第13話 灼熱(後編)

「さて……と、お二人とも。今日呼び出された理由は、分かってくれるかな」


 25号の撃破から3日ほど経った平日の放課後、僕と円は芥先生に呼び出されて陰陽部の部室にいた。部室中央に固められた机を囲んで向かい合うように椅子に座らせられている。机の上には同じ大きさのマグカップが人数分置かれて、中には冷めたコーヒーが入れられていた。

 この間はげっそりとやつれていた先生だったが、今日は目の下に隈もなく多少は生命力が増している。しかし表情はどこかばつが悪そうで、少なくとも僕たちを褒めようと呼び出した訳ではないらしい。部室内の空気はほんのり緊張感が漂い、コーヒーには誰も口をつけていない。


「すみません。先生に戦うなとあれだけ言われていたのに」


 事情を理解したらしい円がその場で謝罪の言葉を口にした。つられて僕も頭を下げる。

 あの日、芥先生の出した指示はあくまで25号を除いた配下のイレイズを撃破することだった。たとえ目の前の敵を取り逃したとしても自分の命を優先しろ、と出撃前に念を押されたことははっきり覚えている。

 しかし僕と円はあの後25号に自分から接触し交戦した。結果的には撃破に成功したものの、あの場では命を落としていても何の不思議もなかった。咎められるのは、当然と言えば当然である。


「いや、本来であれば私も教師としてここで叱るべきなのだろうが、組織の人間としてはそういうわけにもいかなくてね……」


 しかし、芥先生の言葉はどこか歯切れが悪く、僕の予想していた反応と少し違った。


「前にも言ったことがあるだろうが、ビショップの組織化が推し進められたのはつい最近の話であって、実はこの『陰陽部』もその中の実験の一つに過ぎなかったんだ。だから、戦闘記録や組織員の細かい情報も上はかなり気にしている」


 上というのは恐らく、ビショップ本部を取り仕切る偉い人たちのことだろう。表向きな活動などは不明なのに芥先生のように組織の人間を教師として派遣したりできるのだから、謎の秘密結社というイメージが頭の中にある。


「その上の人が25号を撃破した君たちの功績をえらく評価していてね、この部活そのものにも彼らの期待も高まっているらしい。近いうちに、また何らかの実験的な試みをこの街で行いたいという話もあったほどだ」

「実験的な試み……ってなんですか?」


 聞き慣れない怪しい単語に僕はおずおずと尋ねた。戦力の増強とかだったら歓迎したいが、どうやらそう分かりやすい類のことではなさそうだ。


「詳しいことは私も聞かされていない。だが、本部から派遣されたビショップや人間がかなりの数、この街に出入りすることは間違いないだろうな。君たちの邪魔になるようなことはない、と思いたいが……」


 先生はどこかあやふやな口調で答えた。ただ偉い人が視察で訪れるくらいなら我慢するしかないも思えるが、今回あれだけ頑張ったのにそのせいでよく分からない壮大な計画に巻き込まれて迷惑を被られるのはいくらなんでもあんまりだ。


「そこまで心配しなくてもいいと思うよ、いっちゃん。本部の中には私のお父さんもいるし、計画には目を通しているはずだから、よほどの事には待ったをかけると思う」

「そ、そっか」


 僕の不安がる様子を察したのか、円が言葉を挟む。そう言えば彼女の父親はプロメテの開発主任を務めていると聞かされていた。本部ではその名前を知らない人はいないらしく、円の口ぶりから上層部の中でもかなりの権限を持っていることが窺える。


「まぁ、とにかく今回の25号の件は犠牲者を最小限に抑えられたこともあるし、結果的に君たちの判断が正しかったと言っていい。だが、今後は独断で危険な行動をするのは控えてくれ。そうならないように、私も出来る限りの力は尽くす」


 先生が最後に締めると僕と円はほぼ同時に小さく頷いた。

 最小限の犠牲者、と芥先生は言った。確かに、あれを野放しにしていたら時間が経つにつれてこの街で多くの人間がイレイズに存在を奪われていた。

 しかし、その最小限の犠牲者に含まれる金子先生は、結局帰っては来なかった。学校側は事を荒立てないため『先生のご両親が急病のため実家に戻る事になりました』と説明し、警察の方も裏で誰かが根回ししたのか捜索はすぐに打ち切られたそうだ。

 真実を知っているのは、僕たちビショップだけだ。仕方ないとは言え、その事に僕は言葉にならないむず痒さを覚える。僕たちがどれだけ戦っても、イレイズによる犠牲者をゼロにすることは出来ない。こうしている間にも世界の何処かでは絶えずイレイズが出現し、誰かが行方不明になっている。

