第21話 悪夢の予兆(前編)

 走る石上を追いかけ、僕と円は夜の路地を抜ける。だが、彼女は予想以上の速さで暗闇の中に消えていった。

 先程の銃撃音から、近くであのパワードスーツ集団が戦闘を行なっているのは間違いない。その指揮を執っているのは石上姉だ。ホタルのイレイズとの戦いでは離れないように注意を払っていた石上が、僕たちの制止を振り切って駆け出したことからもその予感は確信になっていた。


「……あっちか!」


 狭い路地を抜けた先は車通りの多い公道だった。魔鐘結界の中なので車道では動きを止めた車両があちこちに点在している。

 かなり遠くの方でその間を縫うように駆け抜ける小さな影が見えた。街灯の明かりでそれが石上であることがギリギリ視認できる距離だ。僕と円は再び見失うことがないよう全速力でその影を追いかける。


「ぐわっ!」

「いっちゃん!?」


 しかし静止した大型ダンプの影から飛び出した何かにぶつかり僕は勢いよく吹っ飛んだ。いきなりの激突に受け身を取れずそのまま僕は地面を転がる。


「い……てて……」


 よろめきながら身体を起こして視線を上げると、全長2メートルはあろう細長く引き締まった黒い人型のフォルムがそこにはあった。肩からは鋭い棘を幾つも生やし、首から上は黒豹にも似た肉食動物のような形状の、明らかに人ではない怪物……イレイズだ。


(……別の個体か!?)


 石上は銃声のした方向に走り出した。その先で戦闘が行われているのだとしたら、相手は今目の前にいるイレイズと同じでは有り得ない。


「こいつは私がやる! いっちゃんは怜ちゃんを追いかけて!」

「円……!」


 円がレーザー光線の剣を構え、イレイズから僕を庇うように立つ。確かに彼女は先程のホタルのイレイズとの戦いで僕よりもまだ余力を残していた。こいつが相当の難敵でない限りは、円一人でも対処は可能だろう。


「……わかった!」


 僕は円の言葉に一瞬躊躇いながらも頷いた。

 正直、ここで彼女を置いて行くのは心苦しい。いくら円が実力者だとしても命を脅かす敵を前にしている以上、やはり2人がかりで当たる方が最善かつ確実だ。

 だが石上は今、敵かもしれない姉と対峙しようとしている。言葉ではしっかりとした決意を語っていたが、心の中では言いようのない不安が渦巻いているはずだ。僕が行って何か出来るとは思えないが、少なくとも彼女を一人で行かせたくはなかった。

 僕は小さく頭を下げ、石上のいた方向に再び走る。


(いた……!)


 緩やかな坂を下った先の開けた場所で、鋼鉄の外骨格に身を包んだパワードスーツ集団が巨大な影を取り囲んでいる。

 さらに近付いてよく見ると、囲まれていた影は甲殻類を思わせる外装で身を固めており両肩と頭頂部からは特徴的な鋭い針のある触肢(しょくし)を生やしていた。そのイレイズの姿は、形容するならば「サソリのイレイズ」と呼ぶべきだろうか。


「石上!」


 パワードスーツ集団から少し離れた場所で、二つの人影が対峙している。片方は石上、もう片方は高圧的な態度で彼女を見下ろす長身の女性、姉である石上沙耶だ。

 妹の石上は、何か見えない強力な力に押さえつけられているのか片膝をついてうずくまっており、彼女の足元は魔法陣のような幾何学的な紋章を描いた青白い光に包まれている。


「……お姉ちゃんはね、本当はこんな真似はしたくないの。どうしたら理解してもらえるかしらね」


 奥歯をぎりりと噛み無言で姉を睨みつける石上に対して、姉は諭すような口調で話す。しかしその顔つきはとても冷ややかなものであり、肉親に向けるような視線とは到底思えない。

