第21話 悪夢の予兆(後編)
「ええと……みなさん、おはようございます。昨日学校近くの遠藤モール周辺で局地的な地震が発生したみたいで、壁が壊れたり停電になったりで復旧作業が続いてるようです。怪我をした人はいなかったようですが、うちの学校の生徒も何人か巻き込まれたそうで心配です。みなさんも、そういう状況に遭ったら焦らず警備員さんや大人の方の避難指示に従うように。一人で離れて行動してはいけませんよ。それと、石上先生は大学へのレポート提出と報告会で今日はお休みです」
時は変わって翌日。いつものように疲れ目の塩谷先生による朝のHRが行われ、教室がざわざわし始める。どうやら教育実習生の石上姉の姿が見えないことが主に男子生徒にとって不満なのだろう。
そんなことより僕は昨日のホタルのイレイズとの戦いの余波が思った以上に大きかったことに身震いしていた。前回の爆発事故騒ぎは巻き込まれた側だったが、今回はどちらかと言えば僕たちも破壊した側だ。仕方なかったとはいえ、被害総額がいくらになるかなんて想像するだけで恐ろしい。
「ちぇー、石上の姉ちゃん今日いないのか。つまんねえの」
斜め後ろの席で犬飼が分かりやすくぶつくさ文句を言っていたが、僕は逆にそこは安堵していた。昨日のパワードスーツたちをまるで奴隷のごとく使役していた姿を見れば、誰だって印象が180度変わるはずだ。可能なら動画に撮ってみんなに見せてやりたいぐらいである。
(……ん?)
そんなこと下らないを考えていたら、僕のポケットがぶるぶると揺れた。先生に見つからないようにこっそり取り出してスマホの画面を確認すると、奥村先輩からメールが届いていた。
曰く、『緊急招集! 放課後に部室に集まって!』とのこと。石上の座る隣の席に目をやると、どうやら同じ文面のメールが送られていたそうでばったり視線が合った。
「九条」
「う、うん」
小声で名前を呼ばれ、僕は小さく頷く。何の要件で集められるのかは、おおよその見当はついていた。
あっという間に一日の授業は終わり、僕と石上は急いで部室棟の陰陽部の部室に向かった。
あの暴君姉こと石上紗耶が現れて以来、ここに部員のビショップたちが集まる機会はなかった。顧問である芥先生が行方をくらませた上に、陰陽部は形式上は乗っ取りをされているので石上姉に内緒で集会をしようものなら、彼女に何をされるか分かったものじゃないからだ。
「やっほ、数日ぶり! みんな揃ってるねっ」
陰陽部の部室に僕たちを呼び寄せた奥村先輩が「ぱん!」と手を叩く。中央に寄せられた長机の前に座っているのは僕と石上と円の一年生組だけ。奥村先輩はどこから持ってきたか分からない大きなホワイトボードの前に立って、まるで会議室のような神妙な面持ちで立っていた。ホワイトボードには太い水性ペンで『緊急事態!』とでかでかと書かれてある。
「あの、長谷川先輩は……」
「大丈夫だ。ここにいるぞ」
おずおずと手を挙げてた僕の背後から聞こえた声に僕はびくんとした。例のごとく部室端のロッカーに潜んでいるようだ。たぶんいるだろうなとは思っていたが、やはり急に何もいないはずの空間から声がするのは心臓に悪い。円は特に驚く素振りもないようで、僕の隣で姿勢良く座っている。
「……なんでみんな平然としてるの? 怖くない……?」
状況に上手く順応できなかった石上が困惑した顔つきで周囲を見渡す。別に平然としているわけではないが、円と奥村先輩が何故か長谷川の気配を読めるようなのでそれに僕が乗っかっているだけだ。
「とりあえず、こういう風に全員集まれるのは久しぶりだからユミちゃん先輩嬉しい。みんな無事でよかった!」
「無事でって、そんな大袈裟な……」
「だって、今うちを支配しているのはあのレイちゃんの怖〜いお姉さんだよ? 下手に逆らったりなんてしたら先生みたく左遷……いや私たちなら退学とか有り得るかも」
