第3話 覚悟の夜(後編)
話を整理する。人間社会に溶け込んだ怪物をイレイズ、人間をイレイズと戦えるようにする機械をプロメテ、戦う人間をビショップと言う。カタカナの専門用語が多くてこんがらがりやすいが、とりあえずこの3つの言葉を覚えておけば話についていけるだろう。
「そう言えば、あの出られなくなった不思議な空間って結局何だったの?」
「あれはビショップとイレイズ以外の人間を一時的に除外した結界だよ。この街の地下深くにプロメテの内部と同じような作りの巨大な魔鍾塊が埋まってて、プロメテの連動機能を使って結界を展開するの。私たちビショップが力を使えるのはあの中で時間を数万倍に引き伸ばしているからで、何でもないところで使おうとすると1秒も保たないの」
「そ、そうなの……」
さらっと凄いことを言われたような。人間を一時的に除外とか時間を数万倍に引き伸ばすとか。余りにも一般的な常識とかけ離れていてピンとこないが、除外された人々はその間どこに隔離されていて戻った時に後遺症とかは大丈夫なのか。
「じゃあ昨日その結界を展開したのって……」
「うん、私だよ。結果的にいっちゃんを巻き込んでしまったみたいで、ごめんね」
円が謝ることなんてないが、これで一つ疑問が解けた。
昨日最初に襲いかかってきたイレイズの男は僕に「お前か?」と尋ねてきた。何のことかさっぱりだったが、あれは恐らくこの結界を作ったのはお前かと訊いていたのだと思う。ビショップによって展開されるあの結界は、イレイズから見たら自分たちを捕まえる網のようなものだ。そこから脱出するには僕と円を殺す以外に方法がなかったのだろう。
と、そこまで聞いて当然とも言うべきある疑問が頭をよぎる。
「それで、円はどうしてビショップになったの?」
よく考えてみなくても、円は普通の女子高生。そんな人智を超えた怪物との戦いなど無縁に生きてきたはず。普通に学校に行って、普通に勉強して、部活に行って、休日には友達と出かけたり。多くの高校生はそうやって生きている中で、どうして円は戦わなくてはならないのか、僕はずっと不可解だった。
「私のお父さん、海外でプロメテ開発の仕事をしているから」
「親父さん? 単身赴任だって昔聞いたことあったけど、そんな仕事してたんだ……」
「うん。私も聞かされたのは最近だから、今までそんなのがあるって知らなかったけど」
なるほど、と一瞬納得しかけたがよくよく考えたら変な話である。父親がプロメテ開発者だからと言って円が戦場に立たなければいけない理由はない。僕の親父はトラックドライバーであるが、将来お前もやれと強制されたら絶対に断るだろう。たとえ世の中のためになる仕事であったとしてもだ。人間には職業選択の自由があると社会科で習った。
「……本当は、別の理由があったりするんじゃない?」
「えっ?」
「いや、勘……なんだけどさ。親がプロメテ開発に関わっているからと言っても、戦って痛い思いとか怖い思いするのって、普通嫌じゃない? もしかしたら死ぬかもしれない危険もあるし、僕だったら簡単には『やる』って言えないかな」
「……そんなこと、ないよ。私は戦いたくて、自分の意思でやってる。だって人を守るための仕事だもの」
答える円の目線は僕ではなく僕の後ろの壁際の方を向いていた。つられて僕も同じ方向を見る。その先に横幅の広い台に置かれた、電源のついていないテレビだ。
その時僕は、家具や観葉植物よりももっと重要なこの部屋に欠けていたものを思い出した。
かつてこのリビングには彼女の父親と母親、そして5歳くらいの幼い円の3人で撮られた写真が飾ってあった。昔何度か遊びに行った僕は、その写真立てがテレビ台の上に置かれていたことを覚えている。
だが、その写真立ては今このテレビ台にはない。部屋中をぐるっと見渡してみても、それらしき物はどこにもなかった。
「あのさ、円……もし違っていたらごめん。円のお母さんってもしかしてイレイズに……」
円がはっとして僕の顔を見る。当たっていたら、昔から快活で明るかった彼女の性格が変わってしまったことも納得できる。
「うん……そうだよ。私のお母さん、イレイズに消されたの。今から一年くらい前に」
