第4話 街の守り人(前編)

 いつもの火曜日、いつもの教室、いつもの昼休み。僕はいつものように椅子の向きを変えて右斜め後ろの席にいる犬飼と昼食のコッペパンを食べながら談笑していた。僕と犬飼の席はもともと近く、隣り合った前後左右の席のクラスメイトもだいたいが学食など教室の外で食べてくるので今は比較的自由に振る舞える時間だ。


「なあ九条。昨日あの後さ、円ちゃんとどうなったわけ? どこまでいった?」

「どこまでって……色々話をした、かな? 小学生の頃の話とか、けっこう盛り上がったよ」

「ほうほう、他には?」


 昨日僕が円の家に招待されるのを目の前で見ていた犬飼がその後の顛末を根掘り葉掘り聞いてくる。ただ8割くらいが怪物による世界の危機とか人間を超人にして魔法の力を与える機械とか、知らない人が聞いたら頭の病院を勧められるような内容だったので当たり障りのない部分を掻い摘んで話した。


「他にはって、そうだなぁ……あ、円の手作りシュークリームをご馳走になった」

「おっ、いいじゃんやるじゃん。へー円ちゃんお菓子作りとかするのか」

「うん、尋常じゃない美味さだった。あれ知ったらもうコンビニとかのシュークリームじゃ満足できない」

「なるほどなぁ……でもさ、もっと他にもあったろ」

「な、ないよ」


 芸能人のパパラッチ並にしつこい犬飼に流石に僕も辟易とする。長年応援してくれたとはいえ、男女の話にずけずけ入り込むのはデリカシーに欠けるのではないか。


「告白したりチューしたりそっから先のこととか色々無かったのか!?」

「あるわけないだろそんなの!」


 思わず大声で否定してしまい周囲のクラスメイトが一斉にこちらを向く。ただでさえ僕と犬飼はこのクラスの成績ビリ二人組として知られているのでこんな変な目立ち方するのは勘弁願いたい。それに物事には段階というものがあるのだ。


「まじか〜でもお前、今朝二人で登校してきたらしいじゃねえか。隣のクラスでも騒いでる奴けっこういたぞ」

「あれは……その、修行。今日から一緒に修行する約束だったから」

「は? 修行?」


 予想もしてなかった返答に鳩が豆鉄砲食らったような顔をする犬飼。


「そう、修行。早起きして円と街中を2時間くらい走った。前にサッカーやってた時くらいしか身体を動かす習慣なんてなかったけど、案外悪くないよ」


 最初はただ走ることが戦いのための修行になるのか半信半疑だったが、走り終えた時の死にそうな状態の僕と爽やかに汗を流す円を見比べたら、基礎体力の差は歴然であった。思い返せば初めて戦った時も最後はスタミナ切れに直面した。今の僕にとってスタミナを鍛えることは最重要事項の一つと言ってもいいだろう。


「修行って言っても九条って運動部とか入ってたっけ」

「いや、入ってないけど」

「じゃあ健康な体作りとか、そういうやつ?」

「まー、そんなところかな」


 詳しい事情は教えられないので適当なことを言って誤魔化す。犬飼は僕が円の言うことだったら断らないのだろうと察してそれ以上の追求はしてこなかった。


「そんで午前中の授業ほとんど爆睡してたのか。何というかさ、お前も大概だけど円ちゃんもやっぱり変わってるよな……」


 好きな子ではあるが、そこは否定できない。普段の彼女は一見大人しく見えるが、本当のところは多趣味で努力家で行動力がずば抜けているエネルギーの塊のような女の子だ。


「修行だか何だか知らないけど、授業中ずっと寝てんじゃ世話ないわよ。まったく」

「あっ、石上」


 僕と犬飼の会話に女子生徒が一人割って入ってくる。席が犬飼の前かつ僕の右隣である石上怜(いしがみ れい)だ。前髪を綺麗に切り揃えた紺色のショートヘアが特徴で、ずけずけ言いたいことを言う少々きつい性格をしている。小柄だがどこか威圧感があり、正直苦手だ。