 戦うということはこのやるせなさを抱えることであり、「人を守るため」とか綺麗事で続けられるほど簡単なことではないのかもしれない。


「あの、先生」

「なんだい?」

「その……先生は『ビショップ』なんですか?」


 僕は以前から疑問に思っていたことをついに口にした。


「君が聞きたいのは、あくまで組織としての私ではなく君たちのように『戦う人間』であるかということかい」

「は、はい……」


 正直答えにくい質問だとは思っていた。数日前にこの部室で魔鍾結界を開いた際、その空間の中に先生はいなかった。結界の中に入れるのは身体に魔力の流れる者。つまりはビショップとイレイズだけだ。


「厳密に定義するなら、答えはNOだ。今の私はね」

「『今の』?」


 含みのある答え方をすると、芥先生はしばらく放置されていたコーヒーを一口飲んだ。


「君も疑問に思っていたんじゃないのかい。なぜイレイズのような恐ろしい怪物と戦っているのが、大人でなく自分を始め10代の若者ばかりだということに」

「それは……」


 今まで出会ってきたビショップは円や石上、先輩2人など僕と歳がほぼ変わらない若者たちだ。戦う決意が揺らいだ訳ではないが、理由があるのだとしたらなぜ大人たちは戦わないのかを、考えたこともないかと聞かれたら嘘になる。


「私も昔は君たち同じようにプロメテを装着して戦っていたのさ。だが、既に私のプロメテは本部に返却してある。普通の人間がビショップでいられるのは長い人生の中で限られた数年だけだ」

「それが、ちょうど僕たちの年代ってことですか?」

「そうことになるね」


 そう言うと先生は再びコーヒーに口をつけて考え込むような仕草を見せた。これから難しい話が始まる、と僕は直感する。


「プロメテに充填された魔力を人間の体内に注入する際、染色体の情報を一時的に書き換えてそれに適応するように人間の体を進化させるんだ。その結果がビショップにおける肉体の強化だったり、特殊な能力の発露だったりする。だが、成長しきって体細胞や染色体の情報が完全に固定された大人の体では流入する魔力の負荷に耐えられない」

「せ、染色体を書き換えて……!? 進化……!?」


 さらっととんでもない単語が飛び出して僕は思わず聞き返してしまった。ビショップになる事で凄い力が働いていることは理解していたが、それではまるで僕たちが人間以外の何かになっているようなものだ。普通に日常生活を送れてはいるが、後遺症など無いのか心配になる。


「もし耐えられないほどの魔力が入ったら、人間の体ってどうなるんですか?」

「溶けるね」

「とけ……」


 素朴な疑問のつもりで聞いたのだけど、聞かなきゃ良かったと後悔した。でろんでろんに溶かされて謎の塊と化した25号の姿を反射的に思い浮かべて気分が悪くなる。絵面がグロテスクすぎてイレイズに殺される方がまだマシな死に方かもしれない。


「そういうことだから、私の体はもうプロメテの魔力を受け付けない。生物学的にね。本部や各地の支部で働いている人間には、私のように『元』ビショップの人間が大勢いるよ。彼らもみな、一線を退いても自分たちに出来ることをやっているのさ」

「な、なるほど」


 心の中の小さなわだかまりが解けたような気がして、僕は少し安心した。芥先生や大人の人間たちを全く信用していなかったという訳ではないが、少なくとも彼らも僕たちと目的を同じにしていることが知られて良かったと思う。


「だが、実際に戦って血を流しているのは我々じゃなく若者だ。バックアップや補佐と言えば聞こえは良いが、結局のところ我々のしていることは安全圏から偉そうに指示を出して君たちを危険な目に遭わせているに過ぎない。代われるものなら、代わってやりたいと思っているが……ね」


 そう自重気味に言うと芥先生は僕と円に帰って休むよう促した。鍵を閉めて本校舎へと歩いていく先生の姿は、まだ若いはずなのにどこか弱々しく見えた。


「いっちゃん……あのね」

「う、うん」


 二人で帰路につく夕暮れ時、円が改まって僕の名前を呼んだ。

 実を言うと、25号を撃破してから今まで僕と彼女はあまり会話をしていない。朝夕の走り込みの修行も円から連絡が来ないためやっていなかったし、学校内ですれ違ってもどこかそわそわしていて軽い挨拶をする程度だった。以前の僕だったら「ガーン!」と擬音が鳴るほどショックを受けて寝込んでいたかもしれない。

