第19話 すれ違う親愛(後編)
「逃げてきた……って、どういうこと?」
石上がぽろっと漏らした発言の真意を、僕は汲み取ることができなかった。
「あたしがこの学校に来た理由。複数人のビショップを一つの学校に集めるためって、表向きはなってるけど」
「それって、もしかして『陰陽部』のこと?」
「うん。お姉ちゃんに相談しないで、勝手に志願して来ちゃった。今のお姉ちゃんを見てるの、辛かったから」
そう言えば、石上と長谷川はわざわざ陰陽部に入るために他県から編入してきて寮生活をしているのだった。
思えば石上がクラスでもあまり打ち解けられず常に無愛想にしていたのも、そういう背景があったからなのかもしれない。「逃げてきた」とは僕は思わないが、姉から離れるために知り合いのいない県外の高校に一人で飛び込んで来たとなれば、周囲に気を許せる存在がいなかったのも頷ける。
「本当は、職員の人が殴られていた時もあたしがお姉ちゃんを止めなきゃいけなかったのに……あたし、怖くて何もできなかった。見ていることしか……ううん、ずっと見てない振りしてた。変よね。危険な戦いをやってるのに、イレイズよりも……お姉ちゃんの方がずっと怖いなんて」
自嘲気味に笑う石上に僕はやりきれない思いを抱いた。こういう時になんて言葉をかけてあげればいいのか、僕には分からない。今ここで何かを言ったところで、その負い目は彼女の心の中から消えることはないだろう。
「でも……まさかお姉ちゃん、うちの学校に来るなんて思いもしなかった」
「それは確かに、そうだね……」
そこから先が、恐らく今の状況に繋がるのだろう。教育実習の女子大生という仮の身分で僕たちの前に現れ、パワードスーツ集団を引き連れて運用試験をする傍らで遠く離れていた妹を管理する。
石上本人からしたらたまったものではないはずだ。初めて教室に現れた際に彼女の顔が青ざめていた理由も今なら分かる。
「何か、嫌な予感がするの。あたし一人で済む問題なら全然構わないけど、このまま放っておいたら良くないことが起こるかもって」
具体的に何が起こるとか、確証はないが僕も考えは同じだ。現に芥先生はいきなり職を解かれて僕たちの前から姿を消してしまった。既に僕たちは石上姉によって被害を受けているのだ。
「あたし、今度は逃げない。ちゃんと会って話をして、お姉ちゃんが間違っていることを伝える。『陰陽部』も、みんなも、あの人の好きにはさせないから」
決意を口にした石上の目はしっかりとこちらを見つめていた。
今になってようやく、僕は石上怜という人間がどういう人物なのか理解できたような気がする。今までは偶然同じクラスで、偶然隣の席で、偶然同じビショップとして戦う仲で。普段はきつい言動から苦手に思っていたけど、助けられることもあって実は面倒見のいい性格だったり。しかし、彼女のそれ以上のことを僕は何も知らなかった。
改めて、石上がどんな思いでビショップとして戦い今どうしてここにいるのか、それが分かってとても有意義な話ができたと思う。
「うん……でも、石上」
「なに?」
「さっき『自分一人で済む問題なら構わない』って言ってたでしょ」
彼女も、根っこでは円に少し似ている。自分の弱みを見せることに慣れておらず、一人で抱え込みやすい性分なのだろう。かつては姉という心から頼れる存在が近くにいたが、今は恐らくそうではない。
「石上が悩んでいるんなら、それは石上一人の問題じゃないよ。お姉さんのことでもそうでなくても、本気で悩んでいるなら僕はなんとかしたい。だって、石上はビショップの仲間で……友達だから。たぶん、円も先輩たちも同じことを言うと思う」