「さっきはその、ごめん」

「……別にいいけど」


 3時限目の英語の授業で先生に当てられた僕であったが、うたた寝していて答えられず代わりに石上が当てられたのだ。僕がはっと気付いた時、隣の彼女は思いっきりこちらを睨みつけていた。


「あれ、石上っていつも外で飯食ってるんじゃなかったっけ?」

「忘れ物しただけだからすぐ行くし、別にあんたらのお喋りの邪魔する気なんてないわよ。お構いなく」

「お、おう……」


 何の気なしに聞いただけの犬飼にもつっけんどんな返答をし、がさごそと鞄から財布を取り出した石上はそのまますたすたと教室を出て行ってしまった。


「愛想良ければ男子にも人気出ると思うんだけどな、あいつ」

「そういうのに興味ないんでしょ。なんか一匹狼って感じがするし」


 新学期が始まって2週間以上経ったが、石上と喋った機会は両手で数えられるほどしかなく覚えている限りではいつも無愛想だったり頬杖ついて気怠そうにしていた印象しかない。何だかんだ人当たりのいい円とは正反対のタイプだ。


「聞いた話だと石上って頭いいのに東京からこっちに一人で引っ越してきて、わざわざ学生寮に入ってるらしいぞ。地元にもここと同じくらいの偏差値の高校なんていくらでもあるのに何か妙だよな」

「どこ情報だよそれ。あんまり人のことあれこれ詮索するの良くないと思うけど」

「バスケ部に寮暮らしの先輩いるから色々情報入って来るんだよ。誰がどこ中の出身だとかなに部だとか、ごくたまに女子のスリーサイズの情報まで仕入れてくることもあるってよ」

「ふーん……」

「『ふーん』ってお前、健全な男子高校生なのに気にならんのか!? いくら円ちゃん好きすぎるつっても女子のスリーサイズ知れるんだぞ。ほら、こないだ表彰された新体操部の部長のお姉さんとかもう上も下も凄いらしくって」


 僕の話題への食いつきがあまり良くないからか、犬飼が少しだけ声を荒げる。まったく気にならないといえば流石に嘘になるのだけど、前も言った通り僕は円以外の女の子にあまり興味が湧かないのだ。


「九条ってむっつりスケベ……ってわけじゃないんだよな。円ちゃんのスリーサイズなら気になるんだろ?」

「そりゃあ、もちろん……」


 犬飼の耳打ちに恥ずかしながらも小さく頷く。ただし、僕より先に知った人間がいたらそれはそれで凄く嫌だ。自分勝手な欲望であることは自覚しているけど。

 

 そんなこんなでぐだぐだ喋ったり食べたりしていたらあっという間に昼休みは終わり、午後の授業を経て放課後に。今朝の疲れからとはまた別の眠気に襲われて教師に目をつけられたり石上に睨まれたりしたが、概ね平和な一日だったと思う。

 予定ではこれからまた円と少しばかり修行をすることになっていて、校門前で落ち合う約束だった。


「まだかな、円」


 僕は校門の柵に寄りかかりながらスマホを眺めていた。周囲を見れば、帰宅部の生徒が自転車走らせて出て行ったり陸上部の部員たちが掛け声を上げながらランニングをしている。しかし既に放課後になって20分以上過ぎているが、円は未だに現れない。掃除当番だったり用事があったりして遅れることもあり得るのでもう少し待つが、連絡を入れてみるかどうかでまたしてもかなり迷ってしまう。


(急かすようで感じ悪いと思われたら嫌だしなぁ……うーん)


 電話番号もメールアドレスも交換したと言うのに実のところ使う勇気がまだない。長年培われたヘタレでチキンな性格はそう簡単に直ったりはしないのだ。


「君が九条くんかい」


 待ちぼうけしていた僕に誰かが声をかけた。僕より10歳以上は上だろう、大人の男性の声だ。視線の先に目をやると、よれよれのスーツのズボンを履きしわしわのワイシャツを着た背の高い男が立っていた。あまり整ってない髪型に顎髭を中途半端な長さに生やし、目の下には薄い隈のあるくたびれた印象の中年男性だ。しかしこの人、どこかで見た覚えがあるような気がする。