「そう、だったのか」
円は無表情のまま答えたが、どこか声が震えているように感じた。
ずっと母親と2人暮らしで育ってきて、その母親がある日急に怪物になっていた円の悲しみや絶望は察するに余りある。つまり今の円がイレイズと戦っている理由は、母親の敵討ちが最も大きい。この家がえらく殺風景になったのは、消えた母親を思い出させる物が多かったからなのだろう。
「これで、分かったでしょ? 大好きだったお母さんを奪ったイレイズを、私は絶対に許さない。地上にいるあの化け物たちを一匹残らず……この手で滅ぼす。それが、私が今戦っている理由なの」
俯いて本音を溢す円。絶対に許さない、一匹残らず滅ぼす。それがあの誰よりも明るく勇敢で、そして優しかった女の子の口から出た言葉だと僕には信じられなかった。思えば半年前に話した時も、彼女に笑顔はなかった。あの時既に円は日々、憎しみを抱いて戦っていたことを僕はずっと知らずにいたのだ。
「私は、出来ればいっちゃんには戦ってほしくないよ。自分で言ってたでしょ? 痛い思いや怖い思いをするって。簡単にやるって言えないって」
「……」
確かにそれはそうだ。戦いの厳しさは昨日嫌と言うほど味わった。死ぬかもしれないと思ったのは一度や二度ではない。それに僕は円のようにイレイズに大きな憎しみを抱いているのでもない。ここで投げ出しても、僕だったら責めたりしないと思う。
しかし僕の中にはここで「戦わない」という選択肢はなかった。
理由はたった一つ。円のことが好きだから。
まぁ、そんなことを馬鹿正直に言えるはずもなく。
「でも、やっぱり僕も戦うよ。戦って誰かの命を守れるなら、やりたい」
真面目にかっこつけて答えてしまった。
「危険だってこと、分かってるよね?」
「うん。それでも……」
円が大きな瞳で僕の顔を覗いてくる。心配している不安な表情ではなく、本当に理由が分からなくて疑問に思っているようだ。
「もし僕と円の立場が逆だったら危険だから戦うなと言われて、言う通りにした?」
「それは……」
「僕も、たぶん同じだよ。円は危険なのを分かっててイレイズに襲われた僕を助けてくれた。だから、僕だって円のことを助けたい」
少しずるいことを言った。恐らく僕を助けてくれたのが円じゃなかったら、きっぱり戦うと言えなかったかもしれないと思う。
それに僕はこれ以上、円から逃げるようなことはしたくなかった。今日に至るまで3年間、円と疎遠になってしまっていたのは、きっと僕自身の臆病さが原因だ。
新しい環境、新しい人間関係、それらが押し寄せてきても円は変わらず明るかった。彼女を変えてしまったのは母親を奪ったイレイズだ。
しかし僕はそれより先に変わってしまった。歳を重ねるごとに僕と円の色々な「差」が見えてきて、誰よりも好きなはずなのに変に意識してしまい、彼女といることが恥ずかしく思えてしまっていたのだ。だから遠回しに円の気を引こうと向いてないスポーツを始めたり柄にもない趣味を作ったりもした。本当は今までと同じように楽しくお喋りしたり、他愛のないことで笑ったりしているだけで良かったはずなのに。距離を置いていたのは他ならない僕だった。
「いっちゃんが戦うことを、誰かが仕組んで利用しようとする人がいても?」
「うん。それでもいい」
僕を利用しようとする人とは、このプロメテを送りつけた人間のことだろう。構わない。何も知らない僕を説明もなしに戦いに放り込んでどんな意味があるのか知らないけど、お陰で円ともう一度向き合う機会に巡り合えた。むしろ感謝したいくらいである。
「分かった。私も、覚悟を決めるよ。一緒に、強くなろうね」
「……うん!」
僕は力強く頷いた。きっと危険で慌ただしく、しかし実りある日々が今ここから始まると思うと嬉しくて仕方がない。
それから僕は円と中学に上がってからの、戦いと関係のない何気ない会話を少ししてからノートを返して彼女の家を後にした。
帰ったら数日ぶりに父親がいて何かあったのかとしつこく尋ねられた。時刻は夜の8時を回ったところで高校生が歩くにはそこそこ遅い時間帯だ。何でもないと答えたがやはり僕は顔に出る性格らしく、眠りに就くまでその日は口元が緩みっぱなしだった。
