第19話 すれ違う親愛(前編)
「うちの両親、あたしの小さい頃に亡くなってね。お姉ちゃんと一緒に色んな親戚の家に預けられたりしてたの」
「両親が? それって、やっぱりイレイズに……」
沈痛な面持ちで口を開いた石上だったが、それほど驚きはなかった。身近な人をイレイズによって失ったという経験は、ビショップになる動機としては十分である。現に円も母親をイレイズに奪われたことがきっかけで戦いに身を投じていた。
「えっ? あ、違う違う。別にそんな重い話じゃないわよ。単に車の事故。スピード出しすぎてトラックにぶつかった……って聞いてる」
僕の勘違いに気付いて石上が軽く訂正した。普通に重い話だと思うけど、あまり気を使われたくないのか彼女は気だるげに頬杖をついて普段通りの素振りを崩さないでいた。
「ただ、親戚の家と言ってもあんまり良いところじゃなくてね、おじさんやおばさん、それ以外の家の人……みんなあたしとお姉ちゃんに冷たかったの。直接酷いこと言われたり暴力を振られたりっていう訳じゃなかったんだけど、何というか『仕方なく預かってやってる』みたいな感じだった。いつも」
「そう、だったんだ……」
いくら親戚であっても身寄りのない子供を2人も養うのは、どんな家でも楽じゃないことは理解できた。だとしてもそれを幼い石上たちに対して露骨に態度で表すのは、少し大人気ないような気もする。
「後になって聞かされたことなんだけど、どうやらうちの両親……怪しい宗教に入れ込んでていろんなところから借金していたみたい。親戚から直接借りるだけじゃなくて消費者金融からも借りまくって勝手におじさんを連帯保証人にしたり。それで借金だけ残して死んじゃうんだから、おじさんたちもそりゃあ良い顔しないのも分かるけど」
「へ、へぇ……」
さっき石上はそんなに重い話じゃないとあっけらかんと言って見せたが、そんな事はない。重すぎる。何なら円の過去の比ではない。重いと言うか生々しい。夕方のショッピングモールのフードコートでどんな顔してこの話を聞けばいいのか判断に困る。
「……急にこんな話されても迷惑よね。やっぱ聞かなかったことにして」
「い、いやいや続けて! ごめん、大丈夫。ちゃんと聞く」
「……」
軽くドン引いていたのが顔に出てしまっていたのか石上が話を切り上げようとした。やはり僕は思っていることがすぐ表情に現れる性格らしい。
「お姉ちゃん、そんな環境だったけどあたしの前ではずっと笑ってた。たぶんあたしより辛い立場にいたのに。あたしは……親の顔とか、あんまり覚えてなかったから」
ここでようやく話の中心人物が登場した。
「何とか親戚のみんなに気に入られようとお姉ちゃん、いつも頑張ってた。おじさんやおばさんから両親の嫌味とか陰で言われてもあたしには聞かせないようにしてたし、本当は進学もしないで働いて借金返すつもりだったみたい。世間体とかもあるから、高校は行かせてもらえてたんだけど」
両親の死。親戚からの冷たい目。心から頼れる大人がいない中で妹を守らなければならないというプレッシャー。僕なら到底耐えられる自信はない。挫けずに生き抜いてきた石上姉はまさしく強靭な精神の持ち主である。
「……だからお姉さん、大人をあんなに憎んで?」
「分からない。でも、妹のあたしでもお姉ちゃんのあれは異常だと思う」
それもそうか、と僕はふいに脳内に浮かんだ答えを掻き消した。幼少期の体験から大人を嫌うようになった気持ちは理解できなくもないが、その憎悪を「大人」という概念にまで広げて芥先生のような関係ない人に横暴に振る舞うのは飛躍しすぎている。
「……もしかしたら、だけど」
「なに?」
何か心当たりがあるのか、神妙な面持ちで石上が口を開いた。
「お姉ちゃん、高校生の頃に大きな怪我をしたことがあったの。部活中に脚の靭帯を傷つけちゃって、しばらく歩けなくなるくらいの」
「部活?」
「そう、陸上部。お姉ちゃん、長距離の選手で1年の時から色んな大会に出てて何回も表彰されてた。地元のスポーツ雑誌にも名前が載ったことあったし、本当に凄かったのよ」
