第18話 ポイズンシスター(前編)

 ビショップ本部から派遣された石上紗耶が、僕たち陰陽部の部室に嵐のような殴り込みをかけてきた一件から2日が過ぎた。かの暴君姉は、あれから教室でいつもの教育実習生としての顔を崩さずクラスの男子生徒から熱い視線を集めている。

 事実上のクビを宣告された芥先生は上層部に掛け合うという言葉を残して以降は学校で姿を見せていない。奥村先輩からのイレイズ出現の報告もないし、石上姉もアプローチをかけてきてはいないので表面上は平穏を取り戻したように見えなくもないが、裏で何か良くないことが動いているような気がして僕の中にはわだかまりが残っていた。


「なぁ九条、石上の姉ちゃんって凄くね?」

「凄いって何が?」


 そんな事情を全く知らない後ろの席の犬飼が休み時間に呑気に石上姉の賞賛を口にした。


「授業だよ授業。すんげえ分かりやすいの。俺今まで英語の問題なんてさっぱり出来なかったのにあの人の覚え方でやってみたら文法の問題集解けたんだよ。俺もう感動しちまって」


 犬飼の学力は入学以降クラス最下位をキープし続けていて、勉学においては自他共に認める鈍才であった。その犬飼が問題を解けるようになり、勉強にやる気を見せているのは確かに凄いと思う。実際僕も石上姉が教えた部分はサクサク解けたし、おまけに宿題もかなり少ない。警戒する人物だがその点はありがたかった。


「なんかあれじゃあ塩谷先生も教えること何にもないんじゃねえか? ぶっちゃけ先生の時より分かりやすいし、ホームルームでも石上の姉ちゃんがもう担任って感じじゃん」

「まぁ……そうだね。あの人なんというか堂々としてるし」


 石上姉が実習生として現れてから僕たちのクラスは、ほぼ彼女に掌握されたと言っても良かった。授業の時以外にも小まめにクラスに顔を出しては生徒たちと他愛もない談笑をしたり授業の分からないところを教えたりなど今や男子のみならず女子からも人気の的だ。

 それに担任の女性教師である塩谷先生は、小柄な体格と童顔で気弱そうな雰囲気のせいかいまいち貫禄がない。年齢は確か30歳台でこの学校に勤めてそこそこ長くベテランらしいが、あの姉に対して主導権を取り返すのは難しそうだ。


「しっかし妹の方と比べるとあんまり姉妹って感じがしないな。どっちも顔は似てるし頭はいいけど、ここんとこさらに愛想がなくなってるからなあいつ」

「……そういうこと言うなって。宿題教えてもらったりしたじゃん」

「お、おうすまん」


 ちょっとした陰口を言う犬飼に僕は少し語気を強めて注意をした。幸い彼の前の席に座る妹の石上は不在だったため僕以外に聞いている人はいなかったが、この間の姉との衝突した後の沈みきった彼女の表情を思い出すと良い気分はしなかった。犬飼は何も知らないので仕方ないと言えば仕方ないのだけど。

 あれ以降石上は、授業にはしっかり出るようになったものの授業中も休み時間も終始無言を貫いて「話しかけるな」というオーラを周囲に振りまいていた。姉の方は姉の方で目立った接触はして来ないのだが、授業中に笑顔の圧のある視線を浴びせてくるので、隣の席に座る僕は正直胃が痛い。


「でもさぁ、なんか喧嘩でもしてんのかね。毎日教室で顔合わせてんのに全然喋らねえし」


 言われてみれば、僕もあの二人の間に何があったのか具体的なことは知らない。芥先生に対して暴虐の限りを尽くした石上姉を見て「こんなお姉ちゃんは確かに嫌だなぁ」と思うことはあれど、それだけに収まらない何かが二人にはあるような気がする。それを本人に直接聞く勇気はないが。


「あっ……」


 そんな噂をしていたら石上怜本人が教室の外から戻ってきた。石上はそのまま乱暴に自分の椅子を引き、どすんと大きな音を立てて腰掛ける。苛立ちや失望感が表情だけでなく動作にも現れていて、近寄り難さが日に日に増していた。

 姉妹なのだから、やはりいつかは仲直りして欲しいとは思う。しかし仮に自分があの姉と血縁者だったとして、和解できるかと聞かれたら無理と答えるだろう。


「九条くん。ちょっといいかしら」


 そんな気まずい空気の中、今日の授業も全て終わり時は放課後。円との修行の約束のため彼女の教室まで廊下を歩く道中、僕を背後から誰かが呼び止めた。


(うわっ……出た)