「う……んん」
昨日の円との邂逅から一夜。僕はいつものように愛用の布団で惰眠を貪っていた。何だか普段よりもぐっすり眠れているような気がする。平日だが宿題の提出日はまだ先で心配事の特にない日だったからというのもあるが、やはり一番の理由は彼女との長年のわだかまりが解けたことだろう。
「起きて」
「うん……おきる……」
頭の中で何か声が聞こえる。包みこむような優しい声だ。寝言の返事とは裏腹に僕はさらに深い眠りに落ちていく。
「起きてってば」
「……はい……おきま、す…………」
この声、最近どこかで聞き覚えがある。少なくとも母親ではないが身近な女性の声だ。僕はこの声が大好きであった。
「修行の時間だよ。起きて、いっちゃん」
「うん……いまおきます…………って、え?」
予想外の呼び方をされ、僕の意識は一気に覚醒した。視界に広がるのはよく知る天井。つまり僕の部屋だ。しかし僕をそのあだ名で呼ぶのは本来ならここにいるはずのない人。
「ま、円!?」
「いっちゃん、おはよう」
「な、な、なんでうちにいるの……?」
幼馴染の女の子、円が僕の布団の側で正座していた。学校の制服ではなくなぜか動きやすそうな体操服を着ている。対し僕は当然と言えば当然だが寝起きでほぼ下着の寝間着姿。髪もボサボサであまり人に見られたくない見た目をしている。
「インターホン鳴らしたら、ちょうどいっちゃんのお父さんがお仕事行くタイミングだったから」
円の言葉に僕は目覚まし時計を見る。時刻は朝5時を回ったばかり。トラックドライバーの父親は朝が早く、帰ってきても僕と生活のリズムが合わないことがほとんどだ。少なくとも5時は一般的な高校生の起きる時間にしては非常に早い。
窓の方に目をやると空が白んできたばかりで仄かな朝日がカーテンの隙間から差し込んでくる。
「あの、それで円はこんな時間にいったい何を……?」
「だから修行だよ。戦いで負けないようにするためにはまず本来の肉体を鍛えなきゃ。一緒に走ろう、いっちゃん!」
「えっ」
昔からスポーツ万能でマラソン大会は毎年1位だった円のランニングが、並大抵の運動でないことは本能で察した。近所のおじいちゃんが犬の散歩がてら毎日やっているジョギングなど生温い。駅伝選手並の練習メニューを彼女なら平気でこなすだろう。
「き、昨日の今日でいきなり言われても、ね。ほら、僕もそんなに体力に自信あるほうじゃないしあんまりハードなのはちょっと」
「私、覚悟決めるって言ったよね?」
「覚悟決めるってそういう意味!?」
円の目は据わっていた。元々の顔立ちが可愛いぶん、表情を消した彼女はかなり怖い。言葉にもどこか鋭さを感じる。思えば小学生の頃夏休みに僕を毎日昆虫採集に連れ出した時もこういった強引さを発揮していた。もしかしたら円の本質はあの頃からほとんど変わっていないのかもしれない。
「大丈夫。私も毎日やってるし、続けていれば慣れるし何より体力もつくよ。学校に遅刻しないよう時間は調整するから心配しないで」
驚いたことに円は学年トップレベルの学力をキープしているのに加えて走り込みを毎朝こなしているらしい。それでさらにイレイズとの戦いを日夜続けているのだから、いったいいつ寝たり休んだりしているのかこっちが心配になる。
「さ、早く着替えて行こっ。私外で待ってるからね」
「は、はぁーい……」
うきうきとした表情で部屋を出ていく円の後ろ姿を見送り、僕もクローゼットを開けて支度をする。
純粋な円の楽しそうな顔を僕は久々に見たような気がした。きっと今まで彼女は孤独だったのだろうと思う。物心ついた時から父親は海外で働いていて、母親を理不尽な形で失ってからはずっと戦いながら一人であの家で暮らしてきたのだ。寂しくないわけがない。
(一緒に強くなろう、か)
円を守れるように、なんて大層な動機があるわけじゃない。ただ昔みたいに笑ってほしかった。そのために力が必要なら、今僕は確かに強くなりたいと心の底から思っていた。
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