 しかし、僕も僕でこの3日間は彼女と顔を合わせづらかった。


(「円の笑顔を取り戻す」って、その……どうなんだろ。口から自然に出ちゃったんだけど)


 25号に対して啖呵を切った時のセリフがクサすぎて、思い出す度に恥ずかしすぎてさぶいぼが立つ。お陰であの夜は疲労困憊のはずなのに一睡も出来なかったほどだ。聞く人が聞く人だと、あれは告白と捉えられてもおかしくはない。そりゃあ円もどう接していいか困ると思う。


「この間、私が笑わなくなったのが嫌だって……言っていたよね?」

「い、言いました」


 やはりその話か、と覚悟を決めて次の言葉を待った。心臓はどかどかとうるさく鳴り続け、僕の視界は彼女以外映らなくなる。


「私、自分でも今まで気付かなかった。そんなに笑わなくなっていたんだって」

「ま、まぁその……普通はそうじゃない?」


 僕の言葉尻をそのまま真面目に受け取ったのか、円はだいぶ困ったような顔つきで打ち明けた。そもそも笑うとか怒るとか、感情表現は自然に出てくるものであって意図的にスイッチをオンオフできるようには人間出来ていないだろう。

 

「その、いっちゃんはどう思う?」

「ど、どうって?」

「どうしたら、私……笑えるようになるのかな」


 あまりにもストレートな疑問に僕は「うっ」と言葉に詰まる。あれだけ大見得を切ったにも関わらず、実際のところ具体的な方法は何も考えていなかった。

 地球上のイレイズを全て倒せば、彼女に笑顔は再び戻るだろう。しかし、僕たちの生まれる前から存在して今もこうして世界のどこかに現れて続ける自然災害のような敵を完全に滅ぼすなど、いくらなんでも現実的ではない。「こいつらみんなブッ倒して」とか自分で言ってしまっておいて自分で否定するのはなんともみっともないけど。

 では円が母親の死をきちんと乗り越えるというのはどうだろうか。悲しい過去に囚われて心の闇を抱えた彼女に必要なのは適切な心のケアだ。


(いやいやいやそれもたぶん、何というか違うよな)


 プロのカウンセラーでもないのに自分で何を考えているんだと思う。そもそも何をもってして「母親の死を乗り越える」と言うのか。


「ごめん。やっぱり簡単には答えなんて分からないよね。私自身が考えなきゃいけないことなのに」


 うんうん唸る僕に円は半ば諦めのような困った表情で微笑んだ。


(違う。僕が見たかったのは、こういう顔じゃないんだ)


 僕が取り戻したかったのは、誰かに気を遣ってその場を繕うような寂しい笑顔じゃない。もっと純粋に、心の底から嬉しいとか楽しいとか、素直な感情が現れた笑顔だった。でもそれは、はっきりとした解決方法があるような分かりやすいものではないだろう。


(思えば……)


 円は今も昔も、常に自分を後回しにして誰かのために頑張っていたように感じていた。元々誰に対しても人当たりがよく明るく接して負の感情を見せないように努めていたのも、本来ある彼女の性分なのかもしれない。僕自身、円のそういう部分に気付けたのはつい最近のことだ。当然、心の負担だって大きい。

 ならばその負担を少しでも軽くするぐらいは、僕にはできないだろうか。


「円はさ、きっとなんでも自分で全部抱え込みすぎてるんだと思うよ」

「えっ?」


 恐らく自覚はないのだろう。驚いたように円は大きな瞳で僕を見つめた。


「僕、今まで円は本当に凄くて、頭もよくて運動もできたから、きっと一人で世界記録とか簡単にどんどん塗り替えたりしていくんだと勝手に思ってた」

「世界記録は流石に無理かな……いくら私でも」

「いいんだよ。僕の想像だから」


 円は僕の人生の一歩も二歩も先を進んでいる。僕が彼女を必要としていても、彼女はきっと誰も必要としていない。自分ひとりの力でどこまでも羽ばたいていけるんだ、と。幼い僕はそう解釈していた。


「でも円も僕も、たぶん本質は同じなんだ。悲しい事や辛い事で悩んで、立ち止まって、進めなくなる時も必ずある。そういう時は一緒に悩んで一緒に分からなくなって、たまにぶつかったりして……そうやって答えを見つけていけば良いんじゃないかなって、思うよ」


