第26話 怪異少女列伝(後編)
時はあっという間に放課後になり、僕たちは校舎裏に集められた。長谷川を除いた陰陽部の面々の他には、空撮部の坂井先輩の他に恐らく部員だろう男子生徒が数人。近くには着ぐるみのパーツを乗せた台車もある。
「あの、奥村先輩」
「何かな?」
「どうして僕たちだけ体操服なんですか?」
グラウンドに集合したは良いものの何故か僕たち陰陽部の部員だけ動きやすい体操服を着せられていた。しかし空撮部の部員は普段の制服である。
「そりゃあ主人公は女の子だし、空撮部は男子しかいないからね。役をやるなら私たちのうちの誰かでしょ」
それなら何故僕も体操服なのだろうか。それに、主人公の配役を決めるという話の割に肝心の巫女装束が見当たらない。
「それより先に決めなきゃないけないのは、誰がこの着ぐるみを着るかだよ。『怪異少女列伝』の内容はこの大妖怪の演技にかかっていると言っても過言じゃない」
そう言うと、牧谷は台の上から着ぐるみのパーツを次々と下ろしその場に並べた。地面に置くたびに「ごとん」と重量感のある音が鳴り響く。
「じゃあ九条……だっけ。とりあえずこいつ着てみてくれよ」
「ぼ、僕? い、いいけど……」
最初に指名されたのは僕だった。着ぐるみに入って動くなんてきっと体力を使うだろうし、今いる陰陽部の男は僕だけなので不思議なチョイスでもない。
牧谷に促されるように僕は『テングフット』とタグを付けられた着ぐるみのズボンに足を入れた。他の部員にも介助されながら、ベルトを締めてなんとか下半身に装着する。
「うっ……」
まだ半分しか着ていないのだが、とてつもなく重い。まるで下半身が地面にめり込むような感覚さえ覚えるほどの重さだ。これでは演技どころか歩くことすらままならない。
「じゃあ『キュウビボディー』と『ネコマタアーム』いきまーす。よいしょっと」
「ちょっ……」
有無を言わせず僕の上半身と手足にはさらに重い着ぐるみが、がしゃんがしゃんと取り付けられる。急に重力が何倍にもなったような感覚に襲われ、僕はその場に手をつきうずくまった。重いというか、両肩が外れるかと思うぐらい痛い。何だこれは。拘束具か。
「ああ、だめだめ。ちゃんと立って。ほら、せーの」
倒れた僕を牧谷ら部員が数人がかりで流れ作業のように起こし、なんとか直立させる。僕もギリギリの中踏ん張って姿勢を維持するが、立っているだけでもかなり苦しい。
「それじゃ最後『ヌエヘッド』。つけるよー」
既にフラフラ状態の僕の頭に、トドメと言わんばかりに先程の被り物が装着させられる。
「あっ、あだだだだだ! く、首が! 首が!」
突然走った激痛に僕はたまらず悲鳴をあげた。重いとかそんな次元の話ではない。全身にミシミシ降りかかる重量は比喩抜きで僕の骨という骨を粉砕しようと襲い来る。立っていることすら無理なのにこんなものを着てのアクションしろと言うのか、冗談じゃない。
「あちゃー、やっぱだめか。一旦全部取るよー、ゆっくりしゃがんで」
「はあ……はあ…………」
牧谷たちが膝をついた僕の頭や胴体から次々と着ぐるみのパーツを外していく。中から救出された僕は息も絶え絶え、全身汗だくでろくに言葉も出せない状態だった。これはもはやスーツですらない。現代に蘇った中世の拷問器具、『
「大丈夫? いっちゃん」
何とか全部脱ぎ終えて、ぜえぜえ言っている僕に円が心配そうに声をかける。声は気遣っている様子なのだが、表情はなぜか興奮気味で若干そわそわしていた。
「あ、あのね……それ、私も着てみていいかな?」
「えっ!?」
彼女の口から出た信じられない提案に僕はぎょっとした。僕より身体能力が高いとはいえ、流石の円でもこれを着てまともに動けるとは到底思えない。
「わ、私……その、スーツアクトレスって言うんだっけ。前からね、ちょっとだけ興味あったんだ……」
