第22話 望む人柱(前編)
消息を絶った芥先生を追うため、僕と円は最後に立ち寄ったとされる「早川総合病院」を訪れていた。いくつも病棟を持つ街中でもかなり大きな病院であり、平日休日問わず敷地内では救急車や患者を乗せた担架が行き交っている。
「来てみたはいいけど、コンタクト……って誰に取ればいいのかな」
「ユミ先輩が偉い人って言ってたから、普通に考えて院長先生じゃない?」
病院の待合ホールでは常に人がごった返していて、診察が目的でない来院者も番号札を受け取って待たなければならない仕組みだった。あまり時間がない状況なので手っ取り早く済ませたかったが、こればかりは仕方ない。
それにしても、あれから姿を消していた先生がいったいどんな用事でこの病院を訪れていたのだろうか。
「ねえ、いっちゃん」
「なに?」
『335』と印字された紙を手に取り、ホールの長椅子に二人で座っていると円が神妙な面持ちで僕に尋ねてきた。
「怜ちゃんのお姉さんって、いったい何が目的なのかな。いきなりやってきて、先生にあんな酷いこと……」
確か円は石上姉と面と向かってきちんと話をしたことはなかったはず。何が狙いで彼女が僕たちに脅しをかけてきているのか、理解していないと思う。もっとも、僕自身もあの暴君姉の動機と行動がどう繋がっているのかよく分かってはいないが。
「なんかさ、よく分かんないけどあの人は『大人』を憎んでるみたい」
「大人を?」
円はきょとんとした顔をしていた。
「昨日、石上から少し聞いたんだ。石上とお姉さんは小さい頃に両親が死んで、親戚の家に預けられていたんだって。でもそこでは二人はあんまり大事にされてこなかったみたい」
「そう……怜ちゃんのご両親、亡くなってたんだ……」
円の表情が少し曇る。彼女もイレイズによって母親を失った過去があるから、何か思うところがあるのだろうか。
「それで、プロメテの適合者に選ばれてから今のああいう人になっちゃったって言ってた。本部の職員の人に怒鳴ったり暴力を振るったりとか」
「そうなんだ……」
何か考え込む様子の円。もしかしたら、円は優しい性格なので石上姉の芥先生に対する仕打ちは、止むに止まれぬ事情があるのだと思っているのかもしれない。僕はもう、彼女に対してそんな事情を汲んでやるほどの心の広さは持ち合わせていないけど。
「でも、過去にどんな酷いことをされたとしても先生たちや他の大人に辛くあたるのは間違ってると思う」
僕の脳裏には、邪悪に微笑みパワードスーツ集団を従えていた石上姉の顔が浮かんでいた。目の前で隊員がサソリのイレイズを相手に踏み潰され、傷付けられていた状況で彼女だけは笑っていたのだ。まともな人間の感性とは思えない。
「そうだよね、それに……」
「ん?」
「なんか、変な話だなって。だって、あの人も私たちもいつかは大人になるんだよ? でも、それなのに大人が憎いって言って、酷いことして……そんな大嫌いな大人に自分もなっちゃってるんだって、思わないのかな……?」
真顔で円が口にした正論は、予想以上にキレがあった。本人に面と向かって言う勇気はないが、言われたら流石にあの人も効くと思う。
確かに石上姉は立場上は大学生で、成人だってしているはずだ。彼女も立派な大人の一員なのに、どうしてそこまで『大人』に執着して嫌悪するのか。
「なんだろうね。大人って」
「お酒が飲めて、選挙権があって、あとはローンが組める……かな」
「いや、そういうルール的な意味合いじゃなくて」
「えへへ、分かってるって。もっと哲学的な、深い意味の話をしたいんでしょ?」
「う、うん……」
普段真面目な円にしては珍しく冗談めいた口調で小さく笑った。不意に見せられた気さくな反応に心臓がどきん、と跳ね上がる。ここ1ヶ月近くですっかり日常になってしまったが、僕は今好きな女の子と二人きりなのだ。あいにくそんな気分に浸れる状況じゃないのが何というか悔しい。
「一口にどう言えば正しいのかは、私も分からないかな。だって私たちまだ大人じゃないもんね。きっと、人の数だけ答えがあるんだと思うよ」
