第16話 連携対連携(前編)

 時は昼休み。運動部は学食に行ったり文化部は部室で昼食をとったりすることが多いためクラスメイトの半数以上が教室を去っていくなか、僕は机の上に置かれた弁当を前に震えていた。

 可愛らしい赤とピンクのチェック柄のハンカチに包まれた「それ」は思春期の男子高校生が持って来るには少し似合わない。

 まぁ、もちろんこれは僕自身が用意した物ではないのだけれど。


「九条、お前今日は弁当なの? なんか意外だな」


 普段から一緒に昼食を摂る犬飼が物珍しそうに尋ねてきた。確かに僕の昼食は基本は購買や朝のコンビニで買う菓子パンとかなので見慣れない光景だろう。


「あ……う、うん。じ、実はこれ、さっきの休み時間に円がくれたやつでさ……」

「なにぃ!?」


 かつてないほどの緊張で声を震わせながら僕は事の顛末を話した。

 曰く、これからの修行はただ鍛えて体力をつけるのではなく内側からも力をつけていくことが重要。そのためにも食べ物ひとつにだって妥協はできない。だそうだ。本当は今朝の修行の後に渡す予定だったのだが、僕が寝坊したためにうっかり忘れてしまったらしく、さっき渡された時に小さくぺこりと頭を下げられた。その時僕が嬉しさと申し訳なさで気絶しそうになったことは言うまでもない。


「お、お前……凄いな! あの奥手でヘタレでチキンだった九条がたった1ヶ月で手作り弁当貰えるまで進展してたなんて! もう半分付き合ってるようなもんだろ。今日の地球はお前を中心に回っているぜ!」

「へ、へへ……さっきから夢でも見てるのかなって何回もほっぺつねってるんだけどさ……」


 ついみっともなく口元を緩ませてヘラヘラしながら僕は包みを解いた。中には木製の工芸品のような楕円状の弁当箱が入っており、やはりと言うかシンプルだが可愛らしく円のセンスが光っている。

 僕はウキウキ気分のまま蓋を開けた。直後、犬飼の表情が微妙なものに変わる。


「なんか……黒くね?」

「う、うん……?」


 僕と犬飼は同時に首を傾げた。

 弁当箱の中からは芳醇な鶏の香りが漂い、目を閉じれば食欲が大いにそそられることは間違いなかった。

 だが、その見た目が何より奇妙なのだ。弁当箱内の外側を包むように敷き詰められた鶏肉が何故か不自然に黒い。焦げているとかそう言う黒さではではなく、まるで肉そのものが墨汁にでも漬けられたかのように黒ずんでいて内側の米にも色が染み込んでいた。


「鳥飯みたい。円が言うには『烏骨鶏うこっけい』っていう立派な品種の鶏なんだって。味は絶対美味しいと思うよ」

「そ、そうか……」


 軽く引いている犬飼は知らないかもしれないが、円の料理の腕はプロ顔負けなのだ。そんじょそこらの料理が得意な高校生など相手にもならないことを、彼女のシュークリームを食べたことのある僕は理解していた。

 ぱきっと割り箸を割って恐る恐る弁当の鶏肉を口に運ぶ。


「……うん。美味い。美味すぎる。やばい、最高」


 見た目に少し尻込みしてしまったが、やはりそんな心配は稀有だった。刻んだシソや生姜など香味野菜で臭みを取りつつも、濃厚な鶏の風味は少しも損なわれることなく口に入れた瞬間に全身の血液という血液に活力がみなぎってくる。こんな味を知ってしまったら、もう添加物盛り盛りのコンビニ弁当などには戻れない。


「ま、お前が良いなら良いけどさ。味わって食べろよー。じゃ、俺も昼飯買って来るわ……っと、悪い」


 席を立ち上がり教室を出ようとした犬飼が前の席に軽くぶつかってしまう。

 そこには石上が座っていた。今朝のホームルーム以来どこか上の空で、昼休みが始まって数分が経過したというのに未だに頬杖をついて宙を眺めている。


「石上?」

「……えっ、なに?」


 とりあえず呼んでみたが、反応が薄い。ぼーっとしているというか、何かずっと考え事をしているようだ。


「いや、朝からなんか元気ないなって思って」

「別に……いつも通りよ。てか何あんたの弁当。黒っ」

「烏骨鶏の鳥飯だって。円が作ってくれたやつ」

「ふーん……」

「あげないよ」

「いらないわよ」


 会話自体は他愛のないものだが、どこか味気ない。つっけんどんなところは変わらないが普段はもう少し声に覇気があったような気がする。

 その原因は、微妙に察しがついていた。


「やっぱり今朝の教育実習生の人、昨日言ってた石上のお姉さんだったりするの?」


 今朝僕たちのクラスに挨拶した石上紗耶と名乗る教育実習生の女性。苗字自体はそこまで珍しいものではないが、彼女の反応からして血縁など関係ある人物だろうなとは思っていた。しかしそれにしては彼女の姉に対する反応は少し妙だ。