石上は驚いたように目を丸くしていた。彼女が内心に踏み込んだ話をしてくれたのだから、僕も自分の素直な気持ちを言わなければならないような気がしていたのだ。
「あんた……たまに真面目に恥ずかしいこと平気で言うのね」
数秒の間を置いて口を開いた石上は、若干頬を紅潮させていた。よく見れば口元も少し緩んでいるような気もする。
「は、恥ずかしい……かな。そんなに」
「まぁ良いんじゃない? 思わないならそれで」
褒められているんだか貶されているんだか分からないが、石上の表情に明るさが戻ってきたので良しとする。
「……ありがと。いっぱい話せて、なんかすっきりした」
「うん。どういたしまして」
照れ臭そうに小さく石上が述べた感謝の言葉を僕は素直に受け取った。
遠くの壁に掛かっていた時計を見たら、時刻は18時に差し掛かろうとしており外はすっかり暗くなっていた。ここに来てけっこうな時間が過ぎたのだと実感する。
「なんか喉渇いちゃった。ちょっとそこで飲み物買ってくる。九条は何がいい?」
そう言っておもむろに石上はポケットから財布を出して立ち上がった。フードコートのうどん店でドリンクののぼり旗が立っているのが目に入ったのだろう。
「え? あ、飲み物くらい自分で買うよ」
「いいわよ。話に付き合ってくれたお礼」
「……じゃあ、石上と同じやつで」
そう言われては何度も断るのも逆に申し訳ないので、お言葉に甘えることにした。
(うーん……)
大体話すことも話し終えて、時間もいい頃合いだ。石上姉も今日の仕事は終えて既に学校を離れているだろうと予想する。僕としてはこのまま解散しても問題ないのだが石上本人が寮の門限ギリギリまでいる場合、彼女を一人残して帰るのは少し気が引けた。
「ん? 鳴ってる?」
頬杖ついて考えていたら制服のポケットからブルブルと小刻みにスマホが揺れる感覚があった。取り出したら着信があり、画面には円の名前が。
「もしもし、円?」
『いっちゃん、今大丈夫?』
「うん。大丈夫だけど……」
電話の先で円は少し息を切らしていた。走りながら通話をかけていることが推測できる。
その様子から、今かけている通話は恐らく緊急の要件だ。そんな状況は一つしか考えられない。
『あいつらの気配、近付いてる。かなり大きいよ! ユミ先輩の方からもたぶん連絡来ると思うけど、注意して』
「……うん、わかった」
もしかしなくても、要件はイレイズだ。普段は奥村先輩からの連絡によって出現場所などを教えてもらっていたが、直接イレイズの気配を察知できる円の方が今回は早かったらしい。
「それで、時間と大体の場所って分かったりする?」
『強く感じるからかなりの数が出現してると思う。場所は……いっちゃんたちって、今どこにいる?』
「どこって、えっと……学校近くの『遠藤モール』だけど」
『近いよ。たぶん私よりいっちゃんたちの方が近い。私も急いでるから、私が魔鐘結界を開くまで待ってて』
「えっ!?」
急な敵の接近に僕は思わず狼狽えてしまった。円のような特殊な力を持っているわけではないので知りようがなかったが、そんな中でさっきまで石上としっとりした長話をしていたことに驚きを隠せない。
『じゃあ、一旦切るね。いっちゃんたちも気をつけてね』
「う、うん。円も」
簡潔に要件を伝え終えた円が通話を切り、僕は立ち上がって石上の方に視線をやった。丁度戻ってきた石上は両手に飲み物の入った中サイズの2つのカップを持って凛とした表情を浮かべている。
「石上、円から今連絡あったんだけど」
「こっちもユミ先輩から来てた。九条も準備して」
どうやら僕が円と話をしている間に奥村先輩からの連絡は石上に行っていたようだ。さっきまでの浮き沈みの激しかった表情とは打って変わって、今は戦士の顔つきになっている。
