第11話 失念(後編)

「ウゴァッ!?」


 突如絡まれていた右腕付近で大爆発が起こり、驚いたサイのイレイズは反射的に左腕を離した。その瞬間、急な動きによってさらに大きくなった胸部の亀裂が露わになる。


「石上!」

「でかしたわ、九条!」


 蛇の拘束を解き僕が叫んだのと石上が走り出したのは、ほぼ同時だった。石上は一気に距離を詰めてイレイズの胸部を突撃槍ランスで勢いよく刺し貫く。


「グ……カハッ」


 急所を貫かれたサイのイレイズは小さく断末魔をあげるも、最後の抵抗をするように焼け爛れた両手で自身に刺さった突撃槍ランスを掴んだ。

 間違いなく致命傷の一撃。だがサイのイレイズはそれを受けてもなお脅威の生命力で耐え凌いだ、ように見えた。


(な、なんだ……この音)


 サイのイレイズが貫かれたその瞬間、僕はモーターの回転するような音を確かに聞いた。直後、胸元の亀裂が肩や腹部、手足にまで広がりイレイズの全身が勢いよく爆散した。爆風が晴れて数秒後、謎の回転音がピタッと止まる。

 音は石上の突撃槍ランスから放たれていた。僕は初めて見た時から今まで、あれは巨大な槍であると疑いを持たなかったがその見立てはどうやら外れていたようだ。


(ど、ドリルだ……)


 突撃槍ランスの正体は回転式のドリルであった。石上のプロメテを通じて氷の魔力が敵に流れ込み、内部から凍結させてドリルの回転でバラバラに砕く。まともに食らえば耐えられる敵などまずいないだろう、僕の知る中で最も恐ろしい攻撃方法である。


「助かったわ。後は……円たちと合流して撤収出来ればベストね。ここに長居は無用よ」


 おののいている僕を石上は建物から出るよう促す。サイのイレイズにはかなりの苦戦を強いられたが、この敷地内にはそれよりさらに凶悪な25号が潜んでいるのだ。騒ぎを起こしたことで僕たちの存在には気付いているはず。


「う、うん。分かっ…………えっ?」


 頷いて歩き出したその時、僕は背後から誰かに肩を叩れた。反射的に振り返りその姿を確認する。


「よう」

「金子……先生?」


 そこに立っていたのは僕たちの通う室星学園の数学教師、金子。筋骨隆々な体格が特徴の野球部顧問。そして3日前から行方不明になっており、ここで出会うと言うことは……


「ゔッ!!」


 いきなり腹部に強烈な打撃を受けて僕は数m吹っ飛び地面を転がった。まるで弾丸のように速く、鉄球のように硬い拳だ。あまりの痛みに声も出ず、意識が飛びそうになる。


「九条!? いつの間に……」

「ご、ごめ……ん……」


 石上が慌てて僕の元に駆け寄る。謝ろうにも上手く言葉を発することができない。

 決して油断していた訳ではなかった。全く気配を感じることなく背後に回り込まれていたのだ。ただの高速移動とは一線を画しており、瞬間移動としか説明のしようがない。こんなに急に現れるなんて流石に予想も出来なかった。


「ほー、人間の癖に思ったより迷ってくれねぇみたいだな。せっかく知ってる顔で挨拶してやってるのによぉ、面白くねえ」


 金子の姿をしたイレイズ、25号は酷薄な笑みを浮かべてうつ伏せに倒れた僕を見下ろす。その口ぶりから、僕たちに精神的な揺さぶりをかけるつもりで現れたらしい。真面目で厳格な金子が絶対に言うはずのない言葉だが、声は本人と全く違いがない。


「逃げるわよ、九条!」

「う、うん……」


 石上が僕の肩を背負って走り出す。しかし辛うじて立ち上がることは出来たものの、足に上手く力が入らず歩くだけでやっとだ。それでも今は逃走するほかない。

 話に聞いていた以上に、『25号』は今までの敵とは何かが圧倒的に違う。単純な力だけではない。殺気はおろか何の気配すら感じさせず、僕の背後に奴はいた。目の前で対峙した時も、他のイレイズの人間態のような異様な雰囲気はなく一瞬敵と認識することが出来なくなっていた。


「賢いねェ、いいぜいいぜ。簡単に死なせちまうより遊び甲斐がある。もっともっと逃げな」


 25号は追いかけることはせず、意味深な発言だけを残して僕たちの背中を見送った。このまま見逃してくれるとは全く思っていないが、とにかく僕と石上はひたすら走って出口を目指した。