「それは……うん、凄いね」
失礼ながらかなり意外と思ってしまった。普段生徒たちに見せる外面……もとい教室で授業をしている時のようなゆったりとした雰囲気から知的な印象を抱いていたが、どうやら石上姉は元々かなりの体育会系だったらしい。
「まぁ結局、その怪我のせいで前みたいに走ることができなくなっちゃって部活はそのまま辞めちゃったみたいなんだけど」
「そっか……」
「それからお姉ちゃん、ずっと元気なくて部屋に引きこもるようになっちゃった。あたしが呼びかけても、答えてくれないぐらい」
怪我で選手生命を絶たれるのは確かに辛い経験だ。引きこもりたくなる気持ちも僕には分かる。だが、あの部室にずかずかと殴り込んできた暴君姉がショックで引きこもる姿は本人には悪いが想像できなかった。話を聞けば聞くほど、石上姉の過去と現在の印象のズレが凄まじい。
「もちろん怪我自体は一生治らないようなものじゃなくて、一緒にリハビリとかして今じゃ普通に歩けるようになってる」
「石上も、色々大変だったんだね……」
「いや、あたしと言うかお姉ちゃんがね。あたしはお姉ちゃんに守られてばかりだったから」
石上が少し気まずそうな表情で目を逸らす。今はやや険悪になっている二人だが、彼女も彼女で言葉の端々から姉に対する敬意は見え隠れしていた。石上自身も本心では姉と対立することは望んでいないのだろう。
「……大事な話は、ここからなんだけど」
「う、うん」
数秒の沈黙の後、改まって石上が口を開いた。
「お姉ちゃんが歩けるようになってすぐ、うちにビショップの本部の人がやってきたの。お姉ちゃんとあたしが、プロメテの適合者に選ばれたって」
「……あ」
今までは石上姉妹の生い立ちや身の上の話が中心だったが、思えば彼女らがどのような経緯でビショップになったのかの話を全くしていなかった。どう考えてもその辺が最重要事項のはずである。
「本部の人は、組織がお姉ちゃんとあたしの身元を引き取るって言って、親が残した借金も組織が肩代わりしてくれたみたい。だから……おじさん達も都合が良かったんだと思う。お姉ちゃんとあたしが家を出て行く時も特に反対はされなかった」
さらっと重いことを口にする石上だが、聞いている側からすれば彼女たちは大人の都合で翻弄される被害者としか思えなかった。結局のところ、同じ家で暮らしてもその「おじさん」は石上姉妹に対して親族としての情とか、そういうものは湧かなかったのだろう。彼女に比べれば、僕の生きてきた環境は相当に恵まれていたのだと実感する。
「でも組織の人は、どういう基準で石上たちのことを選んだんだろうね。たまたまその辺を歩いていた人を調べたら偶然適合者だった……って訳でもないだろうし」
具体的にどういう理屈で適合者とそうでない人が分けられるかを僕は知らない。だが身内が組織内部の人間である円は別として、今までの話から石上達の関係者にそういった繋がりは浮かんでこない。まさかビショップ組織が役所や行政と繋がっていて日本中の子供のデータを一手に集めているという訳でもあるまいし。
「それはね……」
こんなことを聞いても本人も恐らく分からないだろうなと思っていたが、石上は歯切れの悪い様子でおずおずと口を開いた。
「さっきも少し話したけどうちの両親、怪しい宗教に入れ込んでたって言ってたじゃない?」
「え? あ、うん」
ついさっきの話だし当然覚えている。しかし、まさかここでさっきの怪しい宗教が再登場するとは思わなかった。
「その宗教……法人? って言うんだっけ。実はその宗教が裏でビショップの組織と繋がってるって聞いたことある。たぶん、お姉ちゃんとあたしが選ばれたのもそういう縁」
「え、えぇ……」
衝撃の事実に僕は言葉を失っていた。今まで聞かされたことからその怪しい宗教に対しての印象は限りなく最悪に近かったが、まさかその背後にいるのが僕たちの所属する組織というのは知りたくなかった。裏社会のことなんてさっぱり分からないが、やはりその宗教が集めたお金がビショップ組織の活動資金だったりするのだろうか。