そう言うと円は少しだけ照れくさそうに笑った。ヤタガラスが好きというのもそうだが、どうやら円の好みは可愛いヒロイン役とかよりもかっこいいアクションの方に向けられているようだ。それにしても、目の前で死にそうになっている僕を見てもやってみたいと言うのだから凄まじい度胸である。
「ま、円。本当に重いから気を付けて。下手したら首の骨が折れる」
「うん、ありがとう」
僕の忠告に軽く礼を言うと、円は先程の僕のように脚、胴体、両腕と着ぐるみのパーツを装着していく。一連の流れは僕の時よりもだいぶスムーズだ。
「じゃあ、最後『ヌエヘッド』いきまーす」
牧谷と部員の一人がよいしょと持ち上げて円の頭に鵺の被り物を乗せる。あれだけの重量なのにピシッと立っており彼女の姿勢は僕よりもずっと綺麗だった。
「だ、大丈夫……?」
「確かにちょっと重いけど、全然動けないってほどじゃないみたい」
妖怪着ぐるみの中から聞こえる円の声は普段と変わらない、落ち着き払ったものだった。あの重さを「ちょっと」で済ませられるのだから、彼女の肉体強度は常人とかけ離れている。
「じゃあ沢灘さん、ちょっとその辺走ってみて」
「うん、わかった」
牧谷に言われるまま、着ぐるみを来た円がみんなの周囲をぐるっと走る。コンクリートの地面がごんごんと重量感のある音を響かせるも、彼女は依然として軽やかな動きを崩さない。
「す、すげぇ! 沢灘さん、次は何かアクションやってみて! パンチとか、脚上げたキックとか」
「うん。えっと……こうかな?」
興奮気味に動きをリクエストする牧谷に、円はその場でシュッと素早く拳を繰り出し上段回し蹴りなんて芸当までやって見せた。本当にこれが同じ物を着た人間の動きなのか、にわかに信じがたい。
「は、初めて見た……あの大妖怪スーツを着てここまで動ける人がいるなんて」
「マジかよ、あれこないだ測ったら全重量が80キロとかあったんだぞ……!?」
「そういや聞いたことある…… 1年女子に100m走11秒で走り幅跳び6mの子がいるって」
空撮部の部員たちが次々と感嘆の言葉を口にする。今80キロとか聞き捨てならない単語が聞こえたが、そんな馬鹿げた重さのものを人間に着せようとしてくる彼らの感覚は明らかにおかしい。まともに動ける円も大概だが。
「……楽しい、かも」
一通りの動きをこなした後、円が自分で被り物をかぽっと外して顔を出し呟く。額や首元には流石に汗が滲んでいるが、僕の時とは比べ物にならない生き生きとした表情をしていた。
「んじゃ、この中でコレ着られるの円ちゃんしかいないんだから、大妖怪の役は円ちゃんで決まりだね」
奥村先輩の言葉に僕ははっとする。円が大妖怪ということは、必然的に主人公の女の子の役は彼女ではなくなるのだ。僕が妄想で描いていた巫女装束を着た円の姿は脆くも崩れ去った。
「てことは、主人公の役は怜ちゃんか私になるかな。いやー、自分が書いた脚本の主役を自分で演じるなんてわくわくしちゃうねぇ」
「あ、奥村には別の役が決まってる。敵側のセクシー女幹部だ」
「は、うそ!?」
うずうずした表情でみんなの顔を窺う奥村先輩にしれっと口を挟む坂井先輩。
「嘘も何もお前が書いた脚本だろうが。怪異少女列伝の後半は主人公と女幹部が大妖怪を取り合うドロドロ愛憎劇がウリだって、散々熱弁してたろ」
「そうだったぁ……それにセクシー役は怜ちゃんにはちょっと荷が重いし、私しかいないかぁ。でも、あんまり露出の高い衣装は勘弁ね!」
しょんぼり肩を竦める奥村先輩。以前から薄々思っていたが、この人は意外に目立ちたがり屋な気質なのかもしれない。さらっと石上に失礼なことを言ったような気がするが、当の本人には聞こえていないようだった。
「じゃあ、主人公の役は……?」
牧谷の言葉に全員の視線が消去法で残された女子、石上に向く。
「え、あたし? その辺の木の役でいいわよ?」
「いや、お遊戯会じゃないんだからさ……」
話にちゃんと混ざれていない石上のどこか場違いな反応に、奥村先輩が脱力気味につっこみを入れた。
