第27話 メタモルフォーゼ(前編)
人間、生きていく上ではある程度ノリと勢いが大事な時がある。行動しないでする後悔よりは行動した後悔の方がマシだと、大昔の海外の偉い人も言っていたそうだ。
まぁそれにしたって、「あの時あんなこと言うんじゃなかった」とする後悔も割と馬鹿にならない大きさなので、いつでもノリと勢いに任せた生き方は賢いとは言い難い。
(うう、胃がキリキリする)
あれから数日後の土曜日、僕は陰陽部の部室で椅子に座らされ奥村先輩に顔面をいじくり回されていた。正確にはメイクだ。頬やデコに化粧下地を塗られ、鼻にファンデーションとやらをぽんぽんされている。
頭には長髪のカツラとヘアピンを付け、着ている制服は女子のもの。胸には詰め物を入れ、目にはカラコン、つけまつ毛にはマスカラをちょんちょんと塗られている。さらには前日のうちに手足の毛の処理まで要求されるという徹底ぶりだ。
つまるところ僕は今、女装をさせられていた。しかもその一部始終を部員のみんなに見られながら、だ。
これを知らない人が見たら罰ゲームと思われるかもしれないが、言い出しっぺは何を隠そう僕自身だ。これも好きな女の子と一緒の映画に出るためである。ちなみに制服の上着とスカートは奥村先輩が貸してくれた冬服だ。いいのか……?
「……むむむ」
一通りメイク用品を塗り終えた奥村先輩が僕の前で屈み、怪訝そうな目で顔面を舐め回すように覗いてくる。こんなに近くで顔をじろじろ見られる経験なんてほとんどないものだから、落ち着かなくてしょうがない。
「信じらんないんだけど、九条くん……ちょっとかわいいかも」
「…………は?」
なんだか納得いかない、とでも言いたげな呟きに僕は何の冗談だろうと思った。
「すごいよ。いっちゃん、本当に女の子になってる。かわいい」
僕のメイクを最初から最後までじっくり観察していた円が、やや興奮気味に感想を述べる。そんなまさか、かわいさで言うなら円に並ぶ女の子などいるはずもないのに。
「見てみる、九条くん? はい」
そう言うと、疑っている僕に奥村先輩は私物の手鏡を差し出した。そこに映った姿を見て、僕は首を傾げる。
(……誰だ?)
鏡の中にいたのは、艷やかな黒髪を肩まで伸ばしたどこか気弱そうな女の子だった。白いしっとりした肌は男のそれとは全然違うし、薄化粧ではあるが目元はぱっちりしていて大きな瞳が不安げに揺れている。
無意識に頬に手を触れようとして、はっとした。鏡に映る女の子とはこの僕、九条一徹だった。
「もう少し眉毛を切ったり整えたりすればさらに女の子に近付くかな。あ、唇はあんまり塗り過ぎるとかえって不自然だからあっさりめにするよ」
もう既に十分女の子なのだが、少し楽しくなったのか奥村先輩は机の上に広げられた化粧道具を一つ一つ見ながらあれこれと思案を巡らせているように見えた。
改めて手鏡に映る僕を見る。見れば見るほど九条一徹の面影がない。この格好で知り合いの前に立てば僕とは絶対に思われないだろう、僕自身でさえ今この姿が自分であると実感が湧かないぐらいだ。
「それにしても、奥村先輩がこういうの持ってるなんて。女子じゃ割と普通なんですか?」
「どうだろね、ウチの高校そこまで校則厳しくないし。言っても私も普段そこまで厚くしたりはしないけど」
元からスキンケアなんてニキビが出なければいい程度の認識なので、女子がいつもどうしているかなんて考えたこともなかった。みんな僕が知らないだけで金も労力もかけて毎日頑張っているのかもしれない。
再び手鏡に映った自分を眺めていると、どこからか冷ややかな視線が浴びせられる気配を感じた。