 それから僕たちは数分かけ、やっとのことで建物の外に出ることが出来た。開けたアスファルトの駐車場まで走り、周囲を見渡す。あの25号は未だ追っては来ていないみたいである。


「九条、こうなったら結界を脱出するしかないわ。先生から貰った装置はある?」

「あ、ある」


 僕はポケットから、今朝がた芥先生に渡された押しボタンが一つだけのリモコン装置を取り出した。これで今開かれている魔鍾結界を強制解除することが可能らしい。身の危険を感じたら使ってくれと言われたことを思い出す。


「あたし達のプロメテに内蔵されてる機能は接続を解除しないと使えないから、あんたが持ってるやつの方が安全で早いはずよ」

「そういうことか……」


 僕たちビショップが頑丈な肉体を得たり不思議な力を行使できるのは、ビショップの身体がプロメテと接続状態にあるからだ。つまりそれは逆に言うと接続を解除したら僕たちは力を使うことが出来ず肉体の強度は普通の人間レベルまで落ちてしまう。いつ敵が仕掛けてくるか分からない状況で行うにはリスクが大きすぎる。


「どうだい。狩られる側の役なんて滅多にねェんだから、もう少し遊んでいきたいよなぁ?」

「……!」


 背後から発された聞き覚えのある声に僕は怖気が走った。振り返るとさっきまで何もなかったはずの空間に25号は立っていた。

 間違いない。このイレイズは少し本気を出せば僕たちなどいつでも殺せる。敢えて逃したりしているのは、僕たちが情けなく逃げる様を楽しんでいるためとしか思えない。


「こんなもの、要らねえだろ」


 そう言うと25号はさらに一瞬で接近し僕の右手を勢いよく払い除けた。


「あっ……!」


 その時、僕が持っていた強制解除のリモコンが勢いよく吹っ飛び遠くの地面を転がった。わざわざ狙ったということは敵は僕たちの目的すら理解している。


「九条、早く拾って!」


 石上が25号から僕を庇うように立ち、突撃槍ランスを構えて威嚇する。だが、その抵抗が焼け石に水なのは誰の目に見ても明らかであった。それでも一刻を争う今は言う通りにするしか選択肢はない。


「おお、勇ましいな。最初はお前にしてやるか」


 25号は自身に突きつけられた突撃槍ランスのをものともせず先端を素手で掴み、そのまま握り潰す。まさしく氷のように砕かれた突撃槍ランスは石上の手から落ちその場で光となって消失した。


「なっ……!」


 驚きと恐怖で判断が一瞬遅れる石上の右手首を25号が掴み、手前側に思い切り引き驚異的な腕力で投げ飛ばした。


「ほらよ」


 驚きと恐怖で判断が一瞬遅れる石上の右手首を25号が掴み、手前側に思い切り引き脆い腹部に膝蹴りを叩き込んだ。


「あぅ……っ……く……」

「石上!」


 石上が弱々しい悲鳴を上げ、その華奢な身体は人形を弄ぶように投げ飛ばされた。ビショップの強化された肉体で殴られた僕でもしばらく動けなくなるほどの激痛だったのだから、彼女が感じている痛みも想像を絶するもののはず。脱臼や骨折をしていてもおかしくはない。


「ふはは、楽しくなってきたねぇ」

「ぐぁっ!」


 リモコンを拾いに走る僕の背中を25号が蹴りつけ、地面にうつ伏せに転倒させた。手を伸ばそうにも、あと数10cm届かない。

 倒れた僕は、そのまま背中をぎりぎりと踏みつけられる。


(く、くっ……そぉ……)


 前に25号と戦ったビショップも、こうやって弄ばれた末に殺害されたのだろうか。顔も知らない人達であるが、やはり僕とはそこまで離れた年ではないのだろう。それが無惨に奪われたのかと思うと悔しさと怒りが込み上げてくる。