 僕は戦闘を行なっている一団の側を駆け抜け、石上の元に駆け寄った。


「九条、あたしのことは気にしないで。あんたは早くあのイレイズを……」

「その必要はないわ。この間も言ったでしょう。これからの戦いは全部私たちと、大人たちに任せておけばいいって」


 石上の言葉を遮るように姉が僕たちを制止する。だが、石上姉がなぜここまでして僕たちを戦わせようとしないのか、その理由が分からない。

 今もパワードスーツ集団はサソリのイレイズと近距離での白兵線を繰り広げている。しかし、彼らの所持しているサバイバルナイフやハンドガンはイレイズの硬い外皮に通用している様子はなく、多人数対一とはいえ戦況が有利には見えない。


『紗耶様!「ペリュトン」の使用許可を願います!」

「いいわ。許可します」


 パワードスーツの一人が、音声スピーカーから石上姉に対して何かを願い出た。その要請に対して彼女はいかにもつまらなさそうな表情で応える。


『5番機!4番機!「ペリュトン」射出用意!』

『はっ!』


 隊長と思しきパワードスーツが他の隊員に呼びかける。指示を受けた後方の2機は背負っていたコンテナを下ろし、中からかなり重量のある銃火器のパーツを取り出した。それら数点をその場で組み立て、完成したのは砲身が1m以上はあるだろう六連装の巨大な銃器、ガトリング砲だ。


『全機、イレイズから距離を取れ!』

『「NBT02ーペリュトン」……アクティブ!』


 隊員のパワードスーツ二人がかりでガトリング砲を構え、引き金を引く。その照準を定めたサソリのイレイズの胸部分目がけて銃弾が勢いよく発射された。


「う、うわわ……っ!」


 至近距離で鼓膜を抉るような轟音が連続して鳴り響き、思わず僕は耳を塞いだ。目の前で起こっているのは、さながらアクション映画の撮影とでも見間違うほどの凄まじい光景である。

 薬莢を撒き散らしながら打ち出されたガトリング弾は次々と命中し、サソリのイレイズは白煙を挙げてその場で仰け反った。


(……や、やった!?)


 あれだけ凄まじい威力のガトリング砲の直撃を何発も食らったのだ。並大抵の強度なら、イレイズの身体はあの外皮ごと木っ端微塵になっているはずだ。恐らくパワードスーツの彼らも、同様に勝利を確信していただろう。

 だが、そんな希望は一瞬で脆くも崩れ去った。


『ぐッ……!』


 白煙を掻き分けて姿を現したサソリのイレイズが、近くにいたパワードスーツの一人に掴みかかり、両手で無理やり装甲の隙間をこじ開けようとする。


『し、支援を! 誰か!』


 力任せに押し倒されてパワードスーツの隊員が悲鳴を上げる。すぐさま他の隊員がイレイズに掴みかかって引き剥がそうとするが、サソリのイレイズは微動だにしない。


『こ、このッ!』


 隊員の一人がサバイバルナイフを突き立てるが、イレイズの外皮は傷ひとつ付かず逆に振り払われて転倒する。サソリのイレイズは倒れたパワードスーツに馬乗りになり、胸部装甲の隙間に触肢の針を執拗に何度も突き刺した。


「……オソレロ……喚ケ……!」

『う、うわあぁぁ!!』


 組み付かれて攻撃を受けるパワードスーツが、恐怖による悲鳴を上げる。

 そもそもこのパワードスーツの強さは、前回の手傷を負ったキリンのイレイズを集団でやっと倒せた程度だ。初めから本気の殺意で襲いかかってくるイレイズを相手にするとどうなるか、結果は火を見るより明らかである。


『しゅ、出力低下! 誰か! 誰か!」

『全機、2番機の救援を! 紗耶様! 緊急離脱の許可を願います!』

「駄目よ。そのまま戦闘を継続なさい」

『なっ……!?』


 石上姉の下した指示は非情だった。戦況は明らかに不利で、隊員が命の危険に晒されているのは彼女にも分かっているはずだ。


『……すまない。2番機、もう少しだけ耐えてくれ!』


 指示を受けたパワードスーツは一瞬慄きつつも、覚悟を決めたのかサバイバルナイフを片手にサソリのイレイズに向かっていく。


「くそっ……!」


 こんな状況で黙って見ていられるはずがない。僕は左腕に炎の蛇を出現させ、彼らに加勢しようとした。

 だがその瞬間、僕の足元を取り囲むように青白い光を放つ紋章が出現し周囲が冷気に包まれた。身体はイレイズの方向を向いているのに、足が凍ったように動かない。


「お姉ちゃん、やめて!」


 同じように動きを封じられている石上が姉に向かって叫ぶ。

 振り返ると石上姉は自身の身長にも匹敵する大きさの、巨大な弓を携えていた。雪の結晶のような細かな装飾がいくつも施されたその長弓は、まるで氷で造られたように青く透き通っている。

