第27話 メタモルフォーゼ(後編)

 保健室では普段は西先生という女性の養護教諭が常駐しているが、幸か不幸か今日が土曜日ということもあり不在だった。どこのクラスの誰かも分からない謎の人物を寝かせるのだから、根掘り葉掘り聞かれたらどうしようかと思っていたため寧ろ良かったかもしれない。


「この人が本当に倒れていたの? あの屋上に」


 保健室で事の顛末を聞かされた円が訝しげに尋ねた。


「やっぱり円も気付かなかったんだ……いったいいつから倒れていたんだろう」


 屋上はそこそこの広さはあったものの、この少女が倒れていた周囲には障害物になるようのものはなかったし誰も気付かないのは不自然だ。僕が発見した時、まるで今まで何もなかった場所に急にこの人がワープでもしてきたように思えた。


「それに何だってこんな酷い格好してるんだろうねー。単に転んだり汚したりしたって、こんなに制服ボロボロになったりなんてしないよ」


 同じく第一発見者の奥村先輩がベッド横の椅子に腰掛け、足組みしながら呟く。少女を寝かせる時に脱がされた上着はハンガーに掛けてあるが、あちこちが焼け焦げたり破れたりしていてとてもこれを着て登校出来るような代物ではなかった。

 ただ、僕もイレイズと戦ったりした時には場合によってはこのぐらいボロボロになるかもしれない。


「何かまた厄介事持ち込んできた感じするわね……あたし、先に部屋戻って休んでるから何かあったら呼んで」

「あ、うん」


 一日発声練習させられていた石上が気怠そうにそう言うと保健室を出ていった。彼女は学生寮に住んでいるので急な呼び出しにも基本は来てくれるし、口では面倒臭がるが何だかんだと付き合いはいいのだ。


「私も空撮部の人に呼ばれてたからちょっと行ってくるね」

「あれ、まだ片付け終わってなかったっけ?」

「ううん。今後のアクションの打ち合わせ。着ぐるみを作った人が色々話したいことあるって」


 円もそのまま保健室を後にした。色々話したいとは十中八九、打ち合わせよりも特撮談義だろう。普段語れる友人がいないのもあって円も満更ではなさそうだった。


「で、九条くんはどうする? もうお家帰る?」

「うーん……どうしようかちょっと考えてました」


 あっという間に保健室にいるのは僕と奥村先輩だけになってしまった。時間は午後3時を回ったところで、外の運動部も大体は練習を終えて帰路についているようだ。陰陽部も本当ならここで解散だろうが、どうせなら円と一緒に帰りたいし何より倒れているこの少女が気がかりでもある。


「じゃあ、九条くんこの人見ててもらえるかな。私、部室からパソコン取ってくるから」

「わ、わかりました」


 石上、円に続いて奥村先輩まで僕を残して出ていくようだ。しかし彼女に関しては普段からノートパソコンの画面を通じてイレイズの出現時間や場所を探知するという最重要任務がある。ここ最近は平和な時間が続いていたが、平日だろうと休日だろうと先輩は常に目を光らせてなければいけないのだ。


「……………………」


 ついには保健室には僕と、この謎の少女だけが残される。気にはなるのだが、じろじろ見るのも失礼なので僕はベッドから少し離れた椅子に座ってぼーっと虚空を眺めていた。


「ん……ぅ………… っ」


 すると、どこからか小さく悶えるような声が聞こえた。

 声の方に視線を向けると、先程から寝かされていた少女が上体を起こしていた。


「ここ……どこ? もしかして、学校?」


 目覚めたばかりの少女は辺りをキョロキョロと見回して呟くと、こちらに気付いたようだ。


「……いつき、ちゃん?」

「は、はい?」


 目覚めるや否や、少女は僕の顔を見て知らない名前を口にした。


「いつきちゃんでしょ? 空条(くうじょう)いつきちゃん。ほら私、隣に住んでるあさひ。てか、いつきちゃんって室星の生徒だったっけ」


 いったい誰かと間違えているか知らないが、あさひと名乗る少女は僕を「空条いつき」なる女の子と認識しているようだ。そういえば今僕は女装中だった。


「あ、あの……人違いです。僕、九条一徹と言って……その、男です」

「え、マジ!?」


 驚くあさひに僕はカツラを取ってみせた。ボロボロの状態で目覚めたばかりだというのに、思ったよりも元気そうな人である。

 あさひは信じられないとでも言いたげな顔つきで、僕の全身という全身に惜しみなく視線を注ぐ。人に見られまくるの今日何回目だろうか。


「はー、こんなに似てるって不思議。あのね、私の家の隣に君にそっくりの女の子が住んでいるの。小さい頃からの付き合いで、私のことあさひお姉ちゃんって呼んでてね」

「はあ…… 」


 ファーストコンタクトからして異常だったので謎めいた人物だと少し警戒していたが、あさひ自身の話し方や雰囲気は普通の高校の女子とそう変わらないように感じられた。

 それにしても「空条いつき」と「九条一徹」、微妙に名前が似ているような気がしないでもない。


「……というか、男の子がなんでそんな格好してるの? 趣味?」

「違います」


 説得力があると全く思えないが、僕はきっぱり否定した。本当に、断じて趣味なんかではない。


「それより、何だってあんなところに倒れていたんですか? それに格好だって凄いボロボロですし」

「あんなところって?」

「屋上ですよ。あさひ……さん、でしたっけ。覚えて無いんですか?」

「えっ、私屋上で倒れていたの!?」


 そこで初めてあさひは自身の置かれた状況に気付いたのか、ハンガーに掛けられたボロボロの制服や窓に映った煤だらけの自分の顔を見て、ひどく困惑した表情を見せた。その様子を見る限り、嘘っぽさは感じない。


