣には……


「円?」

「おはよう、いっちゃん。鍵開いてたから入った」


 そこにいたのは小学生の頃から僕が片想いしている幼馴染の女の子、沢灘円だった。

 なぜ彼女がここに? と当然の疑問が頭をよぎるが、だんだんと目覚めがはっきりしていくにつれて僕の置かれている状況が掴めてくる。昨日は日曜日で今日は月曜日。つまり平日だ。


「ああっ! そ、そうだ。修行しなくちゃ! ごめん今着替える!」


 慌てて起き上がった僕はそそくさとクローゼットを開ける。平日の朝と夕方は円との修行を日課にしているのだ。しかもここ最近は彼女の意向でレベルが大幅に上がっている。早く準備しなくては円と一緒にいる時間、もとい修行の時間が少なくなってしまう。


「何言ってるの。もう7時半だよ?」

「え?」


 円は普段温厚な彼女にしては珍しく頬を膨らませて、枕元の目覚まし時計を指差した。それを見た僕はぎょっとする。

 時刻は短針が7と8の中間。長針は6を示している。7時30分ともなれば、修行関係なしに遅刻寸前の大寝坊だ。そう言えば彼女は修行の時と違って今日は普通に学校の制服を着ている。


「わ、わー! ね、寝過ぎた!」

「私、先に学校行くね? 朝できなかったぶんの修行は夕方にみっちりやるから」


 あたふたしている僕を尻目に、そそくさと部屋を出てそのまま行ってしまった円。

 時間がないというのに、僕はその場で呆然と立ち尽くしていた。


(あんまりにも、あんまりだ)


 昨日の銃撃戦やら手榴弾の爆発やら、その後の病院での謎の検査の諸々が終わって帰宅した僕は泥のように眠りこけていた。おおよそ普通の男子高校生がしえないような体験を一晩でしたのだから、当然疲労も溜まる。その上、円の好感度もだだ下がりで遅刻寸前の寝坊に追い込まれるのは理不尽にも程があった。


「と、とにかく学校行かなきゃ……ふあぁ」


 大きな欠伸をしつつ、僕は登校の準備をした。

 学校に到着したのは8時19分53秒。普段の修行の走り込みの成果か、ギリギリのところで僕は遅刻を免れた。


「あんた、なんでそんな眠そうなのよ。昨日あたしが散々宿題教えてやってたでしょ」

「ああ、おはよう……うん。まぁ、色々あって」


 隣の席の石上にジト目で見られつつ、僕は席に座った。

 周囲をよく見ると、どことなく空気がそわそわしていた。毎週大量の宿題が課されてげっそりした生徒が多い月曜日の朝にしては珍しい。様子が違うのは主に男子生徒の方だ。


「何? 何かあったの?」


 僕は斜め後ろに座る情報通の犬飼に尋ねた。例によってこいつも他の男子生徒と同様にそわそわしている。


「よう。聞いた話なんだけど、うちのクラスに教育実習生の人が来るらしいぜ。しかも女。めっちゃ綺麗な大学生のお姉さん」

「なるほど、だからか」


 犬飼の提示した短い情報だけで僕は大体を察した。一部の女子生徒は浮かれる男子に冷ややかな視線を送ったり興味なさげに鞄からノートを出したりと反応は性別で完全に二分されている。


「ま、お前には関係ない話か。円ちゃん一筋だもんな」

「そういうこと、あんまり大声で言うなよ」


 味気ないリアクションが面白くないのか、耳元で小突く犬飼。いちいちムキになっても仕方ないので僕は軽く受け流すことにした。

 そうこうしているうちに扉を開けて担任の女性教師、塩谷先生が入ってくる。最近疲れ気味なのか目をしょぼしょぼさせており、普段の気弱そうな印象に拍車がかかっていた。


「おはようございます。ええと、ニュースで知っている方もいると思いますが昨日の夜、隣町で原因不明の爆発事故がありました。時間も深夜ということで幸いうちの生徒からは怪我人は出ませんでしたが、みなさんも十分に気をつけてくださいね。道に落ちてる怪しい物には絶対に触らないように」


 爆発事故と聞いて僕はサーっと血の気が引いた。もしかしなくても原因は近江のあの時投げた手榴弾だ。敵方が事故を揉み消そうと尽力しても、流石に爆発そのものを無かったことには出来なかったらしい。先生もクラスのみんなも、まさかこんなところに当事者がいるとは思いもしないだろう。


「それと、このクラスに東京の大学から教育実習生の方が来られました。今日からクラスの副担任としてしばらく教えられることになりますので、みなさんも失礼のないようにお願いしますね」


 教育実習生。その単語が先生の口から出た瞬間クラスの男子生徒が一気に沸いた。その反応を見て塩谷先生が小さくため息をつく。


「では、石上先生。どうぞいらっしゃってください」


 塩谷先生に促されて教室に入ってきたのは紺色に近い黒髪を伸ばした、長身の女性だった。黒のスーツジャケットに、腰のラインが浮き出たブラウンのタイトスカート。大学生と聞いていたが、第一印象は想像よりもだいぶ大人びていた。

 そして表情は柔らかいものの、ややキリッとした目元に僕はどこか既視感を覚える。


「はじめまして。石上紗耶(いしがみ さや)と申します。短い間ですけど、これから宜しくお願いしますね」


 女性は黒板に自分の名前を書くと、正面を向いて礼儀正しくお辞儀をした。その瞬間、またしても男子の歓声が湧き上がる。


「えっ、石上……? えっ?」


 その苗字に引っ掛かりを覚えて、僕は隣の女子生徒と目の前の教育実習生の顔を交互に見た。生徒の方の石上は何故か表情を凍りつかせている。


 まだ知らなかった。この時、既に僕たちは逆らえないほどの奔流に呑み込まれていたことに。

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