第7話 黒い過去(前編)

 街中にイレイズが出現、各ビショップは直ちに現場に急行せよ、という旨の指令が伝えられた。このままでは犠牲者が出るおそれがあり、事態は一刻を争う状況にある。

 にも関わらず僕は今、男子学生寮2階の廊下にいる。目の前には、とある生徒の部屋のドア。ネームプレートには部屋の主であるその生徒の名前が記されていた。

『2年 長谷川小次郎』と。

 


「先輩。長谷川先輩。九条です。いたら返事をしてください」


 僕は優しくこんこんとドアを叩き、呼びかけた。

 今日は土曜日であり、寮暮らしの生徒の中には自室で時間を潰している人もいる。自宅通いの1年生である僕がうるさく物音を立てるのは忍びないので、なるべく手短に終わらせたい要件であった。


「…………」


 返事がない。ドアノブに手をやってみるが、鍵がかかっているらしく開かなかった。

 しかし、そんなことは既に想定済みだ。僕は依頼主である奥村先輩の指示で先ほど警備員室から借りた予備の鍵をポケットから取り出した。

 寮は学生のプライベートな空間であるが、その持ち主は学校である。急を要する場合であればこのように無理やりにでも開けることが可能なのだ。警備員室のおじさんには「先輩に忘れ物を取りに行ってくるよう頼まれまして」と言ったら案外あっさり貸してもらえた。


「悪いとは思いますけど先輩、開けますからね……」


 ドアノブの上の穴に予備の鍵を差し込み、左に回す。すると、ガチャっとロックが解除された音が聞こえた。僕はそのままドアノブを掴み、手前側に引こうとした。

 しかし、


「えっ、ちょ……痛っ!」


 数cm開いた直後、凄まじい力でドアが引き戻された。バタン! と大きな音が廊下全体に響き渡り、僕は反動で引っ張られドアに額をぶつけた。

 間違いない。この扉を挟んだすぐそこに先輩、長谷川小次郎はいるのだ。しかも力いっぱいドアを押さえ込んで抵抗している。うっかり指を挟んでしまったらどうなっていたか、想像するだけで恐ろしい。


「先輩! そこにいるんですよね!?」

「おい、うるせえぞ! 休みの日に騒いでんじゃねーよ!」


 思わず声を荒げてしまい、隣の部屋の住人から怒鳴られる。何だか怒りが込み上げてきて、僕は痛む額を抑えてぐぐぐと歯軋りした。人の命が懸かっていなければ、僕だって何も好きでこんなところまで足を運んだりしないのだ。悪いのは断じて僕ではない。

 今回のイレイズは僕だけの力で対処できる相手ではないと奥村先輩から伝えられていた。撃破するにはこの部屋の主、長谷川小次郎の力が不可欠だとも。

 だがしかし、長谷川先輩は現在この自室に引きこもっている。原因は昨日、僕たちへの自己紹介に失敗して精神に不調をきたしたことに由来するそうだ。たかがその程度のことでと思われるかもしれないが、現に目の前で引きこもられているのでそうなのだと納得するしかない。

 

「……九条……か?」

「! せ、先輩……」


 ドアの向こうからか細い声が聞こえてきた。間違いなく声の主は昨日、公園でいきなり現れて暑苦しい自己紹介をした長谷川先輩だった。だが、今日はすっかり萎びて生気を失ってしまっている。


「とにかく、いるなら出てきてください。街にイレイズが出現してて、先輩の力が必要なんです」

「俺は、もうダメだ……一人にさせてくれ……」

「昨日のことは全然気にしてませんから」


 昨日まで先輩は数日間、僕たちの行動を見張りながら自己紹介する丁度いいタイミングを待っていたそうだ。気持ち悪いかと聞かれたら確かに気持ち悪いが、だからと言って軽蔑するほどでもないしどう考えても気にしすぎだ。


「違う……俺は……自分に自信がないんだ……何をやっても滑って失敗して、こんなんじゃ一緒に戦ってもお前に迷惑をかけちまう……」

「先輩、昨日自分のこと凄腕って言ってましたよね」

「あ、あれは奥村がそう言えって……自分で言い聞かせればいつかその通りになるかもって……」


 そんなことだろうと思ってはいた。しかし、あの洞察力と分析力のある奥村先輩が何の勝算もなしに僕と長谷川先輩を残したとはどうしても考えられない。彼の能力に戦いの中で光るものがあるのは確かなのだろう。