「はい。そうですけど……」

「私は芥(あくた)。君の学年は受け持っていないが、一応古文の教師をやってる者だよ。そのうち教えることになるかもしれないね」


 思い出した。この人は休み時間などで廊下でたまにすれ違う教師である。2年のクラスを担任しているらしく話したことなどは今までなかったが、いったい僕に何の用だろうか。


「突然で申し訳ないが、君に少しばかり頼みたいことがあるんだ。私について来てもらってもいいかい?」

「あの、すみません。今、人を待っていまして」

「それは、沢灘円くんのことで合ってるかな?」

「えっ!?」


 一発で待ち人の名前を言い当てられ反射的に身構える。人のスマホを盗み見たのか、それとも今朝一緒に登校したのがもう教師たちにも噂になっているのか。どちらにしても生徒のプライバシーに入り込むのはさすがにいい気分ではない。


「そう警戒しないでくれ。言っておくが、私は君たちの味方だ。彼女には一足先に私のところの部員が声をかけている。心配には及ばんよ」


 芥先生はけろっとした顔で口にした。とどのつまり待ち合わせに円が一向に来る気配がなかったのはこの人が原因ということだ。心配には及ばないと言うが、まったく信用できない。

 そして今「部員」という単語が出てきたが、この人は何らかの部活の顧問として僕に頼みごとをしに来たということなのだろうか。残念ながら僕は運動神経も壊滅的だし楽器も弾けない。もっと他に適任の生徒がいると思うのだけど。


「詳しいことはおいおい話そう。場所が部室棟で少し歩くが我慢してくれ。そこに沢灘くんもいるからね」

「は、はぁ……」


 スマホをちらっと覗くが、やはり円からの連絡はない。事情はよく分からない僕は促されるまま芥先生の後ろをついていった。


 案内された部室棟は野球場の隣の陸上競技用グラウンドのさらに先、高校の敷地の隅っこにぽつんと建てられていた。そこは数年前に取り壊された旧校舎の一部で、増え過ぎた部活動の拠点を確保するために学校運営側が残したそうなのだ。野球部やサッカー部、バスケ部などメジャーな部活は体育館内に広い部室が与えられて、ここで活動しているのは主にマイナーな文化部がほとんどだ。

 芥先生に連れてこられた場所は部室棟一階の5番教室。壊れかけたスライド式の扉には「陰陽部(仮)」と書かれた模造紙がでかでかと張り付けてあった。


(あ、あやしい……)


 イレイズとの戦いに巻き込まれた後なので、流石にオカルトの類を信じない僕ではないのだがこうして文字に出されると怪しさが凄い。怪しいというか、胡散臭い。一度入ったら帰れない雰囲気にして「憑かれているぞ」とか「呪われているぞ」とか言って高い壺を買わせてきそうな怪しさがある。

 芥先生はボロボロの扉を2回ノックすると、反応を待たずにガラッと開けた。


「おっ、来ていたね。奥村くん、助かった」


 教室の中は想像していたのと違ってとてもシンプルな空間だった。広さは普段授業を受けているいつもの教室と同じくらいだが、全体的に机の数が少ない。中心に9個ほどの机が集まって置いてあるだけだ。

 その集合した机に二人の生徒が向かい合って座っていた。


「円!」

「あ、いっちゃん。連絡しなくてごめんね。この人にいっちゃんもここに来るって言われてたから」


 片方は芥先生に言われていた通り、僕と待ち合わせを予定していた円だ。僕が入ってきたことに気付くと申し訳なさそうに両手を合わせる。

 もう片方は長い黒髪と大きな丸眼鏡が特徴の女子生徒だった。胸元に付けられている校章は2年生のもので、どうやら先輩のようだ。彼女の目の前にはノートパソコンが一台置いてあり、画面とにらめっこしているように見える。


「ちゃんと連れて来られましたよ、先生。ついに揃いましたね、私たちの最強パーティが!」


 芥先生に「奥村くん」と呼ばれた女子生徒がこちらに視線を向けると、親指を立ててガッツポーズする。パッと見た第一印象はもの静かで読書の似合う犬飼の好きそうな女子生徒だったのだが、どことなくグイグイ来るような押しの強さを感じさせる。ところで、最強パーティとは誰と誰と誰のことだろう。

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