(じゃ、じゃあもしかして僕が選ばれたのも過去に何か……いや、考えるのやめよう)
背中に冷や汗をかきつつ僕は良からぬ想像をかき消した。
「石上は……その、嫌じゃなかったの? 戦うこととか」
少し話題を修正し、頭に浮かんだ素朴な疑問を尋ねてみた。
「嫌って?」
「ほら、今まで普通に生きてきたけどイレイズとか、ビショップとか、人類の危機とか……いきなり聞かされて適合者だって言われても急に受け入れられるのかなって」
なんか似たような話をかつて円に対してもしたような気がする。
今まで僕は身近な人をイレイズに奪われた経験からビショップとして戦う決意をするのが普通だと思っていた。しかし前に少し話を聞いた長谷川も石上もどうやらそういったエピソードはなく、円のような人間がむしろ少数派なのかもしれない。かく言う僕も、ビショップになるきっかけは適合者に偶然選ばれて戦いに巻き込まれたことに起因している。
「そうね……全く抵抗なかったかって聞かれたらたぶん嘘になるけど、本部の職員の人たち優しかったから。それに、あたしにはお姉ちゃんが一緒だったし」
「そういうもんなんだ……」
「そういうもんよ。少なくとも、あたしは」
命懸けで戦い臨む動機にしては、軽いとまでは思わないが色々な考え方があるんだなと感じた。もしかしたら石上にとって戦うことそのものよりも、現在自分がどんな環境にいるかの方が重要なのかもしれない。
「ただ、お姉ちゃんそれからどんどん変になっちゃって。あんたも見たでしょ? 部室に来た時のお姉ちゃんの、ああいう感じ」
「それは……うん」
「変」とはかなり大雑把な表現だが、彼女の口ぶりから何を言いたいのか大体察することができた。恐らくビショップの本部に引き取られてから、今に至る石上姉の変貌は始まったのだろう。
「今まで優しくて明るいお姉ちゃんだったのに、凄く冷たくなった。少しでも気に入らないことがあると職員の大人たちにすぐ怒鳴り散らしたり、酷い時には暴力を振るったり」
「だ、誰か止められる人はいなかったの? 他の職員の人とか」
いくらプロメテの適合者と言っても、まだ当時の石上姉は二十歳にもならない女子高生に過ぎなかったはずだ。そんな石上姉を誰も諌めたりせず周囲の大人がされるがままになっている状況というのは異様である。
「力関係……って言うのかしら。あんたも聞いたことない? ビショップに大人がいない理由」
「えっと、うん。聞いたことあるかも」
確か以前、上級イレイズ25号を倒した後に芥先生から教えられた記憶がある。
どういう理屈かは忘れたが、プロメテから注入される魔力に耐えられるのは僕たちくらいの年代の人間で、大人の身体では魔力の負荷に耐えられなくなくなっていくそうだ。ちなみに限界量を超えた魔力が注入されたら、その人の身体は溶けるらしい。
「だから、本部でビショップ……つまりプロメテの適合者であることは、それだけで他の大人よりも偉い地位にいるってことみたい。あたしは自分のことそんな風に思ったこと一度もないけど」
「じゃあお姉さん、こないだ言ってたなんとか計画のリーダーをやってたのも?」
「うん。お姉ちゃんはあたしよりも全然凄かったから、短い訓練ですぐ実戦に参加してたし偉い人に呼ばれて一緒にいれない時間も多くなった」
「そうなんだ……」
淡々と話す石上の表情は、口調とは裏腹にどこか淋しさを滲ませていた。
分かりやすく言えば、石上姉は戦うための力と人を動かす権力を同時に手に入れたということだ。人間そんなに急に変われるものかと疑問に思わなくもないが、自分を取り巻く環境が一気に変われば豹変もしてしまうものなのかもしれない。
「でも、あたし……怖くなっちゃって、お姉ちゃんが会うたびに違う人になっていってる気がして、だから……逃げてきたの」
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