「石上?」
「……な、何も言ってないわよ」
気配の方向に目をやると、壁際に寄りかかって立っていた石上が若干引き攣った表情でこちらを見ている。言いたいことは分かる。普段接している男子が急に女子に化けたのだから「すごい」よりも「気持ち悪い」が普通の感覚だろう。
だが、元はと言えば石上が主役を拒否したから僕が女装しているのであって、その石上本人に引かれる謂れはない。
「一応だけど、怜ちゃんも出ることは出るんだからリハーサルにはサボらず参加するんだよ」
「そ、それは分かってます……はぁ」
幼子を宥めるように言い聞かせる奥村先輩に、石上はため息混じりに答えた。
結局主人公の女の子を演じるのは僕ということだが、見た目は変えられても流石に声までは男であるのを隠せないので、別撮りで石上の声をあてることになった。いわゆるアテレコというやつである。
ちなみに長谷川は小道具製作のグループに急遽入れられたらしい。これで陰陽部の部員は全員何かしら映画制作に関わることとなった。
「ねえ、いっちゃんが女の子の格好してる時はやっぱり呼び方も変えた方がいいのかな」
「えっ? いや、いつも通りでいいと思うけど……」
円が素朴な疑問を口にする。彼女が僕のことを呼ぶ時の愛称はちゃん付けだし、女の子に対して呼んだとしても別に不思議ではない。
ただ、この格好をしている時に知らない人の前で本名を呼ばれようものなら九条一徹が女装癖持ちの変人などというあらぬ噂が広がりかねないので勘弁願いたい。特に犬飼にでも見られた日には一生ネタとして擦られ続けるだろうし、最悪黒歴史が一つ増えてしまう。
「そういえば先輩、主人公の名前って決まってないんですか?」
「うーん、色々候補はあるんだけどしっくり来るものがなくてねぇ」
ハートフルなアクションSFとか、敵と妖怪を取り合うドロドロ愛憎劇とか、今までしてきたのは映画の中身の話ばかりだったように思うが、主役の名前なんてもっと大事な部分じゃないだろうか。
「そんじゃ、そろそろアクションのリハーサルの時間だから、みんなで屋上に行こっか」
「えっ、屋上って入っていいんですか?」
「うん。芥先生にお願いしたら許可取ってくるって」
けろりとした顔で奥村先輩が答えた。学校の屋上に自由に入れるのは漫画やアニメの話であって基本は立入禁止でだった気がするが、相変わらず自由な高校だ。だがグラウンドや体育館では練習中の運動部たちが多数いるので、人目につかない場所での練習はありがたい。
「じゃあ、いっちゃん。あんまり目立つと良くないから私の後ろに隠れててね」
「 う、うん……」
部室棟から屋上のある本校舎までは、運動部が走り込みや練習をしているグラウンドのすぐ傍を通る必要があった。一応制服なので人目を引く格好ではないものの、本来なら存在しない女子生徒なので誰にも気付かれないに越したことはない。が、当の円自身が校内でもとびきりの美少女なのでこっちの方が余計に目立っているような気もする。
(ま、円は……平気なのかな)
それはそれとして、僕をリードして歩く円の距離が心なしか普段よりも近いように感じられた。女装してみないかと誘ったのは円自身だが、ふつう幼馴染の男子が女の子の格好で歩いているのをこんなに平然と受け入れられるものだろうか。お陰で今の僕の心境は嬉しさ半分、恥ずかしさ半分といったところ。その後ろを奥村先輩と石上が歩いているが、二人にはいったい僕がどんなふうに見えているのだろうか。
「おっ、円ちゃんじゃん」
校舎前に差し掛かろうというタイミングで、隣の体育館から聞き馴染みのある声が円を呼び止めた。
(い、犬飼!?)
