第20話 暗黒のトバリの中で(後編)
電源が落とされ停止したエスカレーターを登り、僕と石上は2階へと進む。紳士服店や靴屋の並ぶ通路を抜け、1階からの光が届かなくなったらそこは完全に近い暗闇……のはずだった。
「九条、止まって!」
「えっ!? うわっ!」
炎の蛇で前方を照らしていた僕の腕を石上が後ろから引っ張った。予想以上の勢いのせいか、僕はその場で尻餅をつく。
次の瞬間、前方の床が強烈な光に包まれた。先程の自動ドアに張り巡らされた円盤が今度は床にも敷き詰められていたのだ。さながら地雷のように置かれたそれは、踏めば間違いなく黒焦げの刑だ。
炎の明かりを頼りに前ばかり見ていた僕とは違って彼女は足元にもしっかり意識を向けていた。
「あ、ありがとう。助かった」
「いい。それよりも別の道を探さないと」
その後も僕たちは進んだ先々で円盤と遭遇し、その度に進路の変更を余儀なくされた。
(もしかして、誘導されてる……?)
発光する円盤を避けながらたどり着いたのはショッピングモール4階、吹き抜けの最上階であった。周囲に店舗はなく屋上駐車場に抜けるためだけの用途なので連絡通路もかなり短く狭い。そのぶん天窓からも近く視界は十分開けている。
「クククッ、待っておりまシタよ」
エスカレーターを登った僕たちの視線の先に、ホタルのイレイズは待ち構えていた。もう逃げも隠れもする気がないらしく、月明かりで姿を晒しゆっくりとこちらに近付いてくる。
その意図が、僕には理解できなかった。
何処にいようともこのホタルのイレイズには僕たちの位置は筒抜けだったはずだ。知能の高い敵がわざわざ暗闇という圧倒的な優位性を捨ててまで、ここに誘い込んだのには何かしら理由があるとしか思えない。
「……! 後ろ!」
何かに気付いた石上が振り返る。僕もつられて同じ方向に目をやると、さっきまで僕たちが登ってきたエスカレーターの足場に円盤がびっしりと埋め込まれていた。
足場だけじゃない。この4階通路の壁や床一面にも同様に例の円盤が張り巡らされている。逃げ道はおろか、これでは満足に動くことも難しい。
「さア、しょうタイムといきましょう。楽しく、美しくもがいてくださイ」
ホタルのイレイズは壁の円盤に手を翳すと、円盤がふわりと発光し始めた。直後、その周囲の円盤も連動し線を描くように光がこちらに近付いてきた。
「うっ! い、痛たたた!!」
「…………っ! う……っ!」
僕の足元の円盤が発光した瞬間、全身が体験したことのない痺れに襲われた。それはもはや痺れではなく針で突き刺されたような鋭い痛み。
体内の芯まで揺さぶられる電撃に僕も石上も動きを完全に封じられていた。振り返ることが出来ないが、彼女も僕と同様に電流を受けているのだろう。苦悶の声がはっきりと後ろから聞こえてきた。
(くそっ、やられた……!)
この吹き抜けの最上階は、まさしく電撃の拷問部屋。ホタルのイレイズの目的は暗がりからの闇討ちではなく、僕たち二人を狭い場所に誘い込んで電流で一網打尽にすることだったのだ。
さらにゆっくりと距離を詰めてくるホタルのイレイズを、僕は痛みに耐えながら睨みつけた。
「ソウいう顔、好きデスよ。命をあきらめるまで、じっくりイジめてあげマス。さっきの仕返しもカネてネ」
イレイズは僕の表情に怖気付くことなく僕の胸ぐらを掴むと、吹き抜けの手すり壁に背中をドン! と押し付けた。抵抗しようにも、痺れて力が入らず炎の蛇も上手く生成できない。
ホタルのイレイズは、楕円形の兜に隠れた口元をぐにゃりと歪ませ僕を持ち上げる。そのまま額の中心に光を収束させ何かの予備動作を行おうとしていた。
(さっきのビームか!)