「僕ひとりで行ってもけちょんけちょんにやられて最悪死にます。先輩に来てもらわないとダメなんですってば」


 自分で言ってて悲しくなってきたが、データにあったカメレオンのように姿を消すイレイズを相手に、僕だけで勝てるビジョンはどうしても浮かばなかった。この先輩と一緒に行ってどうなるのかも定かではないが。


「……いいや、そんなことはない。俺がいない方が絶対に上手くいく。間違いない」

「なんでそこだけ断言しちゃうんですか……」


 ネガティブなやりとりに疲れた僕はその場に座り込んだ。僕が黙ると、ドアの向こうの先輩も言葉を発しなくなった。このまま時間が過ぎて僕が諦めるのを待っているのだろうか、この人は。

 そのまま廊下内は、数分間の痛い沈黙に包まれた。


「それにしても先輩、堂々としてたら強そうでかっこいい方だし、いったい何がそんなに不安なんですか」

「……俺が、強そうでかっこいい方だと? それは、お前が俺の本当の姿を知らないからそう言えるだけだ」


 ぼそっと思ったことをそのまま口にしてみたら、長谷川先輩が食いついてきた。先程と声色が違うのがはっきりわかる。僕の発言が無神経だったのか、少し怒っているようだ。


「な、なんなんですか。その本当の姿って」


 ここで尻込みしては押されると直感し、僕も負けじと尋ね返した。それにイライラしているのはこちらも同じである。


「俺は……本当の俺はだなぁ……」

「は、はい」


 先輩が勿体ぶって言葉を溜める。しかし戦ったら理性を失って暴れ出すとか、満月を見たら大猿に変身するとか、そういう現実であり得ない返答でない限りは今さら驚く僕ではない。

 そのまま次の言葉を待って十数秒が経過したところで、先輩がようやくその先を口にした。


「デブだったんだよ」

「…………は?」

「去年までめちゃくちゃ太ったデブだったんだ。体重100kgはあって、それが原因でずっといじめられてきた」


 てっきり喫煙とか犯罪歴とか忘れたい過去を暴露されると思っていたので僕は拍子抜けしてしまった。太っていじめられていたから、それが何だというのだ。


「でも先輩、今は普通に痩せてますよね?」

「色々、あったんだよ……馬鹿にされないよう見た目も変えたり色々と頑張った」


 本当ならそれは凄いことだと思う。よくテレビ番組の激痩せ映像などで特集される人たちは皆かなりの食事制限や厳しい運動を課して理想の肉体を手に入れていた。

 この先輩も見るからに30kg以上は落としていて、尋常じゃない努力の賜物だろう。むしろそれが成功体験になって自信に繋がったりはしないのだろうか。


「だがな、いくら見た目を変えても、心は……昔の俺のままだったんだ。ちょっとしたことで竦みあがって、人と目を合わせるのすら難しい……彼女はおろか友達すら出来ない……」

「はぁ……」


 それは確かに、いくら外見が変わっても中身まですぐには変わったりしないだろう。

 だが変わりたい、新しい自分を手に入れたい、そういった欲求は僕にもよく理解できた。そのために必死になった時期もある。僕は結局変われたのか、それすら分からないでいるけど。

 僕と違って先輩は過去の自分を捨てようと必死になればなるほど、その時の自分を思い出して自縄自縛で苦しんでいるようだ。


「それで、先輩をいじめた連中はどうしたんですか?」

「さぁな……あいつらとは中学を卒業してからは会っていない。今どこで何をしてるかなんて、興味ないし知りたくもない」


 長谷川先輩の口ぶりからするに、どうやらその連中に復讐や仕返しはしなかったようだ。自分で気付いていないようだったが、それは先輩自身の優しさであり誇るべき長所だと僕は思った。

 しかしここまで卑屈で後ろ向きな性格だと、この人がどうしてビショップをやれているのか気になってしまう。


「ちなみに俺が痩せたのは中学を卒業して、ビショップになってからだ。適合者に選ばれた俺は、ビショップの本部組織のもとで一年間勉学と修行に励んでいた……ほとんど個別指導みたいなもので、気は楽だったが」

