第6話 ガラス・ハート(後編)

 翌日、土曜日の朝。僕は慌ただしい一週間を何とか乗り切り、久々に惰眠を貪っていた。

 本当に様々なことが起こった週だった。ここまで長く感じた週は今まで生きてて恐らく初だ。土日は修行も休みで円と一緒にいられないのは少し寂しいが、こんな風にだらけた日があるのも悪くない。


「ふわぁ……今、何時だっけ」


 寝ぼけまなこを擦り、僕はスマホの画面を開いた。時刻は午前10時を過ぎた辺り。そろそろ昼に差し掛かる時間帯だが、休日なのでまだまだ寝られる。親父は仕事でもう出かけたらしく家には僕一人なのでいつまで寝ていても今日は咎められることはない。


(さぁて、二度寝しよ…………ん?)


 眠りに就こうと目を閉じた瞬間、枕元に置いた僕のスマホがぴろぴろと音を鳴らし始めた。慌てて飛び起き再び画面を開くと、そこに書かれていた着信相手の名前は『奥村悠美』。

 背中が冷や汗でじんわりと湿る。このタイミングでこの人からかかってくる用事と言えば……


「はい。九条です……」

『ぐっもーにん九条くん! ユミちゃん先輩だよーっ!』


 スマホの先から聞こえる快活すぎる女性の声に僕の意識は一気に覚醒した。対面でも電話越しでもこの人はいつもテンションが高い。昨日の長谷川先輩とは大違いである。


『あのね、お休みのところごめんなんだけど、今ちょーっと時間あったりするかな?』

「もしかして、またイレイズが現れたんですか?」

『ありゃ、やっぱり分かっちゃうかー。実はね、そうなの……』


 実はそうなのと言われても、それ以外に彼女が僕に連絡を取ってくる理由は考えられなかった。しばらく平和な日が続くと思っていたが、現れてしまったのならば仕方ない。これもビショップの仕事だ。


「分かりました、すぐ向かいます。えっと……どちらに行けばいいんでしたっけ」

『それなんだけど、一旦学校に来てくれないかな! 部室のとこ、開いてるから!』

「が、学校……ですか」


 この間と違う奥村先輩の対応に僕は少し訝しんだ。確かあの部室のパソコンは街の地下に埋まっている魔鍾結石と連動してイレイズの出現箇所を事前に探ることが可能だったはず。わざわざ出向かなくとも場所が分かっているなら直接向かった方が効率が良いと思う。


『うん。今回の敵にかなり厄介なタイプが混ざってるっぽいみたいで、そのまま九条くんとかに行ってもらうと危ないかもしれないの……』

「うっ」


 奥村先輩のやんわりとオブラートに包んだ言動に胸が少し傷んだ。どうやら僕の実力では倒すのが厳しい敵が出現したらしい。

 厄介なタイプと言えば前回戦った魚人のイレイズを思い出す。あの敵は水辺から奇襲を仕掛けてきた上に僕の攻撃が炎であったためダメージをほとんど与えられなかった。危ないところを石上に助けられたためなんとか倒すことは出来たが、今回も同じような敵に僕一人で相対してしまったら恐らく一方的に殺されてしまうだろう。


『だからね、とりあえず作戦会議……ってほどでは無いんだけど必要な準備を揃えたいから部室で待ってるよ! それじゃっ』

「な、なるべく急ぎます……」


 慌ただしく奥村先輩が通話を切ると僕も手早く出かける準備をした。




 休日とは言っても室星学園は多くの運動部が大会で優秀な成績を残しており、土曜日もグラウンドなど外は練習している部員でごった返している。いつもの光景だ。

 僕たちビショップの組織である陰陽部は部室棟に拠点を構えており、そこに行くためには運動部の大きなグラウンドやバスケットコート、テニスコートなどの傍を通らなければならない。あまり目立ちたくはないが、練習している部員たちの中でもたもた私服の男子生徒が走っていたらそれなりに浮いてしまう。


