断章1 死闘決着! 地獄の女帝《インフェルノ・ヴィーナス》の最期

「ふふっ……ここまでのようだな。死ね、ヤタガラス!」


 竜巻にも似た土煙を起こしながら、マントを纏った仮面の女が叫ぶ。同時に女の持った棘の鞭が、鋭い牙を持つ巨大な触手と化して地上を這うようにヤタガラスに襲いかかった。


「くっ……」


 土煙に視界を奪われ反射的に防御の体制を取った時には既に遅く、ヤタガラスは懐に潜り込まれた巨大な触手に脇腹を噛みちぎられる。


「ぐあああーー!!」


 廃墟と化した街に、青年の傷ましい悲鳴が響き渡った。脇腹からとめどなく流れ出る青緑色の血液は、もはや人間の物ではない。

 触手を操る仮面の女、地獄の女帝インフェルノ・ヴィーナスは狂気の改造実験集団『デスバロン』の幹部の一人、そしてヤタガラスこと宇佐見凛ノ助(うさみ りんのすけ)にとって家族の仇であった。幾重にも渡る激闘の末、ついに一騎討ちにまで追い詰めたヤタガラスであったがその肉体は傷付き、形勢は圧倒的に不利である。


「まったく、デスバロン最高傑作である貴様のそんな姿は見るに忍びない……せめてこの一撃であの世に送ってやるわ」

「ぐっ……」


 痛みに膝をつくヤタガラスの前に地獄の女帝が近付き、マントの内側から一輪の薔薇を取り出す。すると、薔薇は一瞬で細身の短剣にその姿を変えた。


「待て、メグミ!」


 突きつけられた短剣でヤタガラスの喉元が切り裂かれる寸前、その手は誰かの声に制止される。

 声を主を、ヤタガラスは知っていた。


「そいつと話がしたい。殺すのは少し待て」

「……正樹!」


 声の方向を睨みつけ、ヤタガラスが叫ぶ。地獄の女帝の背後、瓦礫の積み上がった山の上に男が立っていた。薄汚れたローブを羽織り姿は隠していたが、ヤタガラスはその男を知っている。


「なぁ、凛ノ助よ。考え直してはくれないか。あんな人間たちごときに肩入れして、いったい何になる? こんな世界を守ったところで、お前に何の得があるのだ?」

「それは、こっちのセリフだ。なぜ俺たちを裏切った。俺たちの身体をこんなふうに改造したデスバロンに付くなど……何故なんだ! あの時の誓いは、嘘だったのか!?」


 凛ノ助と正樹は、元々は共に普通の人間であった。だが、半年前にデスバロンによって改造されたことにより、二人の運命は大きく狂うことになる。

 手術によって得た改造人間の力により研究所を破壊し、脱出した二人は復讐を誓った。自分たちを改造しその家族の命までをも奪ったデスバロンに対して。

 だがその正樹は今、ヤタガラスとして戦う凛ノ助の目の前に立ち塞がっている。


「オレは知ったのさ。こんな世界、守るに値しないクズだとな」


 フン、と鼻を鳴らし正樹が悪態を吐く。


「この世界に俺たち改造人間の居場所など、何処にもないんだよ。それはお前だって分かっているはずだろう、凛ノ助よ。街をデスバロンの侵攻から守るために力を使った俺たちに大衆が何をしたか、忘れたのか?」

「それは……」


 正樹の諭すような問いかけに、ヤタガラスは何も言えなかった。

 改造人間としての姿を晒し人々を守るためにデスバロンの尖兵と戦った2人に対して、人々は石を投げ街から出て行くよう罵詈雑言を浴びせた。それは一度や二度だけではない。人ならざる姿を持つ改造人間である2人は行く先々で迫害され、また謂れのない差別を受けた。


「俺はデスバロンの全てを俺の物にする。そして作るのさ。改造人間だけの理想の世界を。それはもちろん、お前も生きていける世界だ」


 ヤタガラスにとって正樹の理想は誘惑に等しかった。人ならざる存在となった自分たちが、誰にも傷付けられずに自由に生きられる世界。だが、それは今この世界に生きる人間たちの犠牲によって成り立つ紛い物だ。

 我が身可愛さに悪魔に魂を売り渡すその行為は、人の心を捨てること。それは、自身が最も憎むデスバロンと何ら変わらない。

 どんな理由があろうとも、ヤタガラスはそんな世界を認める訳にはいかなかった。

 

