第26話 怪異少女列伝(前編)
「さてさてだいたいみんな揃ったし、さっそく行きましょ。ま、言ってもうちの二つ隣の教室なんだけどね」
時は翌日の昼休み。奥村先輩に集められ(長谷川を除く)僕たち陰陽部のメンバーは部室棟1階のとある教室前に連れて来られていた。部室の扉には「空想特殊撮影部」とでかでかと書かれた紙が貼ってあり、僕たち程ではないが部の名前から活動内容はあまり想像つかない。
「く、空想特殊……撮影?」
「うん。通称『空撮部』。CGとか着ぐるみとかミニチュアを使ってファンタジー、非日常を表現する……って書いてあったかな。部活パンフレットに」
「先輩、昨日は映像研って言ってませんでしたっけ」
先輩の話では、陰陽部の活動実績として映像研の人たちの映画製作のお手伝いをするという話だった。説明を聞く限りでは、映像作りの中でもさらに狭いジャンルに特化した印象を受ける。
「ややこしい話になるんだけどねぇ、どうやら映像研はもともと一つだったんだけど方向性の違いで分裂しちゃったらしいの。確かこの空撮部の他に『青春ドラマ部』と『SFアニメ部』と『B級サメ映画部』があるとか」
「えぇ……」
いくらなんでも分裂の仕方がピンポイントすぎる。うちの学校は偏差値が高い割に自由な校風らしいが、そこまで分かれてよく部員が確保できるものだ。
「そういえば、私もクラスで聞いたことある。軽音楽部も、音楽性の違いから喧嘩して『テクノポップ部』と『ヘヴィメタル部』と『ヴィジュアル部』に別れちゃったんだって」
思い出したように呟いたのは円だ。ヘヴィメタルとテクノポップはまだ分かるとして、ヴィジュアル系は前二つと分かれる必要があったのだろうか。
「ま、そういうわけでこれから私たちが一緒に映画作ろうってとこがこの『空撮部』ってこと。私の知り合いはもう来てるはずだから、さっそくお邪魔しちゃいましょう」
そう言うと、奥村先輩はノックもせず部室の扉をガラリと開けた。
(こ、これは)
目に入った光景で思わず僕は息を呑んだ。
部室の広さは僕たちの陰陽部のものと全く同じで、備え付けの机も椅子も普段学校で使用されているものと同じだ。だが、その漂う雰囲気はまるで違う。
真っ黒なカーテンで覆われた窓、壁に所狭しと貼られたアニメや特撮ヒーローのポスター。机の上には恐らくアクリル製の透明なケースがいくつも置かれておりその中には、やはりおびただしい数の特撮ヒーローと思しきフィギュアとミニチュアの建物や町並みのセットがひしめいていた。
映画製作とは言っても所詮は高校の部活動程度、と高を括っていたがその空気感は想像以上に本格的だ。
「おー、来たか」
部室の隅っこから低い男の声がした。声のする方に目をやると、しゃがんで机の上のミニチュアを動かしている大柄な男性の姿がある。先輩の知り合いとはこの人だろうか。
「よっ」
立ち上がった色黒の男性は、よれよれの夏服にぼさぼさの髪、口周りの濃い髭などおおよそ同年代の若者には見えない風貌をしていた。猫背でずんぐりとした立ち姿からは失礼だが中年男性と言われた方がしっくりくる。
「この人、同じクラスの坂井伸平(さかい しんぺい)くん。空撮部の部長さんだよ」
「部長って言っても3年が忙しくって来れないから代理やってるだけだけどな。あんたらが奥村が言ってた助っ人か。ま、よろしくな」
奥村先輩に紹介され、坂井先輩はのほほんとした顔で「にっ」と笑って見せた。
「いやぁしかし助っ人と聞いてはいたが、そうか女子もいたか。は、ははは……こりゃ恥ずかしい。いきなりこんな男臭いオタク部屋を見せられてびっくりしたろ。少し片付けておけば良かったかな」
円と石上を見て、若干赤面しながら自虐的に会釈する坂井先輩。この部室から漂う雰囲気といい、部員が男子ばかりであまり女子慣れしていないだろうことは僕にも察せられた。
後ろを見ると、石上がどこか落ち着かなそうな表情で僕の背に隠れている。もしかしたら坂井先輩のような身体の大きい男は彼女の苦手なタイプなのかもしれない。
「むー、それって私のことはナチュラルに女子扱いしてないってことかな。あと坂井くんは部室よりもまず身だしなみ! 女の子が訪ねてくるんだからもっと清潔感あるかっこしないと。そうでなくてもクラスで私ぐらいしか話しかける子いないんだから」