「九条? お前こんなところで何してんだ?」


 部室棟に急ぐ中、犬飼が僕に声をかけた。どうやらバスケ部の外練習中にばったり鉢合わせしてしまったようだ。てっきり帰宅部だと思っていたはずの僕が土曜日に学校に来ていたのだから不審に思ったのだろう。


「ちょっと急ぎの用事。行かなきゃいけないとこあって」

「行かなきゃいけないって、あっち文化部とかの部室棟だぞ? 九条ってなんか部活入ってたっけ」

「入ってないかと言われたら入ってるけど今詳しく話してる余裕ないや、ごめん!」

「お、おう……なんかよく分からんけど、分かった」


 説明にもならないような言葉で誤魔化して僕はその場から走り去った。週明けにはまた根掘り葉掘り追及されてしまうだろうが、それは我慢するしかない。


「すみません遅くなりました!」


 閑散とした部室棟の廊下を駆け抜けて、僕はガラッと部室の扉を開けた。連絡を受けてからそろそろ1時間が経つ。


「九条くん待ってたよー!」


 中央に集められた机の前でノートパソコンの画面とにらめっこしていた奥村先輩がこちらに気付き手を振る。部室の中には彼女以外の人はいなかった。


「えっと、イレイズ出現……ですよね? 円や石上は来ていないんですか?」

「んーとね、別のポイントにも出現しちゃったから円ちゃんとレイちゃんはそっちに向かってもらってるよ。あ、ちなみに先生は本部に呼び出しされたりしてて週末は基本いないからね」

「そ、そうですか………………ん? べ、別のポイント……?」


 さらっと出た単語が気になり僕は恐る恐る尋ねた。本来とは別のポイントにも出現した。ということは、今現在イレイズは同時に2箇所にいるということだ。円が昨日言っていたレアケースに早くも遭遇してしまったらしい。


「そーなの! 本来のイレイズ出現とは別に厄介な出方をしてきてね、ちょっとこっち来て見てもらっていいかな?」


 奥村先輩に促され、僕は彼女の斜め後ろからノートパソコンの画面を覗いた。そこには数ヶ所に色が塗られたこの街の地図が映し出されており、その隅には何か動画らしきウインドウが開かれていた。


「単刀直入に言うね。実はこのイレイズ、もう随分前から出現しちゃってる」

「どういうことですか?」

「本来のイレイズは人間の存在を奪って、その人間の姿をしてこの世界に出現するってことは知ってるよね」

「ええ、それはまぁ……」


 それは僕がビショップになった次の日に円から聞かされた話だ。イレイズに入れ替わられた人間は行方不明なり、その数日後に帰ってくるらしい。人間の存在を奪うというよりは、人間がイレイズに「喰われる」と解釈した方が正しいかもしれない。


「その出現するポイントが、この地図の色のうねりが一番強いとこなんだけど現実の世界では何もないところから急に現れるようになって見えるの。こう、しゅたっとワープして来るように」

「今回は違うんですか?」

「そうね……今回は既に出現したイレイズが街の外からやって来たケースで、新しい住処としてこの街を選んだんだと思うわ。かなりの知能を持ってる厄介な敵よ。ちょっとこれ、見てて」


 そう言うと奥村先輩は地図を拡大し、マウスのカーソルを動画の方に移動させた。

 動画は高いところに付けられたカメラによって撮られたものであり、道路や道行く人々が映されている。こういうのは僕もテレビのニュースなどでよく目にした記憶がある。恐らくどこかのビルや施設に付けられた防犯カメラの映像だ。画面端には今日の日付と今の時間が刻々と記録されている。


「あの、この動画ってどうやって手に入れたんですか?」

「ハッキングだよ」

「ハッキング!?」


 あっさりとした先輩の犯罪告白に僕はわなわなと慄いてしまった。計算、分析能力に長けた人というのは知っていたがハッキングはパソコンのスキルとはまた次元の違う話だ。陰陽道の跡取りとも言っていたし、いったいこの先輩は何者なんだろうか。