そりゃそうだよね、と僕は心の中で相槌を打つ。周りの同年代の子よりも大人びてる円が言うのは、不思議な説得力があった。そもそもそんな問いを子供の僕たちが真面目に考えたところでしょうがない。周囲の大人を見て、色々な経験をして、少しずつ学んでいくしかないのだ。
「そういえば、石上たちはプロメテの適合者に選ばれてからは本部の人たちに引き取られたって言っていたけど、円はどうだったの?」
話題を変えて僕はふと前から疑問に思っていたことを尋ねてみた。
「どうって、どういう意味?」
「いやさ、石上や長谷川先輩も話してたんだけど、プロメテの適合者になった人は普通は本部のところで教育とか訓練とか受けてから実戦に出るみたい。円はそういうのなかったのかなとか思って」
以前に円がプロメテを父親から受け取ったのは今から一年前と言っていた。その時彼女は僕と同じ中学に通っていたはずで、疎遠ではあったものの姿は毎日のように確認していた。基礎的な戦い方を学ぶためにどこか遠くの施設に出向いていたとは考えにくい。
「私の場合はお父さんが教えてくれたんだよ。魔鍾決壊の開き方や魔力注入の仕方をざっくりとだけど、そこから先は独学……っていうのかな。イレイズと戦っていくうちに自然と今のやり方になってた」
「ど、独学で? やっぱり凄いなぁ……」
円のビショップとしての能力は、魔力をレーザー光線のように手の先から放出するものだ。つまり普段イレイズにお見舞いしているパンチやキックなどの格闘センスは彼女自身の経験で磨き上げたことになる。誰に教わることもなく人より優れた実戦力を持つに至ったのだから、円のビショップとしての力は並外れていると言うほかない。しかし娘にプロメテを渡すだけ渡して、口で説明するだけで実戦に放り込むのは少し思いやりが足りないような気がする。
「…………」
「ど、どうしたの?」
驚嘆している僕の反応とは裏腹に、彼女は怪訝そうな視線をこちらに向けてきた。
「凄いって言っても、いっちゃんだって同じでしょ。いっちゃんが本部で訓練してたなんて話、私聞いたことないよ?」
「ああ、うん。でもなんか僕のプロメテは」
その先を口にするのを、僕はすんでのところで思いとどまった。
僕の持つ0号プロメテ、その最大の特性は自立思考回路……つまりAIが内蔵されているそうだ。そのお陰で僕は初めての実戦の時から躊躇なくイレイズを殴れたり炎の蛇を自在に操ることが出来たらしい。
だがそんな事を馬鹿正直に話してしまえば「なんでそんなこと知ってるの? 誰から教えられたの?」と質問攻めにされるのは目に見えている。何よりこのプロメテが原因で数日前に命まで狙われたりしたのだ。ただでさえ先生がいなくなったり石上姉に目をつけられていたり、日常がゴタゴタしている今の状況でこれ以上心配事を増やすのは避けたい。
「……よく分かんない。僕もなんか自然とやってたんだと思う」
「…………ふぅん」
はぐらかし方が下手なのか、それ以上は詮索しなかったものの円はすっきりしない表情のままだった。適当な話題を振って自爆したことを後悔する。
「私たちの番みたい。いっちゃん、行こ」
「あ、うん」
パネルに表示された番号と手に持った紙を見比べて円が立ち上がる。
「ご来院ありがとうございます。本日はどのようなご用件でしょうか」
「えっと……」
受付の看護師の女性に尋ねられ、僕は言葉に詰まる。こういう時にどのように訊けばいいか頭の中で整理がついていなかった。「僕たちビショップです。一番偉い人にコンタクトを取りに来ました」なんて言ったところで用件が伝わる訳がない。
「あ、あの。今日って院長先生はいらしたりしてませんか?」
「えっ、院長……ですか?」
受付の女性は眉を顰めながらこちらを見てきた。ただの高校生の男女がこんな大病院の一番偉い人に何の用だと困惑しているのかもしれない。しかもアポなしの訪問なので、取り次いで貰えるかは正直怪しい。
「すみません、院長は本日出張のため不在でして……」
「あ、そ……そうですか」
しかし返ってきた答えは予想に反したものだった。申し訳なさそうな顔で頭を下げる受付の女性にこちらも反射的に会釈する。