 それが彼女の能力で生成したもの。つまりは石上姉のビショップとしての能力だ。長弓は足元の紋章と同じ光を放っており、僕や石上の動きを止めているのも彼女の能力によるものなのだと推測できる。


「なんで……」


 だが、なぜその力を僕たちに向ける? 目の前にはイレイズという敵がいて、僕も石上もそれを倒すためにここまで来た。それをビショップの能力を使ってまで邪魔しようとするのは一体何故だ。


「あなたは……あなたは、どっちの味方なんですか!」


 抑えきれなくなった感情を、僕は石上姉に向けて爆発させた。彼女が組織のどんなに偉い立場にいるのかなんて知らない。でも現に石上姉の指揮するパワードスーツの隊員たちは、今も目の前でサソリのイレイズに踏み潰されなす術もなく蹂躙されている。それを助けようとすることの、何がいけないのか。


『いいんだ……やらせてくれ。これは我々の仕事だ』


 イレイズの反撃を免れた隊長と思しきパワードスーツが、音声スピーカー越しに僕と石上姉を仲裁する。


「えっ……?」

『私たちはずっと、子供たちを戦いの道具にして危険な最前線に送り込んできた。君たちのような、未来ある若者を……本当に戦わなくてはならないのは、今まで安全圏から見ていただけの我々なんだ』

「でも、だからって……」


 隊長が語った「安全圏」という言葉に、僕は芥先生の顔を思い浮かべた。

 ビショップとして戦えるのは僕たちの年代、つまり10歳代の若者だけだと言っていた。組織の大人たちは基本的に裏方で支援に徹している。だがその陰で、彼らも罪悪感を抱いていたのだろうか。

 だとしても、少なくとも僕はこんな形で目の前で人が傷付くのを望んではない。きっと石上だって同じはずだ。


「そうよ、大人たちは責任を果たしたがっているの。だから好きなようにやらせてあげなさい。それが彼らにとっても本望なのだから」

「責任……!?」


 石上姉の口元が少しだけ笑っていたのを僕は見逃さなかった。

 間違いなく彼女はこの状況を楽しんでいる。目の前で大人が命を捨てる覚悟で戦って、苦しみ傷付けられているこの状況を。それを「責任を果たす」という綺麗な言葉で塗り固めて。

 これが石上姉の「大人」に対する仕打ちなのか。何が彼女の憎しみをここまで駆り立てるのか、それは分からない。だが、今逆らわなければならない相手が誰なのか、それだけははっきりした。

 

「……お姉ちゃん、こんなことして満足なの? こんな下らないことをするためにこの街に来たの!?」


 僕より先に痺れを切らした石上が、突撃槍ランスを地面に突き立てた。自身の魔力を流しこんで足元の拘束を無力化したのだろう。突撃槍ランスが突き刺さった部分から大きな氷柱が周囲に生え広がり、僕の動きも自由になる。


「行くわよ、九条!」

「……ああ!」


 石上の呼びかけに僕は強く頷いた。一瞬だけ目配せを交わすと、二人で同時にイレイズの方向へ走り出す。


「おりゃあーー!!」


 僕は炎の蛇を左腕に巻き付かせ、パワードスーツに馬乗りになっているサソリのイレイズの顔面を思い切り殴りつけた。


「ガァ……ッ!」


 強力な熱と重さの乗ったパンチを受けてサソリのイレイズが後方に吹っ飛ぶ。だが、まだ致命傷ではないらしくイレイズはすぐに起き上がり、触肢の針の狙いを僕たちに定めた。


(来た!)