暗闇の向こうから僕たちを狙ったビームを、今度は至近距離で撃とうとしている。先程は石上の機転で何とか回避することができたが、今は僕も含めて二人とも動けない。背後は1階まで繋がった吹き抜け空間。そのまま押されたら下まで真っ逆さまだ。
ビームで焼かれるか、落ちるか。僕は究極の二択を迫られていた。どちらにしても、間違いなく無事では済まない。
照射の準備が終わったのか、ホタルのイレイズの額がかつてない強力な光に包まれた。しかし、それに対して僕の意識は徐々に薄れていく。
今まさに、熱光線とも言うべきビームに僕の体は貫かれようとしていた。
その時、上からガラスの砕ける大きな音が拷問部屋の中に響き渡った。
「ン!?」
その音に僕の意識は呼び戻され、ホタルのイレイズも集中が途切れたのか額の発光が止んだ。
視線を音のした方向にやると、天井一面に敷き詰められていたガラス窓の一つに大きな穴が空いていた。まるで力づくで叩き割られたように、穴の周辺からは破片がポロポロと崩れ落ちている。
「やっぱり、上にまでトラップは仕掛けられていなかったみたいだね」
僕を持ち上げていたホタルのイレイズの背後に、誰か立っていた。高校の制服を纏った華奢なシルエット。
当然、石上ではない。凛とした声で状況を整理する少女。その声の主は……
「ま、円……!」
そこにいたのは僕たちの救援のため奔走していた円だった。彼女は僕の呼びかけに目もくれず、ホタルのイレイズの首根っこを無造作に掴んで引っ張り兜の下、顎部分に拳を叩き込んだ。
「グブッ!」
予想外の方向からアッパーを受けたホタルのイレイズが大きくよろめき、僕たちを苦しめていた電流が止んだ。
身体が自由になったは良いものの、すぐに戦闘態勢を整えられずその場に膝をついてしまう。振り返ると石上も苦しそうにうずくまっていた。ようやく訪れた反撃のチャンスなのに、加勢できないことがどうにも悔しい。
だが円はそんなことはお構いなしに間髪入れずホタルのイレイズを殴り、蹴り、脆い脇腹に膝を入れる。荒々しいとさえ思える彼女の格闘からは普段は見られないような鬼気迫るものを感じていた。
「ヤ、やってくれマスね……」
円の猛攻を受け続けたホタルのイレイズが、壁の円盤に手を翳そうとする。僕たちを拘束したように彼女にも電流攻撃を浴びせる試みだったのだろう。
「グッ……ウォォーーーー!!」
だが、無慈悲にもその右腕は円盤に届くことなく根本から斬り落とされた。円のビショップとしての能力、彼女の手から発生するレーザー光線の剣がイレイズの腕を切断したのだ。
血液にも似た黒い液体を撒き散らし、ホタルのイレイズは悲鳴を上げながらその場でのたうち回る。
円はその姿をまるで穢らわしいものを見るような目で冷ややかに見下ろしていた。頼もしく思うと同時に、僕はその「目」にほんの少しだけ恐怖を覚える。
「よクも、折角のしょうタイムを……!」
憎々しげに吐き捨てながら、ホタルのイレイズがもう一方の手を床の円盤に押し当てた。咄嗟の判断で円はレーザーの剣を円盤に突き立て、電流の攻撃を防ぐ。
だが、それによって隙が生まれホタルのイレイズは逃走を図った。手すり壁の上を伝い、円が開けた天窓の大穴に向かって一目散に走る。このまま逃げられては彼女の救援が無駄になってしまう。
(……行けるか!?)
電流から解放されて時間は十分に経過し、炎の蛇は生成を完了している。僕は左腕をイレイズの方向に突き出し、蛇をとぐろのようにぐるぐると巻きつけた。手首の先からじわじわと熱が生じ、とぐろの隙間から火の粉が溢れ出す。この場で奴を仕留める手段があるとしたら、これしかない。
巻きついた蛇が膨張し、臨界を迎えた。
「食らえぇーーっ!!」
僕は腹の底から叫び、左腕に充填した魔力を解き放った。直後、そこから巨大な火球が打ち出されホタルのイレイズが炎に包まれる。
「ウォ……オォォーー……!!」
野太い断末魔が周囲にこだまし、空中で大爆発が起こった。轟音と爆風により、僕を含めてその場にいた全員が大きく仰反る。
奴が逃げようとした天窓の方向に目をやると、もはやそこには円に叩き割られた大穴などどこにもなく、それどころか天窓そのものが跡形もなく吹き飛んだように見えた。散々僕たちを苦しめたホタルのイレイズは、自らの用意した拷問部屋でその最期を遂げたのだった。
「終わっ……たぁ……っ」
ようやく危険が去ったことで緊張の糸が切れたのか、僕はへなへなとその場に崩れ落ちた。今回も何とか生き延びることが出来た喜びを噛み締める。いつもいつものことだが、僕はギリギリの戦いを強いられることが本当に多い。
