第7話 黒い過去(後編)

「僕は当時、好きな女の子の気を引きたくてサッカー部に入りました。その子の前でかっこよく活躍することばっかり考えて、でもいくら練習しても下手くそで試合に出たことなんて一回もなかったんです」

「そ、そんな程度のこと、別に黒歴史でも何でも……」

「いいえ、大事なのはここから!」


 僕はページを一枚ずつめくるように自分の封印した記憶を紐解いていく。


「その時流行ってたサッカー漫画があったんです。小学校低学年くらいがターゲットの年齢層で、現実じゃ不可能ですけど凄いかっこいい技を使って華麗にゴール決めて……僕も、そういうのに憧れてました」

「お、おう……」

「それで僕はオリジナル技を考えたんですよ。その作品に出てくるどんな技よりもかっこいいやつを。蹴り方とか、どんな時に使える技かとか、時速何百kmで飛ばせるかとか、思いつく限りノートに書き殴りました」


 僕は今、どんな顔してこの話をしているのだろう。さっきから動悸が止まないし、手のひらにじんわり汗をかいている。この場に鏡があればきっと恥ずかしさに歪みまくって直視できない顔が映っているに違いない。


「それを……そ、それを……僕は、うっかり国語のノートと間違えて学校に持ってきちゃいました……そして、あろうことか……教室ですっ転んで、鞄を落とした拍子にノートが散らばって……み、みんなに見られちゃったんです……!」

「うおぉ……それは、きつい……!」


 流石の先輩も言葉を失っていた。

 僕だって本当だったらこんなこと話したくもなかったしずっと忘れていたかった。特に、同じサッカー部でレギュラーだったクラスメイトのゴミを見るような目は。

 翌日から僕はクラスで嘲笑の的にされた。幸い僕は目立つ生徒じゃなかったのでクラス外まで仇名が広がったりはしなかったが、もしあの場に円がいたらショック死していたかもしれない。


「そして次に僕はサッカー部を辞めて楽器を始めました。流行りのバンドの真似をしようとして」

「ま、まだあるのか……」


 長谷川先輩がもういいと音を上げているようだが、ここまで話したからには膿を残らず出してスッキリしたかった。申し訳ないが、先輩には僕の赤っ恥体験談に付き合ってもらおう。


「楽器って思ったより凄い高くって、ベースは小学校の頃から貯め込んでたお年玉を全額はたいて買いました。でも、うちはボロアパートで防音も全然できてなかったから外で練習するしかなかったんです」


 と言っても昼間は学校だし誰かに見られるのも恥ずかしかったので弾ける場所は限られていた。


「そこで、僕が見つけていいなと思った場所が、中学校裏の高台にある墓地でした。お盆も過ぎたタイミングで、ほとんど人も来なかったですし」

「ぼ、墓地!? そんな所で楽器弾くなんて度胸あるな……」


 先輩は逆に感心しているようだったが、それは当時の僕が単に馬鹿だっただけだ。今なら絶対怖くて居られたもんじゃないし、あの時に呪われたんじゃないかと未だに思ったりもする。


「まぁ結局楽譜も読めずただ適当にジャカジャカ鳴らして大声で歌っていただけだったんですけど、ある日夢中になって弾いてたら夜になっちゃって、巡回していた警察の人に保護されました。何か墓の方から変な音が聞こえてくるって通報があったみたいで」

「お、おおぉ……」


 あの後パトカーで家まで送られて、当然ながら両親にめちゃくちゃ叱られた。普段は放任主義な親父が本気で叩き込んだ拳骨の痛み、忘れようにも忘れられない。そして翌日は担任の教師にもしこたま怒られクラスの皆から白い目で見られた。僕が楽器を弾かなくなったのはその頃からだ。


「あの頃は本当に馬鹿だったなあって、今なら分かります」


 そんなこんなで色々失敗し、僕はすっかり新しいことにチャレンジする気力を失った。室星を受験したのも、諦めかけの自分に最後のチャンスを与えるためで具体的にどのようにして円と付き合うとか、そんなことは少しも頭に入っていなかった。


「でも、そういうみっともなくてかっこ悪いのも含めて本当の自分で、どうしたって捨てられないって思うんです」


 そう思えるようになったのは、あの時謎の男からプロメテを渡されて、ビショップに選ばれたからかもしれない。魔鍾結界の中で円と再会して、弱い自分を知った。しかし、だからこそ建前とか見栄を抜きにして僕は強くなりたいと心の底から願っている。