僕と石上はあの暴君姉にとっくに目をつけられているので今更なんとも思わないが、奥村先輩にとってはこの間の殴り込みの印象が強すぎたのだろう、顔を青くしてブルブル震えている。頼りになるんだかならないんだか、よく分からない先輩だ。
「ユミ先輩。ところで、今日って何の集まりなんですか?」
きょとんとした顔で円が質問した。今日は特にイレイズ出現の知らせも受けていないし、円も気配は感じていないようなので戦いに関する話ではないことは確かだ。
「うーんとね、まずはこれからの陰陽部……というか私たちがどうするべきかなって話。このままあの人がうちのことを何でも決めていくと、たぶん大変なことになっちゃうのよ」
「大変なことって……なんですか?」
「この間、レイちゃんのお姉さんがこの街に関する全権限を与えられているって言ってたでしょ。あれってつまり、私たち陰陽部の部員一人ひとりの処遇もあの人が全部決められちゃうってことなの。この部を存続させるかさせないか、とかも自由にね」
陰陽部は、表向きは学校の部活動の一つとして登録されている。しかしそれを裏で管理しているのはビショップ本部の組織であり、実際の決定権となるとそちらが優先されるのは間違いない。
「えっと……それってつまり、陰陽部が解散の危機ってことに……?」
「甘い! 甘いよ九条くん! 解散で済むくらいなら私もこんなに切羽詰まってなんかいないんだから!」
奥村先輩は勢いよくホワイトボードを叩いて僕を叱りつけた。普段の朗らかな彼女からは見られない剣幕に僕も思わず気圧される。
「私たちの処遇を決められちゃうってことは、もしかしたらこの部の誰かが無理やり転校させられて違う組織に飛ばされちゃうかもしれないってことなんだよ! あの人の匙加減次第では!」
「えぇーーっ!?」
衝撃の事実に僕は椅子から転げ落ちそうになった。
転校。それはつまり円か、もしくは僕が遠くの地に飛ばされて離れ離れになってしまうことを意味していた。
嫌だ。そんなことになってしまえばこの学校に通う意味も、言ってしまえばビショップをやる意味も無くなってしまう。それだけは絶対に避けなければならない。
「い、嫌ですよそんなの! 絶対! はい!」
「いっちゃん?」
立ち上がって声を張り上げる僕の心情を知ってか知らずか、円は不思議そうな目で見つめていた。
「うん! せっかく出来た組織だし、私もみんなと離れるのは嫌。だからこうしてレイちゃんのお姉さんがいない今日作戦会議してるの」
ことの重大さを僕はようやく理解した。昨晩の石上姉の「後悔させる」という言葉がこのことを意味しているのだとしたら、そのぐらいの事は当然やりかねない。
「でも、僕たちに出来ることって……」
いくらビショップとは言っても、相手はイレイズではなく人間でしかも権力者だ。戦う力なんていくらあっても役には立たない。
「私たちはビショップだけど、組織全体から見ればまだまだ下っ端だからね。パイプのある人を辿って、偉い人に直接意見を言えればいいんだけど……」
そう言って、奥村先輩は円の方に目をやった。
「私……ですか?」
「円ちゃんのお父さん、確かプロメテ開発チームの総責任者って言っていたよね」
確か円の父親は組織でもかなり偉い立場にいる人だったはず。本部に少しでも在籍していれば名前を聞いたことのない人はいない、と芥先生が以前言っていた。
「あっ、ごめんなさい。その……お父さん忙しい人だから、私でもいつでも連絡とれる訳じゃないんです」
何を言いたいか理解した円が申し訳なさそうに頭を下げた。
「そっかあー、ごめんね。気を遣わせちゃって」
「でも計画はお父さんも知っているはずなので、あんまり越権行為……とかはできないはずだと思います」