(でも、これ……)
建物自体に被害が出ることはある程度想定はしていたが、ここまでの規模になるとは僕も予想していなかった。仕方ないとは言え、修繕にどれ程の費用がかかるかは考えるだけで恐ろしい。
「いっちゃん」
そんな風に冷や汗をかく僕に円が呼びかけ、手を伸ばす。その手を掴んで僕が立ち上がると、彼女は安心したような柔らかい笑みを浮かべた。
「よかった。間に合って……」
「ありがとう……その、また助けられちゃったね」
円によって命を救われたのは一度や二度ではない。初めてイレイズに襲われた時も、25号に殺されかけた時も、そして今回も。彼女はいつだって、危険を顧みず僕を助けてくれた。
「気にしないで。こういう時はお互い様でしょ?」
「うん」
以前の僕ならここで弱々しく頷いていただろう。だが、僕と彼女は対等な関係ーー「ライバル」なのだ。助けてもらうことに負い目を感じる必要なんてない。円が助けを必要としている時に僕も円を助ければいい。それが対等な関係というもののはずだ。
「怜ちゃん、大丈夫?」
僕の背後で弱っている石上に、円が駆け寄る。石上は僕と同様にホタルのイレイズの電撃で弱っており、その足はまだふらついた状態だった。
「大丈夫……ありがと。あんまり役に立ててないし、ここのところ迷惑ばっかりかけて、ごめん」
姉のことも含めて責任を感じているのか、石上は弱々しく謝罪した。それに対し円は無言で静かに首を振る。
彼女はあまり役に立てないと自分を卑下したが、それは誤りだと僕ははっきり言えた。現に僕は石上にも何度も助けられているし、石上がここにいなかったら円が助けに来る前に僕はやられていたことだろう。
結局、ビショップという戦士である以前に僕たちはただの人間なのだ。一人で出来ることなんて、たかが知れている。
「それより、安心するのはまだ早いみたい。イレイズの気配、まだ感じるから」
「えっ、まさか!?」
「うん。遠くの方で、もしかしたらまだ複数いるかも……」
さらっと重大発言をする円に僕は愕然とした。あれだけ苦戦する敵を相手にしたというのに、まだ戦いは終わらないというのか。
「とりあえず、外出ない? あいつを倒したならあの面倒な仕掛けも消えてるはずだし」
石上の提案に、僕も円も頷いた。
1階の出口までたどり着くと僕たちを出さないようにびっしりと自動ドアに張り付いていた大量の円盤は、まるでそこに最初から何もなかったかのように忽然と姿を消していた。電源は落ちた状態なので勝手に開いてはくれないが、手で開けることは可能だったので壊さずに済んだことに僕は安堵した。
「もう、閉じ込められるのはこりごりね」
ショッピングモールを出てすぐの細い路地で、石上が僕にだけ聞こえるように呟いた。
「……そうだね。暗いとことか、電気とか、もうトラウマになりそう」
僕もそこは頷くことしか出来なかった。
今まで力のあるイレイズと戦う機会はあったが、ホタルのイレイズのように場所や環境そのものを利用してきて追い詰める敵と遭遇したことはなかった。イレイズは知能が高く狡猾と言われてはいたが、いったいどこまで人間社会のことを熟知しているのだろう。
ビショップの戦いが命懸けのように、イレイズ側も命懸けで僕たちを殺すように動く。もしさらに強力な、より残忍な手段を用いるイレイズが現れたのなら、それは僕たちの手に負える存在ではないのかもしれない。
人類が相手にしている「敵」というのは、それほどまでに大きな存在なのだ。
(円……)
僕は目の前を歩く幼馴染の背中を見つめ、以前口にした言葉を思い出す。
“イレイズを全員倒して円の笑顔を取り戻す”。その道のりは果てしなく遠い。
「……!?」
なんて思案に暮れている僕の耳に、金属が弾ける鈍い音が響いた。
「今の、もしかして銃声?」
円が振り返って僕たちに確認する。
銃を使う人間。それはビショップの中では長谷川小次郎しかいない。だが、彼は今回の戦闘に参加しているという話は聞いていなかった。
続け様に連続してコンクリートを抉るような不快な音が響き渡る。長谷川以外にこの銃声を鳴らす人間、もとい集団には心当たりがあった。
「怜ちゃん!?」
「石上!?」
同じ結論に至った石上が、音のする方向に一目散に駆け出した。僕と円が慌てて追いかけるも、脇目も振らずに走り出した彼女の背中はどんどん小さくなっていく。
今この状況に、僕は胸騒ぎを感じずにはいられなかった。
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