「だから先輩も、自分の弱いところやダメなところを受け入れて、そこも含めて伝えていけばいいんです。だって、友達とか仲間ってそういうのを乗り越えて出来ていくものじゃないんですか?」


 かなりクサいことを言ってしまったような気がする。でも、これは僕なりに正直な気持ちを言葉にしたつもりだ。笑われたって、別に構わない。


「…………」


 ドアの向こうで長谷川先輩はそのまま黙りこくってしまった。

 仕方ないとは思う。僕は彼の過去を正確に見てきた訳でもないし、彼が心の中に何を抱えているのか知る術などないのだから。ここまで言っても届かないなら、それはもう僕の力の及ぶところではない。


「じゃあ僕、行きます。早くしないと犠牲者が出るかもしれませんから」


 僕だけの力では、きっとあのイレイズを倒すのは不可能だろう。それを分かっていたから、奥村先輩は僕をここに寄越したのだ。

 僕はまだ未熟で、そして弱い。

 ならば弱いなりに、自信がないなりに一歩ずつ進まなくては、僕は強くなれないのだ。ここで勇気を出して立ち向かわなければ、さっきの言葉を自分で否定してしまうような気がする。

 今戦うのは誰のためでもない。他でもない自分のためだ。


「……待て」


 寮を去ろうとドアに背を向けた僕を先輩が呼び止める。

 直後、その扉が長い沈黙を破りゆっくりと開いた。


「やっぱり、俺も連れて行ってくれ。自信は……あるわけじゃないが」

「先輩……」


 一日ぶりに見た先輩は目の下に隈を作っており、昨日初めて会った時のような暑苦しさはまるで感じられなかった。しかし、これこそ彼がひた隠しにしてきた長谷川小次郎の真の姿だ。昨日の作られたキャラよりはずっと良いと思う。


「大丈夫なんですか?」

「ああ……年下のお前がこんなに頑張っているんだ。こんな俺でも何かはやれるって……そう、思う」

「いえ……その、ありがとうございます」

「こっちこそ……面倒かけて、悪かった」


 その言葉を聞けて気が抜けたのか、疲労がどっと押し寄せてきた。ここに来てから相当な時間が経過したように思う。しかし、出てきてくれたのなら結果オーライだ。長々と話してきた僕の黒歴史も無駄ではなかった。

 だが本当の勝負はこれからだ。今までのやりとりは戦いに挑むための準備段階に過ぎない。


「あ、九条……ちょっといいか」

「ど、どうかしましたか?」

「いやちょっと忘れ物を」


 何か思い出した長谷川先輩がドアの向こうに消えていく。まさか再び引きこもるのではないだろうな、と僕の脳裏に一抹の不安がよぎった。ここまでやらせておいて、いくら何でもそれはあんまりだ。


「すまん、待たせた」


 と一瞬青ざめたが先輩は1分経たずに戻ってきた。その手には横に長いレンズの繋がった眼鏡のようなものが握られている。


「これは?」

「あー……たぶん、奥村から聞いてはいると思うけど俺、狙撃が専門なんだ。だからこれは、俺の必需品」

「な、なるほど」


 どこかで見覚えがあるなと思ったら、先輩の手にあったものは眼鏡でなくサバイバルゲームなどで用いられる専用ゴーグルだった。黒い偏光レンズで、紫外線をカットできる作りになっている。

 しかし卑屈でネガティブなこの先輩が、どんな顔をしてイレイズを狙い撃ちにしているのかまるで想像がつかない。


「とりあえず、行きましょう。時間もだいぶ経っちゃいましたし」


 僕と長谷川先輩は急いで寮を後にした。学校の敷地から出る際ちらっと時計を確認したら、時間は正午を回っていた。奥村先輩から出現の報せを受けてから既に2時間以上は経過している。




『九条くんコジローくんを引っ張り出してきてくれたの!? 凄い! まさか本当にやってくれるなんて!』


 事前にマップで確認した地点に着いてから、僕は一旦奥村先輩に連絡を入れた。電話の先で彼女は大声で騒いでいるが、どうやら僕の働きぶりが予想以上だったらしい。それにしても説得に失敗したらどうするつもりだったのか。


「それであの、奥村先輩。さっき言ってたイレイズって……」

『それがね、少し場所を移してまた止まったみたい。今九条くんたちがいる場所からはそんなに離れてないから、その場で結界を展開してもいいと思うよ!』


 つまり敵は僕たちの目の前で姿を隠している訳ではないということだ。

 今僕たちのいる場所は住宅街のど真ん中で、車や物で溢れたここを戦場にしなくてもいいのなら、それは好都合。少し歩いたところには昨日の自然公園がある。イレイズと戦うなら、当然開けた場所の方がやりやすい。