 その聞き覚えのある声に僕は本能的に身震いした。


「い、石上……先生」


 冷や汗を垂らしながら振り返ると、視線の先に立っていたのは実習生としての石上紗耶。教室で会う時と変わらないにこやかお姉さんスマイルで僕の名前を呼び、すれ違う生徒たちがちらちら視線を送ってくる。


「今までちゃんと面と向かってお話する機会がなかったから、ちゃんとお礼を言わなきゃと思っていたの。怜ちゃんと仲良くしてくれてありがとうね」

「は、はぁ」


 予想外の言葉が出てきて僕は面食らった。一昨日のこともあっててっきり何か企んでいるのかと思っていたが、言葉だけならただの妹の友達にする挨拶だ。実際は本当に何か企んでいるかもしれないが。


「それでね、少し相談したいことがあるのだけど……今ちょっと大丈夫?」

「そ、相談……ですか」


 ここでの選択肢は当然NOのはずだった。これから円との修行があるのに、好きな子を待たせてまでこんな怖い人との相談に付き合うメリットなんてない。分かっているはずなのに、脳内の危険信号は点滅を繰り返していた。このまま無下に断ると何をされるか分かったもんじゃない、と。


「あんまり時間は取らせないわ。怜ちゃんのことなんだけどね」


 周囲で同じクラスの生徒たちも見ている中、僕に選択権はあってないようなものだった。

 そのまま僕は石上姉に連れられ、人気の少ない廊下の端で備え付けの椅子に座らせられた。大きな丸テーブルを挟んだ向かいには石上姉が座っており、相談というか面談みたいな雰囲気だ。


「それでね。最近の怜ちゃん、なんだか私に冷たいような気がするの。九条くん何か心当たりない?」

「心当たりって言われても……」


 ありすぎて僕は返答に困った。むしろ部室であれだけ乱暴狼藉を働いておきながら自分に全く原因がないと思える図太さは尊敬に値する。一瞬目の前に座る人物がこの間の暴君とは別人か、人格が入れ替わっているのではないかと錯覚しかけたほどだ。


「怜ちゃん、気難しい性格だから友達作りとかあんまり得意じゃないだろうし、もしクラスの子にいじめられたりとかしたらお姉ちゃんとしては凄く心配になっちゃって」

「えっと、その……いじめられてるとかはないと思います。はい」


 石上が気難しい性格というのは僕も知るところで、友達と楽しそうに談笑している姿はあまり見たことがない。しかし、いじめられていたり疎まれているかと聞かれたら決してそうではないと言えた。少なくとも僕が話しかけたりすると受け答えはしっかりしていたし、宿題を手伝ってくれたりもしたので何だかんだ面倒見のいい性格なのだ。


「そう。それならいいの。でも怜ちゃん、東京からこっちに引っ越してきて初めての一人暮らしだから色々と不安も抱えていると思うわ。だから私、実習にこの学校を選んだのだけど」

「はぁ……」


 その不安の種は間違いなく目の前に座るこの姉だと思うのだけど、本人は本当に自覚がないのだろうか。


「昔はね、怜ちゃん私にべったり甘えていてね。どこに行くにも『お姉ちゃん、お姉ちゃん』ってついてきて、本当に可愛かったのよ〜」


 緩んだ笑顔でそう言うと石上姉はスーツの上着ポケットからスマホを取り出し、画面を見せてきた。そこには写真データが映されており、自撮りのために並んだ二人の女の子が指でピースサインを作っていた。

 片方は高校生くらいの年齢で、もう片方は小学校高学年くらいだろうか。顔つきの幼さに差はあるものの、目元などはよく似ている。


「こっちの小さい女の子が怜ちゃん。私が九条くんぐらいの歳の時だから、怜ちゃんはこの時小学5年生ね。どう? 可愛いでしょ」

「え、ええ。そうですね」


 なるほど。確かに画面に映る屈託のない笑顔の石上は、姉が自慢する気持ちも分かるほどの可愛さだ。日頃からつんつんしている今の石上とは似ても似つかない。


「これはね、私がバイトして初めてスマホを買った時の記念写真なの。もうかなり前の機種なんだけど、思い出もあるから買い替える気にならなくって」

「はぁ……」


 相談と言いつつ石上姉の妹自慢話はその後も続いた。内容は妹が毎年リレーの選手だったとか、夏休みの工作で表彰されたとか。ほとんど僕は適当に相槌を打っているだけなのだが、あまりにも話の内容が普通すぎて内心拍子抜けしてしまっていた。この間の一件はいったい何だったのだろう。