「いや、あたしそういうの昔からダメなんですって。歌とか演技とか。主役なんて絶対無理」
残された女子は石上しかいないというのに、彼女は頑なに首を縦に振らない。無理強いはやはり良くはないが、他に任せられる人がいないのだから仕方ないとは思う。
「とりあえずさ、いっぺんやってみなきゃ分からないよ。ほら、台本のここのセリフとかちょっと動きをつけてやってみようよ。もしかしたら案外出来るかもしれないし」
「本当に無理なのに……もう」
奥村先輩が横からぱらぱらと台本を見せてくるが、石上は本当に嫌そうな顔をしていた。
しかし周囲から集まる視線に耐えられなかったのか、迷いながらもついに全員の中心に立ち深呼吸した。
全員が固唾をのんで見守る中、石上の口が開く。
「や、やい。ひ、人に悪さするあ、暗黒……大魔王。正義の妖怪のおしおきで、や……優しい心を、思い出させてあげるっ」
ひゅん、と流れるような風の音がしたのを僕は確かに聞いた。
彼女を中心にその場が長い沈黙に包まれ、石上の顔がみるみる赤くなっていく。
「うん、かわいいな。これはこれで」
腕を組み坂井先輩がうんうん唸りながら呟く。かわいいのは僕も同意だが、作品の方向性に合っているのかは知らない。
「だから、無理って言ったじゃない……」
石上が泣きそうになりながらその場にしゃがみ込み膝を抱える。僕は別に彼女でも主役をやって駄目なことはないと思っていたが、なんだかとても居た堪れない気持ちになったので考えを改めた。
「ね、ねえ……いっちゃん」
「ん?」
着ぐるみから顔を出した円が一連の流れを見て何か閃いたように手を上げた。というかずっと着ていて大丈夫なのかそれ。
「お遊戯会って聞いて思い出したんだけどね。いっちゃん小さい頃、劇で女の子の格好させられたことあったよね」
「……え!?」
彼女の口から爆弾発言が飛び出して僕は大きく狼狽えた。急に言われても、何のことか思い出せない。
「ほら、小学生の頃……お遊戯会の『赤ずきんちゃん』の劇で、主役の子が休んじゃった日にいっちゃんが代役で赤ずきんちゃんの役やったことあるでしょ?」
「あ、あぁ……」
言われてだんだんと記憶が蘇ってきた。
それは僕と円が小学2年生の時のことで、しかも前日のリハーサルであって本番ではない。僕が目立たない子供ということもあって何の役にも宛てがわれなかったところを先生が思い出して急遽代役に指名したのだ。当時の先生やクラスメイトに言われるがまま赤ずきんの被り物をさせられただけであって、決して自分からやりたいと言い出した訳じゃない。
「え……もしかして主人公の役、九条くんがやるの……?」
「いや別にやるなんて一言も」
奥村先輩が若干引き気味に僕の方を見つめる。そもそも小学生の頃にたった一回やらされただけの話であって、高校生の僕に出来るはずがない。
「いや、あたしも九条がやった方がいいと思う。あたしよりも絶対似合う。うん」
「えっ」
珍しく石上が乗り気で僕を推薦してきた。間違いなく自分がやりたくないだけだ。
空撮部の面々の顔を見ると、みんな困惑していた表情で周囲の部員とひそひそ話を始めていた。それはそうだ、せっかく巫女装束を着た女主人公の役を男子にやらされそうになっているのだから。
「お、おいおいどうするよ。お前さん本当にやる気か……?」
坂井先輩が訝しげに尋ねる。だからやるなんて一言も言っていない。なぜ僕の了承もなしに勝手に話が進んでいくのだ。
しかし、このままゴネていても話が進まないのは確かだった。円は大妖怪の着ぐるみ担当だし、奥村先輩は敵のセクシー幹部とやらの担当らしいし、石上はたぶん泣くか心が折れる。
「私……いっちゃんとなら、一緒にやってみたいな……」
少しだけ気恥ずかしそうに、円が上目遣いでそっと囁く。
「やります」
僕は迷うことなくきっぱりと宣言した。
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