「う、うるせえ。今日はたまたま髭を剃り忘れただけだし、たまたま着てくるシャツが生乾きのやつしかなかっただけだ。こう見えて高いボディーペーパーで汗拭いてるから良い匂いだってするんだよ」
「ごめん想像したらちょっと気持ち悪い。嗅がせようとしなくていいから! セクハラ!」
どうやら坂井先輩は一応は異性の同級生である奥村先輩とは自然に冗談を言いながら小突き合える仲のようだ。円と石上相手だと狼狽え気味だったのに、不思議である。
「……円?」
談笑している先輩二人をよそに、さっきから隣の円が静かだ。視線をやると、普段の彼女らしくないどこか落ち着きのない様子で机の上に置かれた立体物をきょろきょろと見渡している。
「ね、ね、いっちゃん。これって」
僕の視線に気付いた円が、手前の机の上に置かれた物を指差して何やら嬉しそうに目でアピールしてきた。
そこにあったものは、頭の上から足先まで真っ黒に染まったキャラクターのミニチュアだった。フィギュアよりは精巧ではない、子供向けの玩具屋で見たことがある柔らかい造りの立体物。いわゆるソフビ人形というやつだ。
そのキャラクターを、僕は知っていた。
「えっと、これって……ヤタガラス?」
漆黒に染まったマッシブなボディに烏の頭部。そして肩甲骨から生やした漆黒の翼。円が幼少期から大ファンである特撮ヒーロー番組『超獣人ヤタガラス』の主人公、ヤタガラスその人である。おおよそ正義のヒーローとは思えない恐ろしげな見た目とバイオレンスな作風のせいで、僕はこいつの良さが未だに分からない。そのヤタガラスのソフビ人形が何体もずらっと机の上に並んで立っていた。
しかし円は僕の指摘に小さく首を振る。違うのか?
「この肩アーマーが丸いのが第20話で登場した『にせヤタガラス』。目がちょっと赤っぽいのが最終回の敵の『コピーヤタガラス』。こっちの少し色がグレーなのが劇場版で戦った『ヤタガラスダークエンペラー』。それで隣の、頭に銀のメッシュが入っているのがテレビスペシャル版に出てきた『ヤタガラスシャドー』。で、これは雑誌付録のウルトラバトルビデオの『プロトヤタガラス』だね。ほら、プロトヤタガラスだけ胸に改造人間のエンブレムがないでしょ?」
(…………ぜんぜんわからない)
普段の大人しい彼女からは聞いたこともないような早口と熱量で出てくる解説に、僕は喉元まで出かかった「全部ヤタガラスじゃん」という言葉を飲み込んだ。以前ゲームセンターでヤタガラスの登場するゲームの筐体を見た時もだが、円はこれが絡むと人が変わったように饒舌になる。
「な、なにぃ!? 君、ヤタガラスを知っているのか! わ、分かる子に初めて会ったぞ。俺のコレクションを見ても部員の誰も知らないって言うのに」
円の早口トークに反応した坂井先輩が目の色を変えて近付いてきた。
「これ、先輩の私物なんですか? 私、ソフビは凛ノ助の変身する普通のヤタガラスしか持ってなくて、特にヤタガラスダークエンペラーのソフビは今プレミアついてますよね」
「そう! そうなんだよ! これネットで去年見かけてさぁ、コツコツ小遣い貯めてようやく買えたやつなんだよ! 応募者限定だったから滅多に出回ってないやつで」
「でも私DVDの方は持ってて、小さい頃に何回も見てました。凛ノ助たちが囚われてた研究所が爆発してダークエンペラーが登場するシーンはいつ見ても本当にカッコよくて大好きです。同じ姿を持つ者同士が戦うシチュエーションが」
「うわ〜分かるなあ! 特に夏映画で本編とはパラレルのストーリーだからテレビ版とはまた違ったシリアスさがあってなあ。動画サイトのどこも配信してないから今じゃ知る人ぞ知る名作でさぁ」
何やら僕たちそっちのけで円と坂井先輩のヤタガラス談義が始まってしまった。さっきまでじゃれ合っていた奥村先輩でさえ呆気にとられて二人を眺めている。
しかしこんなに楽しそうに男子とお喋りする円は今まで見たことがない。恐らくクラスの友人ともここまでの熱量で話すことはなかっただろう。
(む……)