「俺は誘惑には屈しない。宇佐見凛ノ助は……あの日、家族と共に死んだ! 俺はデスバロンを砕く者、ヤタガラスだ!!」


 ヤタガラスは傷付いた身体を奮い起こし、立ち上がる。その覚悟を目にした正樹の目は、憂いを帯びていた。


「残念だよ。こんな形で同胞を殺さねばならないとは」


 ローブの中から紅く染まった長剣を取り出す正樹。その切っ先はヤタガラスの胸元を正確に捉えていた。ゆっくりと振り上げられる長剣に、ヤタガラスは死を覚悟した。

 その時である。


「凛ノ助!」


 周囲に突如響いたプロペラ音と共に、正樹の足元の瓦礫が大きく抉れる。


「……くっ!」

「千尋!」


 正樹が一歩交代し、ヤタガラスは上空に向かって叫んだ。その先には軍用に改造された戦闘ヘリ。操縦しているのはヤタガラスの戦友である千尋だ。千尋はそのままヘリに備え付けられた機銃を連射し、正樹を追い詰める。


「邪魔を……するなッ!」


 豪を煮やした地獄の女帝が棘の鞭を伸ばしてヘリの着陸脚に絡ませ、大きく揺さぶる。


「きゃあああーーーー!!」


 千尋の操縦するヘリはそのままバランスを崩し、近くの廃ビルに激突した。バラバラと音を立ててヘリが瓦礫の山に落ちていく。


「千尋! 千尋ーー!」


 ヤタガラスがヘリの元へ、操縦席では千尋が頭部から血を流していて倒れていた。幸い息はまだあるが、早く手当をしなければ命の危険に晒されてしまう。


「……興が削がれた。メグミ、後は好きにしていい。ヤタガラスを始末しろ」


 そう言い残すと正樹は何処かへと去っていった。指令を受けた地獄の女帝はにやりと口元を歪ませると、ヘリの落ちた地へゆっくりと足を進める。


「凛……ノ助……」

「千尋……こんな無茶をして……」


 微かに意識を取り戻した千尋が弱々しく名前を呼ぶ。改造人間でもない普通の人間が、何より自分の愛する者が目の前で傷付き倒れる様子を目にするのは、ヤタガラスにとって耐え難い苦痛であった。

 人々に石を投げられるのにも、口汚く罵られることにもヤタガラスは常に心を深く痛めていた。だが彼は知っていた。そんな自分にも手を差し伸べ、心を開いてくれる人間がいることを。

 千尋の存在は、ヤタガラスに重大な選択を決意させた。


「このままでは俺たちは地獄の女帝に勝てない。だから、最後の手段を使う……」

「えっ……?」


 千尋が驚き目を見開く。その手段が何を指しているのか、彼女は知っていた。


「駄目よ、凛ノ助……それを使えば、あなたの身体は……」

「ああ。だが、これしか方法はない。それに、今なら俺はきっと、憎しみに打ち勝つことができる。見ていてくれ、千尋」

「凛ノ助……」


 その覚悟を察したのか千尋は口をつぐみ、ヤタガラスは彼女を守るようにヘリの前に立ちはだかる。視線の先には鞭を構えた地獄の女帝。


(今こそ、俺の中に眠るファントムパワーの全てを解き放つ!)


 ヤタガラスに残された最後の手段。それは自身の命を削りエネルギーを放出する禁断の技。そして使い手の心が憎しみに染まっていればその身体は悪の波動に包まれる。だが、今眼前に迫る脅威を退けるにはそれ以外に方法はなかった。


「終わりだ、ヤタガラス! あの世へ行けぇーーッ!」


 地獄の女帝が鞭の先端を鋭い刃物に変化させ、ヤタガラス目掛けて飛ばす。その瞬間、ヤタガラスの周囲は黒い光に包まれた。


「クロウ・ディザスター・ブラスト!!」


 そう叫んだと同時に、今まさに刺し貫れようとするヤタガラスの胸部コアから凄まじい量の対消滅エネルギーが放出された。波動にも近いその力の奔流は瞬く間に荊の鞭や足元の瓦礫を侵食し、地獄の女帝の全身を飲み込んでいく。