身長180cmはある体格のいい、朗らかで裏表のない性格の男子生徒。僕と同じクラスでバスケ部レギュラーの犬飼だ。小学生からの付き合いでもあり、円とも当然ながら面識はある。バスケ部は土曜日も練習があるので学校に来ていることは分かっていたが、よりにもよってここで出会ってしまうとは。
「あっ、犬飼くん」
「あれ、あっちに石上もいるってことは『陰陽部』って部活の集まりか? 九条は今日一緒じゃねえの?」
どうやら犬飼は円の後ろにいる人物が僕とは気付いていないようだった。学校で毎日顔を合わせているというのに、最近のメイク技術は凄い。
「うん。いっちゃんは風邪ひいたみたいで今日はお休み。犬飼くんは練習?」
しれっと嘘をつく円。後ろで内心びくびくしている僕と違って彼女は普段通りの立ち振舞いだ。
「おう。テストもあるけど試合も近いからな。まぁ赤点取ったらレギュラーから降ろされるんだけどさ、はは」
「そっか。頑張ってね」
「せんきゅー。九条にも夏になったからって腹出して寝たりすんなよって言っといてくれよなー」
そんな他愛もない会話をして犬飼はすぐグラウンドの方に行ってしまった。あいつの中で僕はどういう人間として認識されているのだろうか。
「いっちゃんのこと、気付いてないみたいだったね」
「そ、そうだね……」
女装してもあまり目立つタイプの容姿でなかったことが幸いしたようだ。円の声色が少しだけ上機嫌なように感じられるが、もしかしてこの状況を楽しんでいないか。
僕たちが辿り着いた時、屋上には既に撮影に使うバカ重い拘束具、もとい大妖怪のスーツが運び込まれていた。頑張って運んだであろう部員たちは屋上の床に腰掛けてぜえぜえ言っている。
「お前……こないだの一年か?」
「あ、はい」
部長の坂井先輩が僕に気付き声をかけた。信じられないという顔をするのも無理はない。
「ねっ、坂井くん。すごいでしょ私のメイク技術。こんだけちゃんと女の子してるんだから、主役だって絶対演れるって」
「うーむ、たしかに…… 」
太鼓判を押す奥村先輩に、坂井先輩は僕の姿を頭のてっぺんから足の爪先までまじまじと眺めてうんうん唸っていた。さすがに気持ち悪いのであんまりじろじろ見るのはやめてほしい。
「パーフェクトだ。俺の思い描いていた主役にばっちりフィットした。よし、このままいこう!」
どうやら彼のお眼鏡には適ったようだが、これは喜んでいいのか僕には分からない。
そうこうして坂井先輩の主導でアクションシーンのリハーサルが始まった。相手は空撮部の男子生徒数人、主人公が不良に取り囲まれているのを切り抜けるというシチュエーションだ。普段から円と一緒に走ったりイレイズと戦ったりしているので素早く動くこと自体は問題なくできるように思えた。だが……
「おい、九条。ちょっとストップ」
「な、なんですか先輩」
「先輩じゃない。俺のことは監督と呼べ」
リハーサルが始まって数分後、坂井先輩が突然呼び止めた。
「は、はぁ…… えっと、監督。どうかしましたか」
「キックの角度が浅い。もう少し脚を上げてくれ」
「えぇ……」
そうは言われてもスカートを履かされて脚を上げた派手なアクションなど、無茶振りである。ただでさえ歩いている時からこの感覚には慣れていないのだ。
「む、難しいです。その、あんまり激しい動きすると見えちゃいますから……」
「見える?」
「だから、その」
その先を言えず僕はもごもごと口ごもった。いや、ここまで言えば坂井先輩…… もとい監督にも分かるはずだ。相手役の部員も察してか微妙な顔をしている。
「あっ、そっか。九条くん、下着は男用のだから画面に映ったら色々と台無しだよねぇ」
言いあぐねている僕に、奥村先輩がデリカシーのない発言をぶち込んできた。確かに女装しているとはいえ僕が身につけているのはいつもの下着だ。それに台無しとかいう話ではなく、何を穿いていようとスカートの中は見られてはいけない。
「どうしようねー、制服はともかく流石に私の下着は貸せないし……」
「か、貸さなくていいですって」