「あ、それなんだけど円もこっちに向かってるから魔鐘結界を開くのは待ってだって」
「円が? 何分後くらいになるか聞いてる?」
「いやそこまでは聞いてない。でも急いでたからそんなにかからないと思う」
「そう、分かったわ。じゃあ今のうちにこれ飲んでて」
そう言うと石上は片方のカップを僕に渡してきた。
「あ、ありがとう」
ゆっくり飲んでいる暇もないので、カップを受け取った僕はそのまま飲み干す勢いで刺さったストローに口をつけた。
「……っ! げほっげほっ……」
喉の奥から痺れる感覚に僕は思わず咽せ込んだ。中身はキンキンに冷えた炭酸飲料で、身体の内側からしゅわしゅわした感覚が駆け抜ける。駆け抜け過ぎて鼻の奥が痛いぐらいだ。ついでに頭もキーンと痛い。
「ちょっと、大丈夫?」
「へ、平気……」
石上が呆れ半分心配半分な表情で尋ねる。これは中身も確認せず一気飲みした僕が悪いが、ものすごく格好悪い姿なのであまり見ないでほしかった。
「……でも、円が3人一緒の方がいいって判断するくらいだから、今回の敵はいつもより厄介かも」
「あたしも同じようなことユミ先輩に言われたわ。たぶん前の25号のようなタイプじゃないけど、複数の反応が集まってるって」
大抵のイレイズは、1つの場所に1体か2体出現することが多い。そのため討滅の指示を受けるビショップは、いつもは僕を含めて2人程度だったり少人数だった。円も併せて3人での作戦というのは、今までやってきた中でかなり珍しいかもしれない。
厄介な敵、と聞いて一抹の不安が頭をよぎる。
「石上、その……たぶんなんだけど」
「分かってる。来てるかもね、お姉ちゃん」
何を言おうとしているのか察した石上が答えた。やはり僕の考えてることは筒抜けらしい。
この間の戦闘でも急に現れたのを考えると、石上姉の方も独自にイレイズの反応をキャッチできているはずだ。今回もあのパワードスーツ集団と出くわす可能性は高い。戦いの最中で敵対することはまずないだろうが、油断できない相手であることに変わりはないだろう。
「馬鹿。なに変な気を使おうとしてんの。言ったでしょ。お姉ちゃんからはもう逃げないって」
「うん……」
前から知ってはいたが、石上は色々な意味で強い人間だった。ならば、と僕も覚悟を決めてポケットの中のプロメテを掴む。
その直後、
「……開いたわね、結界」
周囲の音が完全に消えたことを察知して石上が呟いた。僕も辺りを見回して音だけでなく人も完全に消え去ったことを目で確認する。
日は完全に落ちて客足は少なくなったとは言え、うどん店の店員も一瞬のうちに消えて店内放送もぷつりと止んでいる。この異様な状況は、円が魔鐘結界を開いた以外にない。
「じゃあ、いくよ」
僕は取り出したプロメテを左手首に翳し、プロメテは吸い込まれるように皮膚の中に溶けていった。石上も同じ動作で自らの藍色のプロメテを身体に溶け込ませる。
頭の中に無機質な英語の音声が響いたのを確認すると、僕たちは同時に叫んだ。
『
詠唱を終えたと同時に体内に風が吹き抜けるような感覚が走る。イレイズと戦う準備は万全だ。
「とりあえず、円と合流しない、と……!?」
目を合わせた石上が無言で頷いてフードコートを出ようとしたその時、遠くの方から硬い物が砕ける音がこだまして周囲の明かりが消失した。
「えぇ!? これって……」
急に辺りが暗闇に包まれて僕は一瞬落ち着きを失いかけた。先程の破壊音は恐らくショッピングモール内の電源が壊された音だろう。窓の外から少量の光が入って来てはいるが、夜なのでほとんど何も見えない状態だ。
「円がやった……わけないわよね。これは」
背後から石上の小さな呟きが聞こえる。