「ぐ、ぐあああああーーーーーーッ!!」


 轟音と共に悲鳴が周囲にこだまして、地獄の女帝はその場にくずおれた。

 勝利を悟ったヤタガラスが地獄の女帝の元に駆け寄る。


「……!! そ、そんな!」


 仮面が割れて露になった地獄の女帝の素顔を初めて目にし、ヤタガラスは言葉を失った。


「姉さん!!」


 地獄の女帝の正体は行方不明になっていた凛ノ助の姉、宇佐見恵(めぐみ)。他の家族が皆殺しの憂き目に遭った中、唯一生き残った肉親として凛ノ助が探し続けていた相手であった。


「嘘だッ! 父さんや母さん、栞を殺した地獄の女帝が恵姉さんだったなんてッ!」


仰向けに倒れた恵の身体を抱きかかえ、凛ノ助が涙を流し叫ぶ。


「凛ノ助……ごめんなさい…………私は、自分の中に植え付けられた邪悪な意思にずっと押さえつけられていた……必死に逆らっていたけど、勝てなかった……」

「姉さん……!」


 仮面は効力を無くし人としての理性を取り戻した恵だが、既に彼女はヤタガラスの対消滅エネルギーを全身に浴び、もはや手の施しようの無いほどの重傷を負っていた。


「父さん……母さん……そして妹の栞をこの手にかけた時から、私はずっと願っていた……貴方に、凛ノ助に私を殺して欲しい……と……それがようやく……」

「喋らないで、姉さん……」


 恵が助からないことは誰の目に見ても明らかだった。だが、それでも縋るように凛ノ助は何度も呼び続ける。誰よりも憎い家族の仇、デスバロンの幹部。地獄の女帝の名を。


「凛ノ助……デス、バロンを…………貴方の手で倒して……こんな悲劇を……もう、二度と…………」


 虚な目で最後にそう呟くと、恵は静かに息を引き取った。その亡骸を抱える凛ノ助の頬に、止めどなく熱い涙が流れ続ける。


「姉さぁぁーーーーーーーーん!!」


 灰色の空の下、瓦礫の降り積もった街に、ヤタガラスの慟哭が響き渡った。



    ◆



「ヤタガラスの29話、やっぱり何回見ても泣ける……」


 とある休日の夜、私は自宅のテレビの前で目を潤ませていた。

 番組名は『超獣人ヤタガラス』。小さい頃から私が最も好きな特撮ヒーロー番組で、激しいアクションとハードな世界観やストーリーが見所だ。この間ゲームセンターで数年ぶりにその姿を目にして以来、自分の中でブームが再燃してDVDで懐かしの回を見直すことが日課になってしまった。


「ヤタガラスの超必殺技『クロウ・ディザスター・ブラスト』はこの回含めて作中で3回しか使われないレア技なんだけど、どの回も名シーンばかりで印象に残るよね。特に29話はヤタガラスが千尋を愛することによって闇の力を克服するんだけど、ようやく倒した家族の仇が実のお姉さんだったなんて、悲劇すぎるよ……」


 私としては納得がいかないが、放送当時ヤタガラスの悲劇的なストーリーは子供にウケが悪く視聴率はそこまで高くなかったそうだ。だが私はこのシリアスな物語に惚れ込んでしまい、誕生日にDVDボックスを親にねだったほどだ。余程嬉しかったのか、ビデオデッキから引っ張り出したDVDの外箱には油性ペンで名前が書かれていた。「1ねん1くみ さわなだまどか」と。

 一部の人には罰当たりと思われるかもしれないが、古いビデオデッキからこのボックスを発見して自分の名前を見かけた時に、過ぎ去っていった私の記憶が鮮やかに蘇ったような気がして不思議と笑みが溢れたのだ。


「ヤタガラスは強いよね。どんな悲しいことがあっても、どんなに大切な人を失っても、最後は絶対に立ち上がって勝つんだから」


 現実には悲しいこと、理不尽なことが溢れている。お話の中の人間でない私たちは、時にそれらに負けてしまうことだって沢山あるだろう。

 だからこそ、私は憧れている。どんな悲劇にだって絶対に負けない、鋼の強さを持ったヒーローに。


(毎日頑張って、がむしゃらに生きて、そうしていたら……いつかはなれるのかな?)


 心の中で呟いてみたけれど、パッケージに描かれているヤタガラスは答えない。拳を握りしめ、瓦礫の街に立つ孤高のヒーローがそこにはいた。

 ただそこにいる。そこにいるだけで支えになる。私には、それで十分だった。


「明日もよろしくね。私の、ヒーロー」


 大好きは、いつもここにある。

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