いつも暗い顔が多い彼女なのでとても良いことだ。良いことのはずなのだが、なんとなく胸の奥がむずむずする。相手が僕でないからなのは分かりきっているのだが、その事実を受け止めるのを脳が拒んでいる。せめて僕もあの時真面目にヤタガラスを追っていたら、あの中に入れたかもしれないのに。
「あんた、露骨に面白くなさそうな顔するのやめなさい」
「し、してないし」
隣の石上が冷え冷えの視線を浴びせながらぼそっと呟く。いったい僕はどんな顔をしていると言うのだ。
「いやーでもテレビ版のラストが駆け足だったのは残念だったなあ。やっぱり視聴率が低くて途中で放送打ち切りになってしまったのが響いて」
「え……?」
その時、場の空気がピシッと一瞬で凍りついた音を僕は確かに聞いた。
今の今まで楽しそうに続いていたお喋りが、突然止まる。
「打ち……切り……? えっ? 放送時間は変わったけど、ちゃんと一年間最後まで放送してましたよ? ね、最後の方は夜中にやってたよね、いっちゃん?」
「え? あ、うん」
唐突に話を振られて僕は反射的に頷いた。ヤタガラスは一年間のうちに放送時間がころころ変わって最後は深夜放送になり、円と家の電話で話しながら一緒に見ていたのは覚えている。むろん、ストーリーは全く覚えていない。
「……ヤタガラスは打ち切りじゃないです。地獄四天王編が終わった後も続きがあって、ちゃんと綺麗に完結しました」
「あ、あれ? そんなはずは……もしかして最後だけソフト化してなかったとかか……? まさか俺に限って知らないことがあるなんて」
どうやら「打ち切り」は円にとって禁句のようらしい。うっかり彼女の地雷を踏んでしまい、坂井先輩の顔がみるみる青ざめていく。円はさっきまで楽しそうに話をしていたのとは打って変わって不満げに頬を膨らませていた。
「あんた、ちょっと嬉しそうな顔するのやめなさい」
「し、してないし」
またも石上から冷ややかな目で耳打ちされた。そんなに顔に出る性格だろうか、僕は。
「ま、まあまあ。このままだと収集つかないし、とりあえず本題に入っちゃお。みんな、ねっ?」
空気が盛り上がったり冷え切ったりと混沌としたところを奥村先輩が「ぱん!」と手を叩いて仕切り直す。そう言えば僕たちは何しにここへ来たのだったか。
「お、おお。そうだったそうだった。今回な、俺と奥村が製作した脚本で撮る映画を部活の活動実績として出そうってことでな。陰陽部のお前たちにも手伝って貰いたいんだ」
「手伝うって言っても、僕たち素人ですけど……」
映像制作となれば、僕たちに与えられるのはたぶん照明だったり小道具係だったり裏方の仕事だろう。とは言うものの、それすら未経験なのでどこまで役に立つのかは知らない。
「ああ、その辺は気にするな。まずはこいつをいっぺん読んでみてくれ」
そう言うと坂井先輩は机の上に置かれたホチキスで留めたA4紙の冊子を僕に手渡し、左右から円と石上が覗いてくる。表紙には油性のマジックペンで『怪異少女列伝』と書いてあった。中身をぱらぱらと捲ると、台詞と思しき縦書きの文章が羅列されている。
「これ……何ですか?」
「見りゃ分かるだろ、台本だ。今回撮る映画のな」
それは分かる。分かるのだが、僕たちに台本を見せてどうしようと言うのか。
「ふっふっふ。九条くん、実はね。私たち今回役者としてお手伝いするのよ。この『怪異少女列伝』シリーズ、記念すべき第一作の!」
「……………………は?」
素敵な笑みを浮かべて親指を立てる奥村先輩。予想だにしない事態に、僕は思考が数秒止まった。
「あ、もしかして役者って言っても通行人とか怪人に襲われる一般人とかの役で……」
「のんのん、もちろん主役に決まってるじゃない。『怪異少女列伝』はハートフルなアクションSFドラマなのよ! 伊達に陰陽部と共同制作やる訳じゃないんだから、目立たない裏方なんてつまらないって」
「は、はぁ……」
昨日聞いた話ではあくまで先生方に提出する用の映像制作だったような気がするが、奥村先輩はその枠を超えた超大作を作るつもりらしい。それにしても『怪異少女列伝』なる作品の主役となると、やはり女の子が主役と思われるので適任は円か石上だろうか。
「そういうの、わざわざ