彼女の言う通り、円の能力はレーザー光線の剣を用いて敵を両断するなどでこのような力任せの物理攻撃とは縁遠い。それ以外となれば、今回出現したイレイズが無造作に暴れているか戦闘の余波で周囲の物が破壊されたかのどちらかだ。
だが、重要なのはそんなことではなく……
「て、敵がもうこの建物内に入って来てるってこと!?」
思い返せば今までのイレイズとはみな屋外で戦っており、どこかの建物の中での戦闘経験は皆無に等しかった。しかも魔鐘結界はあくまで結界内の人間を弾く仕様であって、壊された建物や置き物は現実そのままなのだ。こんなところで大暴れしては物的被害は洒落にならない。
「とにかく、急いで出るわよ。出口見える?」
後ろから僕の制服の上着の裾をきゅっと掴み、石上が尋ねる。
「えっと……あの辺、かな」
暗闇の向こうに薄緑色の小さい光らしき物が見え、僕はその方向を指差した。もしかしたら非常灯の光か、遠くの方で電源がまだ生きているかもしれない。
「ちょ、ちょっと。あんまり早く歩かないで」
急に歩き出したため石上が小さく抗議した。確かにお互いの姿すらろくに見えない暗闇の中で、各自で行動するのは危険だ。
「あ、うん。ごめん」
軽く頭を下げつつ、僕は背後から掴む手が離れないように壁などを触りながら手探りで少しずつ前に進んでいった。
(人がいない暗闇のショッピングモールって、めちゃくちゃ怖いな……)
数分かけて歩いた僕たちは店舗が並ぶ大通りに出た。幸いなことに、天窓から月の光が入ってきているので辛うじて半径数メートルの視界は確保できた。だが、雰囲気はまさにゾンビ系のホラー映画そのもので言葉にし難い不気味さが滲み出ていた。
「石上、大丈夫?」
「大丈夫よ。さっきは……その、急でびっくりしただけ」
一応周囲は見えるが石上は相変わらず背後から僕の裾を掴んでいた。平静を装っているようだが、声は若干震えている。
以前も似たような状況で一緒に戦ったことがあったが、その時は今ほど怖がっている様子はなかった。もしかしたら、僕が気付いていなかっただけで痩せ我慢していただけだったのかもしれないけど。
「てか、あんたどこまで歩く気?」
「えっ? いや、さっきからあっちでなんか光ってるの見えたからそこまで……」
僕の視線の先では、先程見えた薄緑色の光が今も存在感を醸していた。フードコート内から見えた時と変わらず、おぼろげで、だがギリギリ見失わないレベルの小さい光。
「あんたここまで何分歩いたと思ってんの!? 壁にぶつかったり通路曲がったりしてたのにまだ見えてるっておかしいわよ!」
言われて初めて僕はハッと気付いた。どれだけ歩いても何度曲がっても辿り着かず今も見え続けているとなれば、あの光はいったい……?
「さァ……来るんデス……こっちに……」
「っ!?」
疑問が頭をもたげたその時、老人のような掠れた低い声が建物内に響いた。次の瞬間、遠くに見えていた光が突如、爆発するように大きくなる。
「九条!」
「うわっ!」
危険を察知した石上が覆いかぶさるように僕を真横に突き飛ばした。一瞬遅れて、さっきまで僕が立っていた場所にレーザービームのような光線が照射される。円の扱うものとは異なり、完全な砲撃に特化した光線だ。
(じゃあ、あれって……)
視線の先では爆発的に大きくなっていた薄緑色の光が収束を始め、全長2メートルほどの歪なシルエットを形造る。
「チッ……せっかく引っかかったと思ったのに、キミたち運がいいデスね」
先程から僕が見えていた謎の光の正体は、肩や胸など全身の至る所に発光する球体を埋め込んだ異形の怪物。さしずめ「ホタルのイレイズ」とも呼ぶべき姿をしていた。
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