第18話 ポイズンシスター(後編)

『そっか、無事なら良かった。それじゃあいっちゃんは怜ちゃんと今一緒にいるんだね?』

「うん、ごめん。せっかく修行の約束してたのに、今日は無理そうかも……」

『ううん大丈夫。それより怜ちゃんにお姉さんのこと、私たち全然気にしてないからって伝えてて』

「分かった」


 画面越しに円に気遣われつつ、僕はスマホの通話を切った。


「一応、勤務時間中だしこんなところまではお姉ちゃんも来ないと思う」

「そ、そうだといいね」


 僕と石上が来ていたのは、学校から歩いて10分くらいのところにあるショッピングモールだった。平日とは言え午後4時も過ぎているので生鮮食品売り場や娯楽店舗にはそれなりに人がごった返している。制服を着た学校帰りの生徒もちらほら見かけるため、僕たちが歩いていても特に浮いている感覚はしない。

 が、特に目的があって来ているわけじゃないのでいつまで時間を潰せばいいのか分からず、これはこれで悩ましい状況だ。


「ごめん。またお姉ちゃんのせいで巻き込んじゃった」

「いいって謝らなくても。円も気にしないでって言ってたよ」


 俯きながら弱々しく謝罪の言葉を口にする石上。学校では強気に振る舞っていたが、やはり姉のことで責任を感じてひどく落ち込んでいたようだった。


「それより、石上って確か寮暮らしだよね。あんまり遅くなると怒られたりしない?」

「大丈夫。うちの寮、門限が夜の9時だから」

「遅っ、いくらなんでも自由すぎでしょ」


 流石に9時までここにいる予定ではないだろうが、高校生の男女があんまり長くいると警察とか別の大人の厄介になりそうで心配になる。寮の門限より閉店時間の方が早いかもしれない。


「じゃ、じゃあ……どこで時間潰そっか」


 周囲で目につくのは本屋やCDショップや衣料品店。どこも10分20分なら居られないこともないが、暇を潰すような場所ではない。何より落ち込んでいる石上と二人きりで何時間もウインドウショッピングなんて、ヘタレである僕の胃が耐えられそうにもなかった。


「石上はどこか寄りたいとこってある?」

「ない。いいわよあんたが行きたいところで」


 それがないから困っているのだ。せめて石上の趣味や好みを知っていればそれなりに行く場所も決められるのだが、ここに来てプライベートの親交が薄いことが仇となった。


「……ん?」


 どうしようかと僕がうんうん悩んでいたその時、どこからか「きゅ〜」と小さく何かが鳴る音が聞こえてきた。一瞬何の音だったか分からなかったので数秒考えてしまったが、恐らくお腹の鳴る音だと思われる。ちなみに発生源は僕ではない。


「石上?」


 僕が聞こえる範囲で考えると、消去法でお腹が鳴ったのは石上しかいない。彼女は図星と言わんばかりに顔を逸らして口をへの字に曲げていた。心なしか頬も赤くなっているような気がする。まぁ高校生だし育ち盛りだし、小柄な石上でも夕方になればお腹は空くだろう。


「な、何よ」

「何か食べに行こうか」

「……あんたが行きたいなら行けば」


 素直じゃなさすぎる。僕も全く空腹じゃないかと言われれば嘘になるので、別にいいかと近くの飲食店を探すことにした。


「えっと……ここでよかった?」


 僕たちが来たのは壁際に複数の小さな店舗が連なり中央にはいくつものテーブルが置かれた広間、いわゆるフードコートだ。別のところには焼肉店やらフレンチ料理店などもあったのだが、高校生が放課後に寄るには財政的な意味で厳しかった。

 石上も無言だが小さく頷いているのでここにしていいようだ。


「あの、石上。フードコートなんだし自分が好きなの頼んでも」

「いいの。うどん好きだし、安いし」


 僕と石上は座席に一番近いうどん屋できつねうどんを注文した。トッピングなどを付けなければ1杯380円と高校生のお財布にも優しいお手頃価格だ。石上も恐らく門限ギリギリまでは戻らないだろうから、安くて胃に溜まるものはありがたい。