「そう……ね、うん。どうせ隠してもわかる事だし。お姉ちゃんよ、あの人」

「な!」

「ぬ!?」

「なんですと!?」


 石上が認めた瞬間、教室に残った男子生徒が3人ほど勢いよく立ち上がり、言説を取ったとばかりに近づいて来た。どうやら先程からこちらに聞き耳を立てていたらしい。


「や、やはりそうなのか! あの美人の教育実習生、石上のお姉さんだったのか!」

「あ、あの石上さん! お姉さんの趣味って分かる!? アニメとか好き!?」

「ね、ねぇお姉さんって彼氏とかいるのかな!?」


 3人は石上の席を囲み次々と質問攻めにする。普段彼らが石上と話しているのなんて見たこともないのにこんな時ばかり鼻息を荒くして、なんとも分かりやすい連中である。

 隣で聞いているだけでもかなりの鬱陶しさなのだが、その渦中にいる石上本人は溜まった物ではないだろう。不機嫌な表情を隠しもせず奥歯をぎりぎりと鳴らしている。


「ごめん、あたし気分良くないから保健室行ってくる。次の授業適当に理由つけといて」

「えっ」


 ついに耐えかねたのか石上が立ち上がり、3人を掻き分けて教室を出ようとする。だが、午後始めの授業は確か塩谷先生が監督する中でのお姉さんの英語の授業だったはず。このタイミングで休むということは、やはり……


「あら〜、怜ちゃんまだ教室いたのね」


 出入り口の扉に彼女が手をかけようとした瞬間、外側から扉が開けられた。その先に立っていたのは、教育実習生の石上紗耶。先んじて次の授業の準備をしようとしていたのか、出席簿と数冊の教材を抱えている。


「お姉……ちゃん……」


 横顔しか見えなかったが、姉を呼ぶ石上の表情は明らかに引き攣っており今が彼女にとって相当に不都合な状況であることは見て取れた。


「お姉ちゃん、今日が初めての授業なの。すっごく緊張するけど頑張るから、席からしっかり見ててね」


 片や姉の方は普通に歳の離れた妹に接するような態度でゆったりと微笑んでいた。だが心の底からの笑顔というよりはどこか余裕を感じさせる笑みで、こう言うと語弊があるかもしれないが二人の間に力関係があるように感じられる。


「お姉ちゃん……教育実習って、どういうこと? あたし、今日まで一言も聞かされてなかった。昨日も電話までしたのに」

「うーん、それはまぁサプライズってところかしら? 怜ちゃん、お姉ちゃんと離れて寂しがってないかなーって思って、わざわざこの学校を選んだから」

「…………どうして……」


 石上は俯いて静かに握り拳を震わせていた。その感情は怒りなのか恐怖なのか、僕には分からない。しかし肉親に対してそこまで負の感情を滲ませることが、普通はあるのだろうか。


「うふふ。サボっちゃダメよ? お姉ちゃんも、しっかり見てるからね」

「……う、うん…………」


 だが完全には強気に出れないのか、石上は力無く頷きそのまま教室を後にした。あんな弱々しい彼女の姿を見たのは初めてである。


「あぁ、良いなぁ……俺もお姉ちゃんって呼んでいいかなぁ」

「いやむしろ俺がちゃん付けで呼ばれたい『イサオちゃん』って、最高だろ……」

「あんな綺麗な人がお姉さんとか……はぁ」


 状況が全く頭に入っていない男子3人組は依然としてだらしなく鼻の下を伸ばしている。彼らはすっかり石上姉にメロメロになっておりフィルターがかかっているのだろうけど、僕は彼女のどこか圧のある微笑みを少し苦手に感じていた。

 それからしばらくして午後の授業が始まったが、石上はきちんと席に座っており休む事なく最後まで受けていた。






「いっちゃん。基礎体力を鍛えるのも大事だけど、それだけに重点を置いていたら私たちはただのアスリートと変わらないの。強いイレイズを相手にしていくためにも、これからはより実践的な訓練をしていかなくちゃ」

「は、はい」


 放課後、円に案内された僕は彼女の自宅近くにあるジム『スポーツセンター伊達』に来ていた。緩いフィットネスクラブからプロの格闘技選手まで御用達の、地元ではそこそこ名前の知られた施設である。

 僕と円がいるのは施設の中でも最も上級者向けのコーナーが開かれる部屋で、あちこちに重そうなバーベルやらダンベルやら、中身のたっぷり詰まったサンドバッグが置かれていた。月曜日のこの時間帯はトレーニング教室が休みのため、ほとんど貸切のようなものだ。円がここのゴールド会員だったおかげで僕も2時間100円という格安料金で入ることができたのだが、普段の忙しい生活の中でいったい彼女はいつ通い詰めていたのだろう。