「わ、分からない……何か、頭に霞がかかったような。いつから覚えてないのかも、分からない」


 いわゆる記憶喪失というやつだろうか。実際にそういった人間を見るのは初めてだが、こうも直近の記憶だけすっぽり抜け落ちたりするものなのか疑問である。


「うぅ、頭がズキズキする……」


 無理に思い出そうとして苦しんでいるのか、あさひは頭を抑えて唸った。見たところ、頭よりも身体の方が傷だらけに思えるがそちらはそこまで重症ではないようだ。


「とにかく、今は安静にしていた方が良いと思います。あんまり動いたりしないで」

「うん……」


 あさひは小さく頷くと、再び仰向けになって目を閉じた。


(……どうしたものか)


 石上の言った通り、確かに厄介事を持ち込んできたような気がする。奥村先輩のあの余裕のない様は気がかりだが、事情も知らない僕たちがあまり深入りするのも良くないだろう。


「ん?」


 彼女が眠りについたように見えた直後、借り物のスカートのポケットから着信音が響き、中でぶるぶると揺れた。スマホを取り出し画面を確認すると、着信の主は円。


「円?」

『いっちゃん、イレイズだよ。しかもかなり近い』


 さっき保健室を出るまでの優しげな話し方とは打って変わって、氷のような冷たさを滲ませながら画面の先で円が告げた。久々の出現とはいえ、彼女からの急な着信が来た時点である程度そうだろうなという予感はあった。

 だが、いくらなんでも急すぎる。まだ円が保健室を出て10分やそこらの時間だ。普段イレイズの気配を察知できる彼女がここまで気付かなかったことがあっただろうか。


「……わかった。どこに行けばいい?」


 保健室に僕を呼びに戻ることなく電話をかけているということは、彼女は既に出現ポイントまで向かっているはずだ。もちろん着替える時間なんてないし、この格好のまま行くしかない。


『気配が学校のすぐ近くまで来てる。私、南の出入り口から出るからいっちゃんも追いかけて!』

『う、うん』


 円の手短な連絡を受け取ると、僕は通話を切り慣れないスカートをはためかせて保健室を飛び出した。

 南の出入り口と言えば本校舎から最も近い出入り口だ。イレイズの侵入を許してしまえば、最悪学校の敷地内が戦場となる。それだけは可能なら避けたい。


「九条くん!」

「先輩!」


 校舎を出てすぐ、部室棟の方からノートパソコンを抱えて走って来る奥村先輩とすれ違った。かなり息を切らしているが、いつになく真面目な表情からも大体の事情は察しているのだろう。


「怜ちゃんとコジローくんの方にも連絡はしておいたから。九条くんも気を付けて!」

「ありがとうございます。行ってきます」


 小さく頭を下げ、僕は円の指定したポイントに急ぐ。

 走り出した直後、つい今までグラウンドで練習していた運動部の部員や外を歩いていた生徒たちが一瞬にして姿を消した。ビショップが戦うための場、魔鐘結界が開かれたのだ。恐らく結界を開いたのは円だろう。

 走りながら僕はポケットに入ったもう一つの機械――プロメテを取り出し、左手首に翳す。


『Tell me what you want to do. Tell me what you want to do. Tell me what you want to do……』


 プロメテが手首に溶け込むように消え、音声合成ソフトのような無機質な英語が頭の中に響いた。その音声に向かって、叫ぶ。


魔力注入インゼクション!」


 直後、僕の詠唱に反応して左手首から風が全身に流れるような感覚が走った。プロメテと接続状態になったことによって、全身の感覚と身体能力が一気に引き上げられたのだ。


「……はぁっ!」


 南出入り口まで全速力で駆けながら、身長と同じ高さはあろう締め切られた門を僕は跳躍で飛び越えた。


「円!」


 校門を越えた先に円はいた。学校を出てしばらく走った先の坂を下ったところに、彼女は立っていた。


「……いっちゃん」


 既に臨戦態勢に入っていた円が、追いついた僕に気付き声を掛ける。だが、彼女は既に敵が近くに来ていると言う割にわだかまりを抱えたような表情で視線を前に戻した。


「見て」

「……!?」


 彼女の視線の先に僕も目をやり、そしてそこにあった異様な光景を見た。

 アスファルトの道路のど真ん中に、直径十数mはあろう巨大な大穴が穿たれている。その大穴は、まるで深淵とでも呼べるほどの深さでここからでは底が窺い知れない。

 さらに大穴の周縁では先程まで走っていたのだろう自動車が車体の半分を消滅させ、後ろ半分だけが残骸のように転がっていた。

 車の運転手は無事なのか、いや……そもそもこの大穴を発生させるのに何人が巻き込まれたのか。


「誰が、こんなことを……」

「壊してしまってすまないね。なにぶん、捜し物があったものだから」


 僕の呟きに反応するかのように、物腰の柔らかい男の声が耳に響いた。

 大穴を挟んだ道路の向こう側に、長身の男が立っている。灰色の長い髪に、纏っているものは西洋の僧侶が身につけるような髪色と同じ灰色のローブ。そのローブの袂は、まるで狼の体毛のごとくふわりと舞い上がっていた。

 男の放つ異様な雰囲気は、間違いなく人間ではない。人の存在を奪い、成り代わる人類の仇敵『イレイズ』だ。


「……注意して、いっちゃん。何か嫌な予感がする」


 警戒を解かないまま、イレイズの男を睨みつける円。嫌な予感は僕もひしひしと感じている。物理的なパワーではない、底知れないものが。

 今度の敵は、何かが違う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Bishop《ビショップ》 @kagayaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