「じゃ、じゃあ……いただきます」


 何とも言えない微妙な空気の中、僕は丁寧に割り箸を割り、うどんを口に運んだ。5月に差し掛かるとは言え日によっては夕方は肌寒かったりするので、熱々の麺は程よく僕の身体を内側から温めてくれた。


「……熱っ!」


 予想以上の熱さだったのか、向かいの席では同じように麺を啜ろうとした石上が思わず割り箸をお盆の上に落としていた。どうやら舌を痛めたようで口を手で抑えていて目にはうっすら涙が浮かんでいる。


(石上、猫舌だったのか……)


 本当にうどんが好きなのか疑わしくなってくるが、特に追及する意味もないので僕は見なかったことにしてうどんを食べ続ける。

 二人して無言のままうどんの咀嚼音だけが周囲に聞こえ、気まずい空気のまま数分が経過した。


「……あのさ」

「えっ、何?」


 意外にも最初に口を開いたのは石上の方だった。


「あんたと円ってさ……本当に仲良いわよね」

「そうかな。幼馴染だし、まぁ多少はね」


 まさか石上から交友関係の話を切り出されるとは思わなかった。確かに最近は毎日のように修行しているし、お互い家に行ったことのある関係だし仲は悪くないだろう。


「でもあたしから見たら完全に『友達』って感じなのに、あんた好きなんでしょ。あの子のこと」

「そ、そうだけど?」


 軽く赤面しながら僕はぶっきらぼうに答えた。この間の電話の時も指摘されたが、僕が円を好きなことを石上には知られていたようだった。彼女に対して今までずっと他人に興味がない印象を抱いていたため、急に始まった恋愛トークに僕は動揺を隠せないでいた。


「あたし、長い付き合いの友達いないからそういう感覚よく分かんないけど身近な人に特別好きって感情、あるのね」


 別に僕も長い付き合いの友人と言えば、円以外には同性の犬飼くらいしかいないので一般的な人の感覚は知らない。そこまで変なことだったりするだろうか。

 だが、僕が円を好きなのはただ身近にいた女子だったからとかそういう理由ではない。


「円はさ、今はだいぶ大人しいけど昔は凄かったんだよ。小学生の頃は男子に混ざって一日中外でドッジボールして遊んだり、いじめられていた僕を助けてくれて上級生に喧嘩でやり返したり」

「ふーん……意外」


 気になる話だったのか石上が食べながら僕の方に視線を向けてきた。こういった話を他人にする機会は今までなく少しくすぐったい気持ちになるが、気まずい空気の中せっかく明るい話題が出てきたので頑張って脳内から記憶を引っ張り出してみる。


「あと夏休みは自由研究でオオクワガタ捕まえたりしてね、休み明けの登校初日にでかい虫カゴを学校に持ってきて先生とかみんなをびびらせてた」

「そ、それはちょっと引くわ。あたし、虫ダメだし」


 流石に食事中にする話ではなかったか、石上が露骨に嫌そうな顔をする。それでもあの時のクラスのみんなに自慢げに見せていた時の円の笑顔はまさに天使と見間違えるくらいの可愛さだった。オオクワガタの姿は思い出せないが、円の顔は昨日のように思い出せる。


「それに……後は何だったっけ。43日連続でヤタガラスごっこをして遊んでた」

「ヤタガラス? 何それ」


 聞き慣れない単語に石上が頭に疑問符を浮かべた。ヤタガラスとは約10年前に放送していた特撮ヒーロー番組だ。円は大好きな作品なのだが、奥村先輩に以前マイナーと言われていたように世代でも知っている人は少ないらしい。ちなみにいつもヤタガラス役はもちろん円で、僕はヤタガラスを庇って死ぬ恋人の役だった。