(ううん……正直、目のやり場に困る)


 僕の格好はいつも体育で使うジャージ姿だが、円はそれよりもかなり生地の薄いスポーツウェアで、履いているものもズボンというかほとんどスパッツだ。昼間のクラスメイト男子を笑えないほどメロメロになってしまうが、それより見ていて気恥ずかしさの方が僅差で勝る。他人の視線など彼女は全く気にしていないだろうが、僕は気にした。


「そしてこれは私が編み出した修行。とりあえず、これ引っ張ってみて」

「わ、わかった」


 そう言って彼女が手渡してきたのは持ち手のある太いゴムチューブ。壁際のポールに括り付けられており、強く引っ張れば身体が持っていかれるほどの反動に襲われる。


「そして、これ」


 次に円が持ってきたのは重さ100kgは軽くありそうなサンドバッグがぶら下がっている、かなりの高さのあるスタンド2つ。それがゴムチューブを引っ張っている僕を挟むように両サイドに置かれる。


「今からこのエリアから出ないようにサンドバッグを避け続けて。チューブは離しちゃダメだからね」

「えっ!?」


 言い終えると同時に僕の足元を囲むように床にビニールテープを貼り付ける円。既に引っ張り続けているだけでもきついのだが、それに加えて別の動きも要求されるととてもじゃないがクリアできる自信がない。


「これは身体の自由が利かない中で最小限の動きで敵の攻撃を避ける訓練。最初は大変かもしれないけど、最後まで出来たらいっちゃんは今よりずっと強くなっているはずだよ」


 確かにそれはそうかもしれない。香月が言っていた僕の『0号プロメテ』は非常に強力なものらしく、このままいつも通りの戦いを続けていたらそのうちプロメテの能力に頼りがちになってしまうだろう。黒の力が急に現れたり急に使えなくなったり、予想外のことは常に念頭にいれておく必要がある。


「じゃあいくよ。準備はいい?」

「い、いいよ」


 僕の了承を得た円がスタンド越しにサンドバッグを殴りつける。直後、数十kgの重りをつけた革の塊が豪速球の如き勢いで飛んできた。


「うわ!」


 反射的に僕は身体を左に逸らした。その瞬間、うっかり手をゴムチューブから離してしまい持ち手は勢いよく引き戻されて壁側に吹っ飛んでいく。


「ただ避けようとするのは簡単なの。だけどちゃんと手に持ったまま避けようとすると、エリアから出ないように足を踏ん張ったり長さをキープしたりする必要があるから難しくなるよ」

「う、うん……」


 飛んでいったゴムチューブを拾いに行く僕に円が優しくも厳しく語りかける。一緒に走っていた頃とは色々と態度が違って、ライバル認定してからの彼女は中々にスパルタだ。それに円はサンドバッグを素手で殴りつけていたが、たぶんそれはそういう使い方をする器具ではない。


「エリアから出ちゃダメ!」

「は、はぃぃ……ぬわっ!」

「次は後ろからも行くよ。こっち見ないで避けてね!」

「む、無理だよぅ!」


 その後も円のスパルタ特訓は続いた。頭では理解しているものの身体が追いつかず、踏ん張りきれずに転倒したり飛んできたサンドバッグに正面から激突したりと結果は散々だ。本当にこれが修行になっているのか段々と怪しくなってくる。


「はひーー……」

「大丈夫?」


 汗だくになりながらついに仰向けに倒れてしまった僕の顔を円が心配そうに覗いてくる。重いサンドバッグを何十回と殴り続けていたので彼女の額や首筋も汗で湿っていた。なのにこの爽やかさの違いは何だろう。基礎体力の差とかそういう次元の話ではなく、彼女は動くことに幸せを感じているようにしか思えない。


「じゃあ、少し休憩だね。始めのうちは上手くないかもしれないけど、継続していけば絶対出来るようになるよ。私、飲み物持ってくるね」

「あ、あり……がと……」


 ぱたぱたと走ってトレーニングルームを出て行く円を僕は床に寝転がりながら見送った。


「はぁーー、エアコン気持ちいい」


 室内はエアコンなど空調設備が整っており、身体を休めているとひんやりした風が痙攣した筋肉を優しく冷ましてくれる。きついと言えばきついのだが、外で走るのとも違ってこういうのも悪くない。


「ん?」


 インターバルも済んだところで起きあがろうとした僕の耳に、スマホの着信音が響いた。トレーニング中は邪魔になると思って壁際のベンチに置いていたのだ。ちなみにプロメテの方は何処に置いてもいつの間にかポケット内にワープしてしまうので諦めて持つことにしている。

 スマホを手に取ると、画面には「奥村悠美」の名前。それを見た瞬間に僕は反射的に身震いした。

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