髪の毛の先を弄りながら、気怠げな表情で石上がぼやく。それは僕も思ったし、何より陰陽部に演技の経験がある人間なんて恐らくいない。
「演劇部の方は別の方で活動実績を作るみたいで断られちゃったんだよねぇ。それに空撮部って他の文化系の部活とあんまり仲良くないみたいだし」
奥村先輩がやれやれ、といった表情でため息交じりに話す。確かに映像のジャンルで喧嘩して分裂するような部活だし、敬遠されるのも仕方ない気もする。要するにはぐれものの文化部同士、手を組むのは必然だったわけだ。
とりあえず渡された台本をぱらぱら捲ってみると、内容はどうやら神社の娘である主人公の少女が実家に封印された大妖怪と出会い、悪の妖怪と戦いを繰り広げながら絆を深めていくというものらしい。ただそれにしては妖怪がドッキングしたり目からプラズマ光線を放ったりなど、和風テイストからはかけ離れたようなシュールなシーンが散見される。恐らくこの辺りを書いたのは奥村先輩だろう。
とはいえ、少なくとも物語の中心は主人公の女の子と妖怪なので僕に目立つ役が宛てがわれることはなさそうで安心した。
(ほ、ほう)
それに、台本によると主人公はアクションシーンで巫女装束を着るらしい。これは少しだけ胸にキュンとくるものがある。
「いっちゃん、どうかした?」
「え、いや……別に」
無意識に円の方をじっと見てしまい不審がられてしまう。もし彼女がこの主人公の女の子を演じるのなら、それはそれで見たい。背後から何やらひんやりとした視線を感じるが、気にしないことにする。
「失礼しま〜す。部長、完成した着ぐるみどこに持っていけばいいですかー?」
唐突に部室の扉がガラッと開き、見知らぬ男子生徒が入ってきた。小柄な痩せ型で眼鏡をかけた少し気弱そうな生徒だ。制服の胸元に付けた校章は一年生のものであり、見覚えはないが僕と同じ学年らしい。
彼は台車を引きずっており、その上には何やら茶色い毛むくじゃらの大きな物体が乗せられている。
「さ、さささ沢灘さん!?」
「あっ、牧谷くん」
男子生徒は円に気付くなり台車をひっくり返しそうな勢いで動転しその場に転げそうになった。コントかと思うぐらいの驚きぶりである。
「円の知り合い?」
「うん。同じクラスの牧谷悟(まきたに さとる)くん。話したことはないけど、空撮部の人だったんだね」
牧谷と呼ばれた男子生徒は気恥ずかしそうに「にへら」と笑うと、台車に乗せられた謎の物体をそそくさと床に下ろした。両手で抱えて持ち上げていたことから、相当な重量があるのが窺える。
「これ何? 動物の頭……?」
床に置かれた「それ」を指差して円が尋ねる。
茶色い毛むくじゃらの謎の物体は、よく見たら類人猿を模したようなお面が前面に付けられており、反対側には直径30センチほどの穴が開いていて中が空洞になっているように見えた。まるで大きな被り物だ。
「あ、うん。撮影に使う着ぐるみ。妖怪の鵺(ぬえ)を模した『ヌエヘッド』。俺、小道具係だから完成したパーツを部室に運んでたんだ」
開きっぱなしの扉から外の廊下を覗くと、同じように台車が何台かありその上には着ぐるみの胴体や手足と思しき物が乗せられていた。お面の周囲は本物の動物そっくりの体毛に覆われていたりなど、造りはかなり精巧である。
「おおー、ご苦労さん。とりあえず、放課後リハーサルやるからそれまで部室に置いとこうか」
坂井先輩が指示すると、他の部員も台車を押しぞろぞろと部室に入ってくる。乗せられた着ぐるみのパーツにはそれぞれ大きなタグが貼られてあり、『キュウビボディー』『ネコマタアーム』『テングフット』などと書かれている。なんだか微妙に統一感がない。
「着ぐるみが完成してたんなら丁度いいねっ。リハーサルの時に一緒に配役も決めちゃおうよ! じゃ、時間も時間だし続きは放課後ってことで一旦解散ね」
最後に奥村先輩がそう言って場をお開きにし、僕たちはそれぞれの教室に戻った。
午後の授業の間はずっと、僕の頭の中は巫女装束を着た円の妄想で埋め尽くされており集中なんてとてもできず、先生に怒られ宿題を増やされたりもしたがそれはまた別の話である。
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