残念がる奥村先輩に対し気持ちだけフォローを入れる円。想像でしかないが、娘の人事に関することなのでたぶん円が飛ばされることはないと思う。だが僕が無事に済むかと言われたら望み薄だ。
「となると頼れる大人は……やはり芥先生しかいないようだな」
ロッカーの中から長谷川がぼそっと呟く。確かに本部と繋がりがある身近な人と言えば、芥先生一人だけだ。
「それが出来たら苦労しないんだけどねぇ……」
奥村先輩がしょんぼりと肩を落とす。問題は先生が左遷された上に今どこにいるのか分からないことだ。本部と掛け合うと言っていたので、もしかしたらこの街にすらいないのかもしれない。
「奥村先輩、先生に発信機とか付けたりしてないんですか?」
「するわけないでしょっ、そんな犯罪まがいのこと」
何の気なしに聞いてみたが、素っ気ない答えが返ってきただけだった。以前ビルの防犯カメラの映像をハッキングしていたような気がしたが、あちらは良いのだろうか。
「はぁぁ……この辺の映像に先生とか映ってたりしたらいいんだけど……ね……!?」
「ど、どうしたんですか?」
奥村先輩の視線が長机に置かれたノートパソコンの画面に吸い寄せられていく。つられて僕たちも画面を見に集まる。
「これって……」
「せ、先生!?」
僕と円が同時に息を呑んだ。画面にパソコンの画面には建物や道路を映した動画のウインドウがいくつも開かれている。恐らくは前に見せられた防犯カメラの映像だ。
その中の一つ、画面中心にある一番大きなウインドウに映っていたのは、しわしわのワイシャツを着て無精髭を生やしたくたびれた顔つきの男性……芥先生だった。映像を見るに、どこかの大きな建物から出て行くところらしい。
「ここって、見覚えあるような……」
「病院ね。あたしと長谷川先輩が前に入院していたとこ」
石上が思い出したように呟く。名前は確か「早川総合病院」。上級イレイズ25号との戦いで負傷した彼女たちはこの病院に運ばれていた。僕と円も一回見舞いに行ったことがあるため場所は記憶している。
「でも、こんなところにどうして先生が……」
「この病院、イレイズにやられたやつとか表向きには言いづらい怪我を治療するところみたい。この街でそういう病院はここだけだって聞かされたわ」
つまり芥先生がこの病院を訪れた理由は十中八九、ビショップの組織に関わることだ。先生なりに僕たちのため何らかの行動を起こしているに違いない。
「……見えなくなっちゃったね」
カメラの映像外に出たのか先生の姿を見失い、円が無感情に呟く。
「こうしちゃいられないわ! 他の映像も洗って先生の足取りを追わなきゃ! とりあえずみんな、これに名前書いて。3枚あるからね」
そう言って奥村先輩が出したのはコピー機で出力されたA4サイズの紙だった。紙には明朝体の細かな文字がびっしり書かれており、一番上には大きく「嘆願書」とある。
言いたくはないが、こんな紙切れ一つで事態が好転するとは全く思えない。他に何か思いつく訳でもないので拒否する理由もないけれど。
「先生だけでなく私たち全員がお願いしてるとなれば偉い人だって無視できないはず! さ、コジローくんも出てきて!」
奥村先輩がロッカーの中の長谷川を無理やり引っ張り出して名前を書かせる。彼女に促される長谷川は意外なほど従順だった。
「とりあえず、私は映像から先生を追ってみるから九条くんと円ちゃんはこの病院に行ってみて。もしかしたらさらに上の人とコンタクトが取れるかもしれないし。レイちゃんは私が先生を見つけ次第場所を教えるからとりあえず待機で」
各々が指示を受け、嘆願書を持たされた僕と円は部室を後にする。
もしかしたら、この時点で既に遅かったかもしれない。
狂気は、すぐそこに迫っていた。
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