 サソリのイレイズの右肩から生えた触肢の針が、僕の心臓部目掛けて伸びてくる。その一撃を、僕は蛇を巻きつけた左腕で防いだ。


「う……っ! ぐ……!」


 針は勢いよく蛇の鱗を突き刺し、腕に鋭い痛みが走る。プロメテの能力によって生成された蛇ではあるが、僕の体内に注入された魔力が作り出した物であるため感覚は繋がっているらしい。つまるところ、この蛇自体が僕の身体の一部と言ってもいい。

 しかしこの程度、直接身体を突き刺される痛みと比べれば些細なものだ。僕は痛みを気力で耐え、右手で触肢の関節部分を掴み全身の温度を上げるよう集中する。


「燃えろ……!」

「ア゛ァ゛……ァ……!!」


 周囲が炎に包まれ、サソリのイレイズが苦悶の声を上げた。アスファルトの地面が徐々に溶けはじめ、触肢の動きが目に見えて鈍っていく。いくら厚い外皮に守られていても、これだけの高温の中にいればひとたまりもないはずだ。


(……ごめん、これ以上は!)


 だが長時間保たないのは僕も同じだった。ただでさえ体力を消耗している状態にもかかわらずフルパワーの魔力を送り込んでいたため、十秒も経たないうちにイレイズを包んでいた炎は蛇ごと消失した。


「九条、離れて!」


 拘束が解かれた次の瞬間、イレイズの背後に回り込んでいた石上が突撃槍ランスを構えて背中から勢いよく刺し貫いた。急激な温度変化によって耐久力が低下した外皮では石上の攻撃を防ぐことが出来ず、突撃槍ランスはサソリのイレイズの胸部を容易く貫通する。

 直後、貫かれた胸部から全身にかけて肉体にヒビが入り、イレイズはまるで砂で作られた人形のようにボロボロと砕け散った。体内に氷の魔力を送り込まれ、突撃槍ランスの回転によって内側から崩壊したのだ。

 これで目の前の敵は完全に討滅された。その場にしばしの沈黙が流れる。


「やっぱり、あの時きちんと止めておくべきだったかしら」

「……え?」


 冷めた口調で石上姉が小さく呟いた。


「知らない間にこんなに反抗的な子になっていたなんて……誰が誑かしたのか知らないけど、遠くの学校に一人で行かせたのがそもそもの間違いだったようね」

「お姉ちゃん……どうして、分かってくれないの」


 妹の石上が声を震わせて反論する。その顔つきは怒りではなく、肉親に言葉が通じないことへの悲哀に満ちていた。


「怜ちゃんは、お姉ちゃんの言うことだけを聞いていればいいの。下らない大人も、それに従うだけの子供たちも、全部あなたの人生に害悪しかもたらさないのよ」


 その「害悪」にはもしかして僕も含まれているのだろうか。ここまで支離滅裂な理論を自信満々に並べられては、もはや何の感情も湧いてこない。


「2番機を運びなさい。撤収します」


 石上姉が倒れた隊員を指差す。胸部の装甲が無惨にもひしゃげて穴だらけになったパワードスーツは、まるでただの鉄の塊のようにぴくりとも動かなかった。


「九条くん」

「えっ? ぼ……僕、ですか」


 急に名前を呼ばれ、僕の身体がびくんと縮こまる。こちらを見据える石上姉の表情はまさしく絶対零度、今まで見てきたどの人間よりも恐ろしく感じられた。蛇に睨まれたカエルとはこのことだ。


「後悔させてあげるわ。君も、『陰陽部』なんてものも、妹には必要ない」


 最後にそう言い放ち、石上姉とパワードスーツの集団は暗闇の奥へと消えていった。


「あんたは何も気にしなくていい。間違ってるのは、あの人だから」

「う、うん」


 今日の一件で姉との決別を覚悟したのか、石上の顔つきは毅然としていた。もちろん、次にまた何かあれば僕も迷わず彼女の力になるつもりだ。

 だが、後悔させるとはいったいどういう意味だろう。その一点だけ、僕の中では気がかりであった。

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