 僕はうつ伏せに倒れたまま振り返り、25号の姿を睨みつける。人の命を何とも思わず、まるで玩具のように扱うイレイズを本気で許せないと僕は初めて思った。

 大切な人の命を奪われた円の憎しみの気持ちが、今は少し分かってしまう。


「……ほぉ。見た目に反して根性があるぜ、お前」


 25号が感心したような表情で見下ろす。無意識のうちに僕は左手首から炎の蛇を出現させて、今まさに僕を踏みつけにしている脚に絡ませていた。


「ぬるいがな」


 しかし全く熱を感じていないのか25号は涼しい顔で蛇の胴体を脚から引き剥がし両手を使って持ち上げると、そのまま外側に力を加え勢いよく引きちぎった。


「っ……ぅぐ、ああぁあ!!」


 突如、今まで感じたことのない激痛が僕の身体中を駆け巡った。痺れにも近い、全身の感覚が支配され地面に這いつくばっていることも忘れるほどの強すぎる痛み。引きちぎられたのは身体の一部ではないのに、身体がバラバラに引き裂かれたような錯覚に陥る。

 胴をちぎられた炎の蛇は断面から白い煙のようなものを撒き散らして消滅した。


(あ……れ……!?)


 その時、僕の中で何か糸のようなものが「ぷつん」と切れたような気がした。戦っていた時は自然と自分の頭の中にあったもの。どうやって戦えばベストで、どのようにすれば目の前の敵を倒せるのか、誰に教わることなく頭に浮かべていたその解法が綺麗さっぱり消えてしまった。

 今までのイレイズを殴った感触も、蛇を使って編み出してきた戦い方も、何もかも思い出せない。

 それはこの敵、25号を倒す手段はないことを意味していた。


(僕……死ぬの……?)


 そう感じた瞬間、今まで感じたことのない「恐怖」に僕の脳内が埋め尽くされた。

 身体が動かない。手も足も、頭も。願わくば、今この状況が夢であってほしい。しかし全身に走るこの痛みは紛れもなく本物で、アスファルトに押し付けられた頬の感触も現実だ。


(い、いやだ……嫌だ……死にたくない、死にたくないよ……!)


 僕は恐怖のあまり涙目になり、その背中を踏みつける力を25号はだんだんと強めていく。

 ずっと昔も、こんなことがあった。今からだいたい10年前、小学校に入りたての頃。気が弱く、引っ込み思案だった僕は身体の大きい上級生にいじめられ、こんな風に力で押さえつけられていた。

 でも、あの時の僕はそれが仕方のない当たり前のことだと思っていた。仕返しを恐れ、されるがまま、ただただ耐え凌ぐ。いつしか僕は、悔しいと思うことすら忘れてその現実を受け入れていた。弱い人間は強い人間に逆らえない。それが自然の摂理。

 だが、そう諦めていた僕を救い出してくれた存在がいた。

 その存在は一筋の光のようにまっすぐで、暗闇の中にいた僕にとっては太陽よりも眩しかった。

 人生で初めて出会った、本物のヒーロー。その名前は……


「いっちゃん! 怜ちゃん!」


 倒れて視界が闇に包まれそうになる中、遠くから誰かが僕と石上の名前を呼んだ。その瞬間、背中にかかっていた25号の圧力が一瞬弱まる。


「はぁーーーーッ!!」

「ぐおっ!?」


 声の主は僕たちの元に、まさしく疾風迅雷のごとき速度で接近し25号の腹部に強烈な蹴りを放った。予想外の方向からの一撃に、今までどんな攻撃も受け付けなかった25号が少しだけ仰反る。

 ようやく身体が自由になり、僕は落ちたリモコンの方向にゆっくりと手を伸ばす。


(円……ダメだ……!)


 彼女のお陰で窮地は脱せた。しかし円ほどの強さをもってしても、この敵とまともに戦って勝てる見込みはない。このままでは僕や石上の二の舞になってしまう。

 僕は残る力を全て振り絞ってリモコンを握りしめ、先端のスイッチを押した。

 直後、今まで聞こえなかった車のエンジン音や信号の点滅音などが僕の耳に入った。魔鍾結界が解除されたことで工場敷地外の人の往来が復活したのだ。


「チッ、遊び過ぎたか。まぁいい、どの道てめぇらにゃあ俺を何とかできるわけがねえからな」


 そう吐き捨てると、25号は一瞬のうちに姿を消した。敵が完全に消失した廃工場の駐車場には、倒れた僕と石上と円が残される。

 助かった。ようやくその実感が追いつき、安心したためかだんだんと意識が遠のいていく。


「いっちゃん、しっかりして!」


 円が慌てて駆け寄り僕の身体を抱き上げる。薄れる視界の中で最後に見たのは、顔を歪めて今にも泣き出しそうな彼女の顔だった。

 完全に、完膚なきまでの敗北である。

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