 我ながら綺麗にまとまったような気がする。相変わらず小っ恥ずかしいセリフがつい口から出てしまったが、気持ちに嘘はないので訂正はしない。


「一緒にって、いっちゃんと?」

「えっ、あ……いや、僕以外にもほら、石上とか先輩たちとか、円のクラスにだって友達とかいるでしょ」


 予想外の部分に疑問を持たれてつい早口で言い繕う。別に僕ひとりに限定しなくても良いのだけれど、初めから選択肢にすら入れてないのだとしたら泣くかもしれない。こういうところで「そうだよ!」と自信満々に踏み込めないのが、僕がチキンと言われる所以なのだろう。


「でも、私はいっちゃんがいいかな」

「……へ?」


 あたふたする僕をよそに円は少しだけ考える素振りを見せた後、小さく呟いた。その呟きは確かに小さかったが、聞き間違いでなければ彼女は確かに言った。僕がいいと。


「私……いっちゃんとなら一緒に悩んだり、考えたり、そういうこと出来るような気がする。それに、私も取り戻したい。いっちゃんの言う……私の、笑顔」

「そ、それって」


 それってつまり、円が僕をただの友達以上の関係と認識している。そう解釈して良いのか。


(……うう)


 今、僕と円の心の距離は確かに近付いたのだ。中学に上がり疎遠になってから苦節3年。ただの幼馴染に戻るのにも長かったが、そこから今日に至るまでにも色々あった。心音がやかましく鳴り続き、心の奥から感動が波のように押し寄せる。

 あの受験勉強をくぐり抜けて同じ高校に進学したのも、ビショップとして戦うことを決めたのも、決して無駄ではなかったのだ。


「決めた」


 鞄を後ろ手に持ち僕の前を数歩進んだ円は、くるっと振り返り告げる。


「これから私といっちゃんは、ライバルだね」

「……はい?」


 急に告げられた単語を脳内辞書で検索する。

 ライバル。好敵手や競争相手の意味で用いられる。さすがは俺の見込んだライバル、というセリフは割と少年漫画で目にした。高校生の男女の間で使われるには、あまり似つかわしくない単語だ。


「一緒に悩んで、一緒に頑張って、私もいっちゃんも同じだけ背負っていくんだよね。私の中の答えをいっちゃんと見つけていくなら、いっちゃんの中の答えも私は一緒に探したいよ。つまり、私といっちゃんは対等で、お互いに高め合う存在だよね。だから、ライバル」


 普段よりも心なしか活き活きとしているように見える円に僕も感動が引っ込み慄く。僕の中の答えを一緒に探してくれると彼女は言うが、僕はあなたと恋人になりたいんですなんて、今の状況で言えるわけがない。

 それに円のこのキラキラしたような感じ、どこかで見覚えがある。


(や、ヤタガラスだ……)


 このスイッチが入ったようにぐいぐいと来るのは彼女が昔、特撮番組『ヤタガラス』を語る時の顔にそっくりだ。かつての円は男子よりも外で遊び、男子よりも男の子向けの趣味を網羅していた。心の闇を抱えた今でも、あの頃のときめきは彼女の中にあるのかもしれない。

 それにしても円に恋愛感情という類のものは存在するのだろうか。流石に僕も疑問に思わざるを得ない。


「私、最近の修行はいっちゃんの体力に合わせてやってたけど、これからは本気を出すからね。頑張ってついてきてね」

「えっ、あれで僕に合わせてたの!?」

「そうだよ。私が一人でやってた頃の修行は、あんなもんじゃないから。でもいっちゃんなら出来ると信じてるよ。なんたって、私のライバルだし」


 とんでもないことに、毎日2時間2セットのランニングは円が僕に合わせて考えたメニューらしく彼女の本気ではなかったらしい。普段の修行でも勉強が手につかないほどヘトヘトになるのに、これ以上きつくなると僕の体はどうにかなってしまいそうだ。


(い、良いのかなぁ……これで)


 関係は間違いなく進展した。しかし、円に異性として見てもらうには道のりはまだまだ遠いし、明日からはさらにレベルアップした地獄の特訓の日々が待っている。色々と落ち込んだこともあったりしたけど、これは結果オーライと言っていいものなのか。


「えへへ。改めて、これからもよろしくね。いっちゃん」


 夕焼けに照らされた円の口元は微かに緩んだように見えて、どこか僕は懐かしさを覚えた。


(まあ……いっか)


 あの頃と変わらない僕と彼女は、色々あって少しだけ、ほんの少しだけ大人になった。ような気がした。



【第1章 完】

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