「あ、そ、そう……だったんですね」


 円のように身近な誰かを奪われたとか、他人には言いづらい事情があるのだろうと思い聞かないでおこうとしていたが、そういうわけではなかったらしい。


「室星に来たのは俺の指導員だった人の勧めだ。俺もここなら新しい自分でやれると思って、その人の言う通りにした。いわゆる高校デビューってやつだ」


 この人が後ろ向きな性格である理由が少し分かったような気がした。一年間もろくに友達と会話もせず孤独に過ごしていた人が、いきなり新しいキャラでクラスに馴染もうとするなど無謀にも程がある。しかも長谷川先輩の元々あったいじめられっ子な気質も失敗しやすさに拍車をかけていたのだろう。


「話題に合わせるために流行りのアニメやドラマも逐一チェックしていたし、何書いてあるか分からなかったがファッション誌だって買った……いつ話しかけられてもいいように教室で読んでた……ピアスもつけようと思ったが、痛そうだったからやめた……」

(うわぁ……)


 どうやら長谷川先輩も僕と同じで形から入る人だったらしい。言葉に出来ないむず痒さに襲われて全身に鳥肌が立つ。

 今のこの人は、まさに中学時代の僕だった。円の気を引こうとしてあれこれ手を出しては失敗して馬鹿にされたあの頃の僕そのものだ。


「だが俺はクラスの誰にも話しかけられないまま、気付けば4月が終わろうとしてる……」

「そりゃあ、教室でファッション誌広げて黙々と読んでたら何というか、怖いですよ」


 しかし手段をいろいろ間違えているとは言っても、この先輩の動機はシンプルだ。友達が欲しい、それに尽きる。ただその作り方を知らないだけなのだ。こちら側が怖くないよとアプローチをかければ、先輩もきっと出てくるだろう。


「クラスではもう無理だと分かったから、せめてビショップの仲間たちには気持ち悪がられない陽キャラになりたかった。だが、結果はこのザマだ……」

「だから気にしてないって言ってるじゃないですか。石上はともかく奥村先輩も普通に受け入れてくれそうな人ですよ。円だってもちろん」

「そ、そう……だろうか……」

「そうですよ。だから先輩、早く出てきて一緒に戦いましょう。かっこよくイレイズを倒せば誰も先輩を馬鹿になんてしませんって」

「う……むむむ……」

 

 どうやら光が見えてきた。頑なだった先輩も少しだけ揺らぎ始めている。同じ男同士だから腹を割って踏み込んだ話ができたのだと思う。

 推測でしかないが、奥村先輩もこの人と仲良くしようと試みたのだろう。しかし、明るくよく喋り他人との距離感を感じさせない彼女では長谷川先輩との相性はむしろ悪かったのかもしれない。

 彼を部屋から出すまであと一押しだ。


「い、いや……やっぱり俺じゃ無理だ。一人で行ってくれ」


 いける、と思ったがあと一歩のところで拒絶されてしまった。今までの対話が全部無駄に思えてきて猛烈な脱力感に襲われる。

 その時、僕は自分の中で何かが弾けたような気がした。


「いい加減にしてくださいよ! 怖いとか自信ないとか言って閉じこもって! みっともない過去引きずって生きているのが自分だけだとでも思ってるんですか!?」


 ここまでまっすぐに怒りの感情を吐き出したことは、生まれて初めてかもしれない。隣の部屋からドンドン叩く音が聞こえるが、もう止まれない。この世界一レベルの意気地なし先輩には思いっきり言ってやらねば気が済まなかった。


「す、すまん急に怒鳴らないでくれ……」


 まさか反撃されると思っていなかったのか長谷川先輩は狼狽えていた。その反応が余計に腹立たしく思えてくる。きっと自分と同じ気弱な性格で、しかも年下だからと舐めてかかっていたのだ。


「僕が……僕が中学の頃クラスで何て言われていたか知ってますか!? 『歩く黒歴史』ですよ! 僕だって、今まで散々馬鹿にされてきました! 先輩と何も変わらない……同じなんです……」


 これだけは誰にも言うまいと心に誓った過去だった。犬飼をはじめ当時の同級生は既に知れ渡っていたことであったが、僕自身は一刻も早く自分の中から消したい記憶だった。

 一旦深呼吸して、頭を落ち着かせる。


「ちょっとだけ僕の話、聞いてくれますか……?」

「わ、わかった」


 僕の剣幕に気圧されて長谷川先輩も了承した。

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