「ええっと、そしたら……」
ならば直接芥先生の居場所を聞いてみようかと思ったが、あいにく僕は先生の写真なんて一枚も持っていなかった。そもそも教師の写真が必要となるシチュエーションなんて想像したこともなかったので、悔もうにも悔みようがない。
それにしても院長が不在ということは、芥先生は誰に用があってここを訪れていたのだろうか。
「私たち、人を探しているんです。この写真の人に見覚えありませんか?」
泣く泣く引き下がろうとした僕の前に円がスッと出て、自分のスマホの画面を受付の女性に見せた。画面の中には奥村先輩のノートパソコンが写ってあり、さらにそのパソコンの画面のウィンドウには先程の防犯カメラ映像に映された芥先生がいる。
(円、いつの間に)
さっきの一瞬で先生の姿を写真に収めていたのだ。円がこの状況を予測していたかは定かではないが、流石の判断である。
「あら、この人……」
「み、見覚えありますか?」
「え、えぇ……2時間くらい前に患者さんの面会にいらした方ですね」
「本当ですか!?」
「はい、既にお帰りになられていますが……」
幸いなことに受付の人は芥先生のことを覚えていたようだ。面会ということは、どうやら先生の用事は院長ではなく入院患者の方にあったらしい。
「あの……それで、どの患者さんに会いに行ったか教えてもらうことは出来ませんか?」
「ええと、申し訳ありません。プライバシーの問題もありますので、あまりそういったことは」
「そ、そんな……」
ようやく手がかりが掴める、と思った矢先に出鼻をくじかれて僕はしょんぼりと項垂れた。警察の捜査ならいざ知らず、高校生の足で調べられる範囲となれば色々な壁が立ちはだかるのだ。
「どうしようね、いっちゃん」
「うーん……」
そこをなんとかとしつこく頼み込むことも一瞬考えたが、受付の人からすれば迷惑なだけだし病院で悪目立ちするのは精神的にきつい。
円も半ば諦めたような表情をしており、ここは大人しく引き下がった方が良いのかもしれない。そもそもここに来て何か得られる確証があった訳ではないのだ。駄目ならば仕方ない。
「おや、君は昨日の……」
「は、はい?」
諦めて帰ろうと踵を返したその時、すれ違った大人の男性が僕を呼び止めた。目尻の小さい皺が目立つ、齢40歳台半ばぐらいの中年の男性だ。僕より頭1つぶんは身長の高い、朴訥(ぼくとつ)とした雰囲気で、黒いスーツの上から緑のジャンパーを羽織っておりドラマで見かける刑事のような印象を受ける。
「いっちゃんの知り合い?」
「いや……」
円に尋ねられて一瞬首を横に振ったが、その声はどこかで聞き覚えがあった。
「そうか、生身で会うのは初めてだったね。昨日、君たちと一緒にイレイズと戦った者だ。覚えているかい」
「あ、もしかしてあの時の……?」
昨日サソリのイレイズと交戦した際、パワードスーツの隊員の一人と話をしたのを思い出す。あのスーツを装着していたのがこの人だったのか。
「私は秋野薫(あきの かおる)。元々はビショップの本部で研究者をしていた。芥主任から君たちのことは聞いていたよ」
「芥先生の……? じゃあ、先生がこの病院に来ていたのって」
予想外の人物から探し人の名前が飛び出し、円が小さく呟いた。役職こそ違うが、彼の言う芥と僕たちが追っている芥先生は同じ人物とみて間違いないだろう。
「ああ。君たちは主任を探しにここまで?」
「は、はい。その、先生にこの紙を渡して上の人に掛け合ってもらうようにって……」
そう言うと僕は鞄の中からファイルを取り出し、奥村先輩に持たされた『嘆願書』を見せた。本部に勤めていた人ならば、もしかしたらこの人も力になってくれるかもしれない。
だが、それを見た秋野さんの表情はみるみる険しいものになっていった。
「ここで大きい声で話すのも良くない。少し場所を変えようか」
そう言って周囲を見渡すと、彼は僕たちを受付カウンターから一番遠く、人も少ない待合ホールの隅に案内した。
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