唐突に飛び出した爆弾発言に周囲がざわつく。どこまで本気なんだろうかこの人は。
「いい。そういうギリギリを探れるのもリハーサルのうちだけだ。万が一本番で映ってしまってもCGでなんとか誤魔化す」
「うう……」
初対面の時は気のいい兄貴分な先輩だと思っていたのだが、一度リハーサルが始まるとスイッチが入り監督は若干強引な性格になるらしい。僕はそのまま押されリハーサルは続行になった。
1時間ほど続けた辺りで、その日のリハーサルは終了した。
「お疲れさん。思ったよりもいい動きするね」
「あ、ありがとう」
アクションの相手役の牧谷が労いの言葉をかける。伊達に円と修行をしてきたり、怪物と戦ってきたわけではない。それよりもインドア派だと思っていた空撮部の部員の方々が僕の予想以上にスタミナがあった。普段からこういった殺陣を演じたりしているのだろうか。
「じゃあ、とりあえず時間だし撤収するか。陰陽部も大妖怪を運ぶの手伝ってくれ」
監督の指示でみんながぞろぞろと屋上を後にする。円や石上も着ぐるみのパーツを運ぶのに駆り出され、屋上に残ったのは僕と奥村先輩ぐらいとなった時……
「あの、奥村先輩」
「ん、どしたの?」
「何でしょうか、あれ……」
屋上の隅に、何か大きな物体らしき物が見えて僕は指さした。屋上は地味に広いため目を凝らしてよく見ないとはっきりしないが、床の上に人のような何かが倒れているように見えた。
「ひ、人……って、えぇ!?」
自分で言って自分で驚いた。なぜこんなところに人が倒れているのか。そしてなぜ今の今まで僕たちを含めて誰一人として気付かなかったのか。
僕と奥村先輩は慌てて駆け寄って様子を確認する。
(人だ……)
そこに仰向けで倒れていたのは、若い少女だった。背中まて伸びる長い黒髪と素朴で少しだけ幼い顔立ちが特徴の、僕と年がそう変わらない女の人だ。何故かボロボロに焼け焦げた室星高校の制服を着て、本人もあちこち擦り傷だらけでボロボロであった。だが、まだ息はあるようで微かに胸が上下しているのが見て取れる。
まるで爆撃の嵐を駆け抜けてきたかのような格好のこの人は、いったい何者なんだろう。
「ねぇ、九条くん」
「はい?」
普段おちゃらけた奥村先輩にしては珍しく神妙な顔付きで僕の名前を呼んだ。
「見て。この人……この校章付けてるってことは、2年生だよね」
「あ、ええ。そうですね」
奥村先輩が指差したのは倒れている少女の胸元に付いた校章だ。デザインは先輩と同じ、2年生のものに見える。
「私ね、こう見えても学年じゃ顔が広い方だから2年の生徒はだいたい知ってるけど……この人、見たことがないの」
そう言うと、奥村先輩は少女の制服のポケットに手を入れもぞもぞと動かした。
「ちょっ、何やっているんですか先輩」
「もしかしたら、だけど……あった」
先輩がポケットから取り出したのは長さ5〜6cm程度の小さい冊子のようなもの、生徒手帳だ。犯罪スレスレの行動力である。
ボロボロに焦げて半分炭になっているようだが、表紙に書かれた文字は辛うじて読めた。
『2年2組11番 須賀あさひ』と。
「……せ、先輩?」
奥村先輩の顔つきがどんどん険しくなっていき、つられて僕も身体が強張る。彼女のこんなに深刻そうな表情は見たことがない。
「どういうこと……? 2年2組って言ったら私のクラスじゃん……それに11番って、私の番号……」
「えっ!?」
先輩の呟きに僕は怖気が立つのを感じた。目の前で倒れている「須賀あさひ」なる少女が着ている制服は間違いなく同じ高校の物だし、生徒手帳も僕たちに支給されたものと全く同じ物に見えるし、印字された年度も今年のものだ。これはどういう状況なのだろう。
「とりあえず、倒れてるし保健室に運ぼうか。九条くんも手伝ってくれる?」
「は、はい……」
促されるまま、僕は倒れた少女の両腕を持ち上げ奥村先輩と一緒に保健室に運んだ。
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