『とにかく、グッドラック!』

「はぁ……とりあえず、切ります」


 簡単に言ってくれるなこの人は。きっと電話の向こうで親指を立てているに違いない。


「じゃあ、長谷川先輩。魔鍾結界を開きますね」


 通話を切った僕は円から先日教わった通りにポケットの中からプロメテを取り出し、左手首に当てた。すると、プロメテの画面に幾何学的な模様が浮かび上がる。結果を開く一連の動作はこれで合っているはずだ。


『承認されました』


 頭の中に機械音声が響き渡った直後、周囲の音が一瞬にして消失した。僕と先輩を残して通行人たちもいつの間にか消えている。


「九条……実はな、俺……これ言うべきか迷ってることがあるんだけど」

「こ、今度は何ですか」


 目的地に着いてからずっと黙っていた長谷川先輩が気まずそうに口を開く。


「俺、戦ってる時の記憶があんまりないんだ。プロメテを装着して、気付いたら終わってる」

「えっ」

「だからその、スナイパーとか言われてもいまいち実感なかったんだよ。それは本当に俺なのかって、疑う気持ちがあって……」


 戦ってる記憶がないというのは、ビショップとして致命的な欠陥ではないだろうか。今さら後戻りは出来ないので、そういう重大なことは早く言って欲しかった。しかしそれでも無事に生き抜いてきたのなら、優れた能力を持っているのは確かなのだと思う。


「あ、ちなみに実戦は今日が初めてだ」

「は? えっ、今……なんて……?」


 衝撃的なことをさらっと口にされ、一瞬言葉の意味が理解できなかった。戦うのは? 今日が? 初めて?


「じゃあその凄腕のスナイパーとかいう肩書きはいったい何だったんですか……?」

「ビショップ本部には実戦用のシミュレートとか、そういう設備も整っていて記録はけっこういいとこ行ってた」


 シミュレートの記録と言ったって、そんなのほとんどゲームみたいなものではないのか。もしかしたら、今まで円が先回りしてイレイズを倒してきたから戦う機会がなく、そのことに誰も気が付かなかったのかもしれない。


「だから自信なくて引きこもっていたんですね……」

「す、すまん。で、でももう引きこもったりはしないぞ。俺だってやる時はやる、と思う」


 先輩は僕の説得でやる気を出してくれたようだったが、今度は逆に僕の方が不安になってきた。イレイズは強敵、僕は実力不足で先輩は初めての戦い。安心できる要素が一つもない。


(ああもう、とにかく……やるっきゃない!)


 頭の中で自分に言い聞かせて、僕はプロメテを再び左手首にあてがい装着した。


「わかりました。とにかく、準備お願いします」

「お、おう!」


 僕に促された長谷川先輩も自身の緑色のプロメテを装着する。シミュレートでしか戦ったことがないと言っても、一連の動作は理解しているようだ。


「……魔力注入インゼクション!」

魔力注入インゼクション!」


 ビショップが戦闘態勢に入る言葉を二人で詠唱する。その瞬間、僕の左腕を通して鋭敏な感覚が全身に駆け巡った。イレイズと戦うための力が溢れていると、確かに感じられる。


「それで先輩、まずはどうしましょう……って、先輩……?」


 魔力が流れたことを確認した僕は長谷川先輩の方に目をやる。先輩はさっき忘れ物で部屋に取りに行ったサバゲー用の黒いゴーグルを着けていた。

 それだけなら別に予想外でもなんでもないが、さっきまでとはどこか雰囲気が違う。弱々しく表情を強張らせていた先輩が、今は立ち振る舞いが堂々としている。まるでアメコミに登場するサイボーグ戦士のような雰囲気だ。


「ミッションスタートだ」

「はい?」


 長谷川先輩は雰囲気だけでなく、声色までもが別人のようになっていた。さっきまで僕が先導していたはずが、側から見れば作戦指揮官は彼である。

 先輩の懐には全長1mはある狙撃銃ライフルが提げられており、恐らく石上の突撃槍のようにプロメテの能力で出現させた物だと思われた。


「行くぞ九条。この戦い……10分以内にケリをつける! 俺に続け!」

「先輩!?」


 さっきまでうじうじ引きこもっていた先輩の急激な変貌に、僕はただただ驚くことしか出来なかった。

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