「それで九条くん。本題、と言うかお願いなんだけど」

「えっと、はい」

「確か『陰陽部』……だったわね。九条くんたちが今いる部活を解散させてほしいの」

「は……えっ?」


 うっかり頷きそうになったが、とんでもない要請をさらっとされて僕は素っ頓狂な声をあげた。どう考えてもこの流れでお願いするようなことじゃない。


「具体的には、怜ちゃんと九条くんで『同好会』を作って欲しいと言った方が分かりやすいかしら。人数は少なければ少ない方がいいわ」

「え、えっと……それに何の意味があるのか分からないんですけど」


 同好会とは、人数が足りなかったり決められたルールを満たしていなかったりして学校側に正式に認められていない、いわゆる部活より小規模の集まりだ。既に部として成り立っている陰陽部を解散させてまで、なぜそんなことをしなければいけないのか。


「部活って、必ず顧問が付くでしょう? それだと怜ちゃんが能無しの大人どもの管理下に置かれてしまうことになっちゃうし、凄くすごく心配なの」


 能無しの大人。その言葉が出た瞬間僕の中で渦巻いていたモヤモヤが一気に吹き飛んだ。やはり目の前にいるのはあの時の暴君姉だ。一瞬でも妹思いの良いお姉さんと思ってしまった自分を恥じる。


「もちろんビショップとしての怜ちゃんの立場も分かるわ。でも私も限られた期間しかここに居られないし、これからも怜ちゃんのことを見てあげられる人が必要じゃない? 九条くんなら頼めるかなって思って」


 なぜ彼女が僕に声をかけてきたのかようやく理解した。要するに、この姉は僕を通じて妹を管理したいのだ。しかも他の大人に一切の干渉をさせず。前回は部活ごと管轄下に置こうとしたようだが、今回は手段を変えたらしい。妹と同じ学年だし円と違って僕は逆らわなさそうとか、恐らくそんな風に思っていたのだろう。

 なかなかに傲慢なお願いだが、本人は純粋に石上のためを思っているのか表情は真剣そのものだ。


「その、無理です。こういう石上本人の意思を無視して勝手に話を進めるのって、駄目だと思います」


 今までは適当に相槌を打ってきたが、これは流石に断らざるを得ない。しかしきっぱり拒否されたことが意外なのか石上姉は手を口に当てて驚く仕草を見せた。


「怜ちゃんが下らない大人たちに利用されてもいいって言うの? 九条くんだって大人から解放されて自由になれるのに」

「下らない大人、下らない大人って……世の中そんな人たちばかりじゃないですよ。僕たちのことをちゃんと考えてくれる人だって」


 そう僕が反論した瞬間、場の空気が一瞬で凍りつくような感覚が走った。つい今の今まで目の前で優しい教育実習生の顔をしていた石上姉は、まるでナイフのように鋭く冷淡な表情に一変し、絶対零度の視線をこちらにむけている。


「そう……かわいそうな子。そこまで大人に思い込まされて、少しも疑問を抱くことがないなんて。右に倣えを量産した現代教育の賜物とでも言えるかしらね」


 言うんじゃなかったと少し後悔したが、もう遅い。完全な冷酷モードに入った暴君姉は、テーブルから身を乗り出し僕の方に顔をゆっくりと近付け、制服の襟元を「きゅっ」と掴んできた。


(ひ、ひぃ)


 すぐさま逃げなければいけない危機的な状況なのだが、まるで蛇に睨まれた蛙のように体が動かない。実際に蛙も捕食される直前はこんな感覚なのだろうか。この恐怖感はある意味でイレイズをも上回る。


「九条」

「のわっ!」


 誰かが僕の名前を呼ぶのと同時に後ろから制服の袖を引っ張ってきた。予想外の方向から力をかけられ僕は椅子から転げ落ちそうになる。


「……い、石上?」

「行くわよ」


 僕を引っ張ってきた正体は妹の方の石上だった。彼女は眼前にいる姉に視線を合わせず、僕に目配せしてその場から離れるよう促す。慌てながらも僕は床に置いた鞄を掴み、そこから逃げるように石上の後を追いかけた。


「その……ありがとう」


 暴君姉による危機を救ったのは、またしても彼女の妹だった。イレイズとの戦いの時も含めて、彼女に助けられたのはこれで何回目になるだろうか。本当に石上には感謝してもしきれない。


「別にいい、礼なんて。あんたと連絡とれないって円からメール来たから探しに行っただけだし」


 そう言った石上の言葉で僕は思い出したように自分のスマホを確認した。画面を開くと、円からの不在着信が2件と安否確認のメールが1件。文面は『電話かけても繋がらないから、もしかして怜ちゃんのお姉さんいっちゃんの所に来たりしてる?』といった内容のものだった。恐ろしい勘の鋭さだ。


「それよりもっと遠くに逃げるわよ。お姉ちゃん、たぶん追いかけてくる」

「えっ!?」


 僕と石上はそのまま校舎を出ると、早歩きで学校の敷地を後にした。

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