「ま、ま、ま。細かいことは置いといて……この動画ね、今イレイズが出現しているポイントをちょうど映してるのわかる? ほら、地図に小さな赤い丸印があるでしょ」

「えっ? あ……なるほど」


 最大にまで拡大された地図のある部分に奥村先輩がマウスのカーソルを当てた。ちょうど歩道の真ん中あたりに真っ赤な点のようなものが静止していた。


「あれ? でも、この動画にはそれらしい人は映っていませんよね」


 このイレイズが既に出現したものだとすれば、当然人の姿をして現実世界にも現れているはずである。しかしこの防犯カメラの映像の中には走っている車や歩く人はいてもその地点に立っている人の姿は確認できなかった。


「それが一番厄介なとこなのよー。カメラの範囲もイレイズの位置も間違ってないとすれば、答えは一つしかない。こいつは間違いなく『姿を消す能力』を持っているわ……カメレオンみたいに!」

「す、姿を……消す!?」


 奥村先輩がビシッと名探偵のごとくイレイズの能力を言い当てるが、その敵と戦うのは彼女じゃなくて僕だ。この間の敵にも殺されかけたというのに、そんな忍者みたいなレベルの高い敵と真っ向からぶつかって勝ち目などあるわけがない。


「今動いていないのは、たぶん襲う人間をじっくり選別しているからだと思うの。目標が決まったらいきなり動き出すわ。その前に撃破をお願い」

「む、無理ですよ。それに先輩さっき電話で僕だけじゃ危ないって言ってたじゃないですか!」


 実力が足りないのは重々承知だが、今回ばかりは泣き言を言わせてほしかった。

 なぜこうも強い敵ばかりこの街に現れるのか。もしかしたら、僕が最初に一人で倒したあの空を飛ぶイレイズは全体の中で見たらものすごく弱い個体だったのかもしれない。そう思うと、途端に自信が無くなってくる。


「大丈夫大丈夫! 誰も九条くんだけで戦ってこいなんて言ってないから! このタイプの敵はね、コジローくんならきっと上手くやれると思うの」

「コジローくんって、長谷川先輩のことですか?」

「そう! なんてったって彼、凄腕のスナイパーだから!」


 奥村先輩が慌ててガッツポーズを作り励ますが、もし彼女の言っているコジローくんとやらが昨日のメンタルに問題を抱えた先輩を指しているのならどうしても疑わざるを得ない。

 そう言えば長谷川先輩も自分のことを凄腕のビショップと言っていた。しかしあの先輩の性格からして自分から名乗り出したとは考えにくく、もしかしたら奥村先輩が自信をつけさせるために与えた肩書きなのかもしれないと思えてきた。


「分かりました……けど、それで長谷川先輩って今どこにいるんですか?」

「そ、それは……その」


 僕が尋ねると奥村先輩は急に目線を泳がせ始めた。僕がこの部室を訪れてから彼女以外の人間には会っていない。敵が既に出現して一刻も争う事態なのにあの先輩はどこで何をしているのだ。


「コジローくん、今朝から連絡とれないんだよね。寮に帰ってきてるって話は聞いてるから、たぶん自分の部屋に引きこもってると思う」

「……え?」


 開いた口が塞がらないとは、きっとこのことを指すのだろう。ぼそっと呟いた奥村先輩の言葉に僕は唖然とした。

 彼が引きこもっている原因は、もしかしたら昨日の公園での出来事かもしれない。確かに他人との距離感が掴めていない様は少し痛々しかった。だが、たったそれだけのことで引きこもるようになるとはいくら何でも精神が惰弱すぎやしないだろうか。


「そういうわけで、九条くんに頼みたいの! コジローくんを説得して部屋から引っ張り出してきて!」

「えぇーーーーっ!?」


 僕はその日、何度目になるか分からない絶叫をした。

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