「てか、あんたの話って小学校時代のことばっかりじゃん。中学の頃は何かなかったの?」

「うっ」


 ジト目で指摘されて僕は言葉に詰まった。僕と円の交友期間には空白の3年間があるのだ。別に話したくないという程の過去ではないが。


「中学生の頃は、その……円と疎遠になってて」

「は? 疎遠?」


 言葉の意味を正しく理解できなかったのか、石上が目をぱちくりさせる。


「えっと、正直に言うとあの頃はどうやって円と付き合おうとかばっかり考えてて、でもいざ会うと緊張しちゃって、ほとんど話せてなかった」


 勉強も運動もてんでダメな僕と違って円は何でも人並み以上にこなせる天才肌だった。中学校という箱庭はその差を実感させるには十分な環境で、僕は土に埋まっているような感覚のまま、誰かが先に円に告白してしかもOKだったらどうしようかと一人で毎日気を揉んでいた。


「あっ、でも色々とモテる努力はしていたよ。自分なりに」

「努力って?」

「サッカー部に入ったり楽器始めたり。まぁ、続かなかったけど」


 その頃の記憶は思い出すだけでも顔から火が出るレベルで恥ずかしく、クラスからは「歩く黒歴史」なるあだ名を付けられたりと散々だった。だが喉元過ぎれば何とやら、こうして話のネタにできているし今は円と再び幼馴染の関係に戻れたのだから人生分からないものである。


「……ぷっ……ふふ」


 話を聞いていた石上は何やら肩を震わせて笑いを堪えていた。


「分かってたけど……あ、あんたって本当にヘタレね……全部形から入っちゃうタイプなんだ……」

「そ、そうだよ全部かっこいい人の真似したかったんだよ。かっこいいんだもん」


 ものすごく笑われているのだが、不思議と嫌な気はしない。あの暴君姉が現れて以来、石上の笑うところを見ていなかった。思えばこうして彼女とじっくり話をするのも初めてかもしれない。


「ご、ごめん……悪気はないんだけど、あんた分かりやすすぎて……」


 落ち着いたのか石上が軽く謝罪する。


「でも、ちょっと羨ましいかも。あたし、そういう経験も今までしてこなかったから」


 そう言うと石上はぼんやり宙を眺めて、何か考え込む仕草を見せた。その時僕はようやく彼女がなぜ僕と円について聞いてきたのか理解する。


「石上、お姉さんのこと……」

「ん……」


 恐る恐る尋ねてみたが、石上は目を合わせて来ない。本当は彼女も自分と姉のことを誰かに聞いて欲しかったのか。


「お姉さんが昔の写真を見せてくれたんだ。石上と、凄く仲良さそうだった」


 石上姉は確かに横暴で強引で、言葉の端々から大人に対する憎悪が見え隠れしていた。しかし妹に対する愛情は、かなり歪んではいるものの本物だったと思う。きっと僕と円のように、以前は本当に仲の良い姉妹だったのだろう。


「そう、ね……何から話したらいいか、あたしもよく分かんないけど」


 さっきまで笑顔だった石上の表情が、またしても沈んでしまう。周囲の人もまばらになり、少しだけ残っていた二人のうどんもすっかり冷めていた。


「お姉ちゃん、昔はあんなんじゃなかったのよ。優しくて強くて、ずっとあたしのことを守ってくれてた自慢のお姉ちゃんだった」

「……うん」


 今までの彼女の言葉からも、姉に対する強い信頼があったことは容易に想像できた。例えるなら、僕がかつての円に抱いていた印象とよく似ている。


「でもお姉ちゃんは急に変わっちゃった。たぶん、あたしと一緒にビショップになってからだと思う」


 そう言えば石上は姉妹揃ってビショップだった。どのようにして彼女たちがプロメテの適合者に選ばれたのか、僕は全く知らない。ビショップにはそれぞれ戦う覚悟に至る複雑な動機があるのだと思っていて、なるべく触れないようにはしていた。


「あたしとお姉ちゃんの話……聞いてもらって、いい?」

「もちろん。けど、いいの?」

「うん。少しだけ長くなるけど……」


 何かを決心したのか、石上は冷めた丼に